ストーリー3 放課後の追い打ち

第6話

 あれから数分間屋上で大泣きした後、私は一人でトボトボ屋上から教室前まで歩いた。


 現在の私はというと、教室の扉の前で立っている。まだ気持ちが落ち着いていなくて、動揺が隠せない。すぐ扉を開けたくても気持ちを落ち着かせてからじゃないと開けられない。


 何しろ、春也と同じクラスだもの。顔を合わせるのが辛い。というより、恐怖と言った方が良いかもしれない。


 またクラスメートから嫌われるんじゃないかと言う恐怖。


 春也から絶好宣言させられるじゃないかと言う恐怖。


 いや、考えても仕方が無い。教室に入ってからだ。

 私は二回深呼吸をして感情を抑えると、ガラリと教室の扉を開けた。一瞬、クラスメート中の視線を集めたが、すぐさま視線を元に戻す同級生達。まあ、こんなもんよね。おそらくは先生が来たと思って見たら私だったもんで、視線が一気に集中しただけだと思う。

 教室内を隅まで見回していくが、今のところ春也の姿は見当たらない。教室には戻っていないらしい。少しだけ、恐怖という名の緊張がほぐれる。


 その時。

 一人の女子生徒が「麻奈!」と、私の名前を呼ぶ声が耳に入ってきた。聞き覚えのあるこの声は――――。

 声がする方向へ目を向ければ、梨子が心配そうな表情をしながら駆け足でやってくる。

「梨子……」

 私は一言つぶやき、梨子の元へ駆け寄った。


 梨子は駆け寄るなり、私の両手を手に取る。

「麻奈、風紀委員会はどうでしたか? 大丈夫でした?」

 梨子が私にそう質問を問いかけてきたので、私は素直に答える。

「風紀委員会は大丈夫だったよ。今回は見逃してくれるって。次したら許さないって言われちゃったけど」

「そう、ですか……」

 梨子は僅かに視線を逸らして、ほんの少しの間、悔しそうな顔に変わった。私の見間違いかもしれないけど。

 なんというか、いつもの梨子らしくないというか、なにかが違う――――私はそう思う。


 気のせいかな? ちょっとだけ、悔しそうな顔していたような……気のせい、だよね? 何気なく聞いてみようかな。


「……梨子? どうしたの? 何か悔しそうな顔してるけど?」

 私が梨子に尋ねると、梨子は私に視線を移したら目を見開いて声を出す。

「えっ? そ、そんな表情してました?」

「うん、何か悔しいことでもあったのかなー? と思って」

 私は梨子を下から覗き込むように見つめた。


 梨子は私に背を向けると体を震わせる。そして一言、言い放つ。

「……悔しいんです。自分自身が」


 ――悔しい。梨子からそんな言葉が出てくるなんて、初めて聞いたかもしれない。


「悔しい? どうして?」

 私はそう梨子に話しかけたら、梨子は私の方に振り向いてつぶやく。

「麻奈を風紀委員会から守れなかったことが、悔しいんです」

「いやいや! 梨子のせいじゃないでしょ!  風紀委員会は今回は見逃してくれたしっ、それにあれは梨子のせいじゃないしっ。気にしなくていいよ!」

 私は大慌てでやや涙目の梨子をフォローをした。


「麻奈……ありがとうございます。優しいんですね」

 梨子が私に微笑みながらしゃべった。

 突然褒められたのでどうしていいか分からず、私はなんだか恥ずかしくなって顔が火照る。

「そ、そんなこと……ある訳ないじゃないっ。な、何言ってるのよっ!」

「ふふっ。相変わらずですね、麻奈は」

 梨子はクスクスと可笑しそうに笑っていたが、瞬時に私の顔を見つめて怪訝そうに尋ねる。

「麻奈……さっきから気になっていたのですが、赤く腫れた目、どうしたのですか? もしかして、麻奈の方も何かあったのではないですか?」


 も、もしかして、大泣きしたことバレたかなっ!?


「えっ!? そっ……そんなことある訳ないでしょ!? 違うから!」

 私は全力で否定した。もしここで認めてしまったら、また変な噂がたってしまう。そうなったらまた春也に迷惑がかかってしまう。たとえ相手が梨子だとしても、今は教室内だから余計ことは喋られない。

「麻奈……私に話せないことがあるのでは?」

 梨子が寂しそうにつぶやいた。

 その時、昼休みを終えるチャイムが鳴り響き、同時に教室の扉が開き、女性教師が右手に出席簿と教科書等を持って教室に入ってくる。

「自分の席に戻りなさい。授業を始めるわよ」

 教師のかけ声で同級生達は急いで自分達の席に戻っていく。私と梨子も慌てて自身の席に着席する。



 中学に入学するまではこんな気持ちになるなんて思ってもいなかった。

 いつからだろう……春也を恋愛対象として見始めたのは――――。



      *


 


 そう、あれは私が入学したての新入生だった頃だろうか。

 中学に入学したばっかりの私が入部した女子ソフトテニス部は部活の中で最も人数が多い部で、男子テニス部にはイケメンぞろいでその男子の近くにいたいという女子が殺到して、結果女子テニス部が部員数多いということになってしまったらしい。

 私が入部したのは決して男子目当てではなく、ただ純粋にテニス部に入部したくて入部しただけだ。


 ある日の放課後、私はグラウンドのテニスコートで同じ一年部員とテニスのラリーをしていた。周りの女子テニス部員は真面目に部活動に励んでいる子がちらほらと見受けられたが、中には部活をサボって男子テニス部の部員達に黄色い声援を送っている女子がほとんどだった。私とラリーをしている女子も男子テニス部にいるイケメンの顔を見たいという女子の一人らしく、たまに男子がテニスをしている方角をチラ見している。表情はいかにも私とラリーしているどころじゃないって言う表情だ。


 はあ……私はただ純粋に楽しくテニスしたいのに。もっとテニス上手くなりたいのに……。これじゃあ、何の為にテニス部に入部したか意味がないじゃない。


「どうしたら、上手くなれるんだろう……テニス」

 私が独り言を発した時だった。コロコロとテニスボールが私の足元まで転がってくる。誰だろう。女子部員の誰かかな?


 と、男子生徒が私に話しかけて来る。

「すみません……ラリーしていたら、ボールが飛んでしまって」


 少しだけどその時は、女子達の気持ちがわかったような気がした。

 私は男子の顔を見た瞬間、心を奪われてしまったから。体に電流が流れたような感覚が私の中に入ってくる。


 整った顔立ちに、同級生の男子達とはやや高めの身長、そして少しばかり日に焼けた肌。体育系男子と言ったところだろうか。


 あ、ボール拾わないと。


「大丈夫ですよ。はい、ボール」

 私はテニスボールを拾って男子生徒に手渡した。

 男子生徒は「あ、ありがとう……ございます」とぎこちない感じでつぶやき、ペコリと頭を下げる。

「あ、あの……」

 男子生徒が声をかけてきたので、私は言う。

「えっ、何ですか?」

 男子生徒が話し始める。

「テニス、上手くなりたいならもっと腕を大きく振ると良いですよ。そうするとボールが飛ぶようになります」


 もしかして、さっきのつぶやき……聞いていたの……?


「あ、おせっかいだったですね。すみません」

 男子生徒はしどろもどろになりながらしゃべった。その姿がなんとなくだけど、可愛く思えた。

 私は自然と笑顔で話す。

「いえ、ありがとうございます。助かりました」

 男子生徒は「じゃ」と一言つぶやいて、歩き去った。




 これが、私と春也の、初めての出会い。

 ほんのちょっとの会話だったけど、私の中にいつも違う感情がぐるぐると回り始めたのは確か。

 

 この時はまだ、あの男子生徒と仲良くなっていくとは思っていなかった――――。



      *




 昼休みが終わって、私は教室で午後の授業を受けている。現在は五限目で、授業は英語の授業。だけど今はそれどころじゃなく、授業内容が全く頭の中に入ってこない。

 女子教師が黒板に白いチョークで英文を書いていってるけれども、私の目には視野に入るもの全てがぼやけて見えてしまう。

 私のノートも、筆記用具も、教科書も全てなにもかもが。

 授業を受けなきゃいけないと頭ではわかっているのに、体が思う様に動いてくれない。


 そして、私の中には後悔の雨がどしゃ降りで降り注ぎ、私の心をじわりじわりと痛めつけていく。

 うう。もう駄目だ……オシマイだ。


 昼休みに屋上で、春也に言われた言葉が私の脳内で繰り返し流れれる。

 ――なんで、話さないといけないんだ。俺とお前は赤の他人で、ただのクラスメイトだろうが! それ以上の関係じゃねえだろ!


 そうだ……春也の言う通りだ。私と春也はただのクラスメイトでただの友達。それ以上の関係じゃない。


 ――恋人同士でもないお前はこれ以上話すことなんてないし、それに俺はお前を恋愛対象として見たことは……一度もない!

 一番聞きたく無かった言葉。わかっていても受け入れることができない言葉。

 その言葉をこんなにも早く耳にすることなるなんて……思ってもいなかった。


 私は……振られたのね、春也に。私は春也に恋愛対象として見られていなかった……。


 やっぱりあの二人は恋人同士なのだ。だって、春也が鈴蘭のことを呼び捨てにした。春也は親しい女子は名前を呼び捨てにする。それ以外の女子にはさん付けで呼んでいる。だとしたら、春也と鈴蘭はかなり親しい関係ということになる。そうなれば……今日、下駄箱の掲示板に貼られていたあの紙に書かれたことは本当だったということだ。


 ……ふっ、馬鹿みたいよね。私って。


 春也と鈴蘭は恋人同士……。

 きっと放課後デートしたり、買い物したりしているんだろうな……そして、キス、とかしたり……。

 春也が、鈴蘭とキス。春也が他の女子とキスを……する。


 その時、私の中に何かが壊れるような音が、頭の中に響いた。


「そっ、そんな訳ないでしょ!?」

 私は勢いよく立ち上がって、気がついたら大声で叫んでいた。ふと、気づく。ここは学校、しかも授業中だ。


「三河さん? そんな訳ないって何がですか? どうかなさいました?」

 先生の一言で、私は同級生全員の視線を集めてしまった。瞬時に、私の顔が熱を帯びて火照る。

「い、いえっ、何でもないです……」

 私はそうつぶやいて、静かに椅子に座った。恥ずかしさのあまり小さくうずくまる。


「あははっ!」

「クスクスッ」

 周りからは爆笑の声が湧き出た。笑い声が絶えることはない。それが余計に私の羞恥心を掻き立てる。


 うう、恥ずかしいっ。

 しかも、春也とバッチリ目が合ってしまった。こんな時に目が合うなんて……ついてないな。


 そこからの授業は、私にとって地獄の時間となってしまうのだけどね。



      *




 全ての授業が終了し、ホームルームも終わった放課後の教室。相変わらず同級生達は動くのが早く、一人また一人とササっと帰る支度をして教室を出ていく。一部の生徒にチラ見されたかと思ったら、クスクス笑って教室を去って行った。私の顔に何かついているのかな……いや、さっきのあのことがあったからかな、もしかして。


 私は思いっきり伸びをすると、天井を見上げてつぶやく。

「終わったぁ―」

 はあ……今日は散々な日だな。春也と鈴蘭が恋人同士っていう貼り紙が出るし、風紀委員会に呼び出されるし。今日は部活もないし、寄り道せずに帰ろう。

 私は椅子から立ち上がって、帰る支度を始めた。ふと、教室を見回すと梨子の姿ない。


 あれ? 梨子の姿が見当たらない……先に帰ったのかな。一緒に帰ろうと思ったんだけど。


 私がため息を吐いたその時。

 男子生徒に「麻奈」と呼ばれたので、振り向くと春也の姿がある。私に声をかけたのは春也だったんだ。

「麻奈、ちょっと……いいか?」

 春也は気まずそうな表情で、何度も視線を外しながら私に話しかけた。私もチラチラ春也の顔を見るけど、なかなか視線を合わせることが難しい。と言うより昼休みの出来事があってか、目を合わせづらい。


 春也が私に話しかけてくれたけど、私はなかなか素直になれない性格。どう言えば良いんだろう……。


 私が内心戸惑っていたと同時に、梨子が教科書を手にして教室に戻って来る。梨子の姿が視界に入った瞬間、私の中に安心感が生まれた。


 良かった……助かった。


 私は逃げるように歩きだそうとする。しかし。そう簡単に上手くはいかないもの。

 私が逃げようしていることに気がついたようで、春也に左手首を掴まれた。

 私は春也の顔色が気になって恐る恐る振り向いたら、春也の表情が一気に険しい表情へと変化する。


 あっ、やばいかもしれない。


「麻奈、逃げるのか?」

 春也のつぶやく声が耳に入ってきた。私を睨みつけながら。


 うぐっ、春也にそう言われると……。


 春也に向かって、私は思わず叫んでしまう。

「う、うるさいっ! に、逃げる訳ないでしょ!」

 また、やってしまった……。またクラスの女子から妬まれそうな気がする。自分で自分の首を絞めてどうするんだ、私!

 私が内心あたふたと焦っている内に、春也が私の左手首を掴んでいた手を離した。

「……まあ、いい。また時間がある時に……声、かけるし……」

 春也はなんだかやり切れない雰囲気を醸し出しながら、早足で教室を出ていく。何人か女子達が春也の後を追うように、春也について行った。

 私は視線を外し、ため息をついて下を向く。


 び、びっくりした〜。何を言われるんだろうって思ったら、怖くなってしまった……。

 春也、また時間がある時に声かけるって言ったよね? ってことは、また怒られるんじゃあ……そうなったら私、冷静でいられる自信、全くないんですけど……。


 その時。

 突然、誰かに「三河さん」と名前を呼ばれる。

 私は顔を上げて確認すると、数人の女子達が私にガンを飛ばしながら仁王立ちしていた。何だろうか。

 私が「何? 何か用?」と質問すると、私のちょうど目の前に立つ女子が話した。

「三河さんに日高君のことについて聞きたいことがあるんだけど、時間ある?」


 ま、またですか――――!?

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