第7話 三月上旬:つき合い始めⅡ
午後の授業が終わり、部活の時間になる。
優はジャズ部の部室に行く。先に部室に来ていた部員が個人練習を始めている。
三月の終わりに、学校の近くの多ライブハウスで定期演奏会があり、4月には新入生の入学式の日に歓迎の演奏がある。その二つに向けてみんな気合いが入っているのだ。
(僕も練習頑張るぞ)
優も自分のアルトサックスを取り出し、練習を開始する。
個人練習やり、途中で、皆で合わて練習をする。ライブの演奏曲を一通り演奏した後、皆で演奏の駄目出しと、より良くするためのアイディア出しをする。
十八時に部活は終わり、優は部活の同級生や先輩達と一緒に下校した。
家の最寄り駅に着いた優は足早に駅から出る。早く家に帰って、楽器の練習をするつもりだった。演奏会まであと二週間。できる限り練習してもっと上手い演奏をしたいと優は思っていた。
「優君」
駅の階段を降りたところで呼び止められた。
「深愛姉」
階段の下の壁際に、深愛がいた。家に帰っていないのか、制服を着て、スクールバッグを持っている。
「優君が帰って来るの待ってたんだ。少し、お茶していかない」
深愛が近くにあるコーヒチェーン店を指差す。
「待っていたって、いつから?」
優は驚く。深愛は部活に入っていないので学校が終わってから待っていたとしたら三時間近くここにいたことになる。
「ピアノ教室が終わってからだよ」
「あ、今日はピアノ教室があったんだ」
深愛は五歳の時から二駅離れた所にある大手ピアノ教室に通っている。
「でも、一時間以上待っていたことになるよね」
「優君に会うためだもん、時間なんてどうでもいいの。それに、ラインとかじゃ、優君全然返事してくれ無さそうなんだもん」
深愛がむくれながら優に非難がましい視線を送る。
「あっ!」
優は慌てて制服のポケットからスマホを取り出す。深愛から沢山のメッセージが着ていた。
(昼休みに、後で連絡するって返事したのに、忘れてた……)
「ごめん。部活が忙しくて、それで連絡が遅くなっちゃって……」
「ううん。いいの。優君のことだから、きっと部活だと思っていたから。もうすぐ演奏会だもんね」
「そ、そうなんだ。演奏会に向けてみんなで練習頑張ってるし、僕ももっと練習して上手くなりたくて」
「分かってる。分かってるんだけど、優君とお話ししたくて沢山ライン送っちゃった。ごめんね」
えへ、と深愛が可愛くおどける。
「謝ってもらうようなことじゃないよ。深愛姉がそんな風に思ってくれるのは凄く嬉しいよ」
「ねえ、立ち話も何だから、お茶しない」
深愛が再び、近くのコーヒショップを指差す。
(どうしよう)
優は即答せず、考え込む。早く帰って演奏の練習をしたいのだ。深愛には悪い気がしたが、お茶はいつでもできる。しかし、二週間後の演奏会に向けての練習は今しかできない。
「深愛姉、待っていてくれたのに本当に悪いんだけど、今日は帰って練習をしたいんだ。だから、お茶はまた今度にしよう」
深愛の表情が曇る。どこか不満そうだ。そして、それ以上に悲しそうだ。深愛は片手を頬に当てて下を向く。
一分ほど経っただろうか。深愛が顔を上げた。先ほどまでの憂いの雲は笑顔で覆い隠されていた。
「そうだよね。演奏会近いもんね。今日は我慢する。帰ろうか」
深愛が家の方に向かって歩き出す。優も一緒に歩き出す。深愛が分かってくれて、よかった、と優は胸をなでおろす。
「あ、そうだ。深愛姉これ。前に約束したチケット」
優は鞄から二週間後の演奏会のチケットを一枚取り出し、深愛に渡す。今日の部活の時に貰ってきたチケットだ。
「ありがとう。絶対に聞きに行くね」
深愛が嬉しそうにチケットを受け取る。
「ねえ、優君。もう一枚チケット貰えないかな。ピアノ教室の友達がね優君達の演奏を聞きたがっているんだ」
「本当。是非連れて来てよ。一人でも多くの人に聞いてもらいたいからさ」
優は鞄からもう一枚チケットを取り出して深愛に渡す。
道の先にT字路が見えてきた。そのT字路で二人は別々の道に分かれる。
「優君。部活で忙しいのは分かるけど、浮気はしないでね」
深愛が思いつめた表情でぽつりと呟いた。
「浮気!?」
全く予想していなかったことを言われ、優は仰天する。深愛に言われるまで、浮気、なんていう言葉自体思いつきもしなかった。
「浮気なんてしないよ、するわけないじゃん」
優は深愛の心配を笑い飛ばす。
浮気は悪いことで不誠実な人間がやること。そんなこと、百も承知だ。浮気をするなんて人間のクズだと優は思う。
「私の両親のこと知ってるでしょ」
深愛の両親は、深愛が九歳の時に離婚した。深愛は母親に引き取られた。二年後、母親が別の男と再婚し、今は家族三人の生活をしている。
「…… うん」
深愛にとって、楽しい話では無いだろうと思い、優は遠慮がちに頷いた。
「前のパパね、ママや私にとても優しかった。仕事も頑張っていて評判よかったみたい」
深愛の母親は医者で、前の父親も医者だった。
「パパは仕事が忙しいからと家に帰ってこない日も多かった。それでもね、時間があるときには私と遊んでくれたし、家族で旅行にも出かけたし、楽しく過ごしていて、浮気しているなんて全然分からなかった。私もママもパパは仕事をしてるとばかり思っていた。でもね、仕事で忙しいからって家に帰ってこなかった日の半分は浮気の為だったらしいの。最低だよね」
深愛が吐き捨てるように言った。普段、深愛はそんなことしない。よほど父親の浮気が許せないのだろう。
「隠そうと思えばいくらでも浮気なんて隠せるんだよ」
深愛が優の腕を掴む。まるで、優を逃がさない、というような感じだった。
「優君は絶対に浮気なんてしないで。部活が忙しいことは信じるから、それを浮気を隠すためには使わないでね」
「大丈夫、安心してよ。僕は絶対にそんなことしない。深愛姉を悲しませるようなことはしないよ」
じっ、と見つめてくる深愛を優も真正面から見つめる。
深愛が微笑む、
「そうだよね。優君が浮気なんてするわけないよね。パパがそんなんだったから、私、男の人って皆浮気するんだって思っちゃうところがあって……」
小さい頃の両親の離婚が深愛の心にはトラウマとなっているのだろう。そんなトラウマ、僕が払拭して見せる、と優は決意する。
家に帰った優は母親と夕食を食べ、さっさと宿題を済ませて楽器の練習を始めた。家で練習するときは楽器に消音装置を付けている。
その日、優は夜遅くまで練習していた。
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