第36話 崩壊
よくドラマや小説で悔しさ、悲しさをバネにして生きる物語がある。
そんな物語では大抵、どんな理不尽な状況に立たされても、主人公と呼ばれるポジションの人間は大抵、どんな困難もめげずにあきらめずに乗り越える。
だが、正直そんなものはあり得ない。少なくとも一般人である俺には、耐えられない。
・・・
眼下に二つ目の血だまりができはじjめる。ピクリとも動かなくなった
「嘘……だろ……?」
ようやく吐き出せた言葉はそれだけだった。その言葉を吐き出せたのは眼下の血だまりがアビーのものと繋がり、さらに時間が過ぎた後だった。
何故、
だが、それでも何故か
「おい……起きろよ……」
アビーの体をゆする。だが、すでに体温が無くなり冷たくなった彼女は当たり前の様に反応が無い。
「おい……おい……」
今度はブレイブの身体をゆする。だが、奴の身体もアビー程体温が抜けきってはいないものの、彼も当然の様に反応は無い。
「なぁ……おい……返事してくれよ……返事……してくれよぉ!!」
俺の声は空しく湿地を駆け抜ける。だが、そこに返事を返すものはいない。
誰も……いない……。
「なぁ……おい……誰か……」
嗚咽と共に言葉が漏れる。だが、視界に映るのは月明かりが照らす湿地の光景。斬死体、焼死体、死体、死体、死体……死体。
「なぁ……誰……か……」
生命の息づいていないその光景は俺に希望を与える筈もなく、暗澹たるその心内に拍車をかけるように、より一層心が深く沈んでいく。
何故、こんなことに
どんな理由があって、こんなことに
一体……誰のせいで……
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!」
咆哮と共にただ、自問していく。そして、それに対する答えを理解できない。見つけることができない。だが、それでも目の前の惨劇を起こした人間は分かっている。それを見ていたのだから。それを聞いていたのだから。
そうだ、これを起こしたのはこいつだ。こいつのせいだ。
眼下にある
「そうだ……こいつが……」
一度考え出した思考は止まらない。それを止める者は、もういない。
「殺らなきゃ……殺さなきゃ、いけないんだ……」
止まらない思考、止められない思考はまるで目の前の現実から逃げるかのように進んで行く。そして、深く、深く落ち込んだ思考は目の前の視界を狭め、縛り、固定していく。そして、とめどなくあふれる涙が濡らす頬は深く、醜く、歪んでいく。
「……アハ……アハハハ」
そこからの記憶は……無い。
・・・
――同刻
アキラが奇妙な笑い声を上げる中、その遥か向こう側、草陰に潜む人影が一つ。闇に紛れるために着込んだ全身の黒装束に頭をしっかりと覆う黒いフード。口元をすっぽりと覆った黒い布の隙間からは切れ長の眼。ふーふぉの隙間からは白銀の髪が月明かりに照らされてキラキラと妖しく僅かばかりの光を反射している。
人影の正体は、デッシュ・アルバート。ブレイブをこの地に呼び出した後、その様子や状態、後始末をするため敵味方問わずばれない様に遠方から
デッシュが草陰からブレイブの様子を観察し始め、かなりの時間が経過した。ブレイブは思惑通りリザードマン達を殲滅のみで無く、捕えられていた人間たちでさえ殺してくれた。
今回の実験は上々だった、途中までは。
だが、それはブレイブの突然の自害によってデッシュはこの実験の失敗を悟る。
「あーあ。何がいけなかったんだろ」
デッシュはまるで他人事のようにぼやく。いや、彼にとってこの監視は命じられた任務の一つであり、実際彼にとっては他人事なのだが、それでも目の前の惨劇を見てこう言えるのは彼の人間としての根本的な部分にあるのだろう。
「エヘッ……アハッ……殺すんだ、殺せばいいんだぁ!!」
「あら? 何やってんだあれ……? 壊れたのかな?」
デッシュは眼前の光景を
かつて殺意に満ち溢れた男の声は今や甲高く、喜劇を演出するピエロのような笑い声と、それにに交じる嗚咽。この遠距離であるにもかかわらず、その声はデッシュの耳元まで届いていた。
だが、それ以上に彼が目にしている光景はそんな声など気にならないほどに異常だった。
「あれじゃ顔ぐっちゃぐちゃになっちゃうよ」
彼の目に映る光景は常軌を逸した光景だった。地面に涙の滴を垂らしながら高らかに笑うアキラは、ブレイブが自ら首に突き刺した剣の剣身を手に持ち、何度も、何度も、何度もブレイブの頭に突き刺している。
そして、その手から感じるであろう痛みなど感じないとでも言うように、その手から滴る血を自分に、あるいは周囲の死体や地面にまき散らしながら、涙を流し、笑みを浮かべブレイブの顔面に突き刺している。
「殺す……殺すんだぁぁぁ!! アハハハハ……ヘハハハハァァ!!」
「……完全に心が壊れちゃってるなぁ」
その光景はまさしく狂気。
「やった! ……やったんだぁ!! アヒャッ、アヒャヒャヒャッ!!」
未だに狂気に染まった笑みを浮かべるアキラを見て、デッシュはにんまりと笑みを浮かべる。
「まったく、綺麗に回収しなきゃななんだけど」
ふぅ、と息を吐き出し、その後鼻をくすぐる血の香りを目いっぱい吸い込み、その香りに満足したのか再び笑みを浮かべる。
「そう思いますよねぇ?」
デッシュは地面を見下ろす。眼下には死体が一つ。心臓を一突きされ息を引き取ったその死体は、身に纏う牧師服を血の赤で刃物の形に傷口の開いている胸元を中心に染めていた。
物言わぬ死体は返事を返すことなく、すでに冷たくなった体を地面にその身を横たえる。
この死体、クルトンは数刻前、ブレイブをこの地に呼び出す前にデッシュが殺害したものだ。すでに死んでしまったブレイブの存在を明かすことは女王によって禁じられており、この湿地に来た人間たちが生きていればエリーゼはブレイブの使用を認めなかっただろう。その為、ブレイブの使用に当たってデッシュは湿地に潜んでいたクルトンを殺害した。
「しっかしまぁ、あっさりと殺られてくれて助かりましたよ」
死体となったクルトンに再び問いかけるが、もちろん返事は無い。だが、そんなことは関係ないとでも言うかのようにそれでも彼の独り言は続く。
「僕の見立てではもっと強いと思ったんですが……。正直、少しお手合わせしたかったところです。到達者かもしれませんでしたしね」
言いたいことは全て言い終わったのか、デッシュは、ふぅ、と息を吐き出す。
「さって、回収と行きますか。それに目撃者は殲滅しなきゃですからね」
音も立てずに立ち上がったデッシュはどこからか剣身の黒い短刀を取り出す。短剣はその材質とは対象に月明かりを反射することなく闇に溶け込む。
すたすたとアキラの元に何気なく歩き始めたデッシュだが、その足元が奏でる音は全くないと言ってもいいほどに小さく、湿地に点在する水溜まりに足を踏み入れる際も水面に僅かな波紋を作るのみ。
静かに、だが確実に距離を詰めていくデッシュに狂気に染まったアキラが気付くはずもなく、一歩、また一歩と距離が詰められていく。
(……ん?)
だが、その距離が残り200m強となった時、アキラの頭上に2つの光がフッと現れる。
(なんでしょうか……あれは?)
身を隠すことのできないこの場所で、デッシュは可能な限り見つかりにくくなるように身を屈める。気休め程度だが、それでも気配をほとんど消せる彼ならば簡単には見つからない。
アキラの頭上に浮かぶ光は小さく、片方は白く、片方は黒い光を放っており、その2種類の優しい光で周囲をどこか不気味に彩っている。
デッシュはじっとその場を動かずに観察する。光は何かを話すようにその光を時に明るく、時に暗く、呼応するように反応している。そして僅かな時間の後、話のような何かが終わったのか、光はその光度を一定にする。
(いったい何なのでしょうか?)
デッシュは謎の光に興味が湧き、それに接近する決意をし、静かに音を立てずに立ち上がる。そして、デッシュが光に近づこうとしたその時、
(……!?)
白い光が突然その光度を増し、輝きだす。デッシュはそれに目を細めながらも、視線を逸らすまいと瞬きひとつしようともせずにその様子を警戒しながら監視する。
(なんでしょう……魔法ですか? ……眠い)
光を浴び始めて数瞬後、自分の内側から突然眠気が湧きあがってくる。そして、その眠気は次第に強く、自制では我慢できない程大きくなってくる。
(……ま……ず……い)
こういった魔法に対して耐える訓練を行ったデッシュ。だが、その強力すぎる眠気に抗えるはずもなく、深い睡眠状態に陥った。
眠りについたデッシュはこの静寂には似つかわしくない派手な音と共にその身を地面へと叩きつけ、横たえる。
周辺には静寂が広がる。先ほどまで笑い声をあげていたアキラの声も今や聞こえず、死体広がる湿地には優しく光る2種類の光が、辺りを不気味に彩るのみ。それ以外に動く者はいない。
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