第43話 そして少年は決意を抱く
そんな痛みにはもう慣れた。
そんな事を小説の主人公は言っていた。時に気合で、時に経験で受けている痛みに叫び声一つ上げずに雄叫びを上げ立ち向かっていく。だがそんなことが実際に起こるわけでは無く、四肢が刈り取られる間、俺は叫び声を上げる力すら無くし、ただ目から涙を流しながらその痛みを受けていた。
・・・
あれからどれぐらい経ったのだろう。
飯を乱暴に与えられ、四肢を刈り取られ、そして再び飯を口に突っ込まれる。そんな日々をただただ送る毎日。
四肢を刈り取られる度脳裏に響くその感覚は変わることなく、俺に痛みという形でその感覚を伝えている。
そして、その痛みの元となる四肢は俺自身が獲得した再生能力によって再び生えてくる。
もし以前の森での生活をしていたのならばそれは狩りのリスクを減らす意味で有用な能力だっただろう。だが、その能力は今や苦痛を長続きさせるためのものに成り下がり、その再生速度が向上してしまったせいで今では3日に1度のペースであの地獄のような痛みがやってくることとなった。
・・・
人間たちが仕事を終え、人間のいなくなった部屋の中に肉を断つ刃物の音が鳴り響く。その音を鳴らしているブラウンは俺の足を切り落とすと服の裾で汗をぬぐい、息を一つ吐き出した。
「ふぅ、三本切リ落とすとなると骨が折れるな」
ブラウンは首を回し、気怠そうに骨の音を響かせる。相変わらず切り取られた腕や足の断面からは火で炙られているかのような熱と、傷口を抉られるような痛みが伝わってくる。
「ん? どうしたんだ?」
「このゴブリンが脱走しようとしててな。やられちまったよ」
ブラウンが部屋から出ようとすると、入れ替わるように少し足を引きずった男がぐったりとした見知った顔のゴブリンを担ぎながら入ってくる。
「あんまり痛めつけすぎんなよ? 殺したら金払うのはお前だからな?」
「わかってるって」
「躾はほどほどにな」
男はブラウンが部屋を出ていくのを見送ると、手際よくゴブリンに俺と同じような枷を嵌めていく。俺の隣でぐったりとした様子のゴブリンは僅かに意識があるらしく、赤黒く腫れた目薄らと目を開けその様子を見ている。
「ったく、よくもやってくれたな。 おらっ!」
「がぁぁぁ!!」
男はゴブリンの左手の指に指枷を嵌めると、そこに木づちを振り下ろす。ゴブリンは痛みによって悲鳴を上げるか、そんなことで木づちを振り下ろす手を止めるわけが無く、次々にゴブリンの指は叩き潰されていく。
「ッケ、反省してろ」
男はそれで気が済んだのか、ゴブリンの腹を蹴り上げると、繋いだままのゴブリンを後にし部屋を出て行った。ゴブリンは男が部屋を出て行ったのを確認すると、血交じりの唾液を地面へ吐き出す。
「ぺっ。いって、やりすぎだっての」
ゴブリンは腫れぼったい眼を可能な限り見開くと、憤怒に満ちた表情で潰された指を睨み付ける。そこに先ほどのぐったりとした様子はない。
「くっそ、いつも殺し合いさせてるくせに……ちょっと怪我しただけだろ」
悪態をつくものの、この環境に置かれているものがその言葉だけを傍から聞けば当然の結果であり、このゴブリンがただただ無駄な努力の結果、大きな反撃を受けたという事しかわからないだろう。
だが、俺にはそのゴブリンには自身に無い何か強い思いと力を秘めているように感じた。
指を切り落とされたことのある俺には指から伝わる痛みというのは想像以上であり、これをされた者はその相手に恐怖こそ抱くものの、怒りなど抱く余裕が生まれるわけが無い。現に俺自身もやられた際、相手を恨むのではなく自身の運命を恨んだし、ここに居る間同じことをされた者たちも反抗の意思を失っていた。
だが、このゴブリンは違う。多少痛みは感じている様子だが、その眼の奥に灯る濁った炎は未だに煌々とした光を湛えており、強い感情がその言葉からひしひしと伝わってくる。
ゴブリンはしばらく悪態をついた後、俺の存在に気づきその腫れきった打撲痕だらけの顔を俺へと向ける。
「おっ、お前か。最近見ねぇと思ったらこんなとこに居たのか。死んだかと思ったぜ」
(なら殺してくれよ!!)
ゴブリンは先ほどとは打って変わって感情を隠すかのように空虚な印象を与える明るい声で俺に話しかける。定期的に来る四肢を切断される痛みから解放されるのであれば死さえ救いと感じている俺はその言葉に悲しみの混ざった怒りの声を呻きと共に上げる。
「はは、喋れてねぇな。しっかし……まぁ……ひっでぇな。大丈夫か?」
大丈夫なわけが無い。痛みは確かに2日ほどで収まる。だが塞がれた傷口もすぐに切り落とされる為、痛みが引いている間は明日が来ないよう祈るばかりで心休まる時間は無い。
「ま、大丈夫なわけねぇわな」
ゴブリンは見定めるように俺の傷口をまじまじと見つめる。そして、残念そうな表情をしながらその腫れた目をこちらに向けた後、一つため息を吐き出す。
「……その様子じゃ喋れなさそうだな。ま、何聞きたいのかはなんとなく分かるけどな。何があったか聞きたいんだろ?」
正直、この状況でそれ以外に聞くことが無いのだが、それでもやはり気になる為、素直に首を縦に振る。
「ま、簡単な話、脱走に失敗した。それでこっぴどくやられちまったよ。ま、お前の方が酷い目に合ってるようだが。しっかしまぁ武器も取られちまったし、八方塞がりだな」
ゴブリンは笑い声を響かせる。この状況でどうしてそんな風に痛みを無視できるのか、軽口を叩けるのか、不思議で仕方がない。
「ん? どうした? そんな顔して? 俺の行動がどこかおかしいか?」
ゴブリンはまるで俺の心の中を見透かすかのように言葉を発せない俺に返事を返す。
「ま、ともかく。こんな状況で何もしないのも死んでいった奴らに悪いだろ? だから俺は諦めねぇ。どんな状況でもぜってぇにな」
終始ゴブリンの口調自体はまるで天気の話でもするかのようにとても軽いものだったが、その中にはどこか強い意思や決意のような物を感じる。
「ま、ともかくここから出られなきゃ始まんねぇけどな」
ゴブリンは再び笑う。この絶望的な状況下で笑う。諦めた時の乾いた笑みでは無い。ただ、その瞳に復讐の炎を宿らせて、今は心を落ち着かせるために、笑う。
「ま、上手くいったらお前も助けてやるよ」
ゴブリンは言うが、俺にはそれが嘘だと分かった。だが、それは当たり前の事であるため文句は無い。いや、無いと言えば嘘になるがそれでも脱走を手伝いもしない俺にそれを言う権利は自分に無いことが分かっている為、反論はしない。
「ともかく、お前も強く生きろよ」
そういうと、ゴブリンは大きな欠伸をし、眠りにつく。ふと俺はそんなゴブリンの潰された指を見る、爪が割れ、骨が折られた指から流れる血は未だにじわじわと滴っており、手の固定している木の板に赤のシミをつけていた。
・・・
俺はどうしたいのだろか。
ゴブリンの話を聞いてからそんなことを考えるようになった。
今までなぜこんな状況に置かれているのか、なぜこんなひどい事を彼らは行えるのか、なぜ俺はこんな運命を辿らなければならないのか。そんなことばかりを悶々と考えていた俺に、ゴブリンは痛めつけられながらもその心の中に炎を宿していた。その色は黒くとも決して消えることは無い炎。いったい何故あんな風に強い思いを抱き続けることができるのか。
そして俺自身、この現状のままでいいのだろうか?
決してここから抜け出したくないというわけでは無い。今の現状は俺にとって死ぬ以上に苦しいものであり、ここから抜け出せるのであれば命だって差し出せる。そう思うほどにこの現状を変えたい気持ちだ。だが、現状を変えるには自らで行動を起こしここから抜け出すか、自殺する以外不可能であり、仮に抜け出せたとしてもその後の目的が無い。
何をしたいのか、それ自体はあるもののその願いはすでに
だが、そんな言葉とは対照的にかつての仲間と同じ種族であるこのゴブリンは今なお諦めまいと必死にこの窮地から抜け出そうとしている。
そんな中、仲間達であればどういう行動を起こしただろうか。
ガックなら歯を食いしばってでも抵抗をしただろうか。
ギガならその巨碗で状況を打破しただろうか。
ズメウならその身を犠牲にしてでも周囲を助けただろうか。
フルトなら周囲を説得し、協力して抜け出そうとしただろうか。
思えば俺の人生は後悔よりも諦めが多い。不平等な環境で必死に自分を押し殺し、ただ嵐が過ぎるのを待つかのように耐えるのみ。今だってそうだ。腕を切断された際も抵抗など考えず、脱走の誘いすら断る始末だ。
己自身がそんなことでは事態が好転するはずない。そして、この現状は俺がたとえここから逃げ出したとしても、今までの様に再び同じようにやってくるだろう。なら、俺自身が変えるしかない。
ぐちゃぐちゃの思考は次第にある方向へとまとまっていく。そして俺は決意をする。
俺は、すでに肘まで生えきった左腕を見る。左腕は枷が付いていない為、その鱗を眼前へと動かす。腕は今なお凄まじいスピードで元の形に戻ろうとしていた。
・・・
どんな場所でもどんな時代でも平和など無く、仮にあったとしてもそれは何者かが虐げられているからこそあるものだ。そして、現在俺はその虐げられている者側にいる。
それは平和をつくる上で仕方のない事象であり、学校という小さなコミュニティでさえできていないことからも決して理想郷などが作れないだろう。
だから俺が望む。たとえ平和が無くとも、争いが絶えずとも、虐げられているものが虐げる者に対して牙を向けられる世界を、下剋上があり得る世界を俺は望む。
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