第35話 依存

 別に正義感が強いわけでは無い。


 ただ、同じ境遇の奴隷たちを苦しみから解放したいだけだった。エリーゼ様もそれに同意してくださった。


 それなのに、何故……?


・・・


 私、後藤 英雄ごとう ひでおはごく一般的な家庭に生まれた。特にこれといった不自由もなく、学生生活も友人に恵まれ、大きな不安などとは無縁の生活をしていた。そんな16歳のあの日、部活が終わりべたつく汗を流そうと風呂場に向かっていると、突如地面が円状に輝きだし、気が付くと岩肌がむき出しの薄暗い空間に裸で立っていた。


 ベタつく汗やむき出しの岩肌の側に私を囲むようにいる人たちの視線に不快感を感じていると、目の前にいる白髪にタキシードのようなものを着ている男がこちらに近づいてきた。


「拘束を」


 男の言葉と同時に全身にずしりとのしかかる重み。指一本とはいかないまでも僅かしか動かせなくなった身体を動かしながら、目の前の男を睨み付ける。だが、男はそんなことを気にも留めずに俺の首に枷を取り付け、金属製のプレートの付いた皮ひもを首に通す。


「ふむ……なかなか良い素体だ」


 ここでの生活はそんな男の言葉から始まった。




 生活は厳しいものだった。


 鉄製の檻に居住場所を移された私の食事は固いパンに野菜くずで作られた水のようなスープ。貧しい食事に居心地の悪い居住場所。ただでさえひどい環境下でストレスのはけ口の様に鞭打ちを浴びせられる毎日。次第に私の心はすり減っていく一方だった。




「いい出来だ」


 一か月ほど経過したある日、白髪の男が再びやってきた。その頃には抵抗する気力も無くなった私に男はこちらに品定めをするような視線を送ると、檻を開け、無抵抗な私を連れ出した。


 連れ出されタ場所はオークション会場。私は他の奴隷達と共にまるで商品を陳列されるかのように会場のステージに立たされた。競りが始まり、次々と私と同じ人たちは売られていく。この頃はこの国の硬貨価値が分からなかったが、今思えばかなりの値段が付けられていた。


 そして、他の人たちがすべて売れた後、私のオークションが開始された。だが、オークションはすぐに終わった。


「その者、わたくしが買いましょう」


 開け放たれた扉の向こうにいたのは後の自分の主人になるこの国の女王、エリーゼ様その人だった。




 それからの生活は前に比べればとても素晴らしいものだった。私自身、最初はエリーゼ様の事を疑っていた。鞭を打たれるのではないか、ゴミの様に扱われるのではないか、と。


 だが、エリーゼ様はそんなことはせずに私をすぐに枷から外すと、温かい食事と柔らかな服、住みよい寝床にこの国に馴染めるような新たな名前を与えてくださった。


 エリーゼ様は女王という立場もありいつも何かをしていらした。そのため最初の一年間、私はこの国についての学を身に着け、剣技や魔法を訓練した。そのことにエリーゼ様は喜ばれ、私には才能があったらしくすぐに実力を身に着け、エリーゼ様は私を直属の護衛にしてくださった。


 それからの日々は大変だったが、とても充実したものだった。


 エリーゼ様は女王の身でありながら私の希望であるを聞き入れてくださり、私はそのための手や足となって動いた。そして、この町から多少なりとも奴隷というものが減っていったように感じられ、エリーゼ様もそれを喜んでくださった。


 エリーゼ様は立場上主立って動くことはできず、また、女王でありながら権力は夫の国王陛下が大半を持っている為、大きな動きはできなかったがそれでも私は助けてくださったエリーゼ様の為にも働いた。


 それが、私の幸福だった。


 エリーゼ様のために行動し、エリーゼ様に恩返しをするために働いた。


 そうして、4年が経った。


 国に馴染み、人に馴染み、酒をおぼえ、知人ができ、いつしか暮らしていた故郷の日本での記憶がここでの記憶に上塗りされ始めた頃、彼に出会った。


「……あんた、この世界の人間じゃないだろ? ……後藤 英雄ごとう ひでお……だったか?」


 彼は話す。5年ぶりに耳にした私の、後藤 英雄ごとう ひでおという名前と共に。


 彼も私と同じく召喚された者だった。そして、彼は……私を殺そうとした。


 彼は私を憎んでいた。恨んでいた。その実力こそ大したことは無かったものの、殺意は本物だった。


 そして知った。私が良かれと思ってやってきたことが彼には、彼らには悪だったという事を。エリーゼ様に対する疑念までも。


・・・


 暁のいる牢屋の前で気を失った私は気が付くと王城の一室、エリーゼ様の部屋の中央に立っていた。


 装備は暁と話をした時のまま。牢屋の前からいつの間にか王城まで来ていたようだ。


「どうかしましたか?」


 豪華絢爛な装飾の施されている部屋の中央で立ち呆けていると、エリーゼ様の声が耳に入ってくる。声の方向の正面を向くと紅のチョーカーに真紅のドレスを纏ったエリーゼ様が立っていた。


「……あの……私は……何を?」


 あまりに急な事に意味のある言葉を発せないまま呆然と立ち尽くしてしまう。


「ブレイブ、大丈夫ですか?」

「え、ええ……」


 エリーゼ様はこちらに優しく微笑みかける。相変わらずお優しい方だ。


「す、すみません取り乱してしまって……」

「いえ、良いのです。しかし、何かあったのですか?」

「それは……」


 思わず言葉を詰まらせる。自分を殺そうとした者の元へ行き、あまつさえその者の言葉で命の恩人であるエリーゼ様に対して疑念を抱くなど、許されるはずがない。だが……、


「エリーゼ様は……本当に奴隷解放をお望みなのですか?」

「……どういうことです?」


 上流階級によくみられる癖だろう。エリーゼ様の表情は変わらないものの、気のせいか一瞬凝視しなければ分からないほど僅かに瞳の奥を曇らせる。


「エリーゼ様がお忙しいのは分かっております。しかし、いくら権力が無いとはいえ自由にできる財はかなりのもの。それを使えば壊滅にはならないまでも相当数の奴隷を苦しみから解放できるのではないのでしょうか? それに加え――」

「……限界……ですね」

「……え?」


 エリーゼ様は笑みを崩し悲しげな表所をこちらに向ける。だが、そんな主の表情に心を痛ませながらも今なお感じている疑念は消え去ることはない。


「ブレイブ、あなたはわたくしを疑っているというわけですね」

「え……はい、そうなります」

「そうですか……力になれず、申し訳ありません」

「や、やめてください! そもそもこうして疑うこと自体おこがましいことです!! 顔を上げてください!!」


 エリーゼ様の突然の謝罪に動揺し、瞬時にそれを止めるように言葉を発する。エリーゼ様は目元を潤ませながら顔を上げた。


「疑ってしまい、申し訳ありませんでした。エリーゼ様さえ良ければの剣となり盾となりましょう。なので、これからもお側に置いてはいただけないでしょうか?」

「ええ、もちろんです。わたくしもこれからより一層奴隷解放に尽力すると誓いましょう」


 エリーゼ様は涙をぬぐい、笑ってみせる。いつも見る笑顔だ。その笑顔に少し安心する。


「……ブレイブ、わたくしと共に来てほしい場所があるのですが、よろしいですか?」


 涙をぬぐった後、エリーゼ様は私を真っ直ぐと真剣な眼差しをこちらに向ける。


「はい、もちろんです」

「では、こちらに」


 エリーゼ様に連れられ、階下へと降りていく。下へ下へと降りていき、地下の部屋の前に到達する。部屋の扉は重厚な鉄の扉に閉ざされている。


「ここは……?」


 エリーゼ様は私の問いに答えることなく、扉を開ける。扉はその重さを示すように地面との間から重厚な金属音が鳴り響いた。部屋の中は周囲に埋め込まれている仄かに、どこか不気味に輝く光の宝珠ライトパールが部屋の地面の大部分に描かれている大きな魔法陣を照らしている。


「こちらへ」

「エリーゼ様、これはいったい……?」


 周囲を見渡しつつエリーゼ様に問いかける。えいーぜ様は魔法陣の中央に着くとこちらにくるりと振り返り、真剣な眼差しを向ける。


「……すみません」

「……へ?」


 その言葉を皮切りに足元の魔法陣が光り出す。そして、私の意識は真っ白な光と共に薄れていった。




 そして、次に意識を取り戻したとき、目の前には先ほどまで話をしていた暁、いつの間にか持っていた剣。そして、右手に感じる重みの元には剣に貫かれている少女が一人、視界に映っていた。


 眼前の光景は何が起こったのか理解できない私にも、その血をしたたらせる一人の少女がひと目で明白な事実を認識させる。


 人を殺した、と。


 思わず持っていた剣を地面に落とす。そして、ただただ泣き続ける暁に向かって助けを求めるように声を掛ける。


「……これは……私がやったのですか……?」


「……は?」


 暁はまるでそれが当たり前の事実とでも言うように言葉を吐く。そして、その短い言葉は私にという事実を、否定したい事実を否応なく理解させた。


「私が……やった……」

「てめぇ!? これだけ殺しておいて何呆けたこと言ってんだぁ!」


 暁は私に掴みかかる。彼の力無き抵抗により、ただ茫然と思考を停止しかけた私はそれにより思考を回復させる。


「これ……だけ……?」


 暁に先ほど言われた言葉を思い出し、後ろに振り返る。私の後方には多数のリザードマン達の死体があるものは首を切られ、あるものは焼け焦げた状態で所々に転がっている。


「くそっ……ぅぅぅ……」


 視線を戻すと、暁が地面に項垂れながら再び泣き始めた。


「そう……なのですか……私が……」


 ただただ言葉を垂れ流す。なぜここに居るのかは分からない。何故これほどまでの惨劇が起こっているのかも分からない。だが、認識し、理解し、事態を飲み込む。この惨劇は私が起こしたことだという事を。


「……私……が」


 決して自分自身の意思で行ったのではないと信じたい。恐らく、そのはずだ。だが、目の前の惨劇を私がつくりだしたのは暁の反応を見るに事実。


 仮に自分で起こしていないとするならば、これは誰かに操られて行ったのであろう。


 そして、自分を操った者で一番考えられるのは……


「エリーゼ……様……?」


 それが最も可能性のある。


 あの時、あの地下で操られた。そう考えるのが一番自然だ。あの状況でエリーゼ様が関わっていないのはあり得ない。エリーゼ様は私を利用した。


「あぁ……ぁぁぁ……」


 考えていくうちに恐怖を感じてくる。惨劇を起こせる自身の力に。それを自らで制御できていない現状に。誰かが自分自身の力を利用し、今後もこのような事を行うのではないかという憶測に。そして、己が最も信じ、仕えていた人間に裏切られたという考えに。


「私は……裏切られた……」


 ぽつりと、一言言葉を漏らし絶望する。自分の今までこの世界で過ごしてきた5年間は全て無駄だったのではと。何もかも意味が無かったのではないのかと。


 ふと眼下を見下ろすと、そこには血だまりを今なおつくる少女の遺体と、それを貫く一振りの私の剣。私は剣身を掴み少女から引き抜き、持ち上げる。


「……お前……何を……?」


 気配か何かに気付いたようで暁はこちらを見上げる。私は暁の声を無視し、手に持つそれの先を首元に向ける。


「や……やめろ……」


 剣先を眺める。様々な生き物の血で赤く染まったであろう剣先には、私の手の平から流れる血で更なる赤に染まっていく。


「……すまなかったな」

「やめろぉぉぉ!!!」


 ぼそりと暁に謝罪を述べ、手に持ったそれを自らの首元に突き立てる。


 全身の力が抜け倒れ行く最中、視界には私から噴き出したであろう血の赤に紛れて暁がこちらに手を伸ばしている景色が映る。


 彼には本当に悪い事をしたな


 意識は次第に薄れ、そして私の意識が再び覚醒することは無かった。

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