第6話 襲われた村を救うために

 半分ほどまで減った蜜蝋のロウソクが、燃えながら甘い匂いを放っている。

 照明はそのロウソクだけ。その明かりに、二人の人影が浮かび上がっていた。


「いいか? テミス、このご時世に魔術を学ぶということは、よほどの覚悟が必要だぞ? 言い出しっぺの俺が言うのもなんだが――生半可な覚悟じゃ、やり通せないぜ?」


 チーズを突き刺したナイフをぶらぶらさせながら、マカベウスは真剣な眼差しをテミスの双眸へと注ぎ込んでくる。その視線に、いつものような不真面目な雰囲気は存在しなかった。


「……あぅ」


 マカベウスを押し倒すほどの勢いはどこへやら。テミスはその視線に全身を縫いつけられ、小さくなって自分の椅子に座りなおした。


 マカベウスは椅子の背もたれを身体の前面に回し、そこに抱きつくような格好でテミスを見つめてくる。そういった姿勢だけは普段通りだが、いつになく真剣な眼差しは、言葉以上のものをテミスに伝えようとしているかのようだった。


 禁忌とされた魔術を、人知れず学ぶ――。これほど危険なことはないからだ。


 発覚した場合、街を追放されるだけで済めばまだいい方だ。悪くすれば「魔女」ヴェネフィカとして告発され、当時もっとも重い刑罰だった焚刑に処せられる可能性すらある。

 マカベウスはそれを、無言のうちに伝えようとしているのだ。


 そして彼の瞳の奥にも、魔力を宿す異能の光が、淡黄色の燐光のように揺らめきながら潜んでいる。それはロウソクが逆光になっても、夜行性の獣のように蛍光を放っていた。


「――あ、あたしっ……覚悟はできてる! きっと大丈夫、だもん……!」


 強く見つめられ、尋問される罪人のように身を固くしたテミスは、マカベウスの眼光に射すくめられながらも、ようやくそれだけを口にした。

 本当は、もっと言いたいことがある。すでに決めたことなのだと言いたかった。


 ――村のみんなを魔術で救いたい! あたしの力で救いたいの!


 言葉にはできないが、じっと見つめ返すテミスの表情に、強い意志がにじみ出る。


 テミスの両手はじんわり汗ばみ、膝の上でスカートをぎゅっと強く掴んでいる。うつむき加減で見上げ、唇を噛む彼女の表情はくしゃくしゃで、叱られて今にも泣きそうになっている子どものようだった。


「…………」


 最初にテミスの覚悟を試すような言葉を言ったきり、無言のまま彼女の表情をじっと見つめていたマカベウスだったが、不意に口角を上げてニヤリと笑みを浮かべると、逆光を背に大きな腕をぬっと伸ばしてきた。


 叩かれる――? そう思ったテミスは、縮こまりながら強く目をつむった。


 ところが、マカベウスはテミスの頭にポンと手を置くと、乱暴に、だが優しげに彼女の褐色の髪を撫でてきた。

 徒競走で一等賞を獲得し、狂喜するわが子を豪快に褒めたたえる父親のような、そんな撫で方だった。


「うぇっ――?」


 思いがけないマカベウスの行動に、大きな目を丸くしたままきょとんとするテミス。

 マカベウスはそんな彼女のツインテールの髪を、そのままぐしゃぐしゃと乱暴にかき回す。


「ああ――知ってたさ。お前、ここ何日か、妙に真剣な目で俺の仕事を見てただろ。魔術を教えてほしいって、顔に書いてあるくらいにな」


「ふぇ……?」


 マカベウスに見つめられたまま、テミスの顔が、カアッと耳まで赤くなった。


 こっそり見ていたはずなのに、とっくにバレていた――。マカベウスの言葉でそれを悟ったとき、恥ずかしさのせいで一気に真っ赤になったのだ。


 しかし不思議と、憤りの感情は盛り上がってこない。むしろ自分のことを気にしていてくれたのだということに気づいたためか、嬉しさの方がこみ上げてくるのだった。

 いつもは鈍感でだらしない、イタズラ好きの変態S中年だが、ふとした瞬間にマカベウスが見せる、成人男性の貫禄のようなものが、テミスはたまらなく好きなのだ。


 さまざまな感情が入り交じり、テミスが真っ赤になって目をそらそうとしたとき、マカベウスは静かな口調で問い返してきた。


「それで……村の様子はどうなんだ? 傭兵崩れの盗賊どもは、次に何を言ってきた?」


 その口調は静かだが、トゲが含まれている。爆発しそうなものを押さえこんでいるかのような、怒りの感情が見え隠れしていた。

 底冷えを覚えるほどの、マカベウスの冷徹な眼差し。テミスに逆らうすべはなかった。


「う、うん……。おとといは食糧庫をやられたわ。そのとき、マリアおばさんとケントおじさんがケガをしちゃって……。それで来週は、シンシアお姉ちゃんを差し出せって――」


「――下郎どもが」


 すべてを語り終えないうちに、マカベウスのいまいましげな呟きがテミスの耳に飛び込んできた。


 普段のマカベウスからは聞いたことのないような言葉に、テミスがハッとして顔を上げると、向き合った彼の褐色の瞳の奥で、淡黄色の光が燃えるように揺らめいているのが目に飛び込んできた。炎のように揺らめくその光が、彼の激しい感情を代弁しているかのようだ。


 そうなった理由は、このような経緯によるものである。


 ヒューリアック大陸の統一戦争は、昨年末に終了した。敵対した王たちは捕らえられ、大陸の外へと追放された。

 しかし、王たちの配下だった諸侯は健在であり、争乱の火種は各地にくすぶり続けている。いつまた祖国の復仇を呼号して挙兵する勢力が現れるか、わからない状況に陥っていた。


 勝者となった王がこれを憂慮した結果、敗者となった国家をあえて消滅させずに連邦国家とし、諸国の元首をひとりの王が兼務する、いわゆる「同君連合」という形で「大ヒューリアック王国」が誕生した。


 熱狂に包まれたあの日から、そろそろ一年が経過しようとしている。

 それでも政治と経済の混乱は、いまだ収まっていなかった。


 とりわけ戦場という活躍の場を失った元傭兵、貢納の重さに耐えきれずに逃げ出した元農民などが徒党を組むようになり、それらが次々と盗賊集団と化している。そのため治安も最悪の状態だった。


 盗賊どもは武装して街や村を襲うが、エヴァストのように古代の土塁などで守られた街は狙わず、その周辺に点在する農村を標的にする。テミスが住む村もその標的のひとつだった。


「来週か――。時間がないな。テミス、さっそくこれから始めるが、いいか?」


 マカベウスはそう言い、手に持ったナイフに刺していたチーズを、呑気そうに丸ごと口に入れた。そして残っていたワインを一気飲みする。


「――にゃっ? こ、これからなのっ?」


 いきなり話が進んだことに驚き、思わず聞き返すテミス。

 マカベウスは木製のコップと皿を片付けつつ、ボサボサの髪を痒そうに掻きむしりながら、不思議そうにテミスの方を見た。


「あ? そりゃ、善は急げって言うからな。魔術――本気で勉強したいんだろ?」


「あ……うんっ。したい! 勉強したい!」


 マカベウスの仕草や表情は、すっかり普段の変態S中年に戻っていたが、テミスは膝の上でスカートを固く握りしめたまま、決意に満ちた面持ちでうなずいた。


「そうか――。よく言った。ところでな」


 微笑しながらうなずき、決意のほどを満足げに受け止めたマカベウスだったが、どういうわけかテミスに顔を近づけ、声をひそめて尋ねてきた。


「お前、今まで身のまわりで変なことが起こったことはないか? 急に火がついたりとか、自分の周りだけ空気の流れが変わった、とか――?」


 急にイケメンの顔が近づいてきたせいか、少し顔を赤くするテミス。

 それに加え、問われた内容がいまいち飲み込めない。


「ちょ、ちょっと近いよ……って、へ、変なことって?」


「そのままの意味だよ。例えばそうだな、ママさんが急に燃え上がったとか?」


「――ママ死んでるし!」


 すかさず突っ込みを入れたテミスだったが、その一方で人さし指を唇に当て、自分の記憶の中を探りはじめる。


「でも、身のまわりで変なことかあ……うーんと、ええーと……」


 テミスはマカベウスに言われたことを、自分の身になってしばらく考えてみたが、十二歳の彼女が覚えているだけでも、周囲の話でもそういったことは一度もなかった。


「ない……と思うけど、それがどうかしたの、おじちゃん?」


「そうか、ないか。……いや、別にいいんだ。あのエロガキの毒牙がお前に及んでなけりゃ、それでいい」


 テミスの回答に、心からホッとした微笑を浮かべるマカベウス。どうやら彼にとって、この質問は非常に重要なことだったようだ。だが、テミスにはその呟きの意味がわからない。


「エロガキ……って何よそれ。おじちゃんが変態エロ中年だってことは知ってるけど?」


「うぐっ……。俺はエロ中年でも変態でもないんだが……コホン、まあいい」


 何気ないテミスの舌鋒に、身を反らせて深く傷ついたマカベウスだったが、咳払いをひとつすると、椅子に座りなおしてテミスと向き合い、最初の質問を発した。


「よし……テミス。お前、『魔術能力者』スキエンティア・マギカっていう言葉、知ってるか?」

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