最終章 再生の苦痛 終わらない地獄
第38話 ばけもの
『や、やめてよぉ!!』
俺は声を大にして叫ぶ。だが、すでに砂やゴミですでに汚れていない場所のない、ボロボロになった体に周囲の同い年くらいの子供たちは容赦なく汚い靴の底で蹴りつける。
『やめて……やめてよぉ……』
『うるせー!! おまえキモいんだよ!!』
初めは大きく虚勢を張っていた声も、次第に小さくなっていく。だが、それでも周囲の子供たちの蹴りつける足の勢いは止まることを知らない。
『うぅぅ……やめ……ひっく……やめてよぉ』
『うわ、こいつ鼻水出してやんの』
『きったねー』
とうとう自分の限界を超え、その眼や鼻からは出したくもない液体が溢れだす。その涙は蹴られる痛みよりも自らの悔しさから出てしまったもの。それだけこの一方的にやられている状況が悔しくて仕方がない。
『おい! やめろぉ!!』
そんな悔しさに涙しつつ体に走る痛みに耐えていると、突然鳴り響く大きな声と共に今まで自分の身に降りかかっていた衝撃が止む。
『あぁ? なんだよテメー』
リーダー格の子供が子供なりにドスノ利いたような声を出す。だが、大きな声の主はそれに返事をせずにこちらに走ってくる。
俺はギュッと目を瞑る。もしかしたらいじめっ子たちの増援なのかもしれない。 もしかしたら自分のせいであの子もいじめられるのかもしれない。そう感じ、その先の出来事を直視したくなくなったため、目を閉じた。
『いっつつ……おい、大丈夫か?』
頭上から声がする。恐る恐る目を開けると、大きな声の主がこちらを見下ろしている。その顔は泥だらけで、来た時には整っていたはずの髪もぐしゃぐしゃ。服はもちろん背中に背負ったランドセルもどこか歪んでいるような印象を受けた。
俺は今まで自身の身体を蹴っていた子供たちの行方を目を泳がせて探すと、その子供たちはこちらに背を向け、捨て台詞を吐きながら逃げていく様子が見えた。
『なぁ、聞いて……いって』
口の中を切っているのであろう。声の主は手を頬に当てる。だが、痛みで一瞬引きつった顔は呆然とする俺を見ると笑顔に変わった。
『大丈夫そうだな、ほら、立てるか?』
声の主は手を差し伸べる。ようやく現状を飲み込めた俺は相変わらず呆然とした顔のまま、その手に自分の手を乗せた。
『よっと』
立ち上がり、改めて顔を見る。声の主はボロボロながらにその純真な瞳を真っ直ぐ向け、こちらの目の裏側までも見ようとしているのではないかと思うほどに見つめてくる。
『あ、ありがとう……ございます』
『うん、名前は?』
見つめられなんだか恥ずかしくなり、思わず目を逸らす。そして、ようやく感謝の言葉を絞り出す。だが、声の主はそれに一つ、満足げに頷くと、相変わらず純真な瞳をこちらに向けながら名前を問う。
『えっと……
ぼそりと、声を発する。風に吹かれればすぐに消え入りそうな声だ。だがそれを聞くと、声の主は満足げに頷き、俺とは打って変わってハキハキとした声で返事を返す。
『あたしは
そういうと、彼女はにっこりと満面の笑みを浮かべた。
・・・
「うっ……うぅぅ……」
身体からくるヒリヒリとした痛みと体内を走る僅かな痺れを感じながら、重たい眼を持ち上げる。
(……夢……か)
未だにぼんやりとする視界のピントを合わせながら先ほどまで見ていた夢の事を思い出す。あれは小学生の頃だっただろうか。公園で何度も足蹴りされていた時、助けてもらった記憶だ。それは最初で最後の助けだったが、あの時はとても嬉しかった。
(
いつの間にか忘れていたその名前をポツリと頭の中で復唱する。あいにく同じ学校だった彼女はすぐに転校してしまったらしく、それきりの出会いだったのだが。たしかそこからだったか。1年くらい自分なりにいじめっ子たちに反抗して、いじめを止めさせようと努力したのは。だが、結果は敗北。抵抗空しく、いじめをより酷いものへと加速させただけだった。それからだ。無抵抗に、自身を殺し、いじめに耐えるようになったのは。
(彼女は今、何しているんだろう)
ふと、そんなことを考える。あの男勝りな彼女は今何をしているのか、女子高生か、大学生か、はたまた社会人か。そんな妄想に思いを馳せていると、ようやく市街地特有の喧噪と共に耳に誰かの話し声が入ってくる。
「……すねぇ。ま、こんな魔物見たことありませんですし、色付けときますんで」
「ありがとうございます。では、僕はこの後用事がありますのでそのあとまたここに来ます・金はその時に」
声の方向に目を動かすと、格子の向こう側、何かの建物の入り口で2人の男が夕日でも浴びているのか、顔と後頭部を橙色に染めながら何やら話している様子が伺える。片方はあまり好感の持てない顔だちをしており、質の悪い服を着ており、ゴマをするかのように手を揉んでいる。もう一人は白銀の髪に感情のこもっていない印象を受ける笑みを浮かべるどこかで見た覚えのある男。
しばらく思案して、薄気味悪い笑みを浮かべる男が去った頃、その男が闘技場であったデッシュであることを思い出す。声を掛けようと辺りを見回そうとするが、身体が思うように動かない。
「さってと、今度の魔物ちゃんはいくら稼いでくれるかな♪」
男は格子の向こうからこちらを凝視する。その瞳からはこちらの様子を伺ったり、警戒している度合いを確かめたりするものでは無く、なにか値踏みでもされているかのような視線を感じてしまう。
「お、起きたか。それにしても……うーん、ほんとに初めて見る種族だなぁ」
「あ、ア゛ウ゛アァ……」
今置かれている状況がいまいち掴めず、目の前の男に声を掛けようとする。だが、それも舌先に感じる痺れと共に呻き声へと変換されてしまう。
「お、鳴けるのか」
「うあ゛ぁ゛……お゛ぁ……」
「……さすがの痺れ薬だなぁ。ピクリともしない」
再度声を出そうと試みるが、それもまた空しい呻き声へと変わった。男は俺への興味を無くしたのか、それとも別の仕事があるのか視界の隅へと消えていく。男の行方を追おうとしても思うように首が回せない。
「グゥゥゥ……」
唸り声しか出ない声を上げながら呆然としていると、突然床が動く感覚に陥る。だがそれは目の前の景色が移動したことによって実際に動いている事を理解する。
景色は建物の中へと移動していく。建物は石レンガで造られたズッシリとしたもので、俺は壁を見ながら移動する景色を見る。
時折人間を見かけるが、それは恐らく俺を入れているこの格子の檻を運んでいるであろうあの男にあいさつするのみで、俺には訝しげな視線を送るのみだ。
「おう、お疲れぇ」
「お疲れぇ。何仕入れたんだ?」
馬車が止まり、進行方向で何やら話し合いが始まる。先ほどとは打って変わって鉄臭い臭気に顔を顰めつつ、回らない首で必死に何をしているのかを眼球を動かして探す。視界には二匹の輓獣であろう馬がおとなしく止まっている。
「じゃ、俺はこれバラしてくるから」
「ああ、ちゃんととどめ刺しとけよ」
「分かってるよ。今晩酒場な」
どうやら会話が終わったらしく馬と俺を乗せた檻がお互い逆方向に動き始める。
「……!?」
馬が通り過ぎ、その馬が運ぶ荷台へと視界が変化する。その荷台に乗っているのは死体。人の身体に牛の頭をもつ2mを超える大きさのそれは、今やかつて生きていたであろうその巨体をピクリとも動かさずに身体中、特に首元から大量の血を流しながら横たわっている。
「……う゛」
死体を視界に納めると同時にここに来る前の記憶が蘇る。リザードマンやフロッグマン達が殺され、アビーが殺され、そして、ブレイブが自殺した記憶。それらの記憶が蘇り、胃から酸味の強いものが込み上がってくる。
「……ふぅ」
何とかこみ上げたそれを飲み込み再度前方を見るが、すでに死体を積んだ荷馬車は通り過ぎており、視界は石レンガの壁で埋まってしまった。
「……クッソ」
蘇った記憶を思い出し、どうしようもない、すでにぶつける場所の無くなった怒りを内に秘めながら、何もできない身体でただ過ぎ行く石壁を見つめる。
さらに時間が過ぎ、俺を運ぶものが地下に降りた後、動きが止まる。眼を覚ました時にいた男が俺の目の前を通り過ぎる。そして、錠の解除音が鳴り響き、俺の身体が何かに突かれる感触を感じる。
(……?)
どこか、何か違和感を感じながら動かない身体を動かさないでいると、金属同士が擦れるような音と共に身体が何かによって持ち上げられる。
「こっちに運んでくれ」
「うっす」
頭上、恐らく俺を運んでいるであろう人物がデッシュとなにか話していた男の声に野太い返事を返すと、その人物は俺を運んでいく。俺は男を視界に納めながら運ばれていくと、2枚の分厚い扉を潜った後に檻がズラリと並んだ部屋へ到着する。
「ここに入れてくれ」
「うっす」
むわりとする臭いを鼻に感じつつ、運ばれる際に檻の中を見る。檻の中にはゴブリンやリザードマンなど先ほど見た牛頭の生き物に比べあまり大きくない生き物たちが種族ごとに檻の中に収容されている。
「よっこいせっとぉ」
「カハッ」
俺を運んでいた人物に檻の中に放り投げられる。壁に叩きつけられた衝撃で肺から空気が出ていく。そして、耳には金属同士がぶつかった音が鳴り響いた。
「ご苦労。それじゃ、また警備に戻ってくれ」
「うっす」
俺を運んだ筋肉隆々の男はどこかへ去っていく。デッシュと話していた男は俺を一瞥すると林檎のような果実を2つと生肉を俺の目の前に投げ入れ、檻を閉めてからどこかへ消えて行った。
「なんだあの生き物?」
「どうでもいいだろ、そんなの。重要なのは俺たちでも殺せるかどうかだ」
「痛ぇ……痛ぇよぉ」
「ああぁぁああぁぁぁ……」
「もうやだよぉ……助けてよぉ……」
(……!?)
周囲からは諦めにも似た絶望感を感じさせる暗い声が響き渡る。だが、俺はすぐさまそんな声など聞こえない程に頭の中が驚愕で包まれる。
(なんだよ……これ……。俺の……手……?)
未だに動かない首を必死に動かそうとしつつ眼球を様々な方向に向ける。視界に入ったのは黒い鱗に覆われた俺のと思われる仄かに黒い霧のようなものが漂う腕。頑丈そうな枷の付いている腕からは最低でも視界に入っている部分全体から黒い鱗がびっしりと生えており、鱗の生えていない手の平は薄い緑色をしている。
自身の現状に急激な不安を感じ、眼球をめまぐるしく動かす。そして、その視線はある一点に釘付けになった。
(おい……なんだよ……どうなってるんだよぉ!?)
視線の先、俺の手首に付けられた枷には俺の顔が映っている。だが、その顔はかつて鏡や水面で見たそれとは決定的に違う。鏡の代わりとしては少し小さな枷には人間のものと同じような形の顔全体からは腕と同じような鱗が肌色の地肌からびっしりと生えている。頭には黒い髪の毛の他に角のような何かが先の尖った耳の上あたりから後方へ伸びている。
(これって……まさか……)
俺はその鱗や腕の地肌の色に見覚えがあった。それはズメウの鱗やギガの肌の色によく似ている。いや、似ているというよりもそれそのもののような印象を受けてします。
(そんな……俺は……)
もはや人とは呼べない異形のものと化した、化け物としか言いようが無い自身の顔を見つめながら、ある結論に辿り着く。
食ったのか……? ギガを……みんなを……。
そんな記憶は俺にはない。だが、それでもこの自身の状態を見るとそうとしか思えない。だが、何度瞬きしようとも俺の顔は以前の肌色の地肌のものに戻ることはなかった。
「あぁぁ……ああぁぁぁ……ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!!」
すでに生きる意味を見失ったはずの俺はその眼前の納得しきれない事実に対して絶叫する。だがその声は空しく響き渡るのみで現実を変えることは無い。
「うそ……だろぉ……ううぅぅぅ……」
視界が自然と出た涙でぼやけてくる。そして、目の前の化け物の顔も同じく歪んでいく。
「うううぅぅぅ……」
恐らくその日一晩中、俺は泣き明かした。受け止めきれないこの現実に対して、この人間ならざる異形の姿に対して。
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