第七章二節前半
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俺は周囲を見まわした。瞬間移動したのはわかる。潮の香りの強いからな。さっきまでの、魔法陣の部屋ではない。
ただ、見えている景色は白濁した霧のなかのままだった。それ以外は何も見えない。いや、俺の横を半漁人が歩いていく! あわてて蹴りを放ったが、俺の蹴りは半漁人の身体をすりぬけた。よく見たら半透明である。
「ダムズ島全体を『忘却の時刻』で覆っているんだ」
強利が俺のそばまで近づいてきた。
「すなわち、ここは陸上でありながら海中でもある。君が攻撃を加えた相手は、たまたま焦点が合っただけで、本来は遠くにいたんだろう」
「どうすればいいんですか?」
俺は焦った。マスクをしたままの強利が手をあげる。周囲の魔力をを感じとっているらしい。
「安心していい。この島を覆うだけの『忘却の時刻』など、本来ならばつくれるはずがない。しばらく経てば、自然と解けるはずだ」
「そうですか」
「問題は、どうしてこんなものをつくったのか、という理由が見えてこないことか」
強利が言う通りだった。三〇分ほどで『忘却の時刻』が晴れていく。
俺は目を見開いた。巨大な玄武岩を削りだしてつくった東京ドームみたいなものが眼前にそびえている。目測だが、サイズもそれくらいあった。
「なんだこれ?」
「彼らのつくりあげた巣――いや、要塞だな。なるほど。この岩を運びだすために、『忘却の時刻』で陸上と海中をつないでいたのか。海中なら、ものは飛躍的に軽くなる」
「連中も妨害に備えていたってことですね。で、このなかで戴冠式は行われるわけですか」
「ちょっと待ちたまえ」
強利がお妃様を背負ったまま、携帯をとりだした。画面をのぞく。すぐに顔をあげた。
「もう戴冠式ははじまっているようだ」
「そりゃ大変だ。えーと、すみません」
俺は言って背中の王様を降ろした。ドームに近づく。軽く叩いてみたら、またずいぶんと硬そうな音がした。ぐるっと周囲を歩いて入口を探す――のは巨大すぎて無駄だな。入口があったとしても鍵はかかってるだろう。
「海神ダゴン様が切りだした海溝の岩板だよ。まさか、大臣がこれまで持ちだしてくるとは」
俺の背後で王様がつぶやいた。声にあきらめが内包されている。
「世界が生まれた直後から、深海の重圧に耐えてきた岩石だ。陸上の、こんな軽い空気のなかでしか動けない人間に砕けるものではない」
「だからって、帰るわけにもいかないでしょ」
俺はかまえた。思いきり腕をひいて、思い切り打ちこむ。ボクシングで言ったらヤケクソのフルスイングだ。もちろん、かまえている間は拳を緩めておいて、殴りつける瞬間だけにぎりこむという基本は守っている。
除夜の鐘みたいな、すごい音がした。
「無駄だよ。それは力で破壊できるものではない」
王様が背後で声をかけてきたが、俺はやめなかった。このなかに静流がいる。二発目。またいい音が響いたぜ。
「やめておきたまえ。私たちのために死力を尽くしてくれるのはうれしいが、そんなこと、何十年やっても、ダゴン様の岩盤は――」
五発目だったか、ブッ叩いたら音の種類が変わった。やっとヒビが入ったらしい。結構かかったな。何十年じゃなくて何十秒だったが。ヒビの奥から、内部の連中のアタフタした声が聞こえてくる。背後の王様と同じで、あるはずのない現象に仰天したらしい。
「――待ってくれ。そんなことが」
もう一発。俺の打撃で、岩板が崩れ落ちた。まだ反対側に抜けてない。殴るだけじゃ無理があるな。力まかせに蹴りを入れてみる。ヒビの奥から光が漏れてきた。よし。
「馬鹿な。あるわけがない。この岩盤は、ダゴン様が切りだしたものだぞ?」
「だったら、これからは、この岩盤は五獣王の息子が穴をあけたものだと言うといいですね」
「五獣王だと!?」
あ、この王様も知っていたか。
「まさか、君は――」
「気にしないでください。じゃ、行きますか」
「君で無理なら僕が行こうかと思っていたが、必要なかったな」
王様を背負いあげた俺の横で、強利が苦笑するような声をだした。
「守るもののために力を得るのが本来の獣人類とは聞いていたが、これほどとは。生まれついての才能とは恐ろしいものだな」
「強利様だって似たようなものじゃないですか」
「僕はただの努力家だよ」
「あなた、勇賢者強利だったの? 話は聞いていたけれど」
強利の背中でお妃様が茫然と言った。まずい。うっかり名前を言ってしまった。マスクをつけた強利がにらみつける。
「わかってると思うが、なかに入ってからは――」
「はい、すんませんでした」
俺は王様を背負ったまま、右腕で頭をガードした。
「頭、かばっててくださいよ」
背中の王様に言い、俺は岩盤に体当たりした。ビルが倒壊するような派手な音がし、そのまま突き抜ける。俺は岩盤をブチ壊してドームのなかに飛びこんだのだ。同時に潮の香りが強まる。内部は『忘却の時刻』のままらしい。
「まさか! こんなことがあるはず――」
「衛兵!! 不審者だぞ!! 早く!!」
内部に突入した俺たちを半漁人どもがとり囲んだ。クジラの骨かなんかを加工したんだと思うが、まっ白い槍みたいなのや、昆布で編んだみたいな投げ縄をこっちにむけてくる。――そのうちの何匹かが気づいたように俺の背中を指差した。
「お、おい、あの蛮族の背中の」
「まさか、王か? 病に倒れていたと聞いていたのに。あの男、まさか王を人質にとって。この戴冠式をブチ壊しに――」
馬鹿野郎、俺が王様を人質にとるわけあるか。戴冠式をブチ壊しにきたのは正解だが。俺の背中の王様にどう対処していいのかわからないらしく、遠巻きにする半漁人を無視して俺はドームを見まわした。
ドームの中央に、同じく岩盤でできた高い台があり、そこに神官らしい格好をした半漁人の爺さんと、それから白いドレスを着た、人魚のお姫様がいた。遠目からもわかるが、瞳を半透明の膜が多い、顔色は蒼白でひび割れている。かつては雪のような、生命感のあるやさしげな純白だったのに、いまはそれを超えて完全に血の気が失せていた。世話を忘れられてほったらかしにされた水槽の、死にかけの魚に似ている。
それが静流だった。
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