第7話
ルイは引きつった笑顔のまま動きを止めた。
「煙を吐く機械が人のために働く時代だ。おれとグリエルムスの呪いはここで解かれる」
リカルドゥスはそう言うと、ルイに近づいた。
ルイは白蛇の虹色の目を思い出し、心持ちおびえながら彼を見上げる。
「娘。さっきはおれの頭痛を治してくれたな。感謝する」
「……いや……あの……それこそ、別に……」
「これは礼だ」
リカルドゥスはルイに口づけた。
驚いたルイが両手で彼の胸を押すと、その手に細い、金属の重みがかかる。
ルイが自分の手を見ると『忘却の森』がそこにあった。
「わ!! ちょ、ちょっと!!」
「ほー。リカルドゥスめ、やるなあ」
ヴィーがひゅっと口笛を吹いた。
「ヴィー! ちょっと、これ……どういうこと?」
「なに、簡単。あんた、オーギュストと同じことをしたんだ」
「は?」
「『忘却の森』の主ってことさ」
「ええっ!!」
ルイを見ていたディルとキリムも声を上げる。
「な……なんで……」
「うまいことやったな、ほんと。『忘却の森』の呪いを解いてやらない限り、あんたから離れないつもりらしい」
ヴィーは腹を抱えて笑い出した。
「俺もそうすればよかった」
「何言ってんだ。一度にふたりも主はもてないだろうが。俺の呪いを解くのが先だ」
キリムは横を向いて腕を組んだ。
「あはははは。キリムがまた妬いてる」
ヴィーはげらげらといつまでも笑っていた。
***
リュシアンの部屋を出て、ルイは自分の部屋へ向かった。
オーギュストは彼の二人の召使いが、ルイの家の馬車を借りて連れ帰った。
ルイは半年ぶりになるだろうか、静かに自分の部屋の扉を開けてみる。
出て行ったときのまま、その部屋はなんの変わりもなかった。
入ったすぐはルイの為だけの居間、右隣が書斎で左隣の部屋が寝室。
正面の窓の外には大きな木が、夜風に吹かれ枝を揺らしている。
冷たい月がその枝の向こうに見えていた。
ルイは窓のカーテンを閉めると手に持っていた『忘却の森』を、自分の居間の長いすに置いた。
「……そういえば……これ……ここに置いておいて大丈夫なのかなあ……。ヴィーみたいに勝手に……人に戻ったり……」
呟いてから『忘却の森』は蛇にもなることを思い出す。
「……ああ、オーギュストがしてたみたいに女の子になっててもらおう。とりあえず、試してみようかな」
ルイは長いすに置いた『忘却の森』を持ち上げた。
「『忘却の森』よ。主に従い姿を現せ」
白い光がルイの居間を満たした。
「早速のお呼び出し。嬉しいね」
リカルドゥスが現れる。
「あ、あのね……えと……名前、なんだっけ?」
「リカルドゥス」
「あ、そ。じゃあリカルドゥス。オーギュストんときみたいに女の子になって」
「リリトに? あんた、そんな趣味?」
リカルドゥスは腰に手を当ててにやりと笑う。
「そーじゃなくて。……男だと色々都合が悪いでしょ」
「なんで? あんた女なんだから、おれは男でいいじゃん」
ルイはむっとして顔を上げる。
「なんっか、その口のききよう、ヴィーみたい。……うーん、とにかく、私が主なんだから、言うことをきく!」
ルイはびしりとリカルドゥスに指をつきつけた。
「こればっかりは譲れないな。女になるのは主が男の時だけでたくさんだ。毎晩閨に呼ばれるのも懲り懲りだがな」
「は?」
ルイは耳を疑った。
「……あー、まあいいや。聞かなかったことにしよう。じゃあ女の子にならないなら、もうずっと剣のままにしておくから。戻っていいよ」
「主、それはないだろう?」
リカルドゥスはすいっとルイに近寄り腰を抱く。
「あ、コラ! あんたキリム並に質が悪い!」
ルイはリカルドゥスの手をぴしゃりと叩いた。
「私室に持ち込んで、おれを呼び出しといて……しかも夜だ。何もしないで剣に戻れと?」
「そう、戻って。私とあんたが離れられないのは仕方ないでしょ! だって、あんたと契約しちゃったんだもの、あんたが遠くへ行ったら私がオーギュストみたいになっちゃうんでしょ? 目を開いたまま……」
「まさか。同じ家の中くらいならどうってことない」
「嘘!!」
ルイは目をまん丸にして硬直した。
「ヴィーったら……」
「グリエルムスの言葉を信じるとは……主、あんたも可愛いな」
リカルドゥスは微笑んでルイの額に口づけた。
「あー!! もう! 放して! どいつもこいつも!!」
ルイはお得意の平手打ちをリカルドゥスの鼻先に炸裂させる。
「!! 痛っ!!」
リカルドゥスはルイの腰から手を放し、自分の鼻を両手で覆った。
「剣に戻る! 二度とは言わない!!」
リカルドゥスは恨めしそうな眼差しを向けると、そのまま『忘却の森』に戻り、かたりと絨毯の上に落ちた。
ルイはため息をついて『忘却の森』を拾う。
そしてどこに閉まっておこうかと部屋を見回し、とりあえず書斎へ入った。
きょろきょろと棚を見回してみたが、窓の下にある腰までの高さの棚に、横長の引き出しがあるのを思い出す。
その引き出しを開け、中にある紙や小物を取り出すと『忘却の森』を入れてみた。
「……あ、ぴったり」
そのまま静かに引き出しを閉める。
「これでいいかな。まあとにかく、主があの言葉で呼び出さない限り、人間にはならないみたいだから……」
ルイは肩の荷が下りた気分で寝室へと向かった。
***
翌朝、ルイは目が覚めると風呂へ入り、身支度を調えて食堂へ向かった。
久しぶりに袖を通した普段着は、華美ではないがちゃんとした貴族の令嬢として何処へ出ても通用する仕立てである。
落ち着いた気分にはなるが、これでディルやキリムの前に出るのは少々気恥ずかしい。
「……まあ、いいや」
ルイは深呼吸をしてから食堂の扉を開けた。
「おはよう」
そう言って中へはいると、ディルが静かに視線をルイに向ける。
キリムはぽかんと口を開いてルイを凝視した。
「なに? キリム、その顔……。私、どこか、変?」
ルイは慌ててスカートの裾を持ち上げてみたり、袖がおかしいのかと腕の内側を見たりした。
「……いや……だって……」
「ルイがスカートはいてる、って、びびってんだろ」
ディルが言う。
「失礼だなあ、もう。……ところで……祖父……は?」
「会議があるとかで、朝飯は議会で食べるってさ。さっきクレマンが言いに来た」
「そう」
ルイはほっとして席に着いた。
それぞれの朝食が運ばれてくると、3人は静かに食事を始めた。
「……ねえ、ディル。これから、どうするの?」
ルイがパンをかじりながら問いかける。
「アルベール卿はここにいていいって。俺の母上と弟妹は、身の危険もあるから、謀の主が捕まるまではあるところにいてもらうそうだ。俺は、まあ、暫くはここにいてもいいかな、と。……店のことが気になるんで、一度は戻るかもしれないけど」
「そうだね。お店、気になるね。私を訪ねてリレルが来てないといいんだけど」
「マリーベルもだろ。あいつ、思ったよりお喋りだからなあ」
ルイは微笑んだマリーベルを思い出す。
「そんで、あんたの母上はどうしたんだよ?」
「あ……あのね……言いにくいんだけど……。私が家出した所為で具合が悪くなったんだって。今、南の別荘に、祖母といるって」
「なんだ。良かったじゃないか」
「ん~、まあ……」
ルイはミルクの入った茶を飲んだ。
「キリムは……どうするの?」
ルイは茶碗を皿の上に置いてキリムを見る。
「どうもしないだろ。変態若旦那とは移動だけの契約だし」
「……あ、そう。でも、妻になってくれる人を捜さないとならないんじゃないの?」
「そんなもん、目の前にいるじゃないか」
「えっ? ……ディル……?」
キリムは飲んでいたスープを吹き出した。
「馬鹿か。なんでそうなる? おまえに決まってる」
「私はあんたとなんか結婚しないよ」
ルイはぷいっと横を向いた。
「そりゃそうだ。俺と結婚するんだもんな」
ディルがにいっと笑う。
「それもちょっと……」
ルイは上目遣いにディルを見た。
「じゃあやっぱり、祖父さんの言うとおりにオーギュストと結婚するのか?」
「ううん」
ルイは首を振った。
「じゃあどうするんだよ?」
ルイはナプキンで口の周りを拭うとにっこりと微笑んだ。
「勉強するよ。ヴィーとリカルドゥスにかけられた、それぞれの呪いを解く方法を。それが私には一番にできることなんじゃないかって、思えるから」
ディルとキリムは同時にルイを見た。
「どうやって?」
「ヴィーに教えてもらう。詳しいし」
ルイはキリムを見て微笑む。
「馬鹿。俺が出さなきゃどうにもならんぞ。悪いことは言わない。まず、俺のものになれ。それからでも遅くない」
「やだよ、キリムなんか。ヴィーならまだしも」
「なに?!」
「それに、ヴィーが教えてくれないならリカルドゥスにきく」
「だめだ!!」
言って立ち上がったのはディルだった。
「あいつはダメだ。手が早すぎる。さっさとルイにキスして契約したり、油断も隙もない!」
ルイはぷっと吹き出した。
「あはは。そんなこと言ったら、私の周りの男の人は、みんな油断ならないよ。ディルだっていきなりするじゃない」
ディルは居心地悪そうに椅子に座り直した。
「ともかく、勉強が先。それから結婚のことは考える」
ルイはナプキンをテーブルに置くと席を立った。
「なんか良かったよ。私、とても色々なことを学んだ気持ち。これから先もまだ、きっとたくさんあるんだろうけど、今はとにかくすることができたのが嬉しい」
ディルとキリムはお互いを見てからルイに振り返る。
「ふたりとも、この家にいるんだったら、その間は私に協力すること。それが家賃!」
「ええっ!」
「ルイ。俺、あんたから家賃をとってないぞ」
「店は手伝ったでしょ?」
「食わせてやったじゃないか!」
「んもー、けちだなあ」
ルイはころころと笑った。
「いいね、これ。こういうのが楽しい。ディルもキリムもヴィーも、大好きだよ」
ルイは笑いながら食堂の扉を開け、朝日が差し込む廊下へ、書斎に向かって駈けだした。
***おわり***
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