第34話 悪夢の再来

 恐怖は植えつけられた。


 あの時、何もできずに引き下がった自分の中には確かにブレイブに対しての恐怖が根深く侵食している。


・・・


 甲冑から逃げるようにして走り出してから数分、それほど離れてはいない距離にも関わらず、大量の汗を流しながら皆のところへと到着した。


「アキラ、何があったの? 悲鳴が聞こえたのだけど?」


 皆一様に不安げな表情をこちらに向ける。俺に近寄り言葉をかけたフルトもまた、こちらに不安げな顔を向ける。


「逃げろ……今すぐ、逃げるんだ……」

「……いったい何があったの?」

「それは……」


 皆の視線が集まる中、俺は言葉を詰まらせる。ふと、ズボンが引っ張られる感触がするのに気づき、視線を送るとアビーが不安げにこちらを見つめている様子が視界に入った。


 ギルや他のみんなの分、生きてくれねぇか?


 ズメウの言葉がよみがえる。そうだ、とにかく生きなければならない。足掻かなければならない。それは、生き残った者の行わなければいけないことだ。


 俺は息をいったん吐きだすと、心を落ち着かせる。


「敵が来てギガがやられた。今はズメウとレイニィが戦っているが、強敵だ。みんなを逃がしてくれないか?」


 落ち着いた口調でフルトにそう告げる。俺の言葉を聞き、フルトは頷くと、振り返り皆に向かって叫ぶ。


「皆さん! 敵が来ています! 私に付いて逃げてください!! これはズメウさんの命令です!!」


 明瞭かつ大きな声で皆に言い放つ。その言葉に皆、動揺は隠せないものの理解はしたようで逃げる準備を始めた。


「さぁ、逃げるわよ」


 フルトは再びこちらに振り向くとにこりと笑う。こんな時でも笑えるとは、気丈な奴だ。


「ああ、そうだな、急ごう」


 決してズメウの実力を過小評価しているわけではない。それに、ズメウがあの甲冑を倒してしまうかもしれない。そんな期待もあるものの、どこまで足止めできるかがわからない以上、急いでこの場を離れたほうが良いだろう。


「ところで、行く当てはあるのか?」

「ええ、祠へ向かうわ」


 アビーを背負いながら聞くと、フルトは指にはめたズメウからもらった金色の指輪を見せる。確か、転移魔法が込められたものだ。


「そういえば、それを使うとどこへ転移されるんだ?」

「楽園跡地よ」


 フルトは短くそう答えると、皆の誘導を始める。皆俺の前を行くフルトに続いて、慌てた様子で俺が来た反対方向へと走っていく。だが、その進行は即座に止まった。


「なに!? なんなのよこれ!?」


 フルトは。何の音も帰ってこないはずの空中からはまるで薄い壁を叩くような音が響く。


「……障壁か。どけ、人間」


 密集する仲間達の中から緑のリザードマンが俺を横に追いやるように乱暴にどかすと、壁に手を当て何かを呟き始めた。


「アビー、大丈夫か?」

「は、はい。大丈夫です」


 アビーを一旦降ろし、緑のリザードマンを観察する。リザードマンは切羽詰まった表情で壁をはしばらく見つめた後、舌打ちを一つする。


「ッチ、不味いぞ。かなり強力な結界だ」

「解除できそうですか?」

「難しいな、時間がかかる。別の道を探すぞ」

「別の道って……」


 壁は透明。仮に何か色がついていたとしても、この薄暗さでは何処が壁の無い場所か見分けがつかない。だが、皆言わんとすることを理解し、即座に抜け道が無いか探し始める。


「私はこれの解除をしよう。フルトも別の道を」

「ええ、分かっt……ぃつ!?」


 突如、足裏に痛みが走る。それは皆同じだったようで一様にその動きを止める。足の裏は焼け焦げ、皮がはがれかけているのが痛みと共に伝わる。


「な、なんだ……?」


 全身がしびれたような感覚に陥りながらも動きの鈍った体をゆっくり振り向かせる。


「……ブレイブ……!!」


 皆の視線の集まる先には、先ほどまでズメウ達と戦闘を行っていた、黒い甲冑を身に纏った人間、ブレイブの姿があった。ブレイブは地面に刺した剣を抜き、こちらへゆっくりと歩み寄ってくる。


「……ズメウさんが……やられた!?」


 フルトは信じられないとでも言うように口を押え、俺と同じようにブレイブを注視する。だが、その悲しげな表情を一瞬のうちに引締め、手を前に出とその先に細長い氷塊を出現させる。


氷槍アイスランス!」


 フルトの放った氷槍ひょうそうは真っ直ぐとブレイブの頭めがけて飛んでいく。が、それはあっさりと剣で弾かれてしまった。だが――


泥弾アシッドバレッド!」

切り裂く風エアスラッシュ!」

範囲回復ワイドヒール


 フルトの一撃により、皆弾かれたように次々に攻撃や回復魔法を掛けていく。力を持たない子供達は回復魔法を掛けられながら逃げ、武器を手に持つ者はその足の痛みにも構わずにブレイブに向かって咆哮を上げながら突撃していく。攻撃はどれも躱され、突撃した者たちは次々と切られていくが、それでもその無謀としか思えないような攻撃をやめようとする者はいない。


「……やめてくれ」


 脳裏をかすめるのはゴブリン達の死体と燃えゆく集落。逃げる者、戦う者、誰もかれもが無差別に殺されていく様。そして、目の前でも同じように向かって行く者はブレイブの剣によって、逃げ行く者はその剣先から放たれる炎弾によって焼かれ、死んでいく。


「……やめろ……やめろおぉぉぉ!!」


 次々と倒されていく仲間達。それを見ながらも竦んで動かない脚。脳裏をかすめる映像は、自らの足に逃げる事すら許さない枷を作っていた。


 自らの情けなさを嘆き、ただ叫ぶことしかできないでいる自分がそこにいた。


「……やめてくれぇ……やめて……」


 俺の声に耳を貸すものなどいない。皆、仲間を守るために自らの命を賭して逃げる時間を作る。だが、それもブレイブから放たれる無慈悲な業火によって焼かれていく。阿鼻叫喚の中、俺はただその光景を見ている事しかできないでいた。


「ああぁぁ……あぁぁ……」


・・・


  全滅。


 たった数分。たった数分で皆はブレイブの手によって殺された。


 逃げようと走った子供たちはまるでそれを許さんとばかりに放たれた炎弾によって、助けを求めるように透明な壁に縋り付く焼け焦げた子供達の死体に成り代わり、勇敢に立ち向かっていった者たちは剣戟によって物言わぬ存在と成り果てていた。前方には返り血を浴びながらも平然とこちらに向かってくるブレイブ。そして、その周りで死に絶えるフルト達。二度と動かない、物言わぬ存在となった彼らを見て、俺は思う。


――ここで死ぬんだ……と。


 諦めは早かった。いや、諦めざる負えなかった。彼らがこれほどまでに無残に殺されていく様を俺は見る事しかできなかった。彼らの様に命を賭して攻めることも。そんな彼らの命を無駄にすまいと必死で逃げて行くことも。何も、できなかった。


 こんな無価値で無意味で卑怯で臆病な自分が心底嫌になる。そして、その感情は自らの生を自らで否定した。


「……殺せ」


 目の前で仁王立ちをするブレイブにぽつりと、そう呟く。


 俺はここで死ぬ。


 何もできない俺はブレイブの持つ剣先をじっと見つめる。ブレイブは何か言うわけでも無くそのどんよりとした眼をこちらに向け、剣の切っ先を俺の心臓へと合わせた。


 もはや抵抗すら諦めた俺は眼を閉じる。刺される瞬間を覚悟し、しっかりとその眼に入る光を遮断する。


 そして――



 ドスッ



 心臓を貫く音が耳に入る。だが、俺自身に衝撃は無い。痛みもない。感じるのは一瞬前と同じ足の痛みと服の感触。


 何も感じないのを不思議に思い、恐る恐る目を開ける。そして――


「……ア……ビー」


 視界に飛び込んできたのは掬い上げるように剣で貫いたブレイブの姿だった。


 「なんで……なんでお前……」


 なんでアビーが刺されている?


 逃げて死んでしまったとばかり思っていたアビーは俺の目の前に立ちはだかり、その身を挺して剣を俺の寸でのところで止めていた。


「アビー……なんで……生きてたなら……?」


 まとまらない言葉を必死に絞りだし、アビーに問いかける。だが、アビーはこちらに振り向くと、吐血し真っ赤な唇を歪ませ、にっこりと笑った。


「生き……て……くだ……さい……」


 アビーは震える声でそういうと、糸が切れた様にその四肢と首に入れていた力が無くなり、その体はブレイブの持つ剣の柄へと滑るように移動する。


「え……? うそだろ……? おい……死ぬべきは俺……だろ……?」


 震える声で言葉を絞り出す。だが、アビーから返事は帰ってこない。


「あぁ……」


 アビーは死んだ。


「あぁぁ……」


 俺を助けるために。


「ああぁぁ……」


 俺が、生きる事すら諦めてしまったから。


「あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁ……!!」

 

 すっかり枯れてしまったと思っていた涙はとめどなく溢れ出す。


 だが、そんな悲痛な叫びは目の前の男から発せられる言葉によって中断される。


「……これは……私がやったのですか……?」

「……は?」


 顔を上げると、そこにはアビーと一緒に剣を地面に落とし、まるで信じられないとでも言うような表情でアビーの死体を見つめるブレイブの姿があった。

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