第4章 悪夢再び

第32話 無力な自分

 無力。ただ、無力だった。


 何も成していない、成す力も無い俺には死んでいった奴ら以上の生きる価値は無いだろう。


・・・


「うっ・・・・・・」


 湿地に吹く一陣の風が俺たちに戦場の臭いを運ぶ。集落の開けた場所、現在葬儀場となっているここは犠牲が多かったこともあり戦場となった場所と近く、今日あった出来事である戦いの臭いやその痕跡は線上にいなくても感じ取ることができる。


「・・・・・・亡くなったんですね・・・・・・いっぱい」


 顔を顰めつつもアビーに目をやる。アビーはそれ以上に眼前の光景に悪い意味で釘付けになっている。


 眼前にはリザードマン、フロッグマンの死体が刈り取られた草の上に泥がつかないように並べられ、その周囲にはリザードマン、フロッグマン達がそれぞれ松明を持って佇んでいる。


「ああ・・・・・・来たか、アキラ」


 俺に気が付き、ズメウとギガが近づいてくる。ズメウの片目は完全に閉じている。血はもう止まって入るものの目に入った傷跡の事もあり、二度と開かれることは無いだろうと素人目でも感じられる。


「こんなにも死んだんだな」


 草の上に横たわっている死体は20を超えている。いくつかの死体は死の調バンシーズボイスによって死んだ者たちだろう。彼らの体表に傷はほとんどなく、眠るようにして横たわっている。


 他の死体は外傷が酷い。全身を焼かれた者や四肢を切断された者。腹を切り裂かれ腸が全て体外に出てしまった者もいる。


 また、それは生き残った者たちも同じらしく、俺の様に四肢のどこかを切り落とされた者や体に刺し傷の跡を作っている者がおり、目の前のギガは右肩が焼け爛れたのかその薄い緑の肌は剥がれ落ち、ピンク色の真皮がむき出しになっている。また矢を受けたためか、体の矢傷が以前にも増して増えている。


「ギガ、大丈夫か?」

「ハラ、減っタ」

「・・・・・・そうだな」


 こいつだけは相変わらずだな。


 ギガのいつも通りの間抜けな顔に心持が少しだけ軽くなる。


「ズメウ、何か食いもんないか? こんな時で悪いが、ギガが・・・・・・な」

「んー、今供えてっからなぁ。もう少し待ってくれねぇべか?」

「ギガ、飯待ってくれるか?」

「ウ゛ゥ゛・・・・・・! メシィ!!」


 ギガは激しく首を振る。 先ほどの戦闘で疲れたのだろう。いつもよりも要求は激しい。


「はぁ・・・・・・分かったよ。ズメウ、戦闘場所には敵の死体はあるか?」

「あ、ああ。そのままだが・・・・・・」

「ギガにやってもいいか?」

「!? いいのか?」


 ズメウは眼を見開いて驚いている。その表情からは驚愕と少しの恐怖の感情が読み取れる。


「・・・・・・なにをそんなに驚いているんだ? 死体だぞ?」

「いや・・・・・・それもそうか。処理も面倒だ。好きにしてけ」

「ありがとう。ギガ、向こうの人間を食っていいぞ」

「んあ♪」


 ギガに指示を出すと、ギガは嬉々とした表情で戦場へと向かって行く。


「・・・・・・おめぇ・・・・・・すげぇなぁ」

「ん? そうか?」

「まぁ・・・・・・いいか。アキラ、それにアビーも。皆に別れを言ってくれないか? 人間のお前たちから祈りを捧げればあいつらも少しは報われると思うし」

「ああ、そうだな。アビー、皆に手を合わせてもらってもいいか?」

「は、はい。もちろんです」


 ズメウに連れられ死体の周囲に集まる。死体の周囲ではリザードマン、フロッグマン達が両の手の指を絡め、死んだ者たちに祈りを捧げている。


「アビー、気分は・・・・・・」


 アビーが心配になり、隣に視線を向けるとアビーはその瞳を静かに閉じ、周囲のリザードマンと同じように両の手の指を絡めながら静かに祈りをささげている。


 死体ばかりのこの場所でアビーの気分が悪くなるのではないかと持ったか、杞憂だったようだ。


「・・・・・・」


 アビーや周囲の者たちに倣い、片手でだが、祈りをささげる。


 鼻をくすぐるのは濃い血の臭い。


 目を瞑れば、先の闘いの風景が否応なしに思い描かれる。


 たくさんの者が人間により、あるいは作戦により身を賭して死んでいった。


 死ぬと分かっていて囮になった彼らの気持ちは分からない。


 彼らにどんな思いがあっただろうか。


 そして、俺を助けてくれたギル。


 胸を貫かれ、瀕死になっていた彼の中には’敵を討つ’という思いだけであの行動を起こしたのかもしれない。だが、仮にその行動に俺自身を助けるという思いが無かったとしても、俺は彼に感謝をしている、いや、しなければならない。


 だが、だからこそ今回の闘いでの如実に表れた自分の無力さが悔やまれる。


 もっと自分に力があれば、いや、力が無くてもあの時少しでも動けていれば・・・・・・。


 死者へ祈りをささげた後、顔を上げる。日本に住んでいた俺はこういった祈る機会が少ない。それに葬式と課にも行ったことが無い。その為だろうか。死者への感謝や謝罪等、一通り終わった後、何をすればいいのか分からず顔を上げてしまった。


 だが、アビーはそうでもないようで未だに熱心に祈りをささげている。同じくズメウも何か呟きながら祈りをささげていた。


 周囲を見渡すと祈りを終えた者たちもいるが、彼らも彼らで死者への手向けである供物を捧げたり、身内か友人だったのだろう。そっと死者の顔を見つめている。


 俺は何もできなかった。


 無力だ、無力だと終わったことをいくら言っても今は変わらない。だが、今回俺はズメウに助けられ、囮にもなれず、油断し腕を切り落とされ、死にかけのギルにも命を助けられた。俺がやったことは足止め程度。止めを刺すことすらしていない。


 本当に、無力だ。


「皆、おらより早く逝っちまうだよ」


 救ってくれた彼らの感謝と無力だった自分への後悔に奥歯を噛み締めていると、ズメウがぽつりと呟く。


「おらは十二分に生きた。だけんど、死ぬのはおらでねぇ。わけぇやつばっか死んじまう・・・・・・死ぬべきはあいつらでなくおらなのに・・・・・・」


 ズメウはいつの間にか顔を上げ、その開かれた瞳から一筋の涙を伝わせながら天に向かって語りかけている。


「生きている俺たちは・・・・・・」


 死んだ奴の為にも生きなければならない。


 そんな言葉がふと浮かんだが、後に続く言葉を飲み込む。何も成し得ない、自分の生きる目的すら見失っている俺にそんなことを言う資格は無いように思えたからだ。


「・・・・・・うん、そうだな、生きなきゃな」


 俺の言いたいことが分かったのだろう。ズメウはこちらを向くと、薄い笑みを浮かべる。


「だから、おめぇもギルや他のみんなの分、生きてくれねぇか?」

「・・・・・・ああ、そうだな。そうするよ」


 助かったんだ。助けられたんだ。だから、せめて誰の力も無くても、誰の助けにもならなくても、せめて生きる。それだけはしなけりゃいけない。そう、思った。


・・・


「アキラ、ちょっといいか?」


 死者への祈りも捧げ終わり、目に涙が溜まっているズメウが腕で目を擦りながら尋ねてくる。


「なんだ?」

「来てほしいとこがあるんだ。付いてきてくれ」


 そう言うと、ズメウは歩き出す。俺も付いて行こうとすると、誰かから袖を引っ張られる。


「どこに行くのですか?」

「すぐ戻る。フルトと一緒に待っていてくれないか?」


 俺はギルの側で静かに膝を折っているフルトを確認すると、彼女を指さしながら言う。アビーは納得はしていないものの、不服そうな顔で俺を見送った。


 場所を移動し、戦場へとやってくる。松明によって薄暗く照らされた戦場には人間の死体がまばらに落ちており、そこでギガが死体を貪っている光景が視界に入る。そして、視界の隅にはそんなギガの様子を引き気味に見ているレイニィと、その側で木の幹のような質感を持った植物に胴と足首をぐるぐる巻きにされているアンジュと他3人の人間が胡坐をかいた状態で眠っている。


「レイニィ、来たぞ」

「おお、ズメウ殿、アキラ殿、待っておったぞ」


 俺たちに気付いたレイニィは少し憔悴した顔をこちらに向ける。作戦とはいえ、彼は人間と共に仲間を殺した者の一人だ。やつれていても仕方がない。


「ズメウ殿、あれは放っておいても良いのか?」

「あ、ああ。暴れられても困るしな」


 レイニィはズメウに矛を渡しながら相変わらず引き気味にギガが死体を貪る光景を見る。ここからギガとの距離は少し離れており、ギガの体表は薄暗く照らされている為、とても不気味に見える。そんな光景だからか受け答えするズメウの表情も若干引き気味だ。


「で、これはなんなんだ?」


 ギガの様子を見続け、話が進まなそうなので座りながら眠りこけるアンジュを指す。ズメウ達は我に返ったようにこちらを見る。


「そ、そうであったな。こやつらを生かしている理由は、何故我々を殺そうとしたかを問いただすためだ」

「大体の理由は予想できるがな。せっかくお前がいるんだ。聞いてくれるか?」


 アンジュに視線を移す。地面に刺された松明に照らされているアンジュ達は暴れることもなく静かに眠っている。恐らく魔法か何かで眠らせているのだろう。


「それはいいが、また催眠をするのか?」

「いや、それがな、こやつらは訓練しているようで中々効きにくい。不可能であれば殺してしまっても良いが、可能であるなら今後の参考にしたい」

「わかった、やってみる。起こしてくれ」


 レイニィは頷くと、アンジュに手のひらを向ける。レイニィは何かをぼそりと呟くと、手のひらからぼんやりと青い光が放たれる。


「うっ・・・・・・うぅ・・・・・・ここは!?」


 光の影響によりアンジュは眩しそうに薄目を開ける。


「・・・・・・てめぇ」


 周囲を素早く確認するとこちらを睨み付けてくる。アンジュからはその躯体に似合わない鋭く、力強いものだ。相手が縛られているこの状況でも彼女から放たれる殺気からか少し萎縮してしまう。


「てめぇ、なんでブレイブを殺した!?」


 アンジュの怒号が湿地に鳴り響く。遮るものが無いせいか、声は反響することなく闇に消えて行った。


「俺は殺していないぞ」

「ッチ、最後まで言う気はないってわけか」

「殺してねぇって」

「じゃぁ誰がやったんだよ?」

「知らねぇよ。むしろ、殺せるなら殺したいくらいだ」


 俺は自分の本心を話すが、アンジュは信じてはいないようで俺への睨みを強くする。


「で、なにを聞きたい? 生かしているってことは何か聞きたいんだろ?」

「ああ、そうだ。聞きたい事は一つ。なんでお前たちは俺たちを殺す?」

「・・・・・・は?」

「だから、なんでお前らは俺らを殺すんだ?」

「邪魔だからじゃねーのか?」

「邪魔・・・・・・か」


 まぁ、そんなとこだろう。


 アンジュの口ぶりから、特段理由を知っている様子では無い。いや、もしかしたら特別な理由など無いのかもしれない。害獣駆除のように危険性があるため殺しているだけなのかもしれない。


 やるせない。俺たちがやったのはこんなに無意味な戦いだったのか。


「お前たちはそうやって殺されていく俺たちの気持ちが分かっているのか?」

「あ゛?」


 俺の問いにアンジュは訳が分からないとでも言うように返事を返す。


「さっき俺が何でブレイブを殺したか、そう質問したよな? 俺はあいつに仲間を・・・・・・ゴブリン達を殺された。全滅だった。だから俺はあいつをこの手で殺したい。それが理由だ」

「・・・・・・は?」


 アンジュは訳が分からないとでも言うかのように首を傾げる。


「お前・・・・・・ゴブリンを殺されたって・・・・・・そんだけの理由であいつを殺したのか?」

「それ・・・・・・だけ・・・・・・?」

「お前、ゴブリンっつったらあのしわくちゃの気持ち悪いのだろ? そんなのを殺されて恨むって、くだらねぇ」

「今・・・・・・なんつった・・・・・・」


 拳に力が入る。


 こいつの言っていることが分からない。こいつは今なんて言ったんだ? 


 アンジュはまるで俺の考えを汲みとるように叫ぶ。


「くだらねぇっつってんだよ!! そんな糞みたいな理由で何で殺し――」

「うるせぇぇぇ!!」


 左腕の拳に鈍痛が走る。眼前に居るアンジュの口端からは一筋の血が流れる。


「お前に! 何が! 分かるんだぁ!! お前らが! 何も考えず! 殺したからぁ!!」


 痛みに構わずに殴る。感情の高ぶりに任せて殴る。何度も何度も何度も――


「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・」


 気が付くと残った片手は血だらけになっており、目の前のアンジュの顔は鼻が折れ、目が腫れ、血が滲んでおり、燦々たるものになっていた。だが、それでもアンジュから来る刺すような視線は健在で、痛みには慣れているとでも言いたいのか挑発的に口端を歪める。


「気は・・・・・・すんだか?」


 後ろからズメウに声を掛けられる。振り返るとズメウは痛々しいものを見る目で俺を見ていた。


「あ、ああ。すまない」

「おい糞エルフ。そんなもんか?」

「くそっ――」


 アンジュに挑発され、更に振るおうとした拳をズメウに止められる。


「もうやめろ。残った手も使いもんにならなくなんぞ」

「・・・・・・ッチ」


 じんじんと痛む拳を下ろし、改めてアンジュを見る。アンジュは鋭い視線を送りながら俺に向かって血で赤に染まった痰を吐き捨てる。


「これ以上、こやつからは何も聞き出せないだろう。ま、お主の様子から有益な情報は聞き出せなかったようだがな」

「ああ・・・・・・そうだ」

「アキラ、ありがとう。後始末は俺たちがやるから戻って休め」

「ああ・・・・・・」

「あ? 逃げんのか? 糞エルフ」


 今度はアンジュの挑発には乗らずに踵を返す。そして、一旦ギガの方向を向き、ギガの様子を見る。ギガは相変わらず人間たちの死体を貪っており、変える様子はない。


 一人で戻るか


 そう心の中で決め、踵を返そうとした時、目の端が白い光を捕えた。


「おがああああぁぁぁあ!!!」


 ギガ声に驚き振り向いた俺の目に映ったのは焼け焦げたギガの姿と、その後方から金属音を響かせながらこちらへ来る黒い甲冑を着た男の姿だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る