第13話
中庭で花梨と話した後は、下駄箱に向かい、ローファーから上履きに履き替えた。花梨を待ってから、二人で階段を上がっていく。
途中、花梨が誇らしげにつぶやく。
「やっぱり、基本の挨拶は大事だと思うの」
「基本の挨拶……?」
「うん、そう! 『おはよう』『また明日』『ごめんなさい』『ありがとう』の四つは特に!」
「だから?」
「だからマナはまず、春也君にその四つが言えるようになること! それが一つ目の課題だよ!」
「いや、いや、いや! 無理だって、無理!」
その四つの言葉が言えないから苦労しているのに……。言えていたらこんなに苦労はしてないよ!
私には無理! 難しすぎる!
花梨はふくれっ面な顔して私を睨んだ。
「無理じゃない! マナはやればできる子!」
「それでも、一つ目の課題があまりにもハードルが高すぎるってば!」
「うーん、じゃあ、おはようとまた明日。その二つが言えるようになること! ごめんなさいとありがとうは、一つ目の課題がクリアできたらね。告白は最後の課題だよ」
大丈夫かなぁ。私が声をかけただけで、周りの女子から睨まれるんだけど。
「そうやって不安そうな顔をしないの! ポジティブに考えないと! おはようは笑顔で!」
「うん、分かった。私、挑戦してみる。笑顔でおはようを言う、だね」
私は言われた通り、花梨に笑顔をつくって見せた。直後、花梨は声を唸らせながら首を傾げる。
「うーん、その前に笑顔の練習したほうがいいよ。顔が引きつって怖い顔になってるよ」
「笑顔って難しいなぁ……」
そんなこんなで花梨と会話している内に、二階へ到着。廊下を少し歩いたところで、花梨が二年一組の教室の前で立ち止まった。
「マナ、頑張って。継続は力なり、だよ!」
と、私にエールを送ってくれた。
「ありがとう、花梨。頑張るよ。笑顔でおはよう、言えるように頑張る」
私が力強く頷くと、花梨も笑顔で頷き返す。
ここからが勝負だ。私だって、やればできるってところ、見せてやるんだから!
私は呼吸を整えてから、教室の扉を勢い良く開けた。瞬間、クラスメイトの視線が私に集中する。私の姿を目にした途端、友達同士でひそひそ話を始めた。
「三河麻奈がきたぞ」
「相変わらず怒っているわね」
「昨日の噂は本当だったんだな」
「無理もないよ、ミュゲ様に宣戦布告されたんだから」
「まぁ、ミュゲ様相手じゃ、勝てっこないしな」
言いたいこと言ってればいいじゃない。一日二日で消えるような噂じゃないし。
私は一直線に春也の席を目指した。その間に、私の心臓はバクバクと音立てて、身体がどんどん強張っていた。私、こんなんでちゃんと挨拶言えるかなぁ。
「あ、あの! は、春也!!」
春也は他の男子と談笑していたのを止めて、一旦、私の方を向いた。
「ん? 麻奈か……どうしたんだよ」
鼓動はどんどんスピードを増して、ピークを達する。声を出そうとしても出せず、息が詰まりそうだった。怖い。でも言わないと何も始まらない。
言わなきゃ。春也に。おはよう、って。
「あ、あの……お、おはよう、ございます!!」
私の挨拶に、春也は目を見開いてぽかんとしていた。
「あ、ああ、おはよう……急にどうしたんだよ」
「べっ、別に! 挨拶は……基本でしょ!」
私はぷいっと視線をそらした。これ以上、春也をまともに見れません。
その直後、春也が「あっ……」と声を漏らす。
「そう言えば麻奈……放課後、風紀委員の紫藤鈴蘭と一緒にいなかったか?」
「へっ……!? な、なんで……!?」
春也の質問に思わず、私の声が拍子抜けしたように裏返った。
「違うなら違うでそれでいいんだが……気になってな」
どうしよう、どう答えればいいの? もしかして、見られてた?
まさか、春也の口から昨日の放課後について聞かれるとは思っていなかった。鈴蘭と会っていた理由が、春也本人についてだなんて、本人の前で言えるわけがない。かえって怪しまれるだけだ。
春也はじっと私を見つめている。ただ静かに私が答えるのを待っている目だ。
「どうなんだ、麻奈」
「わ、私は…………」
怒られる、と思った。関わるなと言われているのに、約束を破ってひそかに鈴蘭と会っていたなんて、春也になんて言えばいいのだろう。そう考えたら、言葉が一つも思いつかない。
私は精一杯、言葉を紡いだ。
「…………わ、私は、ただ呼ばれて……」
春也は数秒考え込んだ後、つぶやいた。
「そうか。ならいい」
「ふぇ!? 春也??」
怒らないの? どうして? 関わるなって言ったの、春也だよ? なのに、なんで何も言わないの?
春也に抗議を唱えようか思った時、担任の先生が、荒々しく扉を開けて教室に入ってくる。手には出席簿がある。
「みんな、席に着け! ホームルームを始めるぞ」
先生が入ってきた瞬間、抗議の意が消え失せた。先生に叱られては意味がない。仕方がない。
私は諦めて自分の席へと向かった。
*
約十分経過……。
「ホームルームは終わり! 一限目は教室移動だ、遅れるなよ!」
担任の先生はみんなに聞こえるように叫びながら、出席簿を片手に、教室を出ていった。
教室移動か。科目はなんだっけ。
私は机の横にかけてあるカバンを手に取る。カバンを開けたら、時間割をくまなく探した。
「あった、今週の時間割」
今日の一限目を確認すると、理科、と書かれてあった。
「げ、理科か……」
科学とか、実験とか、苦手なんだよな〜。あと理科の先生も。時間に遅れるとあの先生こっぴどく怒って厄介なんだよな。これは早めに出て理科室に着いていたほうがいいかも。
私は机の中から、筆箱、教科書、下敷きと取り出す。後はノートだけ。
理科のノートを探している時、梨子が近づいてきた。
「麻奈、準備が整いましたか?」
「あ、うん。大丈夫だけど……ちょっと待って」
「早くしないと遅れますよ、麻奈」
「そうだね、わかった」
私は急いで机の中をあさり、一冊のノートを取り出す。教科書の下に重ねると、下敷き、筆箱の順で重ねた。
「じゃあ、行こっか」
私は道具を片手に素早く起立した。勢いよく椅子から立ち上がった反動からか、椅子が大きな音を立てながら後ろ向きに倒れた。しまった。急ぎすぎたせいで椅子を倒すなんて。
「何しているんですか……遅れますよ」
梨子の口から呆れた声が聞こえてきた。
「ごめん!」
私は一旦机の上に道具を置いた。慌てて椅子を起こすと、机に入れる。
「今度こそ行こっか」
机の上に置いた道具一式を手に抱え、先に歩く梨子の後をついていった。
途中、春也の席を横切った時、春也と一瞬だけ目が合う。何か言いたげな顔で私を見つめる。
「置いていきますよ」
私を邪魔するかのように冷たく突き刺さる、梨子の声。
「わかっているよ、もう!」
何もそこまで急かさなくてもいいじゃないか。
私は梨子に急かされながら、否応なく教室を出た。
「麻奈……放課後、何があったんですか?」
廊下に出た矢先に、梨子からぶつけられた質問がこれだった。
「麻奈が紫籐さんと会っていたという噂が流れているのですが……」
「うっ、それは…………色々、ありまして」
「まさか、また、しでかしてませんよね?」
「してない、してない!」
「麻奈は無茶しすぎです。どうしてこんなに噂が流れまくるのです……理解に苦しみます」
「ご、ごめんなさい……私にはよく分からなくて」
私が逆に聞きたいよ! なんでこうも噂があふれるのよ!
梨子が話を切り替え、真顔になる。
「あれから嫌がらせはありましたか?」
「されてないよ。風紀委員に呼び出されたから、しばらくは大人しくなるんじゃないかな」
「そう、ですか……」
あれ? 気のせい、かな……今、梨子、舌打ちしなかった? 気のせい、だよね?
「梨子、舌打ちしてたみたいだけど、何かあった?」
梨子に気になったことを質問してみたけど、
「えっ、あ、いや……気のせいですよ! 気にしないでください」
と、はぐらかされてしまった。どうしてはぐらかすの、梨子。
梨子と会話していたら、あっという間に理科室へたどり着く。
理科室の中に入って、自分が座るべきテーブルの前にやってくる。理科室はテーブルが六つ。私が座るテーブルは中央の後ろ。
座る位置の席に座り、テーブルの上に道具一式を並べた時だった。それに気づいたのは。
ノートが理科じゃなくて、数学のノートだし!! やばい!
「これじゃあ、意味ないじゃないの!」
慌てて理科室の掛け時計を確認する。授業が始まるまであと五分。走って往復すれば間に合うかもしれない。この場合、迷っている暇はない。急がないと。
*
私は数学ノートを右手に持って、理科室を出た。廊下を走るなって風紀委員に睨まれるけど、今は一大事だ。それ以上にに理科の先生に睨まれるのが一番嫌だ。
時間かかることなく教室に着いた。みんな理科室に向かっているだろうから、人はあんまり残っていないはず。そう思って、教室を覗いてみた。
「やっぱり誰もいないか……」
「この声は、麻奈か?」
聞き覚えのある声が聞こえてきた。まさか。
恐る恐る教室に入ってみたら、春也が一人佇んでいた。
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