第39話 現実からの逃避

 ただ、逃げたかったんだ。


 過去の過ちから、暗澹たる未来から、そして、最悪の現実から。


 ただ、逃げたかったんだ。


・・・


 どれくらい時間が経ったのだろうか。全身に感じていた痺れはいつの間にか消えており、肌に感じたヒリヒリした感覚ももう無い。


「……」


 冷たい地面に座り、視線を手首に落とす。どれだけ時間が経っても手首の枷に映る自身の顔は変わらず鱗に覆われている。普通、鳴き続けると目元が腫れるが、びっしりと生えている鱗のせいか変化はない。足に目を向けると、足にも同様に鱗が生えているが、その隙間からは灰色の毛が生えており、膝から下は馬のような形に変化しており、足先も蹄のような形に変化している。そして、これだけの変化があったにもかかわらず、あの時に切り落とされた腕は再度生えてくるわけでも無く、鱗が纏わりつくように生えているのみ。


 首には見覚えのないリング状の金の首輪が嵌められており、その金の首輪の突起からは長めの鎖が地面に落ちている。そして手足には拘束する気が無いらしく、以前からつけている左手の枷以外何もついていない。武器や防具は全て外されたらしく、腰には小汚い布切れが一枚まかれている。


「クソがぁ!!!」


 悔しさから、怒りから、悲しさから、様々な負の感情をその拳に込めて檻を思い切り殴りつける。だがそれは檻を少し歪ませただけで、それ以外に変化は起こらない。拳が痛むわけでも無く、感情が発散されるわけでも無く、ただただ空しさが胸の内溜まるのみ。


「……糞が」


 静寂の中、ぽつりと俺の声が響く。周囲はいつの間にか静かになっており、ここに居る生き物は眠っている者か俺に訝しげな視線を向ける者のどちらかだ。


「ひっ!?」


 右隣の檻にいる3匹の肋骨が浮き出ている生き物の中の一匹に視線を向ける。薄ぼんやりと輝く石に照らされているその生き物は俺を恐れているのか、鉄球つきの足かせを付けた巨大な鳥の足のような足を抱えながら、人間の腕に当たる部分に生えている鳥の翼のような部位で顔全体を覆い隠すようにして、こちらの視線を遮る。そして、他2匹は俺に向かって警戒心をその顔で示すように口の中にギザギザと生やしている牙をこちらに思いっきり見せながら、黒で染まっているその目を鋭く光らせる。


 前方に目を向けと、体長2m程のヤギのような角を生やした生き物が、その身を地面に投げ出し、身を横たえている。だが、磨き抜かれた肉体とは対照的にその姿は燦々たるもので、ヤギと人間の顔を足して二で割った様な顔の側頭部に生えているその角の片方は根元の部分から切り取られたような跡があり、人の身体のような上半身と、ヤギの足のような印象を受ける2本の足の生える下半身のどちらにも剣で切り裂かれたような傷や何か牙で抉られたような傷、そして恐らく何かをぶつけられたのか殴られたのだろう。下半身は茶色い毛に覆われている為確認できないが、上半身には無数の青紫色の痣が付いている。


 左の檻に視線を向けると、小さいながらも無数の傷を受けた筋骨隆々の、だが明らかに栄養が足りないのか、どこか頼りない身体をした一匹のゴブリンがシャリシャリとこちらに背を向け、なにかを壁にこすり付けている。


  一体ここはどこなのか、俺の身体は今どうなっているのか、この生き物たちはなぜこれほど傷を受けているのか、様々な疑問が目まぐるしく脳裏を駆け巡る。だがそれも今や、仲間も、復讐相手も、人間としての自分も、全てを奪われた俺にとってもはやどうでもいい事である事には変わりなかった。


 それに俺自身、聖人君子でも無いしキリストのような救世主でもない。そんな俺にここに捉えれらているこいつらを助ける力も、義理も、同情も、なにもない。


 そんな風に軽い自暴自棄になっていると、重い扉の開く音がこの部屋に鳴り響く。そして、コツコツと足音を立てながら誰かが近づいてくる。その足音に檻の生き物たちの大半は隠れるように身を竦ませる。


「ん? こいつ食わないのか?」


 顔を重たげに上げると、俺をここまで連れてきた男が俺の檻の中、ここに俺を投げ入れた時に一緒に投げ入れた食べ物を見ている。しげしげと観察した後、溜息を一つつきながら頭をボリボリと掻く。

「餓死だけはやめてほしいんだけどなぁ。浮遊フロート


 男は俺の入っている檻の上部に手を乗せ、魔法を唱える。檻は重さを無くしたように地面から僅かに浮いた。


「ちゃんと稼いでくれよぉ?」


 男はそう言うと、鼻歌を歌いながら俺の入っている檻に付いている鎖を引き、どこかへ連れて行く。その手つきに重さは感じられない。


「じゃ、また来るから閉めといて」

「うっす」


 男はここの警備をしているのであろう筋骨隆々の男に声を掛けた後、再び歩を進める。今回は馬を使わないようで男の後を付いて行くように檻と共に俺が移動していく。


 しばらく歩いた後、軽い傾斜のついた坂道を上ると、前方に大きなアーチ状のゲートが見えてくる。そのゲートの左右には道が続いており、ゲート自体には人間と化け物が戦う様子などの装飾が細かく施されている。また、日の光が漏れ出しているゲートの奥は鉄格子で塞がれており、ゲートからはざわざわと聞き取れないような混ざり合った人間の声が聞こえてくる。


「今日はこいつを使うのは知らせているよな?」

「ああ、相手が相手だから金がそれに偏ってるよ」

「お、なら景気付けに一発勝ってほしいねぇ」


 男は俺をゲートの前まで運ぶと、その側にいる顔に大きな爪で抉られたような傷のある腰に鞭と剣を下げた浅黒い肌の男に話しかける。浅黒い男は笑顔で応対すると、鍵束と俺の入っている檻に続いている鎖を受け取る。


 俺を連れてきた男は他に用があるのか軽く手を上げながらその場から立ち去る。浅黒い肌の男は俺を一瞥した後、そのゲートを俺と共に潜る。そして鉄格子でできたゲートの扉を閉めると、俺の鉄格子に手を置く。手を置いた瞬間、俺の入っている檻が砂煙を巻き上げながら地面に落ちた。


「? 元気が無いな」


 俺が言葉を発さないことに疑問を持ったのか、浅黒い肌の男は首を傾げながら檻の扉を開く。


「……死んでないよな?」


 浅黒い肌の男は全く動こうとしない俺に不信感を持ったのか、腰に付けている鞭を取り出すと、慣れた手つきで俺へと一振りする。


「うっ……!?」


 その鞭に痛みを感じると思い、目を瞑る。だが実際に痛みは感じず、代わりに何かを思いっきり押し付けられたような感覚を感じる。浅黒い肌の男はそれでも反応に満足したのか、俺の首からのびる鎖を引き、俺を無理やり檻の外へと連れ出した。


「よっし、とりあえず今日は勝てよぉ」


 浅黒い肌の男は意気揚々と言いながら、俺の背中へと再び鞭を振るう。痛みは感じないものの、やはり怖いものは怖い。俺はおとなしく男の後を付いて行く。


 檻を出て数歩進み、最奥の鉄格子でできたゲートまで辿り着くと、浅黒い肌の男は俺の首からのびる鎖を離し、来た道を引き返していく。


 格子の向こうからは相変わらずざわざわと混ざり合った声が聞こえてくる。そして日の光に目を細めながら格子の向こうを覗くと、そこには見覚えのある景色が広がっていた。


「……ここは」


 それを見た瞬間、ここがどういう場所で今から自分が何をさせられるのかを理解する。


 眼前に広がるのは砂煙が舞う楕円形のフィールド。その周囲には3m程の壁とその上にいくつも並んだ観客席とそこに座る観客。今回国王はいないらしく一段豪華な席は今回は空席。


「……闘技場コロシアム


 見紛うはずがない。復讐に掻き立てられ、骨を折りながらも死に物狂いで戦った場所。所々に血跡が残る闘技場コロシアムには試合を今か今かと待ち望む観客たちの声が響き渡る。


 だが、そんな感性とは対照的に俺の心は深く沈んでいる。もはや自殺願望とも等しい俺はぼんやりと鉄格子の向こうの地面に置かれている錆びた剣を見つめる。


(あれで殺れってこと……か)


 そうしてぼんやりと眼前を見ていると、突然背中に衝撃が走る。


「行けって!」


 再びの衝撃で俺はようやく眼前にあった鉄格子が上がりきったことを確認する。俺はふらふらとした足取りでフィールドへと向かう。


『さあ! 今回の目玉! この新種の倍率を発表するぜ!! こいつの倍率は1.1倍! 初陣のくせに大人気だ! これは大番狂わせがあるかぁ!? 本日初登場! 名無しの新種、ネームレスだぁぁ!!』


 俺が歩いていると、陽気な声が爆音で響き渡る。そして俺をネームレスと呼んだその声の後、罵声にも似た声援が周囲から響き渡る。だが、俺はそんなことを気にも留めず、いや、それすら気に留められずに呆然と眼下の錆びた剣を見つめ続ける。


『そして相手はこいつ!  仲間を犠牲にして勝ちあがったこの魔物! 同族を盾に力の無さを補ったぁ! 倍率3.2倍、仲間が無くても生き残れるかっ!? 同族殺しのサキュバスだぁぁ!』


 視線を前方へと向けると、向かい側の鉄格子が上がり、その奥からは背中に蝙蝠の羽のようなものを生やした金髪の女性がビクビクと歩いてくる。その顔には生気が無く、細身の体から生える羽はどういうわけかその半ばほどで切断されている。これでは到底飛べはしないだろう。


 サキュバスの前には俺と同じように錆びた剣が落ちている。周囲からは悲鳴にも似た声援が叫ばれ、サキュバスはその声援にがたがたと震えている。そして、地面の剣を取ろうとするものの、手が震えているのか一度それを地面に落とす。


『おおーっっと、いつにも増して調子が悪いぞ!? 大丈夫かぁ!?』


 陽気な声の煽りもあってか、サキュバスは再び錆びついた剣を拾い上げ、震える手でその剣先をこちらに向ける。俺はそれをぼんやりとした視界で捉える。そして、再度眼下の錆びついた剣へと視線を戻す。


(殺らなきゃ、殺られる……か)


 周囲の音を遮断され、相手の事など気にも留めずに考え込む。視線はただ一点、眼下にある錆びた剣に止まったまま。


 仲間の死、敵の死、自身の変化、殺し合いをさせられる現状。


 今までの出来事が脳裏を駆け巡り、そして自身の無力さに打ちひしがれる。



 まだ生きようとしているのか?


 仇と定めた相手の前では足がすくみ、あまつさえ10にも満たない歳の少女に守られ、何が復讐だ! 


 復讐も果たせず、立ち向かう事も出来ない。


 何も守れず、ずるずると生き続けた俺に何の価値がある!?



 脳裏に自身の声が聞こえる。その声は己を罵倒し、卑下するもの。


 無力さを痛感して、周りを犠牲にしながらなおのうのうと生き続ける自身に対しての罵声。



 そして数分後、いや、実際には数秒しか経っていないのかもしれない。だが、その数秒で自身の中にある一つの結論を出す。逃げともとれる結論を導きだす。


 俺はその視線を動かすことなく眼下の錆びついた剣を持ち上げる。そして、剣の柄を持ち、その剣先を自身の胸元へと向ける。


 どうせいらない命だ。それなら今失っても悪くないだろう。


 俺は剣先をゆっくりと胸元の中心の地肌へ付け、柄を持つ手に力を込める。


 『生き……て……くだ……さい……』


 一瞬、脳裏をアビーの言葉がかすめる。だが一瞬躊躇するものの、自身を逃がすためだけの決意は完全には揺らぐことなく、柄に込めた力を更に強くする。


「……アビー、ごめん」


 俺は思っている以上んあっさりと剣を胸元へと突き立てる。剣は錆びついているにもかかわらず、あっさりと胸に吸い込まれていく。



 後悔はある。


 悔いもある。


 だが、それを晴らすことはもうできない。



 俺は胸の痛みを自覚しながら倒れる。そして、背中が地面に着くと同時に意識を失った。


・・・


 アキラの突然の行動に場は静寂に包まれる。一瞬の静寂の後、少し動揺した陽気な声が闘技場コロシアムに響き渡る。


『……お、おおっとぉーー!! なんとなんと、ネームレスの自害だぁぁ!! よって勝者は、大番狂わせ! 同族殺しのサキュバスだぁぁぁ!!!』


 陽気な声が言い終わるや否や、周囲は歓声と悲痛な叫びに包み込まれる。あるものは隣の人と抱き合い、あるものは何度も自身の膝を叩き、あるものはアキラに向かって届きもしないゴミを投げつける。闘技場コロシアムのいつもの光景だが、今回は大番狂わせという事もあってか悲痛な叫びを上げる者が多い。人によっては全財産をこの試合に掛けた者もいる筈で、ゴミを投げたい気持ちも分からなくもないだろう。だが、掃除する羽目になる彼にとってやめてほしいのが本音だろう。


 浅黒い肌の男は溜息を吐きながら上げられつつある鉄格子を潜り、アキラの様子を伺う。


 アキラは僅かに胸を上下させてはいるものの、その胸に突き立てられた剣の端からは血がにじみ出てきており、普通ならば放っておいてもあと数分といったところだろうか。


「結構かかったのになぁ」


 浅黒い肌の男は再び溜息を吐きつつ、胸に刺さる剣を抜く。そしていつもの様に腰に下げた剣を抜くと、その剣先を躊躇なくアキラの左胸へと突き立てる。だが、


「あれ?」


 浅黒い肌の男は首を傾げつつ全く血の付いていない自身の剣とその剣を振り下ろしたアキラの胸元を見る。アキラの胸元に生えている黒い鱗はそこそこの力を入れて突き立てたにもかかわらず表面を引っ掻いたような跡が残るのみ。そして、その視界の中の、錆びた剣の突き刺さっていた場所の傷からはいつの間にか血の一滴も流れていない。


「……これは……!!」


 浅黒い肌の男の脳裏にとある考えが閃く。男はそれを実行に移すべくアキラの鱗一枚を丁寧に切り取ると、未だ罵声の鳴りやまないアキラを担いで鉄格子の向こうへと歩いて行った。

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