第五章一節後半
飯を食っている間に制服が乾くはずもないから、放課後に受けとりにくると保険医の先生に言い、俺たちは保健室をでた。静流と手をつないで教室に戻る。教室に入ると同時に、クラスの連中が無言で目をむけてきた。五時限目の授業がはじまるまで、まだ一〇分くらいある。
俺は静流を席に着かせた。相変わらず、自信なさげに静流は下をむいている。その背中に、周囲の連中の視線が突き刺さった。好機と、それから、自分たちとは違うものを見る目だ。こいつら全員殴りたおして、静流をつれて教室を飛びだそうかな、なんて、俺はちらっと考えた。もっとも、そんなことやったら余計に静流が悲しむ。こういうとき、俺はどうすればいいのか。
「あのさ、宮原さん――」
誰かが声をかけた。びく、と静流が震える。
「あの、私たち、驚いちゃったんだけど――」
「まー実際、驚いたよなァ」
えらく能天気な声が響いた。坂本の声である。俺が振りむくと、いつもと変わらない、ヘラヘラした顔で坂本が近づいてきた。
この馬鹿野郎。ブッ飛ばしたろかと考えてる俺の前で坂本がしゃべりだした。
「宮原って、人魚だったのか。すごい美人だって思ってたけど、そりゃ、仕方ないよなァ。最初から言ってくれたらよかったのに。人間じゃないからって、俺たちをとって食ったりはしないんだろ?」
でかい声で言う。静流の美貌が青くなった。一方、まるで変わらない調子で坂本が周囲に目をむける。
「おまえらだって、べつに宮原が怖いわけじゃないと思うぜ。そりゃ、ちょっと珍しいから、そういう目で見ちまうってのはあるけどさ。俺、小学生のころ、金髪で青い目のアメリカ人をジロジロ見て、親に殴られたことがあるんだ。相手に失礼だって。確かに、考えたら、その通りだぜ。もちろん高校生にもなって、そんな馬鹿はしないけど。それとも、この年になって、そんな馬鹿なことする野蛮人がここにいるかァ?」
阿呆みたいな調子で言う。――もっとも、言ってることにまちがいはないと俺は気づいた。これがアメリカだったら、人種のるつぼとか言うし、学校に亜種がいたって、特に問題ない話のはずである。ところが日本は島国だから、そういうのに偏見があるのだ。その偏見はまちがいだと坂本は言っているのである。
「宮原に言っておくけど、普通に自己紹介してくれても、俺は普通に相手したぜ。みんなもそうなんだろ?」
言いながら坂本が周囲を見まわした。言われて、遠巻きにしていた女子が顔を見合わせる。自分たちの行動が恥ずべきものだと気づいたらしい。
「そうか。そうだよね。外国人の留学生と同じだもんね」
「坂本の言うとおりだな」
「あのさ。宮原って、『S&S』からの出身なんだろ? むこうのこと、教えてくれよ」
打ち解けて――というか、差別はいけないという道徳観念もあるとは思うが、女子も男子も宮原に近づいてきた。いや、意外と人気がでたような感じである。気がつくと、静流が俺を見あげていた。
「あのね、秀人くん――」
「よかったな。みんな、気にしないってさ。それでも、なんか、がたがた言う奴がいたら、かまわないから俺に言うんだぞ」
「宮原さん、今度、『S&S』の言葉を教えてくれない?」
「あ、あの、私、生まれたの、こっちだから。両親が移民してきて――」
「海の王国のお姫様だって、本当?」
「それは、お父さんたちはそう言ってたけど、もう『S&S』に戻る気はないって言って、こっちで生活するって」
女子が集まって静流に話しかけてきた。女子の友達ができるのはいいことである。ホッとして、俺は自分の席に着いた。坂本が近づいてくる。
「なァ、正直に言えよ。佐山って、宮原のこと、知ってたのか?」
核心を突く質問だったが、もう隠す必要もないだろう。
「実は知ってた」
「だよな。あのときも驚いてなかったし」
坂本が、少し考えるような素振りをした。
「ちょっと確認するけど、それって、宮原に告白する前から知ってたのか?」
「告白する前から知ってたぜ。まァ、いろいろあったんでな」
「ふゥん。それって――」
「ただ、知ってたから告白したわけじゃない」
まァ、知らなかったら告白もできなかったとは思うが、これは説明しなければいい話だ。俺の返事を聞いた坂本が笑いかける。
「安心したぜ。おまえ、やっぱりいい奴だな」
「いい奴はおまえだぜ」
なんて言ってたら、キーンコーンカーンコーン コーンカーンキーンコーンとチャイムが鳴った。授業がはじまる。
「さ、先生くるぞ」
言って、そそくさと坂本が自分の席まで歩いていった。その背中に声をかける。
「ありがとうな。助かったぜ」
「気にするなよ」
坂本が、ちらっと振りむいた。誇らしげに胸を張る。
「自慢じゃないが、俺は全然空気が読めないんだ」
それは確かに自慢にならねェわ。
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