第30話 強き者達
背丈の高い草が周辺に広がっているこの草原ではしゃがむだけで大の大人でも身を隠すことができるイーブルグ湿地手前の草陰、太陽が昇りだんだんと気温が上がっていく中、じりじりと太陽に照らされながらぬかるむ地面の上で身を屈め、敵に悟られぬように前方を監視する。
監視とはいっても私はそういった索敵魔法があまり得意ではないので、今回共に組むことになったグループの一人に前方の湿地に住む魔物の監視を頼んでいる状況だ。
「アンジュ殿、クルトン殿を見なかったか?」
左隣にいる頭からつま先まで甲冑に身を包んだ男、ルブレールが息を一つも乱すことなく私に問いかける。
「クルトン? そりゃ誰だ?」
「牧師服を着た初老の男だ。さっきまでは姿が見えていたのだが」
地面に接触し、泥で汚れつつある身の丈ほどの斧を担ぎなおしながら周囲を確認する。長い草が邪魔で視界が悪いのもあってか、私には隣にいる暑苦しい甲冑を纏った男とその他ギルドに所属している者たち以外に牧師服という戦闘には似つかわしくない男の姿を確認することができない。
「知らないな。怖気づいたんじゃないのか?」
「そうか……」
ルブレールはそう呟きながら兜の視界を確保するためのスリットの奥、瞳の部分を青く光らせながら後方や左右を確認している。おそらく透視か何かの魔法だろう。時折私のほうに向けられる瞳は私以外のもっと遠くのものを見ているように感じられた。
「……こっちの動きがばれたっぽいな」
草陰に身を潜めている私の右隣、同じく草陰に身を潜めている男がその瞳を青く光らせながら呟く。
「リザードマンとフロッグマンが複数……それにオーガ1匹と……あれは人間? いや、エルフか? かなりの数が集まってきてるぞ」
「「エルフ?」」
ルブレールと声を重ねながら前方を注視する。前方は相変わらず背の高い草に覆われているせいで立ち上がらなければ前方が見えない。
「ッチ、見えねぇ。ルブレール、奴はいたか?」
「・・・・・・
「ルブレール?」
帰って来るはずの返答が帰ってこず、横目でルブレールの存在を確認する。横にいるルブレールは身体をわなわなと震わせ、腰に付けた剣の柄を掴んだ。
「アンジュ、後は任せた」
「あ、おい!」
ルブレールは短くそういうと、低い姿勢のまま敵陣へと突っ込んでいく。あまりに急に行ったせいで止めることも出来ない。
「お、おい、あいつ大丈夫なのか?」
「・・・・・・ッチ、おいそこの、あたしも行くよ」
「へ?」
「危険だ! 止まれ!!」
死ぬなよ、ルブレール。
すぐさまルブレール加勢をするため、仲間の制止の言葉を振り切り私も敵陣へと突っ込んでいった。
・・・
マズイマズイマズイマズイマズイ!!!
眼前に迫るは一振りの片手剣。一瞬の思考の中、その剣の太刀筋は真っ直ぐでズメウとの稽古を行ったおかげかその剣の軌道を反射的に読むことができた。
あ、足が・・・・・・動かない!!
だが、甲冑の気迫は凄まじく、軌道は読めても俺の中の恐怖という感情が俺の身体の動きを支配し、萎縮してしまう。身体が思うように動かない。
クッソ!!
死を覚悟し、瞳を閉じ、瞼に力を込める。いや、自然とそうなっていた。視界は暗闇。死ぬかもしれないこの状況でそれしかできていない俺自身が情けなく感じてしまう。だが――
「させねぇっぺよ!」
死を確信した一瞬後、妙に田舎臭い言葉と共に頭上で鋭い金属の衝突音が鳴り響く。
「ズメウ!」
「アキラ、お前は雑魚を頼む」
目を開けると眼前には三つ又の矛で甲冑の片手剣を絡め取るようにして受け止めているズメウの姿があった。
「わ、悪い。頼んだ!」
「任せろ!」
狼狽える俺にズメウは明瞭な自身に満ち溢れた声で答える。その言葉により意識が現実に引き戻され、未だに微かに震える足を動かした。
・・・
「アキラァァァ!!」
甲冑はアキラに咆哮を上げるが、その行く手を矛を操り阻む。
「貴様ぁ! 邪魔をするなぁ!!」
「何言ってっかわかんねぇっぺよ!」
絡め取った矛を剣から外し、甲冑に矛を突く。だが、それも左手の盾で受けられる。
声の割に良く見えてやがる。
矛による攻撃に甲冑は戦う相手を自分に定めたらしく、甲冑の奥で光るその瞳をこちらに固定する。
視線が自分に向くと、死角から3人のリザードマンが突っ込んでくる。
「来るな!!」
叫んだ言葉が届くより前に甲冑によってリザードマン達の首が空中へと舞い上がる。
「おめぇ、強ええな」
「どけぇ!」
今度は甲冑の放つ一太刀を無視し、甲冑の隙間へと矛を突き立てる。
「糞!!」
甲冑は自分の肩に剣戟を浴びせつつ、身体を捻り矛の切っ先を甲冑へとずらす。
「ッチ」
「なに!?」
甲冑は自らの剣で切り裂いたはずの鱗に覆われた体表を凝視する。自分の体表には鱗のにできた剣の切り傷ができていたものの、その傷は肉にまでは達しておらず、そこから一滴も血が流れている様子はない。
これは甲冑が矛を躱すために身を翻したため剣への力が分散したことも一つの要因だが、それでもリザードマンの鱗を切り裂くには十分なはずだった。だが、その剣で切り裂いた鱗はドラゴニュートのもの。ドラゴニュートの鱗はリザードマンの者よりも硬質だ。それに加え、ドラゴニュート特有のその鱗は魔力を流せば流すほど硬度が増すというドラゴンの鱗よりも多少劣化するものの、同じような性質を持つ。そのため、甲冑の剣は鱗の表面を削るだけに終わった。
・・・・・・マズイな。
矛を握る手に力を更に込める。ドラゴニュートの鱗は魔力を込めることにより最大鋼鉄並みの硬度まで硬質化する。そのため、軟な生物の一撃では傷つける事すらままならない。だが、目の前の甲冑の男は避けながら放った攻撃で血は出ていないものの、魔力を流し硬質化した鱗に傷をつけた。それは、甲冑が自身の鱗を切り裂くことのできる人間である可能性を示唆している。
久しぶりの強敵だな。
少し距離を取り甲冑の様子を伺う。甲冑はこちらの動きを注視しつつも周囲の仲間たちの攻撃を警戒している。
視線を奥へと向ける。奥では人間たちがこちらへ向かって走り出してきている。
「お前ら! こいつは俺がやる! 奥の奴らを頼む!」
仲間達はやられたリザードマン達を見たからか、素直に指示に従い向かってくる人間たちへ戦いを仕掛けていく。
「クッソ」
甲冑はその中にはアキラに一瞬視線を移すが何かを言った後、こちらに視線を戻す。ちゃんとこちらを今倒すべき敵と認識してくれたようだ。
様子からして激昂しているようだが、その中にも冷静さをしっかり持っている。それに加え、剣の腕前もかなりのもの。出方を伺いたいが、仲間達の方も気になる。
楽に倒せるといいが・・・・・・。
矛を構え直す。硬直状態が続く中、先に痺れを切らし、坑道を起こしたのは甲冑。こちらに向かって攻撃を仕掛けてくる。
「
甲冑が距離を詰める僅かな時間で武器に強化魔法を掛ける。武器の見た目は変わらないものの、これにより切れ味が格段に上昇する。軟な装甲では防ぐことはできない。
「っらぁ!」
甲冑の上段の斬撃を屈んで躱し、矛で左足に突きを放つ。甲冑は何か危険を察知したのか斬撃の勢いを利用し、横っ飛びで躱した。
勘のいい奴だ。
姿勢の崩れている甲冑顔面に追撃の付きを放つ。甲冑が剣を地面に突き刺し、矛の又の部分に剣を当てる。
「なにぃ!?」
だが、甲冑の剣はいともたやすく切れる。耐性の崩れている甲冑は完全には避けられず、立ち上がろうとした左足の膝部分を突き進む矛が甲冑ごと貫いた。
「がっ!? クソッ!」
苦痛の悲鳴を上げる甲冑に追撃を行おうと矛を引き抜く。だが、それは甲冑が盾を矛に叩きつけることで防がれた。
「ッチ、やるなぁ」
右足の痛みを無視し、折れた剣で追撃してくる甲冑の攻撃を矛を置き去りにしつつもバックステップで避ける。甲冑はまるで痛みなど無いかのように右足で矛を踏みつけるとこちらを睨んでくる。こちらも睨み返すが、怪我負っているにも関わらず甲冑の闘志はさらに燃え上っているように見える。
「そんなもんか! くそ蜥蜴!!」
「なに言ってっかわかんねぇっぺよぉ!」
更に後ずさり、甲冑の攻撃範囲内から完全に遠ざかりながらチラリと奥に視線を移す。奥ではギルやレイニィ、アキラ達が人間との戦闘を繰り広げている。
これじゃぁ、使えないかぁ。
視線を戻し、甲冑と対峙する。甲冑は左足に怪我を負っているせいか、こちらへ向かってくるような仕草を見せない。だが、それでもこちらの動きに合わせて身体を動かしている辺り、ここで退けば怪我を無視して戦いに参加するに違いない。
「ふぅーっ・・・・・・やるか」
深呼吸をし、息と共に僅かに炎を吐き出す。こちらの武器は無く、敵は折れてはいるものの切れ味は先ほど味わったとおりだ。油断はできない。
数回足踏みをし、地面のコンディションを確認。湿地という事もあり、湿ってはいるものの問題は無い。
「今度はこっちの攻める番だべ」
甲冑を見据え、真っ直ぐ一気に距離を詰める。甲冑は予想していたようで矛を踏みつけつつもこちらに大股でどっしりと盾を突きだす様に構える。
「っらぁ!」
甲冑の叩きつけるような剣戟をスライディングで甲冑の股を潜りながら回避。そしてそのまま鎧の裾を掴み減速し、鎧の背面に飛び掛かる。
「くっそ、邪魔だぁ!」
甲冑は器用に剣を振り、顔面に当ててくる。その剣戟は体制が不安定にも関わらず、鋼鉄並みの鱗を傷つけるだけでなく、肉をも抉ってきた。
いでぇ! クッソ、目が
剣は自身の眼球を切りつけた。だが、それでもこのチャンスに痛がっている暇はない。視界が血で赤く染まっていく中、首元に向かって口を開く。
「
口から放たれるは一本の熱線。熱線は暴れる甲冑の鎧を溶かしながら真っ直ぐと突き進む。そして、甲冑の身体に一本の穴が開いた。
「ぐぅぅぅ!?・・・・・・あうあぁぁぁ!!」
身体を貫かれ、流石の甲冑も倒れる。熱線を受けた地面はまるでマグマの様に煮え滾り、同じく甲冑の貫かれた部分も肉の焼ける臭いと鉄の溶ける臭いを周囲に放ちながらグツグツと煮え滾っている。
「あ゛づいぃ・・・・・・あ゛ぁ゛・・・・・・ア゛ギラァ」
甲冑は僅かに残った命の灯の中、這いずりながら奥の戦闘に視線を向ける。
「・・・・・・心臓は外したっぺか」
心臓を狙ったはずだが、まだ生きているところを見るに暴れられた際に狙いがずれたのだろう。それでも身体を貫き、終わってなお肉を溶かす自身の熱線を食らったこの男の命は即座に回復魔法を掛けなければもって数十秒といった所だ。
「・・・・・・ア゛ギラァ・・・・・・ごろずぅぅぅ」
甲冑が感じる痛みは相当なはずだ。肉が溶け、焼かれ、周囲の溶けた鎧がその身に更なる熱をもたらす。食らえばショック死してもおかしくない痛みだ。それでもなお動き続けるこの男はいったい何がしたかったのだろうか。
「・・・・・・加勢するっぺ」
甲冑の足元に落ちている矛を拾い上げ、皆の戦っている戦場へと赴く。
戦場へ向かう最中、チラリと甲冑の様子を見る。うっすらと赤い視界の中、甲冑はどの兜の奥の瞳で未だに自分では無い誰かを睨み付けていた。
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