第16話
春也と鈴蘭が図書室に来てからおよそ五分。これといった進展はなし。かすかに声が聞こえてくるけど、耳に入ってくるのは鈴蘭の楽しそうな声だけ。春也の声が聞こえないからどんな状況かなんて、さっぱりわからなかった。
ーーせっかく、あの時の真実がわかると思ったのに。
数日前に屋上まで呼ばれた時、春也は確かに叫んでいた。鈴蘭、と。呼び捨てにしていた。ってことは、よほど親しくないと女子の名前を呼び捨てなんてしないはず。二人はどこかで繋がっていることになる。
二人の関係を知るためにも、まずは一段先の本棚に移動して距離を詰めないと何も聞こえやしない。せっかく、春也と鈴蘭にバレないように図書室に来たのに。それなら最初から真ん中らへんで待っていれば良かった。
さて、どっちから行こうか。受付がある右側か、棚のある左側か。冷静に考えて左の通路から行ったほうがいいのよね……右だと人に見られる可能性高いし。左も変わらないけど、右出て目立つよりはいいかも。
私は忍び足で左の通路を覗き込んで見る。一段先の本棚との間に人が立っていて、ちょうど壁ができていた。
ーーこれならいけるかも!
私は早足で左の通路から一段前の本棚に移動した。あとは本を読むフリをして二人の会話を聞くだけ。
耳を澄ますと、春也と鈴蘭のやり取りが聞こえてきた。
「……で、風紀委員さん。まさか昼休みずっと図書室とか言わないですよね?」
「私は春也君と過ごせるのなら、それでも構いませんわ」
「はあぁ。さようですか……」
「図書室に来たのですから春也君も一緒に読書致しませんこと?」
鈴蘭の声で、私はやばいと思った。一気に冷や汗が溢れ出てくる。
下手したらこっちに来る可能性があるじゃないの! 今動いたのは失敗だったのかな……。
「いや、今は本を読む気にはなれないので遠慮しておきます……それに読書は苦手って言ったじゃないですか!」
グッジョブ、春也! よく言った!
「そうですか……残念です」
「というか、そろそろ帰りたいんですけど」
うん、声のトーンからも春也の帰りたいって感じがひしひしと伝わってくる。
「周りの目を気になさっているようですね?」
「当たり前ですよ……人に見られながら読書なんて落ち着きません」
「そうですね……周りの目が気になるのは春也君だけではないようですから、そろそろ教室に戻りましょう」
鈴蘭の視線があきらかに私がいる場所に向けられた。
どういう意味!? まさか、気づかれてる!? いやいや、そんなはずはない! もし気づいているとしたらいつ気がついたの!? エスパーですか、あなたは!
それか、最初から私が図書室に来ると想定してわざわざ教室に出向いたんじゃあ……。まさかね。
ちょっとまてよ。結局、何もわからないまま終わるのか。私はなんのために来たんだろう……いや、もともと図書室で本を読むために来たのだから……うん、問題ないよね?
何もわからないまま終わったなと、私が落胆していた時だった。
荒々しく図書室の扉が開いた音が響いた。一体何事だろうと思っていたら。足音が明らかにテーブル席の方に向かっている。
「ちょっと、紫籐鈴蘭! どういうつもり!」
はっきりと聞こえた。大きな声で叫ぶ女子の声が。でもこの声、どこかできいたことのあるような……。
「どういう意味でしょうか? 貴方が何をおっしゃっているか、私、存じ上げませんわ」
「どうもこうもないわ! 春也君とデートとか言って! どういうつもりか聞いているのよ!!」
「ここは図書室ですわ。お静かになさったほうがよろしくってよ?」
「うるさい! あんたのせいが計画が狂ったじゃない! 春也君のこと何もわかっていないくせに!」
女子の言葉を聞いて、私の中で何かが引っかかった。計画って言ったよね……どういうこと?
まさか、私のブログに例の炎上コメントを書き込んだ子じゃ……!
突然、机をバンと叩く音が響いたと思ったら、春也のドスの聞いた声色が図書室中に広がって、
「いい加減にしろ! これ以上、鈴蘭を侮辱すると許さねぇぞ……! 鈴蘭が何もわかっていない……? 鈴蘭は俺を一番に理解してくれる大事なやつだ……たとえお前でもその言葉は聞き捨てならない」
図書室に蔓延していた疑惑の空気が確信の空気に変わった。私の背筋に悪寒が走り、顔の血の気が引いていく感覚が広がった。
いま、な、んて……? 鈴蘭が、春也を、一番理解している? 春也の大事な人? まさか、そんな。
椅子から立ち上がる音が聞こえる。二脚……おそらく鈴蘭と春也だ。
「そういうことですわ……これ以上、他の皆様にご迷惑をおかけしてしまうので、ここで失礼いたします」
「騒いでしまって、すみませんでした。お邪魔しました」
二人はそういうと、椅子をテーブルに直してから歩き出す。
知りたくて知りたくなかった、二人の関係。まさか、春也の口から答えが出てくるなんて。
屋上の時からまさかという予感はあった。それも嫌な予感が。
私の気持ちとは裏腹に、扉を開けて閉める音と二人分の足音が図書室に響く。
ーー私の負けだ。
私の目には涙が溜まっていく。溢れ出る前に右手で拭うけど、駄目だった。涙が止まらない。
勝負が決まる前から、私は負けを認めた。認めざるを得なかった。だから鈴蘭はあんなに自信満々だったんだと改めて思い知らされる。明日なのに……バレンタインは。
私は、どうすればいいの…………。
*
「ただいま……」
部活が終わって、自宅にたどり着いた時には五時半頃になっていた。ドアノブに手をかけ、玄関ドアを開けると、母親が仁王立ちで出迎えていた。いつも見送りや出迎えるなんて一切しないのに、どういう風の吹きまわしだろう。なんて思ったけど、朝の出来事を思い出す。
あ、そういえば。おつかい頼まれていたな……。
私が家に入った瞬間、母親は満面の笑みをこぼした。私に近づき、メモとお金を渡された。
「じゃ、おつかい。頼むわね。今日は秋夜の天才勉強させるために忙しいの」
とだけ言い残して、帰ってきた私にお帰りも言わずに、背を向けてリビングへ向かっていた母親。
「相変わらず、私には興味ない、ですか」
どうせ、この独り言だってもう耳に入っていないんだろうけどね。
私はため息を吐いた。やれやれ、困った母親ね。まぁ、気分転換に外出たかったし、こうなったのもおつかい了承した自分の責任だし。
さてと。一度、二階に上がって着替えてから出かけないと。
私は制服から私服に着替えるため、二階へと階段を駆け上がった。部屋に戻り、セカンドバックなどの荷物を一度床に置くと、制服を脱いで慌てて私服へ着替える。ひとまず机の上に避難させておいたおつかいのメモとお金を手に取って、部屋から出ていく。階段を駆け下り、靴を履き替え、家を後にした。
*
外に出てみると、夜空が顔を出していた。二月中旬の真冬で五時半すぎということもあって、すでに日の入りしていた。早く帰らないと、下手したら母親に鍵かけられそう。
私は今日何度めかのため息をついてから、遅くなるまいと早足で歩き出す。
「はぁ、今日もいろいろあったな」
早朝いきなりの花梨から説教を受け、しかも課題を出されちゃうし。一限目の時にはノートを取り違えて教室に戻る羽目になり、教室で春也と二人きりになるという事態に陥ったし。私としては春也とすこし話せて嬉しかったけど。
でも問題はこの先だ。そう、昼休みの教室に鈴蘭襲来だ。まさか春也にデート申し込みに来たなんて……図書室で待機して二人を観察した結果が、春也にとって鈴蘭は一番の理解者で大切な人だということだった。結局、私の負け戦が確定したのだ。
「はぁ、頑張ろうとしていた私は一体……いいや、何かの言い間違いだよね! でも、春也に限って言い間違えるなんてことはありえない……ってことはやっぱり」
春也の言葉は嘘をついていない……そういうことになる。
「うぅ……なんのために頑張ろうとしていたんだろう、私」
考えれば考えるほど図書室での出来事を思い出して、春也の言葉が何百回も繰り返される。
「駄目だ。何回も思い出しちゃう。今はおつかいに集中しないと」
私は駆け足でスーパーのある商店街を目指した。
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