第10話 四月上旬:入学式Ⅱ
新入生の勧誘も終わり、優は下校した。帰りの電車に乗っているとき、深愛からラインのメッセージが届いた。
「今下校中なんだけど、優君は? もう家に帰ってるのかな」
「僕も下校途中だよ。今電車のなか」
深愛空のメッセージを読み、優は返事を送る。
「それじゃあ、いつもの所でお茶しよう」
いつもの所というのは、地元にある駅近くのコーヒショップだ。
優は財布を取り出し中を確認する。最近、深愛とのデートでお金を使う機会が増え、慢性的に金欠状態なのだ。
(楽器のメンテナンスもしないといけないしな……)
「コーヒショップでもいいけど、僕の家か、深愛姉の家はどう?」
家ならばお金がはかからない。インスタントだが、コーヒもある。それに、今日は優の母親は残業で帰りが遅い日なので、夜遅くまでいても問題ない。
少し間をおいて、深愛から返事が返ってきた。
「優君の家でいい?」
「いいよ。僕の方はあと五分くらいで駅に着くから、待ってるよ」
OKという文字の上で三毛猫が寝そべっているスタンプが送られてきた。
家の最寄り駅で深愛と落ち合い、優の家に行く。二階の自分の部屋に深愛を案内して、優は一階の台所でコーヒを用意する。コーヒの入ったマグカップを両手に持ち、自分の部屋に戻る。
優の部屋では、深愛がクッションに座り、部屋をきょろきょろと見ている。
「どうしたの? 僕の部屋なんて珍しくも無いでしょ」
小さい頃から深愛とはよく遊んでいるので、深愛は優の部屋に何回も来ている。さすがに最近は回数が減ったが、それでも半年前に一度この部屋に深愛は来ている。
「優君の部屋、結構変わったような気がして。ほら、パソコン新しくしたでしょ」
深愛が優の勉強机の上にあるパソコンを指差す。それは、三ヶ月前に買ったものだ。
「良く気がついたね。前のは動作が遅くてさ。ちょっと前に買い替えたんだ」
「あと、あれ」
深愛が嬉しそうに優の机の上の写真たてを指差す。深愛に告白した日、ディズニーランドで撮ったツーショットの写真が飾ってある。
「記念の写真だよね」
優は足が折り畳み式のテーブルを出してコーヒとお菓子を並べる。テーブルを挟んで深愛と向かい合って座る。
「どうぞ」
「ありがとう」
深愛がコーヒの入ったカップを両手で持ち、息を吹きかけて冷ます。
「深愛姉の猫舌は相変わらずだよね」
「だって、熱いものは熱いんだよ」
温度を警戒しながら深愛がゆっくりコーヒを飲む。優もコーヒを飲んだ。
「今日、音無さんに会ったよ」
「あ、そうなんだ」
「ジャズ部に入るって言ってた」
「この間の演奏会が気に入ったみたいだったから、もしかしたら思っていたけど、やっぱりジャズ部に入ったか。ねえ、それはそれとして、演奏会と新入生歓迎の演奏も終わったし、これからは私と遊んでくれるよね」
深愛が瞳を爛々と輝かせる。
「う、うん……」
今まで、学校と部活が以外の時間は深愛とデートしていた。それで優は深愛と十分遊んでいたつもりだったし、優は満足していた。
(今までと同じじゃ、もの足りないってことなのかな……?)
「私ね、優君と行きたいとこ色々考えたんだよ」
深愛はスマホを取り出し、画面を数回タップして優に画面を見せる。画面に映されているのはスケジュール表だった。
「えっと……」
優はスケジュール表を凝視する。今月の日付の所に予定が書き込まれている。特に毎週の土日は全部埋っている。平日も不定期ながら、週三のペースで書きこまれている。
今週の土曜日には横浜にある動物園の名前が書かれていた。
翌日の日曜日にはお買いものと書かれている。
翌週の土日は映画とお花見に行くらしい。
その次の週は演劇とお菓子と書かれている。
平日に予定が入っているところには全て、お茶、と書かれている。
お茶というのは、学校帰りに駅前にあるコーヒショップでお喋りしようということだろう。
「再来週の日曜日にある、お菓子、て何?」
「それはね、私がお菓子作ろうかと思って。作ったら優君食べてくれる」
深愛が少し前のめりになり優の方に近づく。深愛の顔を近くで見て、改めて可愛いなと優は思った。
「深愛姉が作ってくれたお菓子なら何でも食べるよ。焦げてても大丈夫だよ」
「むぅ、失礼な。私はそんな下手じゃありませんよ」
深愛が拗ねてみせる。その仕草がまた可愛い。
「それじゃあ、再来週はお菓子を作るから食べてね。それ以外の日もその予定で良いよね」
「あ、それはちょっと待って……」
優はもう一度スケジュール表を見る。正直なところこんなに予定を入れられたら部活に支障が出る。それに、優の自分の時間が全く無くなってしまう。楽器の自主練も全くできない。
「来週の土曜日なんだけど、部活があるんだ。新人歓迎会をやるんだよ」
深愛の表情が曇る。暗雲立ち込めている。今にも雷が落ちそうだ。
「また、部活なの……」
深愛の声はいつもよりかなり低い。
優の背中に冷や汗が流れる。
「毎週土日の片方は部活があるんだよ。今までだってそうだったから、深愛姉も知ってるでしょ」
「部活、休めないの」
「それは無理だよ。皆で真面目に練習してるわけだし、僕だけ勝手に休むなんてできないよ」
「私と部活とどっちが大事なのよ」
冷静な口調だったが、深愛の言葉には怒気が大量に含まれていた。
「どっち、て言われても…… 比較するようなことじゃないよ。深愛姉だって学校と僕とどっちが大事って言われたら困るでしょ」
「困らないよ。学校より優君の方が大事だよ。優君が言うなら学校なんていくらでも休むし、退学したっていい」
「そんな、極端すぎだよ。学校に行って、部活もやって、友達とも遊んで、そう言うのがあった上で、僕は深愛姉と付き合えればいいと思うよ」
「つまり、私は学校よりも部活よりも友達よりも下ってことなの!」
深愛の細い眉が吊り上る。明らかに怒っている。
かなりやばい状態だ、と優は思う。
だが、根本的なところで、深愛の言っていることが納得できない。優も深愛も高校生なのだから、学校に行き、部活をやり、その空いた時間で交際すればいいのではないだろうか。
「深愛姉が友達より下ってことはない。さっきのは言葉のあやだよ。僕にとって、深愛姉は友達より上だよ。でも、友達とまったく遊ぶなっていうのは、いき過ぎだと思うんだ」
深愛が優を見つめる。その視線に気圧され、優は視線を晒した。
「優君の言っていることが私には分からない。私は優君のことを一番に考えてる。この間まで演奏会の練習があるって言うから優君と遊ぶの我慢したつもりだよ。でも演奏会終わったんだから遊んでくれるんでしょ。そう思う私がおかしいの」
「いや、おかしくは無いけど、極端すぎるって僕は言ってるんだよ。毎週遊ぶのは、良いよ。僕だって深愛姉と遊びたいよ。でも毎週土日に全部っていうのは無理だっていってるだよ」
「どうして?」
「どうしてって、部活があるってさっきから言ってるでしょ。それに、僕の用事だってあるし」
「私は、部活には入ってないけど、優君のためなら、学校だって、親だって、私自身のことだって犠牲にできる。でも、優君はそうじゃないんだね」
深愛は寂しそうに俯く。さっきまでの怒っている態度も嫌だが、こんな風に落ち込まれても対応に困る。感情的にならず、もっと冷静に普通に話したい、と優は思う。
「私は優君のこと好きだけど、優君は私のこと大して好きじゃ無いんでしょ」
深愛の言葉が、そして言い方が、優の癇に障った。
(なんだよ。さっきから偉そうに。僕だって深愛姉のことが好きで、深愛姉のことを考えてるよ。親や自分を犠牲にできるって言うけど、そんなの口だけで、どうせできるわけないんだろ。深愛姉だって結局自分が可愛いいに違いないよ)
優は良いことを思いついた。
(そうだ、深愛姉に本当のことを分からせてやろう)
「深愛姉、本当に僕の為に自分を犠牲にできるなら……」
優は座っている深愛の上半身を、特に胸の辺りに視線をはわせる。まるで獲物を品定めするように。
「胸、さわらせてよ」
「えっ……」
思いもよらない発言だったのだろう、深愛が言葉を失う。
優は膝立ちになり、テーブルを回って深愛の前に行く。深愛に圧迫感を与える為、前かがみになり顔を近づける。
「僕の為に自分を犠牲にできるんでしょ。僕だって男だから、そういうことしたいよ」
(どうせ口だけで、できるわけないんだ。これで、深愛姉の化けの皮を剥いでやる)
優は深愛の胸を触りたいから言っているわけでは無い。深愛が承諾できないような難題を突きつけて、さっきまで深愛が偉そうに言っていたことが嘘だと証明しようという算段だ。
深愛の喉がゴクリ、と動いた。戸惑いを飲み込んだのか、深愛が優を強い視線で見つめる。
「いいよ」
「えっ……」
今度は優が戸惑う番だった。
「優君が望むなら、いいよ」
深愛は制服のブレザーの上着の前をはだけさせ、やや胸を逸らす。ブラウスが体に密着して胸のふくらみが協調される。
ゴクリと今度は優が唾を飲んだ。深愛の胸から視線が逸らせない。
(大きい……)
見た目で、深愛の胸の大きさが分かる。
(な、何を考えてるんだ僕は……)
優は我に返る。深愛の言葉を否定したくて無理難題を言っただけで本当に胸を触りたいわけじゃない。深愛が承諾するなんて予想外もいいとこだ。
(でも……)
ここまで強気に出て今更後には引けない。ここで引いたら深愛に負ける気がした。
優は両手を上げ、そして、深愛の胸に両手を伸ばす。
(ごめん、深愛姉、ちょっと触るだけだから)
優はちょっと触ったら、すぐに手を離すつもりだった。
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