第10話

「我が校で暴力など、風紀委員が許しませんよ!!」

 聞き覚えのある声が上から聞こえてきた。上を見上げ、声の主を探す。斜め先から二階の窓を開けて、顔を出している紫籐鈴蘭の姿を見つけた。


 紫籐鈴蘭……! いつの間に!? 


 風紀委員と言ったから、もしやと思ったけど、事態を嗅ぎつけて来てくれたのね。鈴蘭の周りには、事態を嗅ぎつけて集まった生徒たちで溢れている。生徒たちは興味津々そうに中庭を見下ろしていた。

 鈴蘭は険しい表情で言う。

「何故このような事態が起こったのか……一度、風紀委員会で会議致します。後ほど、詳しくお話をお伺いしますが、くれぐれも『逃げる』などの選択肢はされないことをオススメしますわ」

 鈴蘭にそう告げられた女子たちは、「ミュゲ様」と各々口にしながら、青ざめた様子で硬直していた。

 何はともあれ助かった……後一歩遅かったら、私は殴られているところだったのだから。

「では、十五分後に生徒会室でお待ちしておりますわ」

 鈴蘭の凛とした声が中庭に響いた。僅かに微笑む鈴蘭を見上げていると、自分が情けなく思えてくる。素直に思いも伝えられず、度々騒動を巻き起こし、周りに迷惑をかける自分。そんな自分と鈴蘭をどうしても比べてしまう。


 どうして、自分はこうも駄目なんだろうって。鈴蘭みたいになれないんだろうって。


 そもそも女子たちの脅しに屈せず、断ればこんなことにはならなかったかもしれない。

 結局はまた私が、迷惑をかけてしまった。そのためには……。

「お礼、言わなきゃ……言わなきゃいけない気がする」

 私は来た道を戻ることにした。鈴蘭にお礼を言うために。



      *



 私は階段を一気に駆け上がる。息切れしながら、二年生校舎の二階へと辿り着く。鈴蘭が……いたはずの階。まだ五分くらいしか経っていないから遠くにはいっていないはず。

 ただその前に。一言言わせてください…………。

「横腹が、痛い…………休み、たいです」

 急な運動のせいか、息切れが止まらず、前かがみになりながら、思わず右手で制服のスカーフを掴む。陸上をやっている花梨ならどうってことはないだろうけど、急に走って大丈夫なんて人はまずいない。私がそうだから。

 右の横腹がズキズキと痛み、私を苦しませる。少し休まないと。


 息を整えるため上体を元に戻した時、廊下の様子が目に移る。何人かの生徒が未だに窓側で外の様子を眺めていた。教室側にも生徒が立っているが立ち話に夢中で、私に気がついていない。

 これならいけるかも!

 女子生徒二人の近くを通りかかった時、会話の内容が聞こえてくる。

「見た? あの三河麻奈が春也ファンに呼び出されてボコられそうになったところ!」

「見た見た! あれはさすがにやりすぎだよね〜。ファンだからってやっていいことと悪いことがあるでしょ」

「結果、ミュゲ様に制裁を下されちゃったしね。当然っちゃあ、当然だよね」

「でも三河麻奈にも非はあるでしょ〜。結果に原因はつきものだし」

「まぁ、あの性格じゃあ疎まれるのも仕方がないよね」

 はいはい、結局は私が悪いということはわかってますよーだ。

 また他の生徒達に視線を送られながら噂されるのはごめんだ。早く鈴蘭に追いつかないと。

 私は急いで、鈴蘭がいたはずの窓へと向かう。


 目的地点に到着。けど、鈴蘭が顔をだしていた窓のところに誰か立っている。学ランってことは男子か。

 目を凝らして見つめていると、男子生徒の後ろ姿に見覚えがある。いや、わからないはずはない。好きな人を見間違えることなんて、絶対あり得ない。


 声かけるべきか、かけないべきか。


 好きな男子が目の前にいたら声をかけるべきなんだろう。私の場合、声をかけると一瞬で他の生徒に注目され、女子たちに敵視される。それに喧嘩腰の発言してしまう手前、うかつに声をかけられない。というか、声をかけたくても声をかけづらい。


 春也は私の視線に気がついたみたいで、私の名前を口にする。

「麻奈……戻ってきたのか」

 そう言うと、こちらに歩み寄ってくる。

「無事だったんだな」

 春也ファンを相手にすることで頭がいっぱいだったけど、まさか、春也も窓から見ていたなんて。気がつかなった。この場合、なんて言えばいいのかわからない。けど何か言わなきゃ。

「と、当然よ! あれくらいでへこたれる私じゃないもの!」

 そんな私を見て、春也はこう言った。

「……そうだな、そう、だったな」

 言いたそうな顔で俯く春也。

「結局、俺のせいなんだよな……麻奈があいつらに呼び出された原因を作ったんだな、俺が」

 春也は顔を上げて、私の目を見る。悲しげな目で私を見つめていた。

 まさか、女子たちが私を呼び出したのは自分のせいだと思って……?


「違う! そんなことはない!」


 私は思いっきり叫んでいた。でも叫ばずにはいられなかった。だって、春也のせいじゃないもの。元はと言えば、私が素直になれないからこうなったんだ。春也に喧嘩を売ってばかりで、ファンから睨まれるようなことをしてきたからそのツケが回ってきたんだ。

「これは……私の問題よ! 春也が責めることじゃないわよ!」

「……そうか、分かった。麻奈がそう言うなら、そういうことにしておくよ」

 春也は納得していなさそうな表情で呟いた。多分、まだ自分のせいだと思っているんだろう。

「呼び止めて悪かったな」

 春也は再び歩き出し、数十歩先にある二組の教室へと入っていった。


 春也が私の事、心配していたことがひしひしと伝わってきた。それだけで嬉しい気持ちがこみ上げてくる。いつもならこの気持ちに浸るんだけど、今はそれどころじゃない。


 鈴蘭を見つけるため、私は息切れ承知で廊下を走り出した。



      *



 私は階段を駆け上って、生徒会室がある三階へとやってきた。また横腹の痛みがぶり返してきたけど、もう走らないからそのうち痛みはひいていくはず。

 三階には二年四組と五組の教室があって、四組の隣が生徒会室となっている。生徒会室側の階段と五組側の階段があるが、私が上ってきたのは五組側の階段から。生徒会室までもう少し歩かないといけない。

 私はふと窓の景色が目に入る。シトシト降り続ける雨空。いつもと違う窓の景色に、目的を忘れ、釘付けになっていた。


 三階って、空が近いんだ…………。


 あまり三階に来ることは滅多にないから三階の景色は新鮮に映った。空が近くなって、不思議な気分になる。二階と三階じゃ見える景色は違ってくるんだと、改めて気づかされる。

 空を見続けていると、どこかに飛んでしまいたくなる……。雨なのが残念だけど。

 息切れが治まらないまま、廊下に視線を戻した。そして、ようやく見つけた。鈴蘭の後ろ姿を捉えた。


 いた! 鈴蘭! やっぱり生徒会室の前にいる。


 一刻も早くお礼が言いたくて、思いっきり脚を動かしていく。鈴蘭に言いたかった、ごめんなさい、ありがとう、と。生徒会室に入る前に追いつきたかった。

 一歩、また一歩と前に進んでいく。

 私は無我夢中で走ったけど、自分の脚が言うことを聞かなくなり、走ることを止めてしまう。自分の意思と反する身体の行動。どういうことか分からず、頭の中がこんがらがる。

 ーーなんで止まったの?

 私の問いに対し、もう一人の自分が私に話しかける。


 ホントは素直になれないくせに。言えないくせに。

 ごめんなさいって、ありがとうって、言えないくせに。

 必死になって、ホントに言えるの? 素直になれるの?


 そう言われて、急に、怖気づく自分がいた。生徒会室は目前だというのに、鈴蘭はすぐ近くにいるというのに。

 後一歩が踏み出せなくなった。

 息切れと横腹の痛みはまだ治っていない。むしろ悪化したような感覚に陥る。私に追い打ちをかけるかのように。

 後少しだというのに。ほんの少し声を出して話しかければ済む話なのに。


 鈴蘭が生徒会室の扉に手を伸ばす。鈴蘭の細い指が扉に迫っていた。


 その光景を目の当たりにした時、私は「目的は果たされない」と思っていた。既に諦めていた。

 私は素直になれないんだと、くじけていた。

 鈴蘭が私に気がついて、声をかけてくれれば……などと考える。

 私はまた今度にしようと思い、教室に戻ろうとした。その時。

「あら。三河麻奈さん、こんなところで……いかがなさいましたか?」

 私の思いが通じたのか、鈴蘭は私に声をかけてきた。なんて思ったけど、そりゃあここで立っていたら流石に気づくよね。

「あ、いや、その…………」

 お礼を言うために探していました。なんて言えない。どうしよう、なんて言おうか。

「私はっ…………!」

 このために来たのに。また言えずに終わるんだろうか。内心、焦った。

「生徒会室に何か御用でしょうか?」

 鈴蘭は、ニコッと微笑んだ。気品あふれる笑顔で私を見つめていた。

 まぁ、普通そう思いますよね。ここまできたんだもの! 言うしかない!!

「あのっ……中庭ではありがとう! おかげで助かりました!」

 言えた! ありがとうって言えた! ミッション一つ目クリアした!

 心の中では、もう一人の自分に「どうだ、言えたぞ」と自慢していた。

 巻い上がっている私に、鈴蘭は微笑みを崩さず言った。

「いえ、風紀委員として当然のことをしただけですわ」

 ザ・お嬢様! って感じの余裕の笑み。さすがとしか言いようがない。

「それと………………! 私……私……!」

 と、言いかけたところで、私はあることに気づいた。

 しまった。先に迷惑をかけてしまったことを謝ってから、お礼を言えば良かった。後からお詫びを言ったら、また何かしでかしたんじゃないかと思われてしまいそうだ。

 そのことに気がついても遅かった。もう既にお礼を言った後。過去は変えられない。

 ここは、教室に戻ろう!

「それだけ言いたかっただけだから! それじゃ!」

 私は帰ろうと、後ろを向く。ありがとうと言えただけでも、少しは前進した。などと思いながら歩き出そうとした。

「麻奈さん、お待ちになってくださる?」

 鈴蘭に呼び止められ、思わず振り返った。私、風紀委員に呼び止められるようなことはしてないよ!

「大丈夫ですわ。風紀委員としてではなく、紫籐鈴蘭としてですわ」

「えっ、ど、どういう……?」

 私の思いをよそに、鈴蘭は平然とした表情で言った。

わたくし個人として、麻奈さんにお話がございますの」

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