第2話

 部活が終わった私はやや疲れ気味に帰路を歩き続け、ようやく自宅にたどり着いたのは夕方五時頃だった。周囲は夕日色で染まっている。

 私の自宅は二階建ての一軒家で庭付き。普通の家とそれほど変わらない、一般的な一軒家だ。家の周囲は同じように一軒家が建ち並ぶ住宅街でもある。


 私は玄関まで一歩ずつ足を踏み入れると、扉の前で立ち止まる。一回深呼吸をしてから扉のドアノブを回した。扉が開く音が聞こえると、扉を開けて中へと入った。


 私は中に入り「ただいま」と叫んだ時には、小学生くらいの男の子が出迎えていた。表情はどこか輝き満ちている。何かあったのだろうか。


 男の子は私に「お帰り」と言ったかと思うと、背後に隠していた両手を見せる。両手に何かを持つ男の子。

「じゃーん! どうだー!」

 男の子がそう口で言った。右手で持っているものを前に突き出し、誇らしげに見せびらかす。


 あれは、まさか……!


「まさかそれ……『エテルーノ』の新作アルバムCD!?」

 私は呆然と立ち尽くしながらも、心の中で「ええ――――!?」と大絶叫していた。


 エテルーノ。今日本で大人気の四人組の男性アイドルグループだ。歌だけじゃなく、歌唱力やダンスの技術が普通のアイドルよりも軒並み高く、エテルーノのルックスも四人共にイケメンぞろい。私もそのファンの一人だが、CDは値段が高く本屋さんに行っても予約を入れないと手に入らない。アルバムは尚更だ。私のお小遣いじゃ買えない。


 な、なのに……。


 私が「どういうことよ!」と叫ぶと、男の子が自慢げに話し始める。

「今日、算数の抜き打ちテストがあったんだけど、満点取ったんだ、俺。だから、母ちゃんに買って貰った。良い成績を残した『ご褒美』だって」

 くっ……な、生意気なガキだ……!

 私はただただ悔しがるしか他ない。


 この男の子……実は私の弟、三河みかわ秋夜しゅうやです。年齢は九歳、小学三年生。今年の四月には四年生になる。

 秋夜はとにかく頭が良い。私が小学生の時に出したテストの点数よりも、明らかに秋夜の方が数段上だ。それが気に食わないんだけどね。


 しかも、母親から絶大に期待されている。母親によると、「秋夜に英才教育を受けさせ、我が家から天才を出す!」ということらしいが、当の本人は全く乗り気ではない。

 けど、秋夜は欲しいものがあると、必ず母親におねだりして買って貰っている。母親は喜んで秋夜が欲しいものを買ってあげているけど、私には買ってくれない。なんて不公平なんだろうか。


 ついでに両親について話しておくけど、私の父、三河みかわ夜霜やしもは会社勤めのサラリーマン。どこにでもいるごく普通の会社員と言ったところか。

 一方の母、三河みかわ小春こはるは神﨑商店街に花屋を営んでいる。息子を天才に育てあげ、メディアなどで有名にさせることが長年の夢らしい。


 私の家族は父親と母親、弟の秋夜と私を含めた四人家族。

 両親は……いや、正確に言えば、母親が弟をえこ贔屓ひいきするのが、私には納得いかない。母親は秋夜のことを「天才」ともてはやすが、正確には「頭が良い」だけだ。英才教育と言っても、ただ塾に通っているだけ。天才に育てるような教育法は一切していない。


 まあ、私には関係ないけどね。

 

 何かを期待する瞳で私を見続ける弟に対して、私は白けた目で弟を見つめていた。

「へー、それは良かったねー」

 秋夜がムッとふてくされた。

「なんだよー。感情がこもっていないよ、姉ちゃん!」

 地団太じだんだを踏む秋夜を見つめながら、私は少しだけ声を大きく出す。

「私は自分で買うからいいの」

 私が無理しているように見えたのか、秋夜がほくそ笑んだ。

「本当にいいの? なんなら交換条件出して、それを呑むならあげてもいいよ?」


 ぐっ、欲しい……! でも罠のような気がする。


 欲しい感情を押し殺しながら「べ、別に! きょ、興味ないから!」と秋夜の条件を断った。ホントは興味あるけど。

 その直後秋夜が「あ、そう!」とすぐさま背中を向けて、階段を上がって行く。

 はあ、ようやく家に上がれる。

 私は通学用靴を脱ぎ揃え、自分の部屋がある二階へ向かった。



      *



 自宅に帰ってから十五分後のことだった。自分の部屋に入った私は制服からルームウェアに着替え、ベッドの上でうつぶせになりながらファッション雑誌を読んでいた。


 突然、扉がノックされた。だ、誰?

 ドアノブが回り、扉が開かれた先には、母親が困った顔で立っている。

「麻奈、ちょっといいかしら?」

 声をかけられた私は体を起こして、母親に対し「何の用?」と尋ねた。

 母親は困っていると言わんばかりの顔で、私の問いに答える。

「ちょっと、頼み事。買い物に行って欲しいのよ」


 ちょっと頼み事……? こういう時の頼み事はロクなことがない。嫌な予感がする。


「えー、なんで私なの? 嫌に決まってるでしょ! 買い物なら、お母さんが行けばいいじゃない!」

 私は断固拒否した。私の最後の言葉に、母親が嫌そうな表情で反論する。

「ええー、面倒じゃない。私も嫌よ」


 始まった……お母さんのめんどくさがり。


 私の母親の、もうひとつの特徴。それが気まぐれでめんどくさがりな性格だ。

 私や父親、弟が夕飯が出来るのを待っていた時は母親が「あ、止めた」と叫んだかと思えば、料理を途中で中断させたことなんかあった。ある時は経営している花屋に行くことを止めたり等、気まぐれで止めてしまう。いわゆる、めんどくさがりと言うものだ。私もそうだが、何も言わない父、さらに弟までもが母親の性格に困り果てている。


 あ……まさか秋夜の奴、これに気づいていてだから「エテルーノのCDと交換条件に」とか言っていたのね! 


 しかも、母親に『頼み事』をされたから、やりたくなくて逃げる為に交換条件なんか出したんだ。秋夜もエテルーノのファンだ。そう簡単に大好きなエテルーノのCDを渡すはずがないもの!

 母親の事だからもう一度頼みに行っただろう。その時に秋夜は例の『英才教育』を盾に逃げ交わしたんだろうけど!


 うう……! なんでこうもタイミングが悪いんだ。


 私は頬を膨らませて、母親を睨んだ。

「買い物になんて、行かないからね!」

「じゃあ……ほんの気持ちだけど、お小遣いあげるわ」

 母親の言葉に内心喜んだ私だったが、『ほんの気持ち』と言うキーワードに疑問を感じる。


 ほんの気持ちって……。


「どうせ、少しだけなんでしょ! 分かっているんだから!」

 私が思ったことを言葉をしたら、母親は図星だったのか、悔しそうに「ぐっ!」と声を漏らした。やっぱりね。

 母親が諦めることはなく、食い下がる。

「だったら、三千円なら……どうかしら?」


 三千円!? 三千円か……いつもお小遣いは毎月千円だからな。まあ、今回はいいか。


 私は考えた末、母親の頼み事を引き受けることにした。

「わかった。いいよ」

「まあ、本当に? 良かった。これで手間がはぶけるわー」

 母親はテンション高めに言い残すと、扉を閉めずに階段を降りて行った。


 せめて、ドアは閉めてよ!


「はあ、仕方が無い。行くか……ってあれ?」

 私は何かが足りないと考える。しばらく頭を巡らせる内、ある結論にたどり着く。

「っていうか、買い物メモが無いじゃん!」


 母親からもらわないといけないのか。買い物メモを。やれやれ……。


「手間が掛かるな……我が家のお母さんは」

 私はベッドから離れ、母親から買い物メモをもらう為に部屋を出て、一階へと向かった。



      *



 母親から買い物メモをもらった私は、神﨑商店街に来ていた。家を出てから十五分は経過している。


 周りを見回せば人々が行き交い、賑わいを見せていた。買い物をする人がいれば、ただ歩いているだけの人もいる。様々な人達がこの神﨑商店街に顔を出す。


 私が歩いていると、左側で魚屋を経営しているおばちゃんが大声で叫ぶ。おばちゃんが声を出していた場所は、魚屋からだった。

「麻奈ちゃんじゃないかい! 今日はどうしたんだい!」

 魚屋のおばちゃんは何かと私のことを気にかけてくれる優しいおばちゃん。私のお母さんと違って。

 私はおばちゃんに向けて言う。

「今日は、スーパーで買い物ー!」

「そうかーい! 大変だねぇ!」

 おばちゃんが叫んだ時、今度は右側から声が聞こえる。

「お、麻奈ちゃんか! 珍しいねー!」

 声の主はお肉屋のおじさんだった。

「珍しいって何ですかー! 珍しいって!」

 私はおじさんにそう叫んだ。


 遅くなったけど、私の住むのは神﨑町という町。この町の特徴は、とにかく行事やイベントが大好きな町といったところだろう。毎月必ずイベントを行っていて、イベントをやっていない日はないというくらい行事が満載だ。

 もちろん、バレンタインもそうだ。バレンタインイベントを開催している。さらには、中学校もそうだが、学校のバレンタインもオッケー。

 私は楽しい町、神﨑町が大好きだ。


 そうこうしている内に、私はスーパーへ到着した。私の家族、三河家がいつも通う馴染みのスーパーでもある。

 私はズボンのポケットからメモを取り出すと、頼み事を行う為にスーパーの中へと入って行った。



      *






 五時三十分頃、私がスーパーを出た時には辺りが暗くなり始めていた。買い物が終わったのはいいが、荷物二つも両手で持つと体力はが削がれていく。二つの荷物にはスーパーで購入した食べ物等が、荷物であるビニール袋に入っていた。


 冷たい風が私の体に当たり、体温を奪っていく。寒いとはこのことだ。ぐるりと周りを見ると、私のように体を震わせる人々が何人か見受けられる。


 そう、今私はスーパーの前に立っている。違うのは、ビニール袋二つ持っているということくらいだ。


 お母さん……量を加減して欲しいよ。重いったらありゃしない。持つ者の身にもなって欲しいよ。


 私はつい深いため息を吐く。

 はぁ…………家に帰ったら、お母さんに文句言ってやるか。

 私の頭には母親に対し文句を言うことしか回っていない。まあ、言っても無駄だろうけど。


 帰ろうとした時、私の目によく知っている顔が目に留まる。誰だろう。


 春也だ……!


 歩行者は春也だった。

 私は春也の顔を見れた嬉しさで笑顔がこぼれそうになった。同時に、春也の右隣に一人の女子が一緒に歩いている。春也は笑顔でその女子と話しながら歩く。


 だ、誰……!?


 まさか春也が他の女子といるなんて思ってもいなかった私は、驚きを隠せない。

 女子の顔を確認するため私は凝視し続けた結果、思わず目を見開いていた。


 あれって……紫藤しとう鈴蘭すずらん!? どうして、春也が鈴蘭と一緒に!?


 春也と一緒にいる女子は紫藤鈴蘭という事実を目の当たりにした直後、私の力が抜けて二つのビニール袋がコンクリートの地面に落ちてしまう。


 紫藤鈴蘭。鈴蘭は神﨑中学校で、いや、神﨑町で知らない者はいない有名人だ。鈴蘭は学校では『ミュゲ様』と呼ばれている。

 鈴蘭の家は神﨑町一の資産家である紫藤財閥のお嬢様で、いわゆるお金持ちだ。鈴蘭の父親は日本人、母親が中国人のハーフらしい。その為か物凄く顔立ちが整っており女優並の美少女で、モデルと言われても納得するくらいのスタイルを持つ。


 しかも、春也も鈴蘭と同様に美形だ。二人が並んでいるところを私は眺めるしかできない。声をかけることもできるだろうけどけれども、私の体は石のように固まっていて、動けなかった。恋人同士と間違われそうな程、二人はお似合いなのだ。


 どうして……どうして、春也。どうして……!


 加速する鼓動。荒くなる息遣い。嫌な汗が吹き出してくる。脳裏に焼き付いた、春也と鈴蘭のツーショット。私には理解不能の状況だ。


 どうすればいいって言うの……? 好きな人がですよ? 好きな人が他の女子と歩いている場面を目撃した私に、どうしろって言うんですか!


 私が呆然と立ち尽くしていると、間に何台か車が通り抜けしていく。数秒経った時、春也と鈴蘭の姿が辺りを見回しても見当たらない。見失ってしまったようだ。


 私は……私は、どうしたら……。


 私の中に母親への文句が飛び、どうでもいいことに変わっている。脳内には既に春也のことで溢れていた。コップの水が溢れるくらいに。

 この不安な感情、どうしたらいいの――――。

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