第6話

「君たち、荷物はいいの?」

 オーギュストはキリム、ディル、ルイの順に視線を移した。

「俺がいればすぐに戻ってこられますから。彼女は家に帰るわけですから特に何も必要ないでしょう」

「アンリは?」

「……店ごと移動なんてできやしないだろ」

 ふてくされたようにオーギュストを見上げるディル。

「そうだね。僕もこの建物ごと移動したいくらいだけど……じゃあ行こうか」

 キリムが手を差し出すとディルがそれをとり、ルイも手を繋ぐ。

 ルイの反対の手はオーギュストがそっと握り、オーギュストの空いた手はドニが、その手をブノアが握った。

「じゃあルイ。自分の家を思い出せ」

 キリムの言葉でルイは目を閉じ、自分の家の玄関を思い浮かべた。

「寒っ」

 ディルがルイの手を放して自分の肩を抱く。

「お嬢様!!」

 玄関先で植木の様子を見ていたアルベールの執事が駆け寄った。

「クレマン……ただいま……」

「お、お帰りなさいませ。急なことで驚きましたが……いや、流石お嬢様です。日々ご研鑽怠りなく……」

「……いや、私の魔法じゃないんだけど……。でもトラムはやっぱり寒いね。急いで応接間を暖めてくれるかな?」

「かしこまりました」

 クレマンは玄関扉をあけ6人を屋敷の中に入れた。

「こちらです」

 オーギュストの買った旅館のそれよりも広い玄関ホールから案内された室内はすでに暖かく、華美でない装飾が客人に落ち着きを与えてくれる。

 ドニとブノアはオーギュストが座った椅子の後ろに立って控えていたが、ディルとキリムは柔らかいクッションがおかれた長いすにどっかりと腰を下ろした。

「キリム。おまえは僕の後ろだ」

 オーギュストの声にキリムが眉をひそめる。

「今ので疲れちまったんで、少し休ませてください」

「……それで用心棒がつとまるの?」

「少なくとも、緊急事態にはそちらの棒きれを振り回す剣の達人よりは役に立ちますよ」

 キリムに言われてドニは顔を赤くした。

「すぐにお茶の用意をいたします」

 頭を下げて出て行こうとしたクレマンにルイが声をかける。

「クレマン。お祖父さまはまだお仕事?」

「はい。いつものように、定時までは執務室におられます。さきほどお嬢様から通信があったとの連絡は受けましたが……これほどお早くお戻りになられるとは思いませんでした」

 クレマンは微笑んでから扉を閉めた。

「……お嬢様……ねえ……」

 キリムが頷きながら呟いた。

「……なに……?」

 ルイが唇を尖らせる。

「別に……」

「ふえ~っ。オーギュストの部屋よりは何倍も落ち着く~」

 ディルが大げさに声を上げた。

「それはどういう意味? アンリ、大体君は随分お行儀が悪くなったのじゃない?」

 オーギュストは足を組み替えながらディルに言った。

「なに言って。あの頃は先輩だと思ってたからまだ温和しくしてただけだ。あんたの趣味の悪さは学生時代から変わらないもんな」

「嘆かわしい。伝統的な装飾というものがわかってない、もの知らずな若者的発言。アルベール卿の前ではくれぐれもそんな態度は示さないでおくれ」

「いいじゃねえか。別に俺が卿の前で行儀が悪くても、あんたにゃ関係ないだろ」

「大いに関係があるね、アンリ。君は僕の後輩で、ルイーズの友達じゃないか。そんな行儀の悪い若者を、卿がルイーズの友達として認めるなんて、僕は思わないよ。第一、君の御尊父の無実を晴らすために動いてくださってるのは卿なんだから」

「それは承知してます。俺が嫌いなのはあんた」

「これはまた、随分素直になったものだな、アンリ」

 オーギュストは嬉しそうに唇をつり上げた。


   ***


 クレマンが用意した茶と菓子は、殆どキリムが平らげた。

 ドニとブノアはクレマンと一緒にアルベール家の使用人が待機している部屋へ移動した。

 ルイは久しぶりに帰ってきた自分の家の応接間の、壁に掛かっている先祖の肖像画を見上げる。

「座ってろよ。自分の家だろ。それとも、落ち着かないのか?」

 ディルはルイの背後から静かに声をかけた。

「……うん、まあ、ねえ……。祖父が怒ってないとは思えないし……」

 クレマンは確実にルイの母にも彼女が帰宅したことを伝えているはずだ。

 なのに顔さえも見に来ない――

 祖母でさえ、家にいるはずではないのか――

「……母はともかく、祖母くらいは……顔を見にくらい来てくれるかと思ったんだけど……」

 ルイはディルを振り返らないで言った。

「あんまり気にするなよ。祖父さんに言われて来られないのかも知れないじゃないか」

「……ありがと、ディル」

 ルイは寂しそうな笑顔で振り向いた。

 そのとき扉を叩く音がした。

 ルイが返事をするとクレマンが現れる。

「大旦那様がお帰りです」

 ルイはごくりと唾を飲み込んだ。


   ***


 それからたっぷり1時間は待っただろうか。

 キリムが文句を言い始めた頃、ようやくクレマンが4人を食堂へと案内した。

 ルイを先頭に3人の男がその後を歩く。

 長い廊下には様々な絵画が飾られていた。

「……なんだか神話のヤツが多いなあ……卿の趣味なのかなあ」

 ディルは左右の壁を見ながら歩く。

 そのひとつに見入って足が遅くなったところへ、後ろから来たキリムがぶつかった。

「前向いて歩けよ」

 ディルは鼻から息を吐き出すと、ルイが立ち止まっている扉の前へと急いだ。

 クレマンが扉を少し開けたまま戸惑っている。

「どうされました? お嬢様?」

「……あ、あの……オーギュスト! どうぞ、お先に」

 ルイは横に避けると後ろにいたオーギュストを扉の前へ押しやる。

「おやおや、可愛いねルイーズ。……失礼します」

 オーギュストは堂々とした態度で食堂へ入った。

 ルイがその背後からおずおずと続く。

 落としていた視線を上げると、正面一番奥の席にルイの祖父、リュシアン・アルベールが座っていた。

 短く切りそろえた銀髪、厳しい光をたたえる青い瞳、しわの寄った頬を覆い尽くす整えられた髭。

 深い緋色の上着の襟に施された、凝った意匠の刺繍。

 正式な魔法使いであり、議会の頂点に立つものとしての印であるその刺繍が、ルイには寒々しく感じられた。

「褒めてやるべきかな?ブルギニヨン」

 威厳のある深く響く声でリュシアンは言った。

 オーギュストは静かに頭をたれる。

「ルイーズ様をお連れいたしました」

「それで? おまえが魔法を忘れたとは、どういうことだ?」

「はい、面目もございません。わたくしも皆目見当がつきませんで」

「おまえはそれでいいのか? 私の跡継ぎにと望まれた立場を捨てるつもりか?」

「とんでもございません。思い出す手だては色々と考えております。それに、ルイーズ様が望まれぬのなら、わたくしの立場もさしたるものではなかろうかと」

「うぬぼれの強いおまえとは思えぬ発言だな。唯一の拠り所をなくした弱気とも思えんが」

 リュシアンはオーギュストの後ろに立ったルイに目をやる。

「そのお転婆がおまえとは結婚したくないそうだしな。おまえも今回の仕事で、ついに遠慮というものを学んだか」

 リュシアンの視線はルイに続いて入ってきたディルとキリムに向けられた。

「クローディルの息子か。それは?」

 リュシアンは顎でキリムを指す。

 問いにはオーギュストが答えた。

「キリムと申す異国の者でございます。わたくしが道中の連れとして雇いました。高等な魔法を使います故、重宝しております」

「ほう。ブルギニヨン、いつもの召使い共では役に立たなんだか?」

「恥ずかしながら……ドニめはキリムに得物をはじき飛ばされて逃げ出したそうです」

 リュシアンは背もたれに体を預けて腕を組む。

「それで? 今戻ったのは何故だ? 大口を叩いて家を飛び出したはいいが、生活に疲れたか?ルイーズ」

 唐突に矛先が自分に向けられ、ルイは慌てて姿勢を正した。

「……いいえ……その……クローディル男爵のことを聞きまして……。お祖父さまが調べてくださっていると」

 リュシアンは目を閉じた。

「そうです、アルベール卿。オーギュストから聞きました。それで俺……わ、わたくしは……」

 ディルが普段使わないような言葉で話し出した。

「まあいい、クローディル。おまえのことは何もかも調べがついている。おまえの父はまだ牢獄におるが、まともな部屋に移された。おまえの母と兄弟も、こちらが保護した。ただ、謀の主がまだみつからんのでな。捕らえ次第証言を取り、全てが済んでから釈放されるだろう」

 ディルはルイの横で深々と頭を下げる。

「あ、ありがとうございます」

「礼には及ばん」

 リュシアンは腕をほどいてクレマンを呼ぶ。

「では食事にする」

 そうして、あまり楽しくない宴は始まった。

 ルイは目の前のごちそうに目がくらんだ。

 この家を出てから半年近く経つ。

 それまでに食べたものと言えば、初めのうちは身につけていた装飾品を売って得たものだった。

 いつかは売り尽くすだろうその前にディルを見つけられたことは幸運。

 ディルが世話になっていた、あの店の主はルイにも優しかった。

 お陰でなんとか食いつないではこられたものの、ここまで贅沢な食べ物を目にすることは一切なかった。

 自分がどれだけ恵まれた生活をしていたのか、ルイはここに来て今まで以上に実感する。

「どうしたルイーズ。おまえはそのワインが好きだっただろう? それに、干しぶどうと一緒に煮た豚肉も」

 リュシアンの言葉に思わず喉を鳴らすルイ。

「……確かに、そうです」

 それだけしか言いようがない。

 干した果実は高価なものだ。

 自分の稼ぎでは到底買うことさえもできなかったワインは、なみなみとグラスに注がれて目の前にある。

 市場で初めてそれらの値段を知ったときの驚き。

 ――実際自分が身につけていた装飾品も、そのときどきの流行の軽い品物ではあったがかなり高価なものだったのだと、同時に知ったのだが。

 ふと、目の前のキリムに、ルイは目をやった。

 遠慮会釈もなく高価な食品をばくばくと口に放り込んでいる。

 切り分けた豚肉を口に入れようとして、キリムはルイに見つめられていることに気づく。

「どうした?」

「……ううん……別に……」

 ルイはワインを一口だけ飲んだ。


   ***


 会話はあまり弾まず、時々オーギュストがリュシアンに仕事の話をし、少なからず乾いた笑い声が上がる程度の宴が終わる。

「ルイーズ。あとで私の部屋に来なさい」

 リュシアンが部屋を出るまで、4人の若者は黙って頭を垂れ、待っていた。

 扉が閉まってしまうと、ルイは長いため息を吐いて椅子にもたれる。

「はー……。せっかくのごちそうも喉を通らないよ。……これから祖父に叱られるのか……」

 呟いたルイにオーギュストが言う。

「僕も一緒に行こうか? 色々と説明することもあるだろうし」

「よっ! 流石若様! 腹黒い!」

 キリムがはやしたてる。

「キリム!! ……あの、いいんです、オーギュスト。あなたには申し訳ないけど、ちゃんと結婚の話はお断りすると……」

「気にしないで、ルイーズ。僕が魔法を思い出すまではそれでいいんだから」

 オーギュストは意味深な笑顔を浮かべた。

「……? ……とにかく、祖父の所へ行ってきます」

 ルイは気まずい思いを振り切るように立ち上がった。


   ***


 リュシアンの部屋は暖かく、ルイの見慣れた絨毯の柄が部屋に重厚な印象を与えている。

 壁に掛けられたリュシアンの両親の肖像画。

 ルイはこの曾祖父の髪の色も銀色なのだと、アルベールの血を考える。

「戻る気になったのか? ルイーズ」

 リュシアンは長いすに座り暖炉の火を見つめた。

「……まだ……決断はしていません」

「何故?」

「……結婚をする気はないからです。もっと勉強をしたいから」

「クローディルの息子と駆け落ちをしたという噂があるが?」

 ルイは見つめていた絨毯の、くるりと丸まった蔦の柄から目を上げた。

「とんでもありません! 私はそんなことは……」

「ブルギニヨンとの結婚が嫌でクローディルと駆け落ちしたというのはもっともらしいからな」

「単なる噂でしょう? 第一、アンリが学校から逃げなければならなかった理由はご存じの筈です。……わ、私は……別の理由で……」

「ルイーズ。ブルギニヨンと結婚しておけ。その後ならクローディルの息子とどうなろうが、私は構わん」

 リュシアンの声はあくまでも冷静だった。

「な……なんてこと仰るんですか! お祖父さまがそんなだから、お父様も家に帰ってこないんです! あんまりです! 私に、私に……お父様と同じことをしろと仰るのですか? そんな……そんな悲しい家庭を作るつもりはありません」

 リュシアンは立ったままのルイを見上げた。

「ルイーズ、よく聞け。おまえはアルベールの血を残さねばならん」

「……はい。それは……承知しております」

「おまえが母親なら、父親など誰であろうとアルベールの血は継承される。そういうことだ」

 ルイの頭にかっと血が上った。

「お祖父さま! わ、私は、ただの子供を産む道具ですか!?」

「そうだと言ったら?」

 リュシアンは視線を足許に落とす。

「その通りだと言ったらどうする? また私の鼻っ面を引っぱたいて家出をするか? まあそれでも構わんが。……おまえが使った古代の追跡魔法だがな、あれには少々難がある。いくらおまえでもそこまでは知らなかっただろう。書斎にある本はたかが知れている」

 リュシアンは長いすにもたれかかった。

「あれを使ってその軌跡を消したところで、それを追う方法などいくらでもある。私から逃れられるとなど、思わん方がいい」

 ルイは下唇を噛んでリュシアンを睨み付ける。

「そのひとつをブルギニヨンに教えてやった。あれは見かけはああだが使える男だ。今のように魔法を忘れようとな、政治家としての腹構えができておる。その点においてアルベールの婿として最適だ。おまえはあれと結婚しておけばいい。ブルギニヨンの子だろうが、クローディルの子だろうが、おまえの子には間違いない」

「そんなの……嫌です。それに、私はアンリと……そんな仲ではありません」

 ルイの右手は強く握られ、怒りに震える。

「……そ、それなら……お、お父様の……あ、愛人が……子供を産んでも同じでしょう? お父様の子なら……」

「おまえはまだ子供だ。男と女のことを知らん」

 リュシアンは長いすから立ち上がった。

「女が産んだ子供は間違いなくその女の子供だ。だが男が子供をどうして確かめる? ん?」

「そ、それは……夫婦の子供なのですから……」

「考えが浅いな、ルイーズ。妻が間違いなく夫の子供だと証言したところで、育ってみないとわからぬものだぞ。その子供が大人になって、父親に全く似ていなかったらどうする? 幸いにもアルベールには髪の色がある。それに魔法の素質もな。代々遺伝しているものがなければ確認のしようなどありもせん」

 ルイはディルの店にあった本の内容を思い出した。

「医学が……今にそれを証明できます!」

「くだらぬ書物ばかり読みあさっておるようだな。クローディルの影響か?」

 リュシアンはルイの目の前に立った。

 ルイよりも頭一つ分背が高い。

「おまえは子孫に私たちの特徴を伝えることができる星回りを持って生まれたのだ。ルイーズ。おまえはアルベールの家を存続させる鍵だ。忘れるな」

「鍵? 鍵ですか? 子供を産む道具の次は、鍵?」

 ルイは眉をつり上げてリュシアンを見上げる。

「いい加減人間としての扱いをしてください! 私はお祖父さまの道具でもなんでもありません」

「道具だよ、ルイーズ。おまえが生まれるべく私が仕組んだ。星が教えてくれたとおりにな」

 ルイは全身が凍るほどの冷たい空気に触れた気がした。

「私とアンヌはいとこ同士だ。お互いアルベールの血を濃く受け継いでいた。私は年を取ってからこの色になったが、この銀色の髪もそうだし、アンヌは魔法さえ学んではおらんが、その父親は議員をしていた。私は私の生まれた日の星の運行から自分の才能に気づいた。アンヌの魔法の才も星が示していた。だから私の妻にした。そしてその二人から生まれたのがおまえの父親だ。アルベールの子供に最適な日を選んで生まれてくるよう、私は星の座標を読んだ。残念ながら髪の色は受け継がなかったが、魔法の才はアルベールのものに間違いない星巡りに、おまえの父親は生まれた。だが銀の髪を受け継がなかったのは性格が致命的だということだ。魔法を扱うだけの強さがない。確かに星にもその状態は現れていた。ではどうするか……」

 リュシアンはルイに背を向けて長いすに向かった。

「息子に……性格の不足を補う子供を作らせればよい。簡単なことだ」

 ルイは祖父の思惑にいいようのない不快感を募らせる。

「おまえの母親を捜し当てたのは、それほど時間を要さぬことだった。生まれた子供が届け出られた教会を全て当たり、その星巡りから最適な女を選ぶ。あとは恋人達の時間を共有させる魔法をかければいい。それだけだ」

 リュシアンは長いすに座ると足を組むために高く上げた。

「完璧な計画だった。おまえの生まれた日は私が計算した中でも最も最良の日だった。おまえは銀の髪を受け継ぎ、魔法の才も受け継いだ。最もアルベールに適した子供」

「……お祖父さま……」

 ルイは押し殺した声で言った。

「それでは……私は……私の存在は……」

「ルイーズ。両親に愛されていないのは当然のことだ。あれらは魔法で目がくらんだ。一時の快楽に身を任せた。その結論が最高の価値を生んだ。私はおまえを愛している。それで充分ではないか」

「非道い……私は……私は……」

「それにな、ルイーズ。おまえの父親の愛人は、あれの学生時代からの恋人だ。だからあれは当然の場所にいることになる」

「あんまりです! それなら、お父様と恋人に、結婚をお許しになればよいでしょう? お母様はこの家から解放して差し上げても……」

「それはできん。あれの愛人は子をなせぬ女なのだ、ルイーズ。それに、マリオンも、いまさら独身になったところで生活に困るだけだ」

「そ、そんな……。お、お祖父さまは一体、何人の人生を犠牲にすれば気が済むのですか?!」

 リュシアンは気怠げにルイを見上げた。

「……愚かな娘だ。もう少し賢いかと思ったが。それともおまえも恋いに溺れて愚者に成り下がったか」

 深くため息をつく。

「国の存続、家の存続を第一に考えないで、何が個に存在を許すのか」

 ルイはリュシアンに近寄ると、思い切り平手をお見舞いしようと手を挙げた。

「おまえの好きにするがいい。ルイーズ」

 リュシアンの視線に気づき、ルイは手を下ろせずにいた。

「その気性の荒さが魔法を扱うのには必要だからな。同時に、政に携わる冷静さ。アルベールの血筋そのままだ。おまえは家出をする前から、ちゃんとクローディルの調査をしていただろう? そして跡が残らぬような魔法を選び、当面の生活に困らぬように装飾品を普段より多く身につけていた。私を怒らせて家を出れば、クローディルを捜すからと、わざわざ私に許しを請う必要もない。申し出たところで私が許す筈もないしな。嫌いなブルギニヨンとの結婚も避けられる」

 リュシアンはまっすぐにルイを見上げた。

「さて、ルイーズ。おまえはどれだけの成果を考えて家を出た? それだけ用意周到で抜かりない。正に政治家にうってつけだな」

 ルイは挙げた右手を静かに降ろし、左手で押さえた。

「……確かにその通りです。しかし家出をするのは私の計画にはありませんでした。きちんとお祖父さまにお許しをいただくつもりでおりました。……結果的に結婚の話がきっかけになったに過ぎません」

「だが最大限おまえができる以上の効果はあったな。私にクローディルの調査をさせたし、ブルギニヨンがどこまで使えるか試させてもくれた」

 リュシアンは腕を組み首をかしげた。

「自分のしたことを振り返ってみるがいい。それから、おまえがこれから2年、どこかの議員につき、試験を受けて免許を取得すれば、魔法議会の議員候補として選挙に出ることも不可能ではない。女の議員は前例がないが、おまえの能力次第で可能だろう」

「お祖父さまが……学校のように、女でも入学できるようにしたのと同じ……ですか?」

「まさか。選挙だけは私でもどうにもできん」

 リュシアンは少しだけ目を細めた。

 ルイは辛そうに横を向く。

「ともかく、ルイーズ。おまえの好きにするがよい。結婚をするも、子供を産むも、勉強をするも議員になるも、おまえの好きなように、な」

「……何もかも全て……お祖父さまの手の内だから……と?」

 リュシアンは目を伏せて微笑んだ。

「子供だと思っていたが。苦労をさせたのがよかったか」

 ルイは唇を噛んで俯いた。

「……お祖父さま……ひとつ、お聞きしたいことがあります」

 ルイの言葉にリュシアンは目を開く。

「なんだ?」

「お母様とお祖母様は……どうして……私が帰ったのに顔を見にも来てくれないのですか」

 ルイがリュシアンを睨み付ける。

「私を恨んでも意味がないぞ、ルイーズ。マリオンはおまえが家出をした所為でひどく体調を崩した。静養に、南の別荘へアンヌと一緒に行かせたよ。アンヌがあまりにも心配するのでな。あそこなら暖かいし、私の顔色をうかがって暮らさぬでもよいだろうから」

 リュシアンは一度小さな声を出して笑った。

「アンヌが逐一報告してくるので、マリオンの容態もよくわかっておる。アルベールの医者もつけたし、心配するほどでもない。気が向いたらおまえも一度、顔を見せに行ってやるといい」

 ルイは寄せていた眉を緩める。

「なんだ? 意外そうな顔をするな」

「……だ、だって……」

「聞きたいことはそれだけか?」

 ルイはまた下を向く。

「……はい」

「ではもういいな? 戻ってブルギニヨンとクローディルをここに寄越しなさい」

「……はい……」

 ルイはリュシアンに背を向けた。


   ***


 大股で廊下を歩いていくと、ルイはクレマンとぶつかりそうになった。

「失礼いたしました」

 クレマンが頭を上げるのを待ってルイが言う。

「オーギュストとアンリをお祖父さまの所へお連れして」

「かしこまりました」

「それと、キリムはどこ?」

「北の棟の客間へお通ししております。奥から3つ目のお部屋です。お隣はクローディル様に。ブルギニヨン様はお話がお済みになりましたら、召使いとお屋敷に戻られるそうです」

「ありがとう」

 ルイが通り過ぎるのをクレマンは待った。

 言われたとおり1階の北の棟、食堂より奥にある客室が並んだ一角へと、ルイは歩を進めた。

 奥から3つ目の扉を叩く。

 キリムの声がして扉が開いた。

「お、なんだ? もう祖父さんに叱られ終わったのか?」

 ルイは無言で部屋の中へ入る。

「どうした? 機嫌が悪そうだな。慰めてやろうか?」

 キリムがニヤニヤしていると、ルイは突然キリムの腰の辺りを指さす。

「ん?」

 キリムが見ると、ルイの指は『夜明けの星』を指していた。

「ヴィー!」

「え?」

「ヴィー。出して!」

「なんだよ。俺じゃ慰め役にもならないってのか?」

 キリムはぶつぶつ言いながら『夜明けの星』をルイの目の前に出した。

「夜明けの星よ、主に従い姿を現せ」

 白い光と共に、ヴィーは青年の姿で現れた。

 広い胸に飛びつくルイ。

「あーあ。ルイらしくないな」

「だ……だ……。ひっ……ぐ。……ぅひっ……」

 あとは言葉にならず、ルイは大声で泣き出した。

「なんだよ。子供みたいだなあ。うちに帰ってきたんで安心したの?」

 ヴィーはルイの髪を優しく撫でる。

「……違っ……違うっ! ……うぐっ……。……おっ……お祖父さま……おっ……」

「無理して喋らない。泣き終わってからでいいよ」

 ルイは無意識にヴィーのシャツをぐしゃぐしゃに掴んで引っ張っていた。

「も、もう……泣かない……」

「無理しない」

「無理してない。気が済んだ……もういい」

「ほんとに? じゃあ一緒に風呂、入ろうか? あんたの涙でぐしゃぐしゃだ」

 ルイはヴィーの胸元を見て、赤くなった目元と同じくらい頬を紅潮させた。

「ごめん……着替え、用意させるから」

「いいよ。そんなの一瞬で済む。で、祖父さんに何言われたの?」

 ルイは唇を結んで俯いた。

 それから何気なく横を見る。

 キリムが物凄い形相でこちらを睨んでいた。

「……キ、キリム」

「なんだ? そのおまえの態度は? なんでヴィーにだけそんなに甘えるんだ」

「ま、日頃の行い、ってやつだね。ヤキモチ焼くなよ、キリム」

 ヴィーは腕を上げて伸びをする。

 それからおもむろにシャツを脱ぎ始めた。

 ルイは両手で顔を拭いながら、客間の長いすに腰掛ける。

「キリムに抱きついたら、こっちが泣いてる暇なんてないじゃない」

 ルイはキリムをにらみ返して何度も頬を拭った。

 ヴィーは汚れたシャツの代わりに新しいものを出し、それを羽織っただけでルイの隣に腰掛ける。

 座った勢いでシャツの裾がひらりと舞った。

「ルイ、気が済んだなら話を聞かせてよ。祖父さんに何言われたの?」

「……す、好きにしていい、って」

「ルイの?」

 ルイは上目遣いでヴィーを見る。

「……うん……」

「なんだ。じゃあ全然叱られてないじゃん。なんで泣いたの?」

「だ、だって……オーギュストと結婚して、そのあとは……そのあとは、ディルとつき合おうが好きにしろ……だなんて」

「非常識だと?」

「そうでしょ?! だいたい夫はひとりと決まってる」

「この国の法律では、だろ? 他の国では女が多くの夫を持っていることだってあるよ。ルイが知らないだけで。ね?」

 キリムが頷いた。

「その国はその国でしょ! 私はトラムの法律に従うよ! トラムの民だもの」

「それが嫌で泣いたの? 祖父さんにはそんなの嫌だって言った?」

「言った! 言いました! そうしたら好きにしていいって! わ……私が……」

 ルイは思わず拳を握る。

「私が生んだ子供なら、アルベールを継ぐ資格はあるから、どんな男の子供でもいいんだって! 私が生めば、それでいいんだって!」

 ヴィーとキリムが同時に声を出した。

「ほー」

 それにルイは激昂する。

「ほー、って何?! ほーって、なによ!」

「何って……感心してんだよ。確かにそりゃそうだろうなーって」

「ヴィーまでそんなこと言うの!?」

「だってなあ、ルイ。よく考えてみろよ。あんたの才能も受け継ぐんだろ? きっと、子供は、さあ。それなら、確かに、ルイの産んだ子供はルイの子供だもの、間違いないよ。そりゃ夫が誰だろうが」

「だからって、だからって私が父と同じように愛人を持ってもいいなんて理由にはなりゃしないよ!」

「いいや。それでいいんじゃねえのか?」

 キリムが口を挟む。

「あの変態若様と同じ理屈だもんな。夫婦でディルを愛人にすりゃ話は早い。その上にルイが生んだ子供が跡継ぎだとすれば、間違いなんて起こらないもんな。そりゃ確実だ」

「キリム!!」

 ルイは椅子から立ち上がり平手をキリムの鼻先にたたき付けた。

「いったー!!」

 ルイは鼻から息を吹き出す。

「ふうー、ちょっとすっきりした!」

 ヴィーが長いすに転がってげらげらと笑う。

「ぎゃははは! ルイ、あんたもしかして祖父さんを叩けなくて、それでイライラが溜まって泣いたんじゃないの? それだったらいくらでもキリムを叩けばいいよ!」

「ヴィー! なんて思いやりのないヤツだ!」

 キリムが鼻をさすりながら言う。

「どっちにしてもルイは好きなようにしてていいってことだな。結婚はあの変態さんとしか許されないけど、恋愛は自由。これって結構いいんじゃないの?」

 ヴィーは長いすにだらしなく腰掛けると足を組んだ。

「どこが?! 私はそんな……」

「ふしだらな女じゃないって? あんた、今朝までの状況、把握してる? あの店で男3人と暮らしてたって、どこからどうみても身持ちが堅いとは言えないなあ」

 ルイは黙ってヴィーを睨んだ。

「ま、キリムには抵抗してても、ディルと俺に甘えてるのは間違いなかったわけだし、大勢の男を手玉に取るのは得意そうにみえるよな。外から見れば」

「……ヴィー……なんでそんなこと言うの」

「事実を客観的に述べたまで。……コレに関してはそうとしか思えないんだから、今まで通りルイの好きにするといいよ。俺たちじゃあどうにもできないもんな。相手を選ぶのはあんただってことだし」

 ルイは顔をしかめながら長いすに戻り腰を下ろした。

「他は? あとは何を祖父さんに言われたの?」

「……別に……とにかく、私の好きにしていいって。……恋愛だけじゃなくて……なんでも」

 ルイは両手を合わせて膝にのせ、客間の絨毯を見下ろした。

「だったら何も悩むことなんてないじゃん。とにかくルイの好きにしたらいい。とりあえずでも変態さんと結婚して、そうすればあとは自由なんだろ? あの街に戻ってディルと店をやってもいいわけだ。もちろん、俺たちがあんたをさらっても祖父さんには文句はない、と」

 ヴィーの言葉にキリムが頷く。

「うん、そうだな。祖父さんはおまえが祖父さんの跡継ぎを生めば、それで文句がないらしいからな。それなら今からでもどうだ?」

 キリムはルイを見て、自分が座っているベッドをぽんぽんと叩いた。

「なに! ふたりとも、勝手なこと言わないでよ! それに、なに? ヴィーってば、私をさらうつもりなの? なんで?!」

 ルイは隣にだらしなく腰掛けたヴィーを振り向く。

「なんで、って……俺の呪いを解いて欲しいし……それに……」

 ヴィーはちらりとキリムを見る。

「……キリムとの約束があるから……」

「なに? キリムとの約束って」

「俺を世界の王にすることさ」

 キリムはしれっと言った。

「だいたいが、こんな伝説級の呪いの剣を持ってる男が、何の目的もなくダラダラしてるわけねえだろ。ルイだっておかしいと思うだろ? 俺はこの国の人間じゃないし」

 キリムはベッドに片肘をついて寝ころんだ。

「ダラダラしてるじゃない! 何言ってるの? 『夜明けの星』を持ってるからって、なんで世界の王になれるの?」

「なれるんだよ。ま、ついこないだまではそれもどうかと思ってたんだが、俺の女を捜して放浪してた甲斐があったってもんだな。……俺が昨夜言ったこと、覚えてるか?」

「……昨夜……?」

「おまえが俺の女になれば、世界が手に入るってこと」

 ルイは不思議そうに首をかしげる。

「……そういえばそんなこと言ってたけど……あれは単にその場の……」

「ハッタリじゃねえぞ。予言されてたことだ。伝説の剣と、その呪いを解く魔法使いと女。それが揃えばこの世界はな、俺の王国に変わるんだ。世界の方が、俺に傅く」

「……はあ?」

 ルイはひん曲がったような表情をした。

「おいおい、なんつー顔するんだよ。美人が台無しじゃねえか」

「全然わけわかんない。なんでそれで世界が手にはいるの?」

 ヴィーはため息をついてから話し始めた。

「それがキリムにかけられた呪いだからさ」

 ルイはキリムを振り返る。

「キリムと俺の呪いの話さ。長くなるから端折って言うけど、キリムの家には代々呪いがかかってる。それを解くには『夜明けの星』……つまり俺と、『夜明けの星』を持って王国を築かなければならない。それには女が必要だ。で、その後俺の呪いも解く。そうすれば世界が手に入る」

「……な、なに……? なんなの? そんな呪い、あるの?」

「もう1000年は昔の話になるかな。俺が作られたあとの話だ。キリムの家の呪いは」

「……古代魔法じゃどうにもならないわけ?」

「どうにもならないなあ。当時の魔法は今使っている階層と、全然違うからねえ。掘り返して掘り返して、どのあたりまで掘り返せばいいのか……」

「……わ、わかんない、けど……今の階層は古代魔法の上に存在してるでしょ? それより下の階層ってこと? 古代魔法は今でも使えるけど……」

「んー、確かに、階層が違うってのはわかるんだけど……空気自体が昔とは違うし……色々と星の影響も違うんだろうし」

 ヴィーは腕組みをして俯いた。

「あー、そういうややこしい話は抜き。とにかく、俺は放浪の民の呪いを受けてるってこと。そんで俺の女と、俺の王国を築くために子供を作らなきゃならんってわけ。ここはおまえと一致してるよな」

 キリムが笑う。

「そのあとヴィーの呪いを解いて、普通の人間に戻してやれば『夜明けの星』の力が解放される。すると世界は俺の物。以上、終わり」

「ふ、ふざけないで!」

 ルイが立ち上がる。

「馬鹿にしてるでしょ? 私のこと。お祖父さまが誰でもいいから子供を作れって言ったからって、あんまりだ」

「馬鹿になんかしてないよ、ルイ。これは本当のことなんだ。今までだったらキリムの家の呪いは、キリムの代で完遂するかと思われる期限に近づいてたんだよ。きっかり1000年で、この呪いは終わって、キリムが俺をみつけなきゃ、代々続いたこの呪いもそこでおしまい。キリムが死んで、ね。だってキリムには子供がいないんだもん」

 ヴィーは真剣な顔でルイを見る。

「だから俺を手に入れたキリムはやっきになって子供を作ろうとしてたんだ。だけど呪いの所為だよ。全然できない。女だってみつからない。どいつもこいつも最終的には逃げ出しちまう。まあ呪いを聞いたら大抵は逃げ出すだろうと思うけど」

「……それで娼家を渡り歩いてたの?」

 ヴィーは上目遣いでルイを見た。

「その辺は……趣味もあるだろうけど……」

 ルイはきっと眉を上げてキリムを振り返る。

「……ま、そんな時にあんたと出会ったってわけで……。それが俺の呪いまで解いてくれそうな魔法使いだったんだ。こりゃ本気で予言が達成すると思うよね」

「ふん。そんな短絡的なことで……」

 ルイは腕組みをしてキリムとヴィーを交互に見た。

「でも、ルイ。確かに短絡的かも知れないけどさ、あんたと出会ったことは予言通りだったんだし、ここは俺たちのために協力してくれてもいいだろ。祖父さんの利害とも一致してる」

「冗談じゃない! 私は誰の道具でもない! これからはひとりで生きていきます!」

 ルイは鼻息荒く客間を出て行こうとした。

 すると、バタバタとあわただしく廊下を走る音がする。

「どうしたんだろう?」

 ルイが扉を開けると、走ってきたディルが大声で叫んだ。

「大変だ! ルイ! オーギュストが!!」

「え?!」

「オーギュストがまた、また……げっほ……」

「ディル! ちょっと、落ち着いてよ」

「また……また……また呆けちまったんだよ!」

 キリムとヴィーがルイの後ろから顔を出した。

 

   ***


 4人がばたばたとリュシアンの部屋になだれ込む。

 先ほどルイがいたときはリュシアンが座っていた長いすの上で、オーギュストは目を開いたまま動かずにいた。

 リュシアンは向かいの席で目を閉じ、小声で呪文を唱えている。

「お……お祖父さま……」

 呪文の終わる頃合いを見計らって、ルイが声をかけた。

「ブルギニヨンは心を囚われておる」

「ええ……前にもこうなりました。博物館にあった、あの剣の所為です」

「……うむ……。私がその剣を貸したはずだと話をしたら、急にこうなった。どうやら魔法だけではなく、剣のこともすっかり忘れておったようだ」

「思い出させた所為で、まだ微かに繋がっている糸にひかれたんだ」

 ヴィーがルイの背後から言った。

 リュシアンが驚いて顔を上げる。

「誰だ?」

「キリムの剣です、アルベール卿」

「剣……?」

 リュシアンはディルの隣にいたキリムの腰を見た。

 そこに『夜明けの星』の姿はない。

「あなたは呪いの剣の……『忘却の森』の本当の使い方をご存じなかった。それなのに、この……中途半端に魔法を知っている若者に、それを持たせましたね? この若者は、それを調べたのか、単に呪いの主となろうとしたのかわかりませんが、剣と契約を交わしたのです。それが為にこうなった」

 リュシアンはオーギュストの顔を見る。

「愚かな……欲に憑かれたか……」

「愚かなのはあなたです、アルベール卿。その力を知らず、無知で野心のある若者に持たせる危険性は、老獪であるあなたのすべきことでしたか?」

「……これを試すにはいい機会ではあった」

 リュシアンは目を閉じた。

「確かに、あれの伝承は失われて、その効果も何も我々には知る術はない。誰かが試し、それを後世に残す。それが正しい」

「お祖父さま、非道い。私にだけでなく、オーギュストにまで……」

 ルイはリュシアンの鼻を、今度はようやく引っぱたくことが出来た。

「おいおい、ルイ」

 ディルが飛び出してルイの腕を取る。

「やめないか。あんたの祖父さんだろ」

「だって! ディル!! オーギュストを人柱にしたんだよ?」

「それはそうだけど、オーギュストだってそれを買って出たようなもんだろ?」

 ルイはヴィーを振り返った。

「ヴィー。オーギュストは助けるにはまた、私がキスしたらいいの?」

「いや、今度はそんなに簡単には行かないだろう。あれを壊したってのにこの様だ。こうなりゃ本当の『忘却の森』へ行って、オーギュストを連れ戻さなくちゃ」

「連れてって」

 ルイは左手をヴィーに向かって差し出した。

 ディルは掴んでいたルイの右手を放す。

「連れてって、そこに。オーギュストを呪いから解放させる!」

 ヴィーは微笑んでルイの左手を取る。

 白い光が部屋中に溢れ、リュシアン、ディル、キリムは目を閉じた。

 次に3人が目を開いたとき、ヴィーとルイの姿はその部屋から消え失せていた。

 ヴィーの手をしっかりと掴んだと思ったルイだったが、気がつくとひとり暗闇にいた。

「ヴィー。どこ?」

 掴んでいたつもりの手をぎゅっと握ると、微かに人の手の感触がある。

 見えないだけなのだ――と気づくと、遠くにうっすら明かりが見えた。

 その光に照らされて、ヴィーの横顔が見える。

 ルイはほっと安心するが、ヴィーの横顔は青年だったり少女だったりと落ち着かない。

 時々は真っ暗になって何も見えなくなるが、手の感触から考えるとナイフにもなっているようだ、とルイは思った。

 ヴィーの姿が変化する度に、握っているはずの手の感触が、しっかりとしたり頼りなくなったり、硬くなったり柔らかくなったりする。

「ヴィー。変化の術を使わないでよ」

「無理」

「なんで?」

「だってここは俺の世界だから」

 ルイは不思議に思い、めまぐるしく変わるヴィーの横顔を見つめる。

「見えてきた」

 ヴィーが光を見つめたまま動かさない、その視線の先をルイも見る。

 遠くに見えていた光の奥から、森の匂いと鳥の声がした。

「ねえ、ヴィー」

「ん?」

「なんでいままでみたいに一瞬で移動できないの?」

 ルイは近づいてくる森の光が眩しくて手をかざした。

「時間も動いてるから」

「え?」

「俺が『忘却の森』を返したのは、俺が知ってる時代の森だから。俺の世界で時間を戻して、それからじゃないと動けない」

 ルイはヴィーの横顔が青年のままで固定しているのに気づいた。

「そろそろだ」

 ヴィーの声と共にふたりはひんやりとした森の空気に包まれた。

 ルイが今までに見たこともない深い森。

 しっとりと水気を含んだ空気が、軽くそよいでルイの髪を揺らす。

 鳥たちがうるさいほど樹上でさえずっている。

 太く高い木の幹に蔦か絡まり、下草がみっしりと生えた地面から、ところどころ飛び出した岩には苔が生え――

 木々の緑だけでなく、確実に澄んだ水も含んだ森林。

 人の手が入らぬ真の姿。

「……きれい……」

 ルイは木漏れ日の輝きに目を細めた。

「置いてくぞ」

 ヴィーがルイを振り返りもせず言った。

「待って!」

 ヴィーはざくざくと草を踏みしめて歩いていく。

 その顔は、実に楽しそうだった。

「待ってってば。ヴィー」

「ついた」

 ヴィーが急に止まったので、ルイはその背中にぶつかった。

「ここだ」

 ヴィーが指さすそこには、太い倒木があった。

 その幹の中はまるで大きな洞窟ででもあるかのようにぽっかりと口を開けている。

「な、中に……あるの?」

「折れたままだったらな」

 ヴィーは倒木の中を見回した。

『グリエルムス』

 ルイの耳にしたことのない言語が、二人の背後から聞こえてきた。

 振り返るとそこに、腰まで届く金髪を持った青年がひとり立っている。

 青年は細身で背が高く、神経質そうな青い瞳を細めた。

『リカルドゥス。どうやって戻った?』

『おまえが戻したときが悪すぎたな。ルドヴィクスが生きている時代とは皮肉なものだ。愚かなおまえの失態だな』

 ルイはリカルドゥスが発した言葉の一部が、胸に突き刺さるような痛みをともなうものだというこに気づいた。

「……ヴィー。なに言ってるのか全然わかんないけど、彼があんまり良くない単語を使ってることはわかる。これは……古代の言葉なの?」

 ルイはリカルドゥスから目を離さないヴィーに向かって言った。

「ああ。まだ普通に話す言葉が命を持っていた時代の言葉だ」

『つまらないことをその娘に教えているんだなあ、グリエルムス』

 リカルドゥスはにいっと唇の両端を持ち上げて笑った。

『おれが戻ったってことは、この次は、その娘の国に行くってことだ。おまえが壊して、そしてルドヴィクスが打ち直した、このおれがなあ』

 リカルドゥスは喉を鳴らして笑う。

『あのおかしな格好をした坊やはどうした?』

 ヴィーはまっすぐにリカルドゥスの目を見据える。

『ああん? 面白いことを訊くなあ。あんなもの、打ち直したときに炉の端で燃え尽きたさ』

『まさか。魂だけを、か?』

『きらきらしたあれの服によく似た色をしていたぞ。くくくっ』

『ふざけるな。おまえが契約者を燃やすことなどできるものか』

『なら確かめるがいいさ。ルドヴィクスに会いに行けよ』

 リカルドゥスはまっすぐに倒木へ向かって歩いてきた。

 ルイとヴィーは倒木の前に立ったままリカルドゥスを見つめていた。

『どけよ。眠いんだ。戻ったばかりで』

 リカルドゥスはルイに向かって軽く左手を振った。

 すると、ルイの体がふいに飛び、近くにあった木にはりつけられた。

「ルイ!」

 ヴィーが駆け寄る。

「痛たた……。なにするの!」

 リカルドゥスに向かって文句を言うと、幹から動けなかったルイの体がふいに解放された。

「わあ!」

 ヴィーに受け止められたルイはその体に思い切りしがみついた。

『リカルドゥス!』

 ヴィーはルイを立たせると倒木の洞に向かって走った。

 座ろうとしていたリカルドゥスの襟首を掴む。

『戻せ。オーギュストを。燃やしたなんて嘘、俺が見破れないとでも思ったか』

『オーギュスト? たいそうな名だな』

 ルイが痛む腕を押さえながら走り寄る。

「オーギュスト! そうだよ、返してよ!」

 リカルドゥスはちらりとルイを見下ろした。

『無知なる娘。我らの言を解するか』

『言葉なんかこの際どうでもいいだろ! オーギュストをどうした? おまえ、これからトラムに戻るつもりなら、あれを媒介にしないわけがない』

『グリエルムス。いいとこをつくな。あはははは』

『笑うな! さあ、正直に言えよ。そうすれば俺たちが川を渡らせてやる』

『ふっ。いつまでたっても夢見が抜けんな』

 リカルドゥスはヴィーの手を振り払ってしっかりと立った。

『奪うがいいさ。呪われたこの人生。おれたちが川を渡ることなんてありえない』

 リカルドゥスの姿が光の中に消え、ヴィーが一歩後ずさりする。

 ルイがヴィーの背中に触れると同時に光が消え、そこにいたはずのリカルドゥスは巨大な白い蛇へ変化していた。

『リカルドゥス!!』

 ヴィーが叫ぶ。

 蛇は巨大な口をがっと開けた。

 空気が振動し、ルイとヴィーをはじき飛ばした。

 木に当たり、ルイが倒れる。

 その上にヴィーは倒れかかったが、なんとか手をついて直接ルイに当たるのを避けた。

「……痛……」

「ルイ、大丈夫か?」

「うん……」

 ルイは口を閉じた白蛇の顔に目をやった。

「あ! 目が三つある」

 ヴィーが顔を上げて蛇になったリカルドゥスを見る。

 虹色に光る目玉が三つ、ぎょろりと二人を見下ろした。

「……おかしい。蛇だろうとなんだろうと、リカルドゥスの目は二つしかないはずだ」

「じゃあなんで今は三つあるの?」

「ルドヴィクスが何かしたんだ」

 ヴィーは迫ってくる白蛇を見上げつつ立ち上がる。

「ルイ、立って。あっちに湖がある。あそこの方が広いから、あっちに誘導しよう」

 ルイは立ち上がるとヴィーに続いて走り出した。

 巨大な白蛇は器用に木々をぬってふたりを追いかける。

 下草や小枝が巨大な物に踏みしめられる音がした。

 ルイが振り返ると蛇の顔がすぐ後ろにあった。

 ルイは悲鳴を上げる。

『娘、おまえも同じだろうに、なにを叫ぶ?』

 リカルドゥスは速度を緩めた。

 そしてゆっくり止まると、ルイの背中に声をかける。

『言葉を解さぬのか? 先ほどはおれの言葉に反応しただろうに』

 不思議そうな仕草で鎌首をもたげ、それをちょっとかしげた。

 追ってくる音がしなくなったので、ルイは恐る恐る振り返る。

 少し距離を開け、蛇のリカルドゥスはルイをじっと見ていた。

 額の真ん中にある瞳がくるりと回転した。

『蛇になってみているとよくわかる。この娘、おれたちと同じだ。何故だ? ただの人だろう?』

 リカルドゥスの声にヴィーが足を止め振り返った。

『リカルドゥス。彼女が……ルイが俺たちを……川を渡らせてくれるんだ』

『まさか』

 リカルドゥスはにょろりとルイに近づいた。

 ルイは一歩後じさる。

『しかし、第三の目に映る、この色合いはどうだ? まるで呪いからの解放を告げると予言された、その光と同じ色だぞ。真実か、それともコレが見せる幻か』

 リカルドゥスは長い舌を出してルイの目の前でちろちろと振った。

『これとはなんだ? リカルドゥス』

 ヴィーが問う。

『コレとはコレよ』

 リカルドゥスは蛇の喉でくつくつと笑った。

『だがしかし、どうする? 娘。媒介を備えたおれを呪いから解放などできるか?』

 ルイはリカルドゥスに何を問われているのか理解できない。

「ヴィー。この……ひと……なんて言ってるの?」

「あんたが呪いから解放してくれるってさ。蛇の目で見るとわかるんだとよ」

「えっ! あんたもなの?!」

 ルイはリカルドゥスの虹色の三つ目の瞳を見上げた。

『リカルドゥス、よく聞け。ルイは俺の世界を通り抜けた。しかも時間を移動しているときにだ。それでなんともない。これだけでよくわかるだろ? 俺たちを解放してくれるってことが』

『おまえの世界を通り抜けたと? 馬鹿な。人じゃないのか?』

『人だよ。でも予言された時代の人なんだ。覚えてるか? ルドヴィクスが死ぬ間際に言ったこと』

『覚えているさ。煙を吐く機械が人のために使われる時代が来る。そのときがおれたちの解放の時だと……。ただの、死に際の老いぼれの、夢の話だと思っていた』

『夢じゃない。今がそうなんだ。だから、オーギュストを返してくれ』

 ヴィーはルイの横に並んでリカルドゥスに手を差し出した。

『返す? とんでもない。その煙を吐く機械が人のために働いている時代の人間だぞ。魂だけでも媒介の価値は十二分に持っている。何故返さなければならん?』

 リカルドゥスは言葉の後にうなるような音を発した。

『……いや……そうだ、思い出した。おれがあの小僧と契約をしたとき、煙を吐く乗り物があった。これはおれの解放の時を告げる使者だと思った。なのにどうだ? あの小僧は己の欲を満たすことしか考えていなかった。しかも魔法の力は微々たるもの。契約の前に本来の姿となって、あの小僧の本質を見極めるべきだった』

『リカルドゥス。おまえ、打ち直された所為で記憶が混乱しているんだ。落ち着いて俺の話を聞いてくれ』

『混乱……? ルドヴィクスがへまなどするか』

『したじゃないか! 忘れたか? その所為で奴は死ぬほどの重傷を負った』

『グリエルムス。ルドヴィクスはまだ生きている』

『今は過去なんだ。「忘却の森」は既に存在してない。人の手がそれを消し去った!』

『過去じゃない。おれは存在している』

『これは、俺の記憶の中なんだ!』

 ヴィーはリカルドゥスの喉元に飛び込んだ。

 リカルドゥスが驚き首を下げたが遅かった。

 ヴィーは喉元の鱗を一枚掴むと力任せに引っ張った。

 リカルドゥスは尻尾をうねらせ、頭をどうと横たえる。

 ルイの位置からはヴィーがリカルドゥスの下敷きになったように見えた。

「ヴィー!」

 倒れたリカルドゥスは見る間に元の青年の姿に戻った。

 その隣に、白い鱗を掴んだヴィーが膝をついていた。

「大丈夫?!」

 ヴィーはルイに頷いた。

 ルイがリカルドゥスに近づきその顔を覗き込む。

 さきほど人の姿をしていたときは二つあった彼の目は、額に大きくもう一つ増えていた。

「これがオーギュストの魂だ。これを外して戻せばいいんだ」

 ヴィーは鱗を捨て、リカルドゥスの頭を抱き起こした。

「で、でも、この人、大丈夫なの?」

「俺が急所の鱗を取ったんで、気絶しただけさ。死んだわけじゃない」

「……そ、それなら、いいけど。……でも、どうやってこの……真ん中の目を……外す、の?」

 ヴィーはルイの顔を見上げると冷静に言い放った。

「俺がナイフに戻るから、それでえぐり取ってくれ」

「はっ?!」

 ルイは両手を握りしめて胸の前に持ち上げた。

「わ、私……が……?」

「他に誰がいる?」

 ルイは背筋を伸ばして辺りをきょろきょろと見回した。

「……ね、こ、こういうのってさ、剣の主がやるもんじゃない? キリム、呼んでこようよ」

「無理。キリムは時変換を超えられなかった」

 ルイはごくりと唾を飲み込む。

「じ……じへんかん……って、あの……暗いとこ……?」

「うん。あそこに行けたのはルイだけだ。通り越してこられたのも」

「じゃ、なんでキリムはヴィーの主になったの?」

「キリムの家の呪いの所為。俺はキリムを色々鍛えて、その呪いを解かせてやろうと……キリムを育ててきた」

「それじゃあキリムに初めから主の素質があったわけじゃなくて、ヴィーが主にしたの?」

「うん」

 ルイは思い出したようにぷうっと頬を膨らませる。

「女癖が悪いのも……そう、育てたの?」

「……確かにそれもあるかな。キリムには必要だったし」

「非道い親だね」

「親じゃないよ。キリムの親はちゃんといる。俺は剣の使い方とか女の扱い方を教えただけ」

「おんなじじゃない。非道いよ。私にあんなことするような人に育てるなんて……」

「ルイ。あのときはちゃんとあんたを守っただろ? 怒るなよ」

 ルイはぷいと横を向いた。

「機嫌直せよ。オーギュストを戻さないと、あんたの祖父さんの部屋で呆けたまま死んじまうぞ。それに、俺が勝手にこっちに来ちゃったから、今頃キリムも呆けてる」

「えっ!! それほんと! なんだ、見たかった」

 ルイは悔しそうに拳で自分の太ももを軽く叩いた。

「ともかく、俺はナイフに戻る」

 ヴィーはそれだけ言い残し、下草の上にぱさりと、ナイフになって落ちた。

 リカルドゥスが、がくりと柔らかな草の上に倒れる。

「わあ! ヴィー!! まだやるなんて言ってないのに!」

 『夜明けの星』の柄にはまった赤い宝石がきらりと光った。

「……催促してるんだね? ……もうっ!」

 ルイは『夜明けの星』を拾い上げ、冷たい皮の柄に触れる。

 ぎゅっと掴むと鞘からさらりとナイフが飛び出した。

 そしてルイの右手は勝手にリカルドゥスの額へと振り下ろされ――

「いやあぁぁぁー!!」

 ルイは目を閉じて横を向いた。

 リカルドゥスの額から大量の血しぶきが上がり、蛇の時に見た虹色の瞳がころりと転がり落ちる。

 ――それを想像してルイは全身に鳥肌を立てた。

「いやだ、いやだ、いやだあぁぁっ」

 両手で『夜明けの星』の柄を握りしめたまま、ルイは振り下ろした腕を上げられずにいた。

「やだやだやだやだ。……血……血だよ……きっと!! ああ、この人死んじゃったんじゃないの?」

 まだ目を閉じたまま、血の海を想像してルイは首を振った。

 しばらくして、ルイの両手に微かな振動を感じる。

「やだ! ああ、いやだ! 見たくない!! 動いたし、今。……やー、動いた!!」

『……ん……う……』

 リカルドゥスの微かな声に、ルイはようやく目を開く。

「生きてるっ? ねえ、ちょっと!!」

 思わず手を引いてリカルドゥスを覗き込む。

 そこには白い額の、細面の青年が目を閉じて横たわるのみ。

「……あれ? ねえ、ちょっと……あんた……真ん中の、目……は……? それに、血……」

『う……うう……』

 リカルドゥスは額を抑えながら上体を起こした。

『んんむぅ……頭が……痛い』

「ねえ、ちょっと……ねえってば」

 ルイがしつこく呼びかけるので、リカルドゥスは面倒くさそうに上を向いた。

『なんだ、うるさい』

「ねえ、あんたの、ここんとこ。……ここにあった目、どうしたの?」

『目? ……なにわけのわからんことを……最初から目は二つ、ちゃんとある』

「……なに言ってんのかわかんないけど、不愉快そうなのはわかった。けどさ、あんたの三つ目の目、どこ行ったの? それがわからないと私は困る」

『なんだ? 三つ目の目?』

 リカルドゥスは一度頭をふってからルイに向き直った。

「ねえ、聞いてる?」

「聞こえてる。おまえ、誰だ?」

 リカルドゥスの言葉が理解でき、ルイはようやく人心地ついた。

「ねえ、あんた、オーギュストの魂をどうしたの?」

「オーギュスト? 主のことか……。契約をしたのだからおれと交換したに決まってるだろ。何言ってんだ」

「交換? だってあんた、それ持ったまま壊れて、そんでここで打ち直したから、またオーギュストを引っ張っちゃったんでしょ? ねえ、返してよ。ここにあった三つ目の目がそれだって、ヴィーは言ったんだよ。さっきこれで取り出したの」

 ルイは右手に握ったままの『夜明けの星』をリカルドゥスに見せた。

「グリエルムスじゃないか。……ああ、そうか……そういえば、おれ、折られたんだったな」

 リカルドゥスは右手を額に当て俯く。

「あんた、大丈夫? 頭、痛いの?」

 ルイはリカルドゥスの額にそっと左手を当てた。

「私が治してあげるから、ちょっと目を閉じてて」

 ルイは治療の呪文を唱えた。

「……娘、魔法使いか……」

「うん、まあね。……どう? 頭」

「……ああ、痛くない」

「そ、よかった。じゃあ、オーギュストを返してくれる?」

「……主との契約を破棄すればいい。本人に会いたい」

「……それで……いいの?」

「ああ」

 ルイは立ち上がって『夜明けの星』を鞘に戻した。

 それからリカルドゥスに手を差し出す。

「んじゃ捕まって。ヴィー、私の家に帰して!」

 再び暗闇が、ルイとリカルドゥスの周りにやって来た。

 ルイが握っているはずの『夜明けの星』は、来たときと同様、青年になったり少女になったりした。

 最後に青年のヴィーが微笑みながらルイに振り向くと、辺りはリュシアンの部屋になっていた。

「やったね、ルイ。大成功」

 ヴィーが笑顔でルイを抱き上げる。

 ルイはヴィーの頬に口づけた。

 それを見たディルの瞳が丸くなる。

「これでオーギュストは元に戻るんでしょ? だって『忘却の森』を連れ戻したんだもの。契約を破棄させればいいんでしょ?」

 ルイが言う前に、リカルドゥスは目を開けたまま動かないオーギュストに跪いていた。

「主。全ての解放を」

 そう言い、立ち上がるとオーギュストの顔を両手で挟む。

 リカルドゥスはオーギュストに口づけた。

「ちょ……ヴィー……」

 ルイがキスをするオーギュストとリカルドゥスを指さした。

「しょうがないだろ。ああしないと魂の交換はできないんだから」

 ヴィーはつまらなそうにキリムを見た。

「……わかった……だからキリムもオーギュストも、あんた達を女の子にしてたんだね」

「そういうこと」

 キリムは腰に手を当てて頷いた。

 リカルドゥスがオーギュストから手を放すと、オーギュストはがくりと前に倒れる。

 それを抱き留めたリカルドゥスは長いすに彼を横たえた。

「目が覚めたら元に戻っている」

 リカルドゥスは立ち上がるとヴィーに向かって言った。

「うん。契約を破棄してくれてありがとう」

「別にどうでもいい。おれは本来主を持ってはいけないわけだし、未練もない」

 リカルドゥスはリュシアンに振り返る。

「あんたはたしか、あの保管庫の主だったな。おれを出したのは間違いだぞ」

 リュシアンは無言でリカルドゥスを見ているだけだった。

「まあ、この娘に会えたのは、間違いでもなかったかもしれないが」

 リカルドゥスは今度はルイを振り返る。

「え? 私?」

「そうだ、おまえ。おれを呪いから解放してくれるんだろう?」

「は?」

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