第七章二節後半

「静流!!」

 マスクをかぶったまま、俺は限界まで声を張りあげた。俺の声に気づいた静流が目を見開く。

「佐山くん?」

 気が動転していたのか、静流は俺を上の名前で呼んだ。

「迎えにきたぞ!!」

「佐山くん!!」

 あらためて静流が叫び、俺にむかって泳ごうとした。

「お待ちください姫様!」

 その前に立ちふさがったのは大臣だった。戴冠式を取り仕切っていたらしい神官が右往左往するなか、大臣が静流を拘束する。

「あれは下賤な地上のものでございます! 姫様は騙されているのです! 近づいてはなりません!」

「何を言ってるの!? あんな仮面をつけてるけど、あれは秀人くんじゃない!!」

「貴様ノ目論見ハ終焉ヲ迎エタゾ! 魔王ヨ!!」

 ボイスチェンジャーで加工したみたいな声が飛んだ。横を見ると、お妃様を背負った強利様が立っている。前のときもそうだったが。正体を隠すことに徹底してるな。さすがは勇者の末裔である。強利が上段を指差した。俺が目をむけると、TVカメラをかまえていたクルーみたいな奴がひっくり返る。カメラだけはまわりつづけていた。魔法で眠らされたらしい。やったぜ。これで戴冠式ブチ壊し作戦は中断されず、世界に放送される。

「ココニイルモノハ聞クガイイ!! アノ大臣ハアヤツラレテイルノダ。カツテ封印サレタ魔王ノ思念ニトリ憑カレテイル!! ソシテ地上ノモノ二戦争ヲ仕掛ケ、世界ヲ破滅サセヨウト画策シテイタノダ!」

 魔法使い姿の強利の声がドーム内に響き渡った。おそらく、声が響くように魔法で加工していたのだろう。戴冠式の客席らしいのに座っていた半漁人や人魚たち――たぶん、『M&M』のなかでも、地位の高い貴族階級――が、顔を見合わせたり、こっちに目をむけたりしている。俺たちの背中にいる王様とお妃様を見て、ヒソヒソと話をはじめる者もいた。少なくても、根も葉もないデッチアゲではないと思いはじめたらしい。大臣が青い顔でこっちを指差した。

「ゼム! あの者たちを黙らせろ!!」

 きやがったな。俺は背中の王様を降ろした。

「ここで待っていてください」

 言ってから、俺は周囲でオロオロしている衛兵どもをねめつけた。

「怪我をしたくなかったらどけ! 俺が本気でブン殴ったら、ダゴンの切りだした岩板も砕けるんだぞ!!」

 この言葉は聞いた。緑や青や黒の半漁人が、その顔色をさらに暗くして左右に散る。

 その半漁人の衛兵たちの間からあらわれた男がいた。蟹の甲羅みたいな鎧を着た、両手にイセエビの触角を持った男である。殺気の塊みたいだな。『P&P』で見たときよりも、さらにヤバい感じがする。こっちにきて本性をむきだしにしたらしい。

 ゼムだ。俺を見て腹立たしげな顔をする。

「あれで死んだと思ったんだが」

「あいにくと、頼もしい魔法使いさんが助けに入ってくれてね」

「ふん」

 ゼムが、俺の横に立っている強利に目をむけた。

「まァ、よかろう。わけのわからない暴漢をふたり片づけたところで、特に問題にもなるまい」

「へェ。俺たちが素性を隠してるのを逆手にとるつもりみたいだな。そういう考え方もあったとは気がつかなかったぜ」

 俺はかまえながら近づいた。

「けど、そんな簡単に行くかァ?」

 挑発混じりに言いながら、俺は目一杯に息を吸った。顔面をかばいながら息を吐くと同時に、ゼムの両腕が霞む。

 直後、全身にイセエビの触角が突き立ち、食いこむことができずにバラバラとちらばった。胸と腹の筋肉を硬直させながら駆け、ゼムに思い切り蹴りを打ちこむ。確かな手ごたえ。いや足ごたえか。蟹の甲羅の鎧を粉砕され、ゼムが五メートル近くも吹っ飛んだ。五、六回地面をバウンドして、それでもすぐに起きあがる。やっぱりな。粉砕できたのは鎧だけである。そもそも骨のないタコの化物だし。

「さすがだな。潮の香りの高い海のそばなら、多少はこちらが有利かとも思ったが、そうもいかんようだ」

 返事をせず、俺は両手を降ろした。前傾姿勢は獣人類の本能が示す戦闘スタイルである。ゼムの眉が寄った。俺がなりふりかまわず襲いかかってくると思ったらしい。実際、こいつ相手に、お上品な人間の技では限界がある。

「GAAA!!」

 威嚇に一発吼え、俺はゼムへ駆けた。ゼムが胸を膨らませる。次の瞬間、俺の視界が黒く染まった。ゼムが墨を噴射したのである。俺は腕をかき、目の前の墨をかき消しながらゼムへ駆け寄った。墨の彼方にゼムがいる。想像通り、イセエビの触角をかまえていたゼムが俺にむかって腕を振った。同時に俺も全身の筋肉を硬直させる。

「動くのをやめなさい!」

 その瞬間、俺の背後から澄んだ声が飛んだ。途端に俺の動きが止まる。筋肉の硬直すらもだ。ゼムから飛来した触角が俺の身体に突き刺さり、鮮血が噴きあがった。

「ふん、あぶなかったが、これで勝負ありだな」

 全身に突き刺さった触角を抜くこともできず、その場に立ち尽くす俺の前まで、ゼムが近づいてきた。横目で見ると、遠巻きにしている半漁人の衛兵たちの間に、魔法使い姿の女が立っている。

 あれは、確かセーニャと言ったか。ゼムと一緒に大臣の後ろにいた、あの人魚である。衛兵どもの間にまぎれていたとはな。一対一で決着をつけてやろうと思っていたのに、やられたぜ。

「おっと、動くとこの人間は死ぬぞ」

 ゼムが俺から目をそらして宣言した。印を切ろうとしていた強利が動きをとめる。ゼムが触角を俺の喉にむけた。

「今度は、この男が人質だな。おまえたち、その魔道士を拘束しろ。なんだったら殺してもかまわんぞ」

 ゼムの命令に、半漁人の衛兵が、アタフタしながらも強利に槍をむけた。まだ俺は動けない。ゼムの持つ触角が俺の喉に触れる。動くことのできない俺に対抗する手段はなかった。

 そのときだった。

「動いて佐山くん!」

 セーニャよりも、はるかに澄んだ美しい声が響き、急に俺の身体が自由になった。喉にむけられた触角を跳ねのけ、ゼムを殴りつける。完全な不意打ちを食らい、ゼムがひっくり返った。ゼムが起きあがる前に、全身の触角を力まかせにひき抜く。横目で声のした方向を見た。

 俺の束縛を解いた、第二の人魚の声は、静流が発したものだった。

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