第4話

「……相談してもいいかなあ?」

 キリムは首をかしげた。

「いいんじゃねえか。少なくともこの街の情報なら誰でも詳しそうだし」

 ルイはマリーベルに向き直って口を開いた。

「……じゃあ言うけど、驚かないでね」

 女達は誰もひとことも発しないで頷いた。

「ディルが……さらわれちゃったんだ」

 悲鳴が店中に響き渡った。

 女達は動揺が収まるまで、あちこちでうるさいくらいに話し合う。

 寝ていた女が何人か、大きな階段を慌てて駆け下りてきた。

「誰? 誰がそんなこと?!」

「いやー! ディル! まだあたしんとこに来てくれてないっ」

「ちょっと! ここらで人さらいなんて商売してる奴、知ってる?」

「娼家なんて似たようなもんだけど……」

「何? どうしたの? あら、ルイ」

「買われはするけど、さらわれはしないわよ」

「あら、わからないわよ。どこかでディルも売られてるの……?」

「きゃ、あたし、買う」

 雑用係の少女がふたり分の茶を持って戻ってきた。

「お客さん、砂糖、いる?」

 キリムに訊ねる。

 騒ぎに無頓着そうなのは慣れているからなのか。

「……ああ、いらない」

「そっちの白い人は?」

 ルイを指さした少女にキリムは吹き出した。

「なんだ? 白い人?」

「うん。お客さん、黒い。あの人、白い」

 キリムはぷっと吹き出した。

「キリム。何笑ってるの」

 ルイが頬を膨らます。

「ちょっと、みんな静かにして!」

 キリムが茶碗をとりあげたところでマリーベルが言った。

「誰か、この何日かで娼家を借り切ったとか、そんな話聞いてない?」

「なんでぇ?」

 ひとりがマリーベルに訊ねた。

「人をさらうなんて、行き当たりばったりでできることじゃないわよ。しかも相手は大の男なんだから、ひとりでそんなことできやしないでしょ。何人か、まとめてこの辺りに泊まって、そこでディルがひとりになるときを狙ってたのかも……でしょ? あたしならそうするわよ」

「さすがマリーベル。頭いい」

「もしそうなら一軒まるごと貸し切った方が便利でしょ。その店の人たち全員に口止めして……。まあ大金がいるとは思うけど」

「そうなると厄介よねえ。口の軽い店じゃ大金はたいても意味ないし……」

 女達はそれぞれが記憶を辿るように押し黙った。

 マリーベルは自分の意見を述べ始める。

「仮にだけど、あたしなら貸し切る店は決まってるわ。市場を抜けた外れにある、元は大きな旅館だったらしいあの店よ」

「……でもあそこはつい最近、経営者が変わったって……女の子もいないも同然だったし」

「だからじゃない。もしかしたら人さらい集団に乗っ取られたのかもよ」

 女達はそれぞれの顔を見合わせて首を振る。

「古い建物だし、地下に大きな通路があって、市場の反対側……つまりここの路地だけど、どこかに繋がってて出られるって話を聞いたことがあるわ。それに、市場の大通りは丁度ディルの店の裏を通る道に向かって曲がってるし、その地下通路がそっちに繋がってるなら楽にさらえるんじゃない?」

「そうだけど……市場ってあたし達もよくわからないくらい路地が多いじゃない。通ったことのない路地もあるわよ。大通りにだけ通じてるってのもおかしいわ」

 マリーベルは両腕を組んで考えた。

「あのね、マリーベル」

 雑用係の少女がマリーベルを見上げる。

「女将さん、言ってた。その旅館、買いたいって、仲介の人に言ったの。でもどこかの貴族が買ったって。だからあそこで働いているひと、いないの」

「エメ、本当なの?」

 少女はうなずく。

「ますます可能性は高くなったわね」

 ルイはその話を聞いてうなずいた。

「ありがとう。充分役立つよ。お茶もいただいたし、そこに行ってみるね」

 ルイが立ち上がるとすかさずマリーベルが近寄り手を取った。

「お礼なんていいのよ。また店に来てくれれば。天国に連れてってあげるから」

 そういってルイの左手を両手で握りしめ頬ずりした。

 キリムは戸惑うルイの姿を見て笑いを堪える。

 ふたりが店を出る前に、マリーベルは旅館の場所を丁寧にルイに教えた。

「いつでも来てね。あたしでよければなんでもするわ」

 ルイは頭を下げ足早に市場の大通りへ向かう。

 キリムは笑いを堪えながらルイのあとを追った。

「なに笑ってるの?」

 ルイは大通りを横切りながらキリムを睨む。

「おまえ、女なんだから、なんでマリーベルに手を握られてあんなに焦るんだよ。堂々としてりゃいいじゃねえか」

「お、女だから焦るんじゃないか! 何言ってるの!」

 ルイは怒りながら右手の人差し指を目の前にかざした。

「ここまでくればマリーベルも見てないだろう。彼女たちの情報はありがたいけど、こっちでも確認しなくっちゃ」

 ルイの人差し指は市場の反対側、マリーベル達が教えてくれた旅館へ続く道を指した。

「……まんざらでもなさそうだな」

 キリムが呟く。

「ねえ、でも、さあ」

 ルイが不安げに言った。

「本当に貴族が買ったっていうんなら、オーギュストが買ったって考えてもおかしくないよね」

「まあそうだろ」

「……だとしたら、なんかものすごく嫌な予感がする……」

 ルイの右手が指す先には、古びた巨大な建物があった。

 煉瓦造りの壁に鞭が当たり、崩れかけていた部分がぼろぼろと床に落ちる。

 床は鞭が当たったところが白く削り取られ、木くずが散らばっていた。

 古い室内はこれだけで倒壊しそうな雰囲気だ。

「ああ、痛そうだなあ」

 オーギュストが言う。

 ディルは額を伝うのが自分の血だと気づかなかった。

「……非道いことしやがる……覚えてろよ」

「アンリ。もっと、良い声で泣いてくれないと、僕は楽しくないな」

 ひとつだけ置かれていた椅子に座って、リリトがあくびをした。

「誰があんたなんか楽しませるよ。この変態」

「変態とはなんだ。拷問は貴族のたしなみだよ。君だって教えてもらっただろう?」

「誰がそんなこと教えるんだよ」

「父上さ。……ああ、今はご自分が受けてるのか。良かったねえ、父上と同じで」

「馬鹿やろう! くっそー! てめえ本当に地獄に落としてやる」

「立場をわきまえてないなあ」

 オーギュストは軽く手元を動かす。

 その振動で鞭が蛇のようにうねり、先端がびしりとディルの足先に当たった。

「いってえ!!」

「足の指先って地味に痛いだろう? 一本ずつやっていこうか?」

「このド変態! 呪ってやる!」

「ああ、そういえば君も魔法学校を……いや、卒業はしてないか。じゃあ無免許?」

「確かに契約魔法をお使いになるどなたかとは違いますけどね、こうみえても学年じゃ首席だったっての」

「おや、そう。じゃあ痛みで呪文が思い出せないの? とりあえずでも、戒めを説く魔法はあったと思うけど」

 ディルの顔色が変わる。

「……そういやそんなのあったな……」

 オーギュストはけらけらと笑い声を上げた。

「首席が聞いて呆れる。可愛いねえ、アンリ。相変わらず」

「気色悪いこというな! あんた、まだおかしな趣味、持ち合わせてるのか?」

「おかしな趣味?」

 オーギュストは鞭を手元にたぐり寄せてディルに近寄った。

「おかしな趣味って?」

 ディルの額の血はわずかなものだったようでもう止まっている。

 代わりに嫌な汗がにじむのを感じた。

 オーギュストは鞭の柄でディルの顎を持ち上げた。

「僕の趣味は高尚なものばかりだよ。おかしなところなんてひとつもないね」

「……気色悪くて思い出したくもねえがなあ、てめえ、俺を口説きやがったじゃねえかよ。寮の、あんたの個室に呼び出して……」

「それのどこがおかしいの?」

「……おかしいに決まってるだろ。てめえも俺も男だっての」

 オーギュストは鼻から息を吐き出すと、唇をひん曲げて笑った。

「貴族のクセに、拷問もたしなまない。その上、学生寮のお楽しみも知らないとは……まあ何を学んできたのやら。アンリ、君って本当に可愛いねえ。もちろん、あの頃も可愛かったけど」

 オーギュストはぐいぐいとディルの顎を押し上げる。

「ぐぐぐぐ……」

 痛いと言うディルの声がこもったまま漏れだした。

「君はルイーズと仲良しだっただろう? ルイーズが僕の妻になることは、彼女が生まれたときから決まっていたことだ。ルイーズは知らなかったけどね。僕が知っていてルイーズを愛せばいい。それだけのことだけど、ルイーズは君以外に、仲の良い友達はいなかったようだし、ルイーズがもし君を愛していたのだとしても、僕はそれを否定したりしないよ。理解することなんて簡単なことだもの。ルイーズと同じように君も愛してしまえば……。そう、ふたりとも僕が愛してるんだもの、君とルイーズが愛し合っていても当たり前じゃないか。僕って寛容だよね」

 オーギュストは鞭の柄をディルの顎から外す。

「痛っ……つ……。……あんた……本当に頭おかしいんじゃねえか」

「まだわからないの? これは博愛という美しい精神じゃないか。寛容と博愛だよ、アンリ。貴族ってものは、そうできてないと領民を愛せないだろう? それが務めなんだよ。君には理解できないの? だから御領主に反旗を翻すような……」

「してねえっての! ぬ、れ、ぎ、ぬ! てめえの仕事じゃねえんだから、調べてもいねえんだろうがよ」

 オーギュストの眉がぴくりと跳ね上がる。

「謀反を起こしたんじゃないの? 冤罪?」

「そーに決まってるだろ。俺んとこなんて貴族っつっても、田舎の公爵領に仕える下級貴族なんだぞ。やっと祖父さんの代で爵位をもらって男爵なんて名乗ってるけどな。あんただってちょっと調べりゃわかることだろ。うちはなあ、実質、ブドウ畑の管理人だ」

 オーギュストは左手で顎を支え、鞭を持った右手で左腕の肘を支えた。

「……ふむ、興味深い。なるほど、帰ったら調べさせよう。僕の愛人が犯罪者の子だなんて、僕の美学に反するとは思っていたんだ。君のことは諦めかけていたけどねえ、アンリ。これならまだ充分候補に挙がるよ」

 言葉尻に喜びが溢れた笑顔をディルに向けたオーギュスト。

 ディルは前屈みになっていた体勢を思わず立て直した。

「なんだと?」

「だから、ルイーズは正妻。君は愛人」

 ディルは目をぱちくりとさせた。

「僕はねえ、アンリ。ひとりの人間に全ての理想を押しつけたりはしないんだよ。全てに完璧な人間なんていやしないからね。だから、ルイーズは、僕に地位を約束してくれる妻として、その役目を果たしてもらう。まあ当然、跡継ぎも必要だ。ルイーズにはそれだけを望むよ。ルイーズが君を愛しているのなら、君たちが愛し合うのは認めよう。僕は人を憎むのは趣味じゃない。できれば君も愛したいんだ。僕はルイーズの一部として君を愛する。だけど、ルイーズが君の子供を産むのはダメだよ。彼女が産むのは僕の子供だけでなくちゃ」

 今度はディルの顎ががくりと落ちた。

「何? そのほうけた顔は。僕の寛容さがまだわからないの? しょうがないねえ」

 オーギュストは退屈そうなリリトに向かって手招きをした。

 リリトは立ち上がり、音もなく近寄ってくる。

「いいかい? リリトは僕の眷属だ。同時に、今は恋人でもある。僕はルイーズに理想の恋人でいろと強要する気はさらさらないんだ。だから恋人の部分をリリトで補う。……わかるね? 僕がルイーズと結婚すれば、リリトは眷属であり、愛人」

 オーギュストはリリトの顎をとらえて口づける。

「……あんた……どこまで変態なんだ……」

 ディルは立て直した体勢を、また前屈みに戻した。

「あ~、先輩だと思って真剣に相手しちまって損した。痛えし……もういい加減魔法でどうにかしよう……」

 ディルは呟きながら、本当に忘れかけていた呪文のひとつを唱え始めた。


   ***


「こ、ここ……みたい……」

 崩れかけた壁がルイの目の前にある。

 ルイの右手にからんだ虹色の光は、建物の扉を指し示した。

「本当に古い旅館みたいだなあ。しかし、買い取った奴は馬鹿か? 修理くらいすりゃいいのに」

 キリムが文句を言って扉の下の方を蹴った。

 ばきりと音がして木の一部が割れる。

「……キリム……やめなよ……」

 割れた所為でなのか、扉は嫌な音を立てて開いた。

「入ってみるか」

 キリムが一歩踏み出した。

「……誰もいないのかなあ」

 ルイが恐る恐る後に続く。

 入ったところは玄関ホールだった。

 右手にカウンター、正面奥には2階へ続く階段。

 左手には広い空間と、その奥に続く扉。

「ルイ。どっちを指してる?」

 キリムが訊ねるとルイはカウンターの方を向いた。

「こっちみたい」

 カウンターまで来ると今度はその奥にある小部屋へ行けと、虹色の光が促す。

 ふたりが開いたままの扉を通り、奥にある部屋へ入る。

 更にその部屋から別のところへ続く扉へと、光はふたりを導いた。

「なんだろう? 従業員用の通路かなあ」

 扉を開け、煉瓦がむき出しの通路を歩く。

 少し行くと地下へ向かう階段が現れた。

 ルイはキリムに手で下を示す。

 キリムはルイの背後から前に回ろうとした。

 ――そのとき。

 キリムの背後で空気が動いた。

 男がひとり、木刀のようなもので殴りかかってくる。

 キリムは振り向きざまに『夜明けの星』で木ぎれをはね飛ばした。

 乾いた床に木の落ちる音がして、男は自分の手元を驚きと共に見る。

 キリムが睨み付けて一歩踏み出したとき、男は悲鳴を上げて踵を返した。

「待て! コラ!」

 逃げた男を追おうとキリムは走り出す。

 つもりが――

「うわ!」

 別の男の悲鳴が階段下から聞こえてきた。

 キリムは足を止め振り返る。

 ルイは男に金縛りの術をかけていた。

「口はきけるから、大声で助けを呼んだらいいよ」

 ルイはあっさり言って男からキリムへと視線を移した。

「キリム、こっちみたい。この人こっちから来たから」

 ルイは階段の一番下に立ち、左手で廊下の奥を指さした。

「丁度いいからこの人のランプを借りていこう」

「ま、待て! やすやすと侵入者を入れたなんて知れたら、ご主人様に……」

「悪者の理論は通らない」

 ルイは言いながら男が持っていたランプをひったくった。

「私、怒ってるんだ。あんた達、許さないからね」

 慌てて降りてきたキリムを確認すると、ルイはずんずんと廊下を進んでいった。

「悪いなあ。暫く借りるよ」

 キリムは男の前を通り過ぎるとき左手を挙げて挨拶をした。

「ちょ、ちょっと待て! この術はどれくらいでとける?」

 男は唯一自分の意志で動かせる口を使う。

 ルイは振り返りもせず大声で言った。

「私がとくまでそのままだよ」

 廊下にルイの声が響いた。

「なっ! ……ちょ、ちょっと……!! おい、あんた!」

 男はルイを呼び止めようと必死だった。

 キリムはルイに近寄る。

「おい、本当なのか」

「当たり前じゃない」

 ルイが本気で怒っているらしいと知ると、キリムは少し寒気を覚えた。


   ***


「主。外が騒がしい」

 リリトが地下室の扉を睨んで言う。

「どうせ酒でも飲んでいるんだろう。酔うとうるさいからなあ」

 オーギュストはリリトの顔を自分へと向けさせた。

 ディルは呪文を唱えたのだが、いっこうに手枷が外れない。

 何度も自分の手を見ては呪文を唱える。

「おかしいなあ」

 首をかしげて右手を見たとき、オーギュストが微笑んでそこにいるのに気づいた。

「外れない?アンリ。おかしいよねえ、首席の君が外せないなんて」

 オーギュストは嬉しそうにディルの手枷をつついた。

「仕方ないかもねえ。なにせ契約魔法を、わざわざそんな手枷に使ったんだもの。君の知っている魔法じゃあ無理だと思うよ」

 オーギュストの言葉にディルは舌打ちをした。

「いくらド変態っていっても、技術は確かってことかよ。畜生」

 ディルが上目遣いにオーギュストを睨む。

 オーギュストはにこにこと笑いながら鞭を持ち直した。

「主」

 リリトの声でディルとオーギュストがそちらを振り返る。

 地下の、この拷問室の扉に鍵はかけられていない。

 リリトが入って来たのと同じように、扉は開かれ、ランプを持ったルイが現れた。

 室内は廊下ほど暗くなく、ルイはランプを胸の辺りに引き寄せ、捕らわれているディルを見た。

 人差し指に絡まった虹色の光が立ち上がり、空中に溶け去った。

「誰だ?」

 リリトが近寄りルイの前に立つ。

「そっちこそ!」

 ルイはリリトにランプをかざした。

 その明かりでルイの顔も照らし出される。

「ルイーズ」

 オーギュストが喜びの声を上げた。

 ルイは本名を呼ばれ身構える。

「ルイーズ、どうしたんだい?その髪は。ああ、もう伸び放題じゃないか。おまけにおかしな色に染めて」

 ルイは扉の方へと後じさる。

「オーギュスト……ディ……アンリを……放してください」

 オーギュストはディルを見る。

「いいよ。君が僕と一緒にアルベール卿の家に帰ってくれれば」

「祖父の家には帰りません」

「どうして? 僕たちは結婚して、アルベール卿の家で一緒に暮らすんだよ」

「……あ、あなたとは……結婚しません」

 オーギュストはつかつかとルイに近寄った。

 ルイとオーギュストの間に立っていたリリトが横へ避ける。

「何か困ったことがあるの?ルイーズ。僕が解決してあげるから、言ってごらん?」

 オーギュストは優しげな微笑みを浮かべてルイを見下ろした。

 ――そうして笑顔だけ見ていれば、人の良い青年としか見えない――

 ルイはオーギュストを見上げて思う。

「……あの、オーギュスト」

「なあに?」

「……どうして、髪の毛がまっすぐなんですか?」

「君は巻き毛の方が好きなの? そんなことで君の気が済むのなら」

 オーギュストはぱちりと指を鳴らした。

 ド派手な上着の上でさらさらと流れていた金髪が、一瞬のうちにくるりと巻き、肩の辺りにまとまった。

 ルイは目を丸めてその様子を見ていたが、オーギュストの髪が巻き終わるとため息をついた。

「……別に巻き毛になさらなくても結構です。単にお尋ねしただけで」

「僕は君が気に入るのならどっちでもいいよ。これで一緒に帰ってくれるね?」

「だから、髪型は関係ないんです!」

 ルイはランプを振り回す。

「アンリを放して下さい。どうしてさらったりしたんですか? 非道い」

「君が家出をしたからだよ。君の魔法の軌跡を追っていたんだけど、君は古代魔法でも使ったの? 綺麗に軌跡が消えているから、とても厄介だったよ。でもそのお陰でアンリの追跡が可能だった。少なからず残っていたからね。見つけたのは偶然だけど、君を追っていてアンリを見つけたのなら、必ず君にたどり着けると思ったんだよ。それで君がいるところを吐かせようと……」

 オーギュストはルイの後ろを見て言葉を止めた。

「ルイーズ。後ろの人は君の連れ?」

 ルイは後ろを振り返る。

 キリムが扉のところで立ち止まっていた。

「……なんてこった……」

 キリムは呟いたがルイはそれを聞いていなかった。

 キリムとオーギュストは同じくらいの身長なので、お互いルイを間に挟んでにらみ合うかっこうになっている。

「ルイーズ? 誰なんだ?」

 オーギュストは人のいい笑顔を引っ込めた。

 眉間にしわが寄る。

 ルイがキリムからオーギュストに視線を戻すと、彼女が今までに見たことのない真剣さで彼はキリムを睨んでいた。

「ああ、こりゃどうも。どうやら同業者ですな。あっはっは」

 キリムが無理矢理笑う。

「同業者? 何言ってるの? オーギュストは魔法使いだよ」

 ルイがキリムに言った。

「いいや、ルイーズ。僕たちは同業者だ。確かにね」

 オーギュストは目を細めてキリムを見つめている。

「同じ呪いのかかった剣を持っている。こんな相手は一生に一度、お目にかかれれば良い方だ。ルイーズ、君のお友達は随分珍しい人ばかりだね。アンリも」

 ルイはその言葉に驚いた。

「同じ呪いって……まさか、オーギュスト……博物館の……」

「あれは模造品だよ。本物はアルベール卿が管理なさってる。君の捜索をすると僕が言ったとき、卿はあれを貸してくださった。だが、僕はこの機会を逃さない。まだ誰も契約者がいなかったあれは、正式に僕の物になった。剣が僕を選んだ」

 オーギュストはリリトに向かって手を伸ばす。

 リリトはまた足音を立てないでオーギュストに近づき、ふいとルイの目の前で消えた。

 オーギュストの右手には、細くて白い、柄が金でできた剣が握られていた。

「こりゃまた……『忘却の森』とは、隅に置けないな」

 キリムが『夜明けの星』を引き抜く。

「そっちこそ。伝説級の持ち主じゃないか。これは楽しみだ」

 ルイを挟んで二人が睨み合う。

「ルイ。ディルを助けてやれ」

 キリムは言ってから右手をひらりと返した。

 普段はナイフほどの『夜明けの星』は、太くてがっしりとした剣に変わった。

「こんなことは滅多にない。だが、同じ呪いを持った者は戦わなければならない」

 キリムが口を引き結ぶ。

「それが呪いだからだ」

 オーギュストがひらりと先の一手を繰り出した。

 ルイは慌てて後ろに下がり、ランプを床においてディルに走り寄る。

「ディル!」

 ディルは驚きの表情でキリムとオーギュストの戦いを見ていた。

「今外してあげるね」

「……なあ、ルイ」

「なに?」

「よく見つけたな」

「追跡魔法は得意なんだ」

「ああ、そうか」

 ディルの視線の先は切り結ぶ二人に向けられている。

 金属の打ち合う音が拷問室に響く。

 キリムは重い剣を軽々と動かし、オーギュストの足許を狙う。

 オーギュストはそれをかわし体をひねる。

 その反動で『忘却の森』をキリムの腰に向かって振り払った。

 紙一重の差で後ろに引いたキリムは、腕だけをオーギュストに向けて突く。

 『夜明けの星』がオーギュストの懐に入ったかと思われた。

 だが仰け反ったオーギュストは剣先を避けた。

 ディルはぼんやりとした表情で二人を見ながら言った。

「なあ、ルイ」

「……うん、ごめん。ちょっと待って。契約魔法だから外れない」

 ルイは古代魔法で鍵の解除ができないか、思い出そうとしていた。

「いや、あのなあ、あれ、見てみろよ」

 ディルの言葉に戦う二人を振り返るルイ。

 二人の周辺は異様な空気に満ちていた。

 オーギュストが放つ『忘却の森』は、白い光を出しながら、蛇のようにのたうつ周りの空気を巻き込んでいる。

 一方『夜明けの星』は金色の光をまとい、その外側に黒く渦巻く霧が現れ刃先に吸い込まれていく。

「あれはなんだ? あれが呪いか?」

 ディルはルイに訊いた。

 ルイは時々二つの剣が打ち合ったときにひらめく、虹色の星が空気にとけたあと、赤い光を放つのに気づいた。

「よくわからないけど、剣だけじゃなく、呪いどうしが反応しあっているみたいだね」

「その所為で、同じ呪いのかかった剣を持つ者同士は戦わなければならないのか?」

「……わかんないよ。祖父にでも訊かないと」

 ルイは首を振ってディルの手枷に注意を戻した。

「この戦いはどうなるんだ? どうしたら終わるんだ?」

 ディルは呪いの放つ美しい光に魅入られたように呟いた。

「わかんない。このままじゃ二人とも、倒れるまで呪いに操られるのかも。……ああ、しかもこっちも外れないし、なんとかあっちを終わらせて、オーギュストがこれを外してくれないかなあ」

 ルイは呪文を思い出すよりも手で引っ張った方が早いかも、と思う。

 そうして鍵のかかった部分を叩いてみたりしたのだが、一向に外れる気配もない。

「ダメだ……どうしよう。……あ、ディル……血が出てる……」

 ルイはハンカチを取り出すと、そっとディルの額に当てた。

「あいた……」

「あ、ごめん。でもここ、切れてるよ。オーギュストったら、非道いことするね。……あ、治癒の魔法をかければいいか」

 ルイはそういうとディルの頭を自分の肩につけて抱きしめた。

 甘い香りがディルの鼻腔をくすぐる。

 ルイの呪文を唱える声が心地良い。

 ――このままずっとこうしていられれば――

 ディルはうっとりとルイの温もりを感じていた。

 暫くして、ディルは目を開けた。

 目の前でルイがディルの顔をじっと見ていた。

「治ったみたい。もうどこも痛くない?」

 ディルはルイのブルーグレイの瞳に近づいた。

「……まだ痛いかも……」

 そしてルイの唇に静かに自分の唇を重ねる。

 ディルの唇が離れると、ルイの瞳は見開かれたまま彼を見つめていた。

「これで治った」

 ディルは笑った。

 だがルイはいきなりぼろぼろと涙をこぼす。

「え? ……おい、ちょっと……ルイ?」

 ルイはその場にしゃがみ込む。

「わー!! ディルの馬鹿! ……いっ……いきなり、いなくなっちゃって……にっ、……二度もいなくなっちゃって……どれだけ心配したと思ってるのっ?! はじめは……はじめは良かったよ。別に、け、けがもしてなかったし……。でも……でも……今日は……さらわれちゃったってわかったとき、……私が、どれだけ……どれだけ心配したと……」

 ルイはしゃくり上げて泣きながらしゃべり始めた。

「だっ! ……はぐ……ひっく……」

「おい、ルイ? 泣くか喋るかどっちかにしねえと……」

「バカバカ! ディルの馬鹿ー!! こんなときにまでふざけないで!」

「何言ってるんだ。ふざけてないだろ?」

「ふ、ふざけてるじゃない! いきなり、キ……キ……」

「なんだよ。そんなの……あんな顔して見つめられりゃ、誰だってそんな気になるさ」

「治療したんじゃない! 心配してるんだもん、当たり前でしょ!」

「いいじゃねえかよ、別に」

「よくない! よーくーなーいーぃ!!」

 ルイは子供のように腕を振って暴れた。

「もう、本気で怒った。ディルをさらった奴にも腹は立ったけど、あんたにもだよ!ディル! これ以上ふざけないで、ちゃんとして!」

「ふざけてないって。ほんとだって」

「じゃあなんでこんなときに……」

「だからぁ、あんたは……その……俺の気持ちがわかってないんだ」

 ディルは横を向いてから少し頬を赤くした。

 ――そのときディルは思わぬものを目にした。

「ルイ!」

 ディルが叫ぶ。

 オーギュストの剣がキリムにはねのけられ、反動でルイに向かって飛んでくる。

 だが『忘却の森』はルイの手前で弾かれたように床に落ちた。

 ルイは涙を拭いながら剣を拾いに走ってきたオーギュストを見上げた。

 オーギュストは『忘却の森』以外のものが目に入らない。

 素早く拾い上げるとキリムに向き直る。

 そしてキリムは――

「うわ!」

 ディルの頭上を『夜明けの星が』すり抜けた。

 金属どうしがぶつかり合う音がして、ディルの左手が下に落ちる。

 急激な重みを感じディルが左手を見れば、繋がれていた鎖が切れ自由になっていた。

「ルイが外せないのなら俺が叩き切ってやる」

 キリムはディルに向かって叫んだが、そこへオーギュストが突っ込んでくる。

 キリムが避けた所為で『忘却の森』はディルの胸をかすめた。

「くそ!」

 キリムが舌打ちをする。

 襲ってきた『忘却の森』のひらめきを『夜明けの星』は全身で受け止める。

 キリムはオーギュストを力任せに押し戻した。

「こいつは完全に呪いに食われてる。自力で剣の呪いから逃れられないんだ」

 キリムがルイとディルに向かって言った。

「隙をついてディルの鎖を切ってやる! いいな?」

「わ、わかった……」

 ディルは必死で答えた。

「そ、それはいいけど……オーギュストの剣を避けながらかよ」

 ディルが呟くとルイが床に座り込んだまま見上げて言った。

「結界を作ればいいのに。近くで剣を振り回している人がいたら常識だよ」

「……あ……それであんたは剣を弾いたのか……って、結界を作っちまったらキリムが鎖を切れないだろ!」

「そうだね」

 ルイは俯いて涙を拭いた。

「頑張って避けてね。ちょっとでも怪我したら治療ぐらいはしてあげるから」

「ル、ルイ! あんた相当怒って……うわっ!」

 オーギュストがまた『忘却の森』を鋭く突いてきた。

 ディルは仰け反って避けたが、足に繋がれた鎖が絡まり倒れかかる。

 『忘却の森』を握りしめたオーギュストがキリムを振り返る隙に、キリムはディルの左足の鎖を切った。

「これで少しは逃げやすいだろ! なんとかもてよ!」

 叫んだキリムにオーギュストが斬りかかる。

 剣の端がルイの結界に当たって火花を散らした。

「お、おい、キリム! オーギュストは元に戻るのか?」

 ディルは動ける範囲で斬り合うふたりから体を遠ざけた。

「アレを壊せばなんとかなる。だが、正気に戻る保証はないぞ」

 突き出された『忘却の森』をキリムが避けた。

「こちらさんは契約してから日が浅いらしい。狂戦士になってるからなあ」

 『夜明けの星』と『忘却の森』は何度も虹色の光を発した。

「壊して元に戻らねえとなると……」

 『忘却の森』がますます輝きを増す。

 キリムはその刃のきらめきを睨んだ。

「あんたはどうなんだ?キリム。狂戦士にはならねえんだろうな? 俺の鎖を全部切ってくれるんだろ?」

 ディルは不安になって声を上げた。

「こちとら呪いの年季が違うってーの。あんたの鎖は全部切ってやる! それから」

 オーギュストの虚ろな目を見てキリムが叫ぶ。

「こちらさんを正気に戻してやるさ!」

 キリムがオーギュストに『夜明けの星』を振り下ろした。

 ルイはようやく立ち上がり、ディルが逃げた壁へ同じように張り付いた。

 死闘を繰り広げるふたりの様子をうかがいながら、ディルは近づいてきたルイをちらりと見る。

「大丈夫だと思うか?」

 ディルはルイに問いかけた。

「なにが?」

「だから、キリム……だよ。オーギュストみたいになっちまったら、俺の鎖は……」

「いいんじゃない。別に」

「ルイ! わかった、謝る。ごめん! 俺が悪かった」

「ふん。どーってことないんだろ?あんなこと。マリーベルとだってしてたんだし」

「ルイ~!! ……うわ!」

 ルイに『忘却の森』の剣先が流れた。

 結界に弾かれ火花が飛ぶ。

 キリムがディルの右足の鎖を断ち切った。

「危ねえって、マジ」

 ディルは鎖がとめられている壁に沿って体をひねる。

 ルイは平然とオーギュストの目の前に立っていた。

 狂戦士オーギュストの前に。

「……本当に正気をなくしてるんだね、オーギュスト。私がわからないんだ……。それに、髪がまっすぐになったり、巻いたり……忙しい……」

 ルイは空洞のようなオーギュストの目を見上げた。

 ――ああ、この人には、何もないんだ。

 何か強力な執着――『忘却の森』よりも彼を現実に引き留める何かがないと――正気には戻らないかも――

 ルイのことは少しも気にとめず、オーギュストは『夜明けの星』に向かっていった。

「あとひとつ、俺が切ったら二人とも、この部屋から逃げろ! いいな!」

 キリムがルイとディルに言った。

「キリム!」

 ルイが叫ぶ。

「なんだ?!」

「オーギュストが何か、その剣以外に持ってる執着するものがあれば……元に戻るかも」

 キリムはオーギュストの剣をかわしながらルイに頷いた。

 蛇のようにうねり何度も突き出されては引っ込む、奇妙な動きではあったが確実にキリムの隙を狙うようなその太刀筋。

 オーギュストは本来魔法使いであるはずなのに、一体どこでこれだけの剣術を学んだのか。

 ルイは二つの呪いが生み出す光の渦を、半ば意識をとられるほどに見入っていた。

 得体の知れないオーギュストの前に、キリムは少し焦りを感じる。

 だが、確実に自分の腕に自信があった。

「ヴィー。聞いてるだろ。頼むぜ。『忘却の森』は本来契約に使っちゃならない!」

 キリムは『忘却の森』の細い剣先をかわし、体重を載せた一撃を打ち込む。

 しかし『忘却の森』の刀身はびくともしなかった。

 先ほどは剣をはじき飛ばされたはずのオーギュストの手にも、信じられないほどの力がこもっている。

「こりゃますます食われてる。ヴィー、なんとかしろ」

 キリムは右、左と『夜明けの星』をオーギュストめがけて振り下ろした。

 すべてを受け止め、かわし、オーギュストは少し後退した。

 その後ろにはルイが立っている。

 キリムがオーギュストを追い立てるように『夜明けの星』を振り下ろす。

 オーギュストはルイの手前で足を止め、『夜明けの星』を受け止めた。

 ――どうしてルイの手前で足を止めたんだ?

 キリムはもう一度攻め込んだ。

 オーギュストの足は後ろに下がることはない。

「ルイ! こいつの執着はおまえみたいだぞ」

「えっ!?」

「俺が攻め込んでもこれ以上は退きやがらねえ。壁のギリギリまで下がった方が踏ん張れる筈なのに……」

 オーギュストはキリムを押し戻し始めた。

「くそ! こんな細い剣のくせに、なんて力出しやがる」

 『忘却の森』の呪いが『夜明けの星』を押しのけ始める。

「ああ、もう! ヴィー!! 聞いてるならなんとかしやがれ!!!」

 キリムは大声で言うと一気に後ろへ飛び退いた。

 オーギュストは前に体重を載せていたためその場に転ぶ。

 落とした『忘却の森』へ、キリムは思い切り『夜明けの星』を打ちつけた。

 『忘却の森』はまっぷたつに折られていた。

「やった!」

 ディルが叫ぶ。

 キリムは『夜明けの星』を床から引き抜くと急いでディルに駆け寄る。

 最後に残された右手の鎖を断ち切った。

 床に倒れたオーギュストは目を開けたまま動かない。

 ルイはそっとオーギュストに近寄った。

「オーギュスト……」

 声をかけてもオーギュストは動かなかった。

 髪は巻き毛になったままとどまっている。

「オーギュスト……起きて……」

 ルイはかがみ込んでオーギュストの顔を見た。

 虚ろな瞳が開かれたまま、折れた『忘却の森』を見つめている。

「オーギュスト……」

「ルイ」

 キリムが背後から近寄った。

「その剣は二度と打ち直さないよう、こいつに言うんだな。また犠牲者が出る」

 ルイはキリムを見上げてからオーギュストに振り返った。

「……祖父に返して、厳重に保管するように言わなくちゃ無理だろうね。きっとオーギュストはまたこれを打ち直すよ」

「しょうがない」

 キリムはいつのもナイフより数倍大きな『夜明けの星』をかざした。

「夜明けの星よ、主に従い姿を現せ」

 『夜明けの星』は青年となってその姿をみせる。

「ヴィー」

 ルイがヴィーを見上げた。

「仕方ない。俺がそれを預かるしかないね。あんたの祖父さんはそれの本当の使い方を知らないんじゃ、うかうか持ち帰らせるわけにもいかない」

 ヴィーは床に膝を突いて二つに折れた『忘却の森』を拾い上げた。

 金色の柄を右手で掴み、折れた刃先は左手で持つ。

 白い光がヴィーの両手からあふれると、次の瞬間には『忘却の森』は姿を消していた。

「何処にやったの?」

 ルイが訊ねる。

「元の森に。これがねぐらにしていた倒木の中」

「ねえ、ヴィー。オーギュストの、この剣は……あんたとは違うの?」

「……同じなんだが、使い途が違うんだ。俺と同じように使っちゃ、こいつみたいになっちまうだけさ。よほどの使い手じゃない限り、呪いに魂を食われるだけだ」

「難しいんだね……。古代の魔法って……どうなってるの?」

「こいつはサラデルの一番弟子が作った呪いなんだ。奴は師匠の座を狙ってた。俺はサラデルの守りの剣なんだ。『忘却の森』はその反対で攻めの剣。……『忘却の森』こそは完全なる守護の呪いなんだがな」

 ルイは首をかしげる。

「わかんない……。古代魔法は理解できない」

「そのうちわかるさ。さて、鎖を切ったのはいいけど、手枷が外せないだろ。契約魔法くらいちょいっと俺がひねればすぐに外れるさ」

 ヴィーがディルに向かって手を振った。

 ディルの手首、足首に巻き付いていた皮の枷の鍵の部分がかちりと外れる。

「ふう、助かった。これ結構柔らかい皮なんだが、思ったよりきつかった」

 ディルは手首をさすりながらルイに近づいてきた。

「ねえ、ヴィー。オーギュストを元に戻すにはどうすればいいの?」

 ルイは巻き毛に戻ったオーギュストの金髪に触れた。

「さて、ねえ。あんたがチューでもしてやれば戻るんじゃない?」

「なんで? ……そ、そんなことで戻るの?」

 ルイはオーギュストの髪をゴミでも捨てるように離した。

「だってあんたがこいつの執着なんだろ? なあキリム」

「……まあそうだろうな。狂戦士になってても、ルイにだけは守りの体勢になってたし。はじき飛ばされた剣があんたに落ちたとき、とんでもない速さで取りに行ったしなあ」

 ルイは両手を握り合わせてオーギュストを見た。

「だ、だからって……だからってなんで……」

「いいんじゃねえか。とりあえず現実に引き戻さねえと『忘却の森』からは戻って来ねえぞ。それに、早くしないと正に忘却の彼方」

 キリムは天井を指す。

 ルイはごくりと唾を飲み込んだ。

「ほら、さっさとやっちまえよ。口の端んとこにでもぶちゅっとしとけばいいじゃねえか。何も愛情たっぷりにやれって言ってんじゃねえんだし」

 ディルがキリムの後ろ頭を引っぱたく。

「愛情たっぷりになんか俺がやらせるか!」

「おっ。急に元気になりやがって、このさらわれ小僧が。てめえ……俺はちゃんと見てたんだぞ。おまえ、縛られてたクセにルイにチューしやがっただろ? え?」

「そっ、それがどうした」

「こっちは死にものぐるいで戦ってたってのに、いいご身分だな。流石にお貴族さまは違いますな」

「あんたに関係ないだろ!」

「いいや、関係あるね。こっちのお貴族さまが正気を取り戻したら、俺もあんたを助けたお礼にルイにキスしてもらおう」

「なんだと!」

「あ、それいいな。俺も、俺も!」

 ヴィーが右手を挙げてにこにこと笑った。

「ちょ、ちょっと……なに勝手なこと!」

 ルイが立ち上がって三人に向かう。

「あんたはいいから。ほれ、こいつにキスしてやんな。俺はその後で我慢する」

 キリムは左手を振ってルイを促した。

「んじゃ俺、キリムの後でいいよ」

 ヴィーが嬉しそうにキリムの背後から言う。

「……か、勝手に決めないでよ! だいたいまだオーギュストにキスするかどうかも決めてないんだから!」

「それはねえだろ。とりあえずでも正気に戻さねえと、こいつ死んじまうぜ。『忘却の森』に食われた魂の行き先を、教えてやろうか?ルイ」

 キリムが腕を組んでルイを見た。

 ルイはぐっと喉を詰まらせ、床に倒れたままのオーギュストを見下ろす。

 視線は床に投げられたまま、オーギュストはぴくりとも動かない。

 ため息をついてルイはオーギュストに向き直った。 

 そのまま膝を折り、腰をかがめてオーギュストの顔をのぞき込む。

 オーギュストの虚ろな瞳は『忘却の森』があった場所から動いていない。

 ルイは思い切って目を閉じると、オーギュストの唇の端に口づけた。

 急いで身を起こし立ち上がる。

 するとキリムが後ろからルイの肩を掴んだ。

 くるりとルイを自分に向ける。

「ひゃあ!」

「んじゃ遠慮なく」

 ルイは近づいてくるキリムの顔を、両手で必死に押し戻した。

「往生際が悪いな。ディルを助けてやっただろ」

「肩っ! 肩からっ、手、を、は、な、せっ!」

「なんだ、腰に回した方がいいのか」

「違う!」

 ディルがまたキリムの後ろ頭を叩く。

「痛えな、この!」

「手ぇはなせよ! あんたがじっとしてりゃルイがちょっとキスして終わりだろ!」

「こんな美味しい場面でそんなことできるかよ」

「キリム! そうでなきゃ私はしないよ!」

 ルイはまだキリムの顔を押し戻していた。

「……ちっ。しょうがねえ」

 キリムはルイの肩から手を離す。

「ほらよ」

 後ろ手に組んでルイの顔の高さに首を曲げる。

 ルイはそっとキリムの唇にキスをした。

 キリムは顔を上げるとにやりとしてからディルを見下ろす。

「これでいいだろ? お坊ちゃま」

 ディルは鼻の頭にしわを寄せた。

「じゃあ次は俺ね」

 ヴィーがスキップしながらルイに近づく。

「ヴィー?」

「なに?」

「お、女の子に、戻れない?」

「えー。なんでえ?」

「だ、だって……」

 ルイは俯いた。

「いいじゃん、別に。みんなにキスしたんだし」

 ヴィーは俯いているルイの顎を持ち上げるとその唇をべろりとなめた。

「このっ!」

 キリムがヴィーに体当たりをする。

 ヴィーとキリムは一緒にオーギュストの横に転がった。

「ひゃはははは。俺、二回目だもんね~」

「てめっ! やっぱあのときルイの寝込みを襲いやがったな」

「おでこにキスしただけだよ~。いいじゃん別に。減るもんじゃなし」

「減るっ!! 減るよっ!! 絶対!!」

 ルイは涙をためて拳を握る。

「なんだよ! みんなして! 私はあんた達のおもちゃじゃ……」

 ルイは言いかけてじゃれ合っているキリムとヴィーの隣を見た。

 オーギュストがぼんやりとした表情で起きあがっている。

「……う……む……」

 ディルがルイに近寄った。

「なあ……このまま正気に戻られたら、俺たちやばくない?」

「……そ、そうだね。か、帰ろうか……」

 ルイはヴィーとキリムにすがるような視線を送る。

 キリムとヴィーもそれを察し、静かに立ち上がるとディルとルイに手を差し出した。

「とりあえず、ディルの家に戻るから、みんな、手を繋いで」

 ヴィーが言うと全員が頷き手を繋いだ。

 眩しい、とオーギュストは目をつぶる。

 気づくと地下室の明かりがぼんやりと遠くに見えた。

「あれ……? ドニ? ブノア?」

 オーギュストは召使いの名前を呼んだ。


   ***


 ディルの台所に立った4人はそれぞれが長椅子と食卓用の椅子に座り込む。

「はあ~、助かった~」

 ディルがテーブルに突っ伏した。

「ねえ、でもさあ、オーギュストはこの店のこと知ってるんだよね? ディルをさらいに来たんだから」

 ルイがディルの肩をつついた。

「う~ん、正確にはリリトなんだが……」

「あの建物にいたオーギュストの部下は?」

「どうだろうな。俺が覚えてるのはリリトだけなんでわかんねえや」

 ルイは腕組みをして天井を見上げた。

「あ!」

「なんだよ」

「ひとり金縛りのまま置いて来ちゃった」

 キリムが思い出して笑い出した。

「いいんじゃねえの? 悪いことをするとそうなるって見本」

「でも……」

「オーギュストがなんとかするだろ。いくら変態だって魔法の腕は確かだぞ」

「そうかもしれないけど……」

 ルイはオーギュストのまっすぐで綺麗な金髪を思い出した。

「そういえば、相変わらず綺麗な髪してたねえ。羨ましいなあ」

「何言ってるんだ! あんなド変態」

「……へ、変態かどうかなんて……私は知らないし……。学生の時からずっと羨ましかったんだもの。綺麗な金髪だし……」

「やめろ、やめろ。変態の真似なんかしなくていい」

「なに?ディル。ちょっといじめられたからってそんなに言わなくても……」

 長いすに寝転がっていたキリムが起きあがる。

「おい、ディル。あんたやけにあいつが変態だって言ってるけど、拷問以外になんかされたのか?」

「へっ?!」

 ディルは姿勢を正した。

「そうじゃなきゃわかりゃしねえだろ。変態だなんて。婚約者のルイさまがご存じないんだぞ」

「そっ……そんなの、あの服装をみりゃわかるだろ! 色がバラバラで統一感のない宝石を、ビーズにして刺繍して……靴から帽子から全身あれなんだぜ? 変態以外のなんだっての?」

「単にそういう趣味なんじゃないの?」

 ルイが唇を尖らせた。

「あれってトラムの……まあ一部お年寄りにだけど……流行した時期があったんだよ」

「俺の地元じゃあんなの着てる奴、いやしねえぞ」

「田舎だもん」

 ルイは上目遣いでディルを見た。

「なんだよ! ルイもキリムも。俺はさらわれたんだぞ。なんでみんなオーギュストに味方するんだよ!」

「だから、ディルさんよ。あんたがそのオーギュストにどんないじめを受けたのか、俺たちは聞きたいって言ってるんだよ」

 キリムが長い足を組み替えた。

「拷問だけなのか、その変態性を充分に発揮した何かをされたのか」

「……た、たださらわれて鎖に繋がれただけでも充分に変態性があるじゃねえかよ! 何言って……」

 ディルは自分の腕に鳥肌が立つのを感じた。

「……それ以上の何かがあったんだね」

 ルイがぼそりとつぶやく。

「ルイ! あんたがそれを聞きたいのか? それとも単なる好奇心か?」

「好奇心!」

 ヴィーが嬉しそうに声を上げた。

「聞きたい、聞きたい! じゃなきゃ今夜の夢を、俺が探りに行っちゃうよ」

「おまえはそれ、やめろ」

 キリムがヴィーの腕を叩く。

「な……なんでみんなで可哀相な俺を……そんな追いつめるような……」

「だって、オーギュストは……一応……私の……」

 ルイが息を詰めてディルを見る。

 ディルはその先の言葉を想像して顔をしかめた。

「なんだよ! ルイ、あんな奴と結婚するつもりなのか?」

「違うよ! だけど……その……知りたいじゃない。あんたがオーギュストを変態だって言うわけを、さ」

「ルイも単なる好奇心だって認めなよ」

 ヴィーが口を挟む。

「俺たちはみんなディルがどんな拷問を受けたのか知りたいわけ。ね?」

 ヴィーは立ち上がってそれぞれ3人を見て回った。

「ねえ、ねえ。だからさ、あの部屋にあったのは鞭と『忘却の森』だけなんでしょ? 鎖はまあ繋がれてたわけだからさ、それでどうこうはできないよね」

 ヴィーはディルの座っている椅子の背もたれに手を載せた。

「鞭で叩かれたの?」

 ヴィーの言葉にルイが答える。

「おでこが切れて血が出てた。私が治したけど、叩かれなきゃ切れないよね。私が部屋に入ったときは、『忘却の森』は女の人だったし」

 ディルは口をゆがめてルイをにらむ。

「……ふうん。じゃあ他に何がディルをいじめる材料になるかな?」

 ヴィーはディルの背後からのぞき込んだ。

「……おまえら……覚えてろよ……」

 ディルが頭をかきむしる。

 キリムは長いすに寝ころんで笑い出した。

「まあいいや~。ルイもヴィーもやめとけ、やめとけ。今日は店を休みにして、戸締まりを厳重にしてもう寝ようぜ。俺は疲れた」

 思わぬ助け船にディルはキリムへ振り返った。

「え~。もう寝るの? まだ夕方だよ。俺、風呂入りたい」

 ヴィーは髪をかき上げた。

「今日は汗かいちゃったもん。髪の毛洗いたいし……ルイ、一緒に入ろう」

「えっ?!」

 ルイが顔を上げてヴィーを見上げた。

 ――つもりだったが、ヴィーは少女になっていてルイの目線は台所の壁へ向かう。

「これなら文句ないよね? お湯は俺が用意するから、すぐに入れる。あんたも髪の色、落としちゃえば? どうせばれちゃったんだから、染め続けても意味ないし」

「そ……それは……そうだけど……」

 ルイはディルの顔色をうかがった。

「……いいの? ディル?」

「なんで俺に訊く?」

「……え? ……だって……」

 ルイはもじもじと下を向いた。

「俺と一緒に入らないと、誰かさんがのぞきに来るよ~。ルイひとりじゃもっとヤバイかもねえ」

 ヴィーは浴室の扉を開いてルイを見た。

 どうやらもう浴槽には湯がたっぷりとはられているらしい。

 湯気がもうもうと立ちこめている。

「ほらあ」

 ヴィーが手招きをするとルイは椅子から立ち上がった。

「じゃあ……」

 小走りにヴィーに近寄り、ふたりは一緒に風呂場に入る。

「鍵、あるといいのになって思ってた。ヴィー、ありがとう。でも、絶対男にならないって約束して」

 ルイはヴィーにかがみ込んで言った。

「それは勿論。じゃ、ルイは俺の髪、洗ってね」

 ふたりは急いで服を脱いだ。


   ***


 風呂場の扉の外で、キリムが聞き耳を立てる。

「おい、コラ」

 ディルが文句を言いながら近寄ってきた。

「あんたんとこのナイフは、都合の良いように女になったり男になったりしてるからな。信用がおけねえんだが」

「……なあ、大家さぁん」

 キリムは猫なで声を出した。

「なんだよ、気色悪いな」

「壁に穴あけてみるのも悪くないと思わないか?」

 ディルはキリムの頭を叩いた。

   ***

「これ、良い匂いだね」

 ヴィーはルイに頭を洗われながら笑った。

「ディルの作った石鹸なのかなあ? わかんないけど、多分同じ香水が店にあった気がする」

「あ~、やっぱ人に洗ってもらうと気持ちいいなあ。キリムってばちっとも風呂に入らないし」

 ルイは柔らかいヴィーの髪を丁寧にすすぎ始めた。

「ねえ、ヴィー」

「んん~?」

「あの、オーギュストが持ってた剣はねえ、トラムの博物館にあったやつなんだ。だから祖父が管理してるはずなんだけど、どうしてトラムになんかあったのかなあ」

 ヴィーはすすぎ終わった頭をブルブルと振った。

「ああ、ダメだよ。髪を持って絞らなくちゃ」

 ルイがヴィーの髪をまとめて水をきる。

「あんたの地元には史料がないの?」

「うん。学校で習った分ではね、伝来とか、なにもわからないみたいだったけど」

「ふうん」

 ヴィーはルイに向かって振り向いた。

「俺の呪いとは違うからなあ。どこから流れたんだろ。第一、あれは、俺が最後に見たときは、俺が元に戻した木の中にあったんだ。人手に渡らないように封印して」

「それってどれくらい昔の話なの?」

 ヴィーは湯の中で手をぱしゃりと動かした。

「……ん~、わかんない。俺も眠ってた時間が長いから」

「そう」

 ルイはヴィーの前髪からしずくが落ちるのを見た。

「それとねえ」

「うん」

「ヴィーは私の結界をすり抜けるだろ? あれははじき飛ばされたの、どうして?」

「俺は、物理的に作用する魔法は全て無効に出来る呪いをかけられてるからね。でもあれは別。本来守護するものに作用する呪いだから。防御魔法どうしが弾きあうのはわかるだろ」

「うん。攻撃魔法どうしが弾きあうのと同じことでしょ」

 ヴィーは頷いた。

「だからルイの結界に弾かれた。それに、ルイの結界に弾かれたり触れたりしただけで『忘却の森』はかなり消耗してたよ。俺たちの呪いどうしが食い合ったのと同じように、ルイの結界に少しだけど食われてた。ルイの方が力が強い証拠だよ」

 ルイは膝を抱えてヴィーを見る。

「……そこまでは、私にはわからないなあ。本当なの?」

「うん。いままで不思議に思ったことない? ルイは簡単にできること多いでしょ? なんでも、本に書いてあるとおりにやると、ちゃんとそうなるの」

 ルイは思い出すように首をひねった。

「自分じゃわかんないけどな。でも、料理はそうだったかも」

「それって、普通より持ってる能力が大きいっていうことだよ。教えられたとおりにやるんだけど、それ以上の力を発揮できるの。普通はそれでも何度も練習とかしないとダメなんだけど、ルイはたいてい一度で成功してるはずだよ。俺が変化の術を教えたときもそうだったじゃん」

「……そういわれてみれば、そうかもしれないなあ」

 ルイは湯をすくって見つめた。

「……でも、それでヴィーを元に戻せるって保証にはならないでしょ?」

「そんなことないよ。今まで『忘却の森』の呪いを食った結界なんて、見たことないもん」

 ルイはすくった湯を浴槽に戻した。

「じゃ、今度はルイの髪を俺が洗ってあげる。あっち向いて」

 ヴィーは石鹸を取って泡立てた。

「これ、すぐに落ちるでしょ? どこか東方の薬草だよね」

「……うん……ひとつきもたないかな」

「これで面倒が減るじゃない。男にならなくても済むし」

「あ~、それはどうだろう」

 ヴィーは泡をのせたルイの髪を一束掴んだ。

 そこに湯をかけて泡をすすぐ。

「綺麗に落ちたよ。石鹸だけじゃ落ちないかと思って、少し魔法もかけたんだけど」

「ほんと? ヴィー、そんなことできるんだったら金髪にして欲しいなあ。オーギュストみたいにさ。まっすぐにして」

「え~。いいじゃない、銀色で。少しくるくるしてて俺は好きだけど」

「私は嫌なんだよね」

 ルイはばしゃりと湯を弾く。

 ヴィーはルイの髪をすすぎ終わると、自分がルイにされたように水気をきった。


   ***


 キリムとディルは風呂場の扉に張り付いていた。

 お互いを睨み合っている。

「えらく静かじゃねえか? 覗いた方がよくねえか?」

「ふざけるな」

 ディルが言った直後、キリムは裏口の扉を振り返る。

 そのまま足音を立てずに扉に近寄ると、外の様子をうかがった。

 ディルもキリムの後ろに静かに近寄る。

 キリムはディルに首を振って合図をした。

 ディルは鍵を外すと一気に扉を開く。

「うわあ!!」

 外にはキリムの『夜明けの星』で木ぎれをはじき飛ばされた、あのオーギュストの召使いが立っていた。

「何だ! あんた? 何の用だ?」

 ディルが大声を上げ、キリムはその隣に立ち身構える。

「わわ! お声が高うございます。ご、ご近所に迷惑ですから……その、中に入れて下さい」

「ディル。こいつオーギュストの部下だぞ。俺が棍棒をはじき飛ばしてやった」

「なんだと?」

 召使いは地面に両膝をつき両手を上げた。

「ドニと申します。その節は大変失礼を」

「失礼で済むか!」

 ディルはドニの上げた手をぱちんと叩いた。

「お詫びは後ほど、主より正式に使いが参ります。今回はわたくしのお願いをお聞きいただきたく……」

「悪人が何言ってやがる! うせろ! この変態の部下め」

「へ、変態……とは……。……クローディルさま、どうか何卒」

「うるせえ、ボケ。その名前で呼ぶなよ」

 ディルはしゃがむと小声で言った。

「やべえんだよ、この馬鹿。中入れ!」

 ディルがドニの手をつかんで引き立てた。

 キリムが最後に周囲を見回してから扉を閉める。

 がちゃりとかけられた鍵を、ドニは不安げに見ていた。

「それで? 何のお願いなんだ?」

 ディルが不機嫌そうに長いすに腰掛けた。

「わたくしの同僚が金縛りのまま動けないのです。聞けばあなたさまを助けに来られた、こちらの方と」

 ドニはキリムを手で示した。

「ご一緒に来られたもうひとりの方が魔法をお掛けになったとか。その方が仰るには、その方が魔法を解除なさらない限り金縛りのままだと……」

「そんなもん、オーギュストにとかせりゃいいじゃねえか」

 ディルはぷくりと頬を膨らませる。

「オーギュストの方が腕が確かなんだからよ。それにかけた本人じゃなきゃ解除できないものが、なんで俺にとけるっつーんだ? あん?」

 かなり機嫌が悪い。

「ですから、クローディルさまがご存じの方なのですよね? 助けに来られたくらいですから。その方を、わたくしどものところへよこしてはいただけませんか?」

「はあん?」

 ディルはそっぽを向いた。

「冗談じゃねえ。なんで俺があんた達を助けに……あいつをオーギュストんとこへ行かせなきゃならねんだよ」

「お願いです。同僚は、もう一時も辛抱ならないと……」

 ドニの必死の表情に、キリムがぷっと吹き出した。

「なんだよ……トイレでも我慢してんのか?」

 ドニはキリムに振り向き頭を下げた。

「……左様に……」

 キリムは下品な笑い声を上げる。

「ひゃっはっは。馬鹿じゃねえ? あんたが面倒みてやんなよ。うわはははは」

 そのとき、階段を下りてくる足音がした。

「どうしたの? なに笑ってるの?」

 ルイはいままで染めていた髪を元の銀色に戻し、長い間一つにまとめて縛るだけだった髪型も、きちんと肩のところで揺れる長さの巻き髪に整えていた。

 洋服もディルの着なくなったシャツや上着ではなく、新しい絹のシャツにベルベットのベスト、ドレスこそ着ていないが細身のパンツはベルトでしっかりとウエストを絞っている。

 背は女性にしては高めではあるが、そうしているとかなり上品な貴族の娘然とした印象を与える。

「……ルイ? ……なんだ? ……どうした? ……それ?」

 ディルは最後の方で舌を噛んだ。

「……あ、もうばれちゃったし、いいかと思って」

 ルイは久しぶりの姿をディルに見せて、少し照れくさそうにした。

「……や……それなら……いいんだけど……」

「よくない!」

 キリムが声を上げる。

「よくないぞ。なんだか一気に敵が増えそうな気がする」

「……なんの敵?」

 ヴィーがルイのあとからとことこと階段を下りてきた。

「キリムに敵なんかいないでしょ?」

 少女のヴィーはルイの腰に手を回して抱きついた。

「いいや、よくない」

 ディルもうなずく。

「なんで? ふたりとも、私が男の格好してる方がいいわけ?」

 ルイはキリムとディルを交互に睨む。

 と、心細そうにキリムの背後にいたドニに気づいた。

「……あれ? この人……」

「あの……マリー・ルイーズ・アルベールさまでは……?」

 ドニが恐る恐る訊ねる。

「……そう……ですけど……あなた、オーギュストの……」

「召使いでございます。主はあなたさまをお探し申し上げております」

「……こいつ、さっきは気づいてなかったのか……」

 キリムが呟く。

「いや、本当に絵姿そのままのお方だったとは……」

 ドニは目を瞬いた。

 ルイは首をかしげる。

「ああ、いえ、その……マリー・ルイーズさまも魔法をお使いでございますよね?」

「……ええ、まあ」

「それでしたら是非、わたくしの同僚をお救い願いたく……」

「あ! あの金縛りの人?」

「え?」

「すいません。あのときはとても腹が立っていたので……」

「ええっ!」

 ドニは後ろに二三歩退いた。

「……あ、あの……あのときこちらの方とご一緒だった……?」

「はい」

 ドニは絶句する。

「悪いんですけど、オーギュストに頼んでください。私はもう行きたくありません」

 ドニは顔色を変えてルイの前にひざまづく。

「伏してお願い申し上げます。どうか、どうかブノアを……」

「だからオーギュストに会いたくないんです。それに、オーギュストだったら私の魔法くらい解除できるでしょ」

 ドニは涙をためた目をルイに向けた。

「そ、それが……それが……」

 ドニはルイを見上げ、ディルに振り向き、キリムに懇願の手をさしのべた。

「ご主人様は記憶がなくなってしまったのですぅ~」


   ***


「あー、ここ、ちょっと前まで旅館だっただろ? 表向きだけだけど」

 ディルはカウンターに置かれたいくつかのランプを見た。

 ドニがそのうちのふたつに火を点ける。

「おい、あんた」

 キリムがドニの背中に声をかけた。

「は、はい」

「これが呪いの剣だってオーギュストに言うなよ。忘れてるんなら丁度いいんだから」

 キリムは腰にさした『夜明けの星』を叩いた。

 ここにはヴィーの魔法で戻ってきた。

 来るなりヴィーは疲れたと言ってナイフになり、キリムの腰に収まったが、ドニはその様子をしっかりと目撃している。

「はい、必ず」

 頭を下げてからドニはランプをふたつ持ち上げる。

 それからルイ、ディル、キリムを促し従業員用の通路へと入っていった。

 ドニの持ったランプの光が、地下室へ続く階段下のブノアに見えた。

「ドニ?」

「ああ、ブノア。遅くなった」

 ドニは階段を駆け下りる。

 ルイがすぐあとに続いた。

 ブノアはルイの顔を見ると息をのむ。

「あ!」

 ルイはその目の前で軽く手を振った。

 次の瞬間、ブノアはつんのめるようにして足を一歩踏み出した。

 それからドニの差し出したランプをひったくる。

 階段を三段とばしで駆け上り、一番上で見ていたディルとキリムを無視して走り去った。

「おーお。可哀相に」

 キリムが鼻で笑う。

「悪いことしちゃったな」

 ルイは階段を上りながら言った。

 ドニは三人を先導しながら玄関ホールに戻る。

「主は二階の部屋におります。どうかお会いになって下さい。マリー・ルイーズさまとクローディルさまをお探ししていたわけですし」

 ルイとディルはお互いの顔を見合った。

「どうする?」

「会いたくない」

「そりゃ俺も同じだけど、どうせばれてるし。なにしろお付きの方々が俺の店に訊ねてくるくらいだしなあ。隠れるも何も……」

 ディルはため息をついて階段へ向かった。

 ルイもあとに続く。

 キリムは一番最後に階段を上った。

 オーギュストの部屋は二階の一番奥にあり、二間続きの豪華なものだった。

「なんでこの部屋だけこんなに綺麗なの?」

 ルイは天井にきらめく明かりを見上げた。

「主が買い取りました折に、寝泊まりする分には現状以上にするよう、わたくしどもが申しつかりまして……」

「そういう問題じゃない気もするけど」

 キラキラとランプの明かりを反射する壁紙がオーギュストの趣味を映し出す。

 ドニは奥の部屋の扉をノックした。

 すぐに返事が聞こえてくる。

 ルイはドニに促されて扉をくぐった。

「ルイーズ!」

 オーギュストは実に嬉しそうな笑顔を浮かべ、ルイに近寄ってきた。

「ああ、元気そうで良かった。なんだか君が汚い格好をして僕の前に現れた夢を見たんだよ。アンリも一緒だったような気がするのは、昔のことを思い出していたからかな?」

「事実だよ」

 ディルがルイの後ろから部屋に入ってきた。

「アンリ!」

 オーギュストは更に嬉しそうに微笑んだ。

「いや、二人とも無事で。良かった、良かった。アルベール卿が喜ばれるよ」

 ルイは眉を寄せてうつむき、ディルの隣にすり寄ると腕にしがみついた。

「あの、オーギュスト……」

「なんだい?」

「さっきのこと、全然覚えてないんですか?」

「さっきって? 夢の話? 少しは覚えてるよ。君が男の格好をしてたとか、髪を茶色に染めてたとか」

「それだけ? アンリのことは?」

 オーギュストはディルの顔を見る。

「……ふむ……アンリ、君はこの町に隠れていたの?」

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