第七章三節前半
3
「姫様!?」
愕然とセーニャが声をあげた。大臣に拘束されたままの静流がにらみつける。
「まさか、姫様が、そんな地上の蛮族に手を貸すなど――」
「秀人くんは私の彼氏なのよ! 自分の好きな人を手助けして何が悪いの!?」
セーニャの言葉を静流の声が遮った。――声ってのは音波であり、空気の振動である。空気の振動同士がぶつかり合うはずがない。確か、物理の時間に、俺はそんなことを習ったはずだった。
例外がここに存在した。セーニャの声と静流の声が空中で激突し、金属をぶつけ合うような音がして相殺されるのを、俺は確かに聞いたのだ。青い稲光まで飛んだぜ。これが人魚の声の、本来の力か。泡を食った大臣が静流をにらみつける。
「姫様、お気を確かに。あんな下賤なものに」
「手を離しなさい!」
静流の声と同時に、大臣がぱっと手を離した。人魚の声は同族にも通用するのか。拘束を解かれた静流が、一直線にこっちまで泳いでくる。
「佐山くん!」
俺は血まみれなのに、気にしたふうもなく静流が抱きついてきた。純白のドレスが真っ赤に染まる。
「おい静流、血がついちまうぜ。せっかくのドレスが」
「ううん、かまないわ、そんなの」
静流が俺を見あげて笑いかけた。目には光が宿らず、顔色は血の気が失せたまま。まるで死人のようだった。
「ごめんなさい。こんなひどい顔で」
自分でもわかっているのか、静流が泣き笑いみたいな顔をした。
「私、佐山くんが死んだって聞かされてたの」
「何ィ?」
「あのあと、放っておいても治ると思っていたら、治療が間に合わなかったって言われて。――それで私、もう、どうでもよくなっちゃって。この世界で王様になってもいいかなって思ってたの」
「俺が死ぬわけないだろうが」
「でも、あんなにひどい怪我だったし。それで私、その話を信じちゃって。佐山くん、生きてたんだね」
言い、あらためて静流が俺を抱き締めてきた。――少年漫画で、死んだはずの奴が実は生きていたってパターンは定番だが、まさか俺がそうなるとは。そういえば、強利も似たようなことを言ってたっけ。
「それで、私も死んじゃうところだったんだ」
静流があぶないことを言いだした。
「死んじゃうだ?」
「言ったでしょう? 人魚は、好きな人と離れ離れになったら、泡になって消えちゃうんだよ?」
俺は驚いた。静流が死にかけの魚みたいな目をしていたのは、本当に死にかけていたからだったのである。俺は静流を抱き締めた。
「安心してくれ。俺は絶対にどこにも行かない」
「うん」
「もう小父さんと小母さんも保護してるから。こいつらをぶっ飛ばしたら『P&P』に戻るぞ。だから、もう少し待っててくれ」
俺は静流から離れた。振りむきながら全身の筋肉を硬直させる。同時に飛んできたのはイセエビの触角だった。全身に突き刺さりかけ、さっきと同じでバラバラと地面に落ちる。俺は眉をひそめた。
「すぐそばに静流が立ってるんだ。離れるまで待てないのか?」
「まちがっても静流姫様にはあてない。腕には自信があるのでな」
「そういう問題じゃないだろうが。王族に対する敬意はないのか?」
「これは失礼した」
ゼムがかまえを解いた。俺の横にいた静流が離れていく。俺もかまえながらゼムとの間合いを詰めた。
「動くのをやめなさい!」
「あなたこそやめなさい!」
セーニャの声が俺にむかって飛ぶと同時に静流も叫んだ。派手な音を立てて人魚の声が相殺される。もうあれは怖くないな。後はゼムとの一騎打ちか。
「じゃ、つづけるか」
言うと同時にゼムの腕がかすんだ。瞬間に飛んできた触角が俺の全身にぶつかり、地面に落下する。全身の筋肉を硬直させたまま、俺は駆けた。ゼムが墨を吐きだしながら横に飛ぶ。墨をかき分けながら俺はゼムに詰め寄った。力まかせにゼムの顔面を殴りつけたが、さっきと同様、骨を粉砕した感触はない。痛がるような素振りも見せずにゼムが腕を伸ばしてきた。その手が俺の顔にかかる。
俺が見たのは、ゼムの手のひらについている吸盤だった。
その直後、俺の口がふさがれた。鼻もである。呼吸ができない。
「やはりな。おまえには、こういう方法が効果的だったか」
ゼムの腕を引っぺがそうとしたが、すごい吸盤の力で動かない。息もできずに暴れる俺の前で、ゼムが余裕の声をあげた。
「我が国では、こんな方法、子供だましなんだが。地上の蛮族には、俺の吸血針よりも効く、か。わかっていたはずなんだが、実際にやってみると拍子抜けするぜ。おまえの親父も、こうやって殺してやればよかった」
勝利を確信したのか、ゼムがべらべらとしゃべりだした。俺の口と喉を塞いでいる吸盤は離れない。ゼムが興味深そうに俺を見る。
「確か、人間が意識を失うのは五分だったな。一〇分もこうしておけば、いくら五獣王の息子とは言え、息絶えるだろう――」
饒舌にしゃべっていたゼムが、急に表情を変えた。口から噴き出したのは墨ではなくて青い血である。何が起こったのかわからないらしく、自分の腹部に目をむけた。
「なんだと――」
驚愕の声をあげるゼムの腹に、俺は連続で攻撃をくりだした。一発撃ちこむごとにゼムの血が噴きあがる。やっぱりな。腹だけは鎧で覆っていたから、もしやと思っていたが、急所はここだったか。タコは頭に内臓が詰まっていると聞いたこともあったが、さすがにそこまで原生動物そのものではなかったらしい。
「あァ苦しかったぜ」
力尽きたゼムの手が離れると同時に俺は深呼吸をした。自分の右手を見る。
俺がにぎっていたのは、ゼムが武器にしていたイセエビの触角だったのだ。
「想像通りだったな。普通にぶん殴っても平気な顔をしていたけど、これには弱かったか」
たおれたゼムが動かなくなったのを確認し、俺はイセエビの触角を投げ捨てた。――人間、相手にいやがらせをするときは、無意識に、自分がやられたらいやなことをやる。相手を殴るのは、自分が殴られたらおもしろくないからだ。
ゼムが吸血針を武器に使い、それにこだわりつづけたのは、それが自分にとって、唯一の脅威だったからである。
「さて、残るは?」
俺は周囲を見まわした。手下の半漁人どもが俺に近づく気配はない。俺を見て、ヒソヒソと会話をはじめる。
「おい、誰か行けよ」
「馬鹿を言うな。吸血針のゼム様がやられたんだぞ。俺たちにかなうわけがあるか」
「地上の蛮族って、こんな化物ばかりなのかよ」
そういうわけでもないんだが、勘違いさせておいても損はするまい。そもそも、俺の背後には『M&M』の王様がいるのだ。どっちに正義があるのかわからず、オタオタする半漁人どもはもう敵じゃなかった。俺の横に強利が近づいてくる。もうお妃様を背負ってはいない。
「君たちの世界では、こういうのをクライマックスと言ったかな」
「おおむね正解ですね。ラスボスって言葉を加えると適切かもしれません」
俺は強利に言い、ふたりして前方に目をむけた。
戴冠式の壇上に立つ大臣が、青い顔で俺たちをねめつけていた。
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