第五章二節前半
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六時限目がおわり、ホームルームが終了して下校の時間になった。担任の山田も、静流に関しては何も言わない。さすがに大人だな。アメリカ人に、おまえアメリカ人だなと言ったところで、何もならないとわかっているのだ。
「秀人くん、帰ろう」
「そうだな」
俺は手をつないで教室をでた。掃除当番の連中がニヤニヤしながら俺たちを見ている。先週までとは視線の種類が違うような気もしたが、まァいいとしよう。階段を降りて保健室まで行き、静流が乾いた制服に着替えた。あらためて下駄箱まで行く。
下駄箱に、面倒な連中が立っていた。
「やっぱり人間じゃなかったんだな」
「そんなのと付き合ってるなんて、どういうつもりなんだよおまえ」
朝もからんできた不良の皆様である。懲りない連中だな。しかも、朝より人数が多い。数にものを言わせて復讐する気か。目の前の連中が、あからさまに好機と偏見の目を静流にむけてきた。ついでに俺にも。静流が、俺の背後に隠れてしまった。俺も静流をかばうように立ちながら不良どもに目をむける。
「あんた方、馬鹿すぎて赤点とって留年したんだよな? それを珍しそうな目で見られたら楽しいかよ?」
質問したら、不良どもの目つきが変わった。
「てめェ、ふざけてんのか!?」
「俺は大真面目に言ってんだよ。自分が珍しい目で見られたらおもしろくないだろうが。だったら他人にそういう目をむけるのはやめろ」
「この野郎――」
留年はトラウマだったらしく、先頭にいた不良が俺につかみかかってきた。軽く足払いをかけてやると、そいつがみっともなくひっくり返る。静流を怖がらせるような相手だ。容赦する気はない。いや、殺したらまずいから、やっぱり容赦するか。
「この野郎――」
ひっくり返った奴があわてた顔で起きあがり、俺につかみかかってきた。それより早く俺が相手の胸倉をつかんでやる。――そういえば、朝、俺が胸倉をつかんだ奴もこいつだったような気が。まァいいか。それにしても、俺に近づいたら楽しくならないって学習しない連中だぜ。
俺は胸倉をつかんだ野郎を持ちあげた。持ちあげられた野郎が青い顔で暴れだす。
「てめェ、離しやがれ!!」
「いいぜ」
返事をしながら俺は腕を振った。胸倉をつかまれた奴がブン投げられた形になり、ほかの不良連中と激突する。
「な――」
「これ以上からむようなら本当に怪我するぞ」
唖然として顔をあげる不良どもを俺はねめつけた。人間を片手で持ちあげるだけではなく、軽々と投げ飛ばすのがどういうことか。こいつらも、俺の腕力が自分たちとは根本的に異なると気づいたらしい。簡単に言うなら、大人と子供だ。たとえ一〇対一で殴り合っても俺が勝つ。
「用があって、普通に話しかけてくるんなら、俺も聞くけどな。そういう偏見の目をむけるなら、こっちもそれなりのことをするぜ。でかい声で脅かすだけならともかく、リアルの殴り合いは楽しくねェって知ってるか?」
「いや、だっておまえ――」
「とっとと消えろ」
数秒、俺は不良どもをにらみつけた。ガチで俺がやる気だと覚ったらしく、不良どもが立ちあがる。
「わかったよ」
「行くぜ」
「けっ。彼女が人間じゃないからっていい気になりやがってよォ」
「てめえらこそ、ワルを気どって粋がるんじゃねェ」
捨て台詞に言い返し、俺は静流に笑いかけた。
「さ、帰ろうぜ」
「うん。――でも、秀人くん、よかったの?」
静流が小声で聞いてきた。
「何がだ?」
「だって、いまの、やりすぎじゃない? あんまりやっちゃうと、秀人くんまで変な目で見られちゃうかもしれないし」
「人間ひとりを片手で持ちあげるくらい、重量級の柔道家やプロレスラーでもできるぜ。あの程度じゃ、特に問題もないだろ」
それでもやりすぎたらまずいとは思ったが、もうあいつらが突っかかってくることもあるまい。不良なんて、その程度の連中だ。
俺は静流と一緒に校舎をでた。
「あ、なんだろう」
校門をでて歩きながら、静流が携帯をだした。メールがきてたらしい。それを見て静流が微笑する。
「あのね、お父さんも、仕事場で、『S&S』の出身だって、やっぱり知られたんだって」
「え、そうなのか」
「うん。でも、みんな、いやな目で見たりはしなくて、安心したって。普通に仕事をつづけられそうだって。よかった」
「そうか」
俺も静流に視線をむけた。
「俺も安心したぜ。小学生の頃は、みんな変な目をむけてくるから怖かったけど、年をとれば大人になるんだな」
「うん。私も、みんなが普通に話しかけてきてくれるから、ホッとしたんだ。坂本くんが、気にしないって感じで言ってくれて、うれしかったな」
「ごめんな。俺は力になれなかった」
「あ、そういうことじゃなくて」
「わかってるさ」
俺は静流に笑いかけた。そのまま手をつないで歩く。なんとなく後ろをむくと、見物人らしい学生服がちらほら見えた。やっぱり静流が気になるらしい。このへんは仕方がないか。静流も振りむく。
「ねェ秀人くん、あの人たち――」
「放っておくしかないさ。そのうち、飽きて付きまとうのをやめるだろう」
「うん。だといいんだけど」
「ところで俺、お姫様と付き合ってるんだよな」
「あ、秀人くん、またその話?」
「いや、そうじゃなくて。ほら、たとえばTVアイドルと付き合ってる彼氏が普通の一般人だったら、みんな、やっかみで突っかかってくる気がするんだけど。俺も、そういうことやられるのかなって思ってさ」
何気なく言っただけなんだが、俺の横で静流がおもしろそうに笑った。
「それ、さっきやられたじゃない」
「は?」
「ほら、下駄箱で、不良の人たちに」
「あ、そうか。――あれって、俺が静流と付き合ってるから、やっかみで突っかかってきてたのか」
「たぶんね」
「なるほど。気がつかなかったな」
俺はてっきり、静流が人間じゃないから偏見でからんできてるのだとばかり思っていた。――冷静に考えたら、静流は美しいのだ。俺がからまれるのも当然か。
歩きながら、俺は静流の横顔を見た。不意に、そのむこうの景色が白く濁りだす。なんだ? 背後を見ると、あとをつけていた学生服の姿も消えていた。いや、それだけじゃない。周囲の街並みも消えはじめている。空から白い霧が降りてきた。それも、潮の香りのする霧である。静流も気づいたらしく、俺を見あげる。いつの間にか、その姿は人魚に“変貌”を遂げていた。
「あの、秀人くん」
「あァ、わかってる」
これは、『M&M』版の『忘却の時刻』だった。
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