第41話 懇願は耳に届かず

 どんな行為でも、慣れてしまえばそれに大きな感情を抱きにくい。


 それが仕事であれば継続的にその行為を行う分慣れてしまうのは時間の問題であり、そこに感情が介入する余地は僅かばかりあるかないかだろう。


・・・


 一晩眠ったのだろうか。太陽の変化を感じられないから今いったい汝なのかが分からない。気怠い身体はまるで一日が始まるかのように薄暗い部屋の中は痛みに対する絶叫が強制的に目を覚まさせる。目覚める前との違いと言えば壁に繋がれている生き物が鳥のような人間から頭から幾匹の蛇が生え、下半身が蛇の胴体になっている女になったことだろうか。


 蛇女はその口から生える鋭くとがった牙を黒いアイマスクに視界を奪われながらも目の前の男に向け威嚇するが、男は慣れているのか、それとも首に繋がれている枷のせいか、動きがかなり制限されている蛇女の首根っこを掴むと、眼球にナイフを突き立てる。


「キギャァァァァァァァァァァーー!!」


 途端に耳を劈くような悲鳴が室内を響かせる。だが、それでも男はナイフを引き抜くともう片方の目にも同じ様にナイフを突き立てた。


「ギウゥゥ……うっ……ひっぐ……」


 蛇女の目があるであろう場所からはアイマスク越しにもかかわらず、ドロドロの血が黒いアイマスクを染める。蛇女はがっくりと肩を落とすと、血とも涙とも分からない赤黒い涙を流しながら静かに泣いている。


 何故、こんなことをさせられているのか。何故、こんなに痛めつけられなければならないのか。そんな疑問が頭の中を駆け巡る。


 周囲を見ていられなくなり、痛みが引きドライヤーの熱風に当てられているような熱持った先のない小指に目を落とす。小指の断面は心なしか肉が盛り上がっているように見える。


「さてさて、どうなっているかのう?」


 酷い空腹を感じつつ、先のない小指を見ていると、頭の上から聞き覚えのある声が聞こえてくる。見上げると、浅黒い肌の男は白衣の老人が再び俺の目の前に来ていた。


「ふむ……成る程、お主、ちゃんと餌をやっておるか?」

「餌……ですか」


 白衣の老人は俺の切り落とされた小指を見ると、浅黒い肌の男に質問を投げかける。浅黒い肌の男はその問いに対して曖昧な表情をしながら首を振る。


「いえ、与えてはいるんですが、こいつあんまり食わなくて……」

「恐らくそれが原因じゃろう。お主の言ったとおり、これには再生能力があるようじゃ。が、それもエネルギーが無ければ難しいからのお」


(再生能力……か。誰の能力かは知らないが、こんな俺にはもう無駄な能力だ。)


 白衣の老人の言葉を受け浅黒い肌の男は部屋から出て行った。白衣の老人はそんな男の様子を気にも留めずに俺の先のない小指をしげしげと観察している。


「ふーむ……鱗も生え始めとるし、なかなか再生が早いのう……それに……」


 白衣の老人は観察しながら何かをぶつぶつと言っているものの、その声が小さいのもあり周囲の悲鳴によってかき消される。そうして観察されているうちに浅黒い肌の男が麻袋を担いで帰ってくる。


「これぐらいでいいですか?」


 浅黒い肌の男は麻袋の紐を緩める。麻袋の中からはあまり美味そうでない生肉や果実などが入っている。白衣の老人はその中から無造作に生肉を掴むと、俺の口へと押し込んだ。


「むぐっ!? ……げほっごほっ……ごがっ!?」


 急な出来事に対応しきれず、肉を吐き出す。だが、白衣の老人はむぜている俺に構わずに吐き出された生肉を口に突っ込んだ。今度は手を離さずに肉を押し込んでくる為、咳をしながらも噛み切りにくい筋張った肉を咀嚼していく。


「ま、ともかくしっかりと食べさせることじゃな。それと、切り落とすときは念のため少しづつするのが良いじゃろう。まぁ、再生するとは思うがな」

「はい、ありがとうございました」


 浅黒い肌の男は白衣の老人に軽く礼をする。白衣の老人はそんな浅黒い肌の男の礼を見ようともせずに相変わらず俺を凝視し、口を開く。


「それと、肉は儂にくれよ?」

「ええ、もちろん」


 白衣の老人はそれだけ言い残すと、浅黒い肌の男の礼を背に受けながら悲鳴の絶えないこの部屋から出て行った。


「全く、変わりもんの爺だな」


 浅黒い肌の男はぼそりとぼやいた後に、俺に向き直る。俺は眠る前の事もあり、ようやく咀嚼し終わった肉を飲み込みつつ顔を緊張で強張らせながらその行動を伺う。


「とりあえず爺さんのプレゼントを取るとすっか」


 浅黒い肌の男は腰から鉈を取り出すと、前と同じように俺の手に鉈を構える。


「や……やめてくれぇ!!」


 俺は恐怖で声を震わせながらも現状出せる精一杯の声を上げた。その声に浅黒い肌の男は鉈を振り上げた状態でその動きを止めた。


「……?」

「……やめてくれぇ」


 浅黒い肌の男は鉈をおろし、周囲を伺う。そして、再び俺が蚊の鳴くような声を発することでその声の持ち主である俺が言葉を発していることに気付いたようで、こちらに顔を向ける。


「やめて……くれないか?」

「……言葉が分かるのか」


 浅黒い肌の男は不思議そうな面持ちをしつつも俺の顔に顔を向ける。


「なぁ、頼む……止めてくれ痛いんだ。ものすごく……痛いんだ」


 もはや二度と知りたくない、経験したくない痛みから逃れるために、必死に伝わるかもわからない歪んだ笑みを作りながら懇願する。そんな俺の様子を浅黒い肌の男はジッと見た後、口を開く。


「言葉をしゃべれる魔物がいたのか……。面倒だな」


 浅黒い肌の男の顔に変化は無く、鉈を地面に投げ捨てるように置くと、周囲を見た後、先ほど持ってきた麻袋の中身を全て地面に出す。そしてそれを手で乱雑に丸くまとめ、それを俺の口の中に突っ込む。


「ごぐっ……おえぇ……う゛ぅぅぅ……」


 先ほど食べた生肉を吐き出しそうになるも、浅黒い肌の男が手で押さえている為、逆流した生肉は麻袋によってせき止められる。浅黒い肌の男そんな様子を気にも留めずに腰に付けた皮ひものベルトを器用に片手で取ると、それを俺の口元を抑えるようにに巻きつけた。


「うぐぅぅぅ……んぐっ……ぐぅぅ」


 喉に詰まった吐瀉物により息もままならないため、何とかそれを涙目になりながら無理やり飲み込む。浅黒い肌の男は相変わらず俺が苦しんでいる様子を気にも留めずに地面に置いた鉈を再び手に取ると、今度は予備動作も無しに俺の薬指に鉈を一気に振り下ろした。


「ん゛ん゛ん゛ん゛!!!」


 瞼に力を込めながら声にならない悲鳴を上げるも、鉈は無慈悲に振り下ろされる。だが、薬指からは強い衝撃を感じるのみで、痛みは少ない。目を開くと、鉈は薬指から生えている鱗に傷をつけるのみに終わっていた。


「ったく、面倒くせぇなぁ」


 浅黒い肌の男は鉈を取り上げると、薬指の鱗と鱗の間に鉈を差し込み、鋸の様にゴリゴリと俺の指を切断し始めた。


「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛!!!」


 その動作から感じる痛みは小指を切断された時とは大きく違い、より強烈なものだ。小指の時は一瞬の大きな痛みだったのに対し、今回は鉈を押し引きするたびに押し寄せる継続的な、強烈な痛みが長く続いているためだ。


 痛みに体が反応し、足をじたばた動かそうとも、手から鉈を押し避けようと動かそうとも、がっちりと絞められた枷によって動きは完全に制限され、ただ短い鎖と地面の擦れる音を周囲に響かせるのみ。鱗が硬い為か永遠とも思える長い時間に行えた痛みを紛らわせるせめてもの行動は、くぐもった叫び声と口詰められた麻袋を歯で強く噛み締める事のみだった。


「ふぅ。ようやく切れたか」


 時間の経過など分からない。ただ、その永遠とも思える時間は浅黒い肌の男のあっさりとした声で終わりを告げる。もはや何もする気の起きない俺はぐったりと頭を垂らしながら無くなった薬指を涙でぼんやりとした目で見つめる。


 ようやく痛みから解放される。


 指を無くした事実すらもどうでもいいと思える思考状態に陥った俺の心はこれ以上あの激痛が来ないという確信から安堵に満ちる。




 だが、




「……さて、と。じゃ、次行くか」

「!?」


 浅黒い肌の男は鉈を俺の中指の鱗の隙間に先ほどと同じように鉈を差し込むと、再び鋸の様に俺の指の切断を始めた。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!」




 その日、俺の中を駆け巡った痛みは残りの指3本を切断し終えるまで続き、指を切り落とした後、俺の身体中に生えていた鱗という鱗は剥ぎ取りにくい顔や指の間などを除き、あの鉈で全て乱雑に剥ぎ取られた。


 俺はその痛みの中で理解する。浅黒い肌の男は決して快楽の為に俺の指を切断し、鱗を剥ぎ取っていったのではないという事を。


 男はただ仕事をしていたのだ。あの面倒くさそうな表情も。指を切断する際にしたあの欠伸も。より効率的に行おうと考えたのか、様々な切り方を試したあの手さばきも。全ては仕事だからやっただけ。


 まるで養豚場で豚を解体している人間ような、男の顔はそんな顔だった。




 俺は左手から来る熱と痛みを感じながらもはや動かす気力のない視界のただ一点を見つめる。だが、そこから得られる映像は俺よりも傷が少ないものの、どれも意図的にどこかしらを傷つけられている者たちの姿のみ。


 ただ、この先の事を考えるだけで吐き気を催すが、それも麻袋を詰められている現状、息苦しさに拍車をかけるのみなので必死に飲み込む。


 何故か壊れない壊れそうな心を必死に胸に抱きながらただ絶望に打ちひしがれる。視界の内も燦々たる状況だが、見えないはずの未来も俺には絶望の色に染まっている様に見えてしまう。


 そして、未来に暗澹たる暗闇から目を背けながら、この現状が夢であるようにと願いながら俺は眠りについた。

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