第18話



「オル? ねえ、お母さんと遊びましょう?」

「……イルマ、ごめんなさい。ニックが夜までにこの詩編をすべて暗記しておくようにって」

「…………」

「イルマ?」


 僕がニックの書斎のデスクから振り返ると、そこにはもうイルマの姿は無かった。



――僕の《魔力の素養》が覚醒してから二年と半年近くが経過している。

 もう、前世での四歳、数えで五歳になっている。


 今は、前世でいうところの秋ほどの季節だろう。

 窓の外の下生えが茶色く変わっているのが見えた。


 しかし、この世界には四季という概念がないらしい。大まかに春と夏と冬があるだけだ。

 おそらくだけど、狩猟生活時代の伝統を引きずっているのだろうと思う。

 秋は、農耕生活にとっては特に重要な収穫時期だけど、狩猟生活においてはむしろ冬という死の季節の予兆だ。


 無論のこと、この世界の国家も僕が産まれてくるずっと前に農耕によって支えられるようになっているのだけど。

 じゃないとこれだけの人口を支えられるわけがない。


 この二年以上、僕の時間はすっかり《魔術》の勉強とこの国の勉強なんかに費やされていた。


 僕の《魔導の素養》が目覚めたことにニック以上に喜んだのは、伯父のマルクス王だった。

 レイア家の血統から、まともな《魔法使いソーサラー》が出るのは、ほんとうに何百年ぶりだろうか。

 我が国の魔術幕僚長の息子ゆえ、宰相以下の期待値も高いぞ。

 このままそなたが父の跡と爵位を継げば、我が国の《魔法使い》の不足もある程度解消されることだろう。


 僕が《魔法使い》になる前からそんなふうに決めてかかっている。

 ちなみに、『魔術幕僚長』とはニックの肩書だ。

 正確には『宮廷楽師・魔術幕僚長・アガルディ候代理・ニコラウス』というのが、ニックの肩書になるらしい。


 いちおう、レイア家に婿入りした形のニックは、王族扱いなのだそうだ。

 だけどもあくまで、アガルディ侯爵家の当主はイルマで、ニックはその夫。代理なのだ。

 加えて、イルマが若いときに王位継承権を放棄しているので、ニックが王様になることはないそうだ。


……まあ、とは言っても、この《ザントクリフ王国》は小国だ。

 具体的には、城壁外郭の中、僕がときどき空から見下ろしていた街。そこにこの国の大半の国民が住んでいる。

 城壁外郭の向こう側には農耕地となっている広い平野があるらしく、周辺の森や林や川、そして北西に行ったらあるという断崖絶壁の海辺なんかも王国の土地だという。


 けれど、空に放り上げられた僕が一望できる程度の範囲に国民の大半が住んでいると思えばその数は知れたものだ。

 外には小さな村もぽつぽつあるらしいけど、規模はどれも小さいらしい。

 国土の大半が手つかずの大自然で、なかなか開拓も進まないらしく、城の周囲に広がる平野地帯が優先的に開拓されるから、結果人口はここに集中。

 領域国家というよりは中世荘園領主規模の国。


 侯爵であるはずのイルマに与えられている領地も僕らの家とその周囲だけ。

 伯爵以上の古い貴族が城壁内の街の区画の一部と、外のだだっ広いだけの大自然の領有権を認められていて、新貴族が入る余地もない。

 ただし、国土に対しての人口の集中具合がもの凄く極端で、細やかな権力闘争も城壁の内側で大方済んでしまう。


 だから、この国の貴族のほとんどは土地を離れてしまった宮廷貴族、むしろ官僚に近いイメージで間違いないと思う。

 なんとなく文官派閥と武官派閥的なものもあるらしいけど、武官派閥は街のお巡りさんと化している騎士がちょっと元気なぐらいで、あとはなあなあっぽい。

 僕が産まれる前は、城壁外の村が《魔獣種》に襲われるなんてこともときどきあったらしいけど、なぜか最近はほぼないそうで、騎士たちの出番もあんまりない。

 それでも、貴族たちは国、ひいては国民に養われているのだからいい身分と言えばいい身分。


 ニックの肩書について言えば『魔術幕僚長』というのは《魔法使い》の最上位のようだし、『宮廷楽師』というのはニックのために用意されたポストらしいのだけど、そんなにたくさん肩書が要るのだろうか?


 ちなみに、ニックに尋ねたところイルマの肩書は『軍務長官・アガルディ候・王女・イルマ』だそうだ。

……僕の母はこの国の大将だったらしい。ふつうに家事をしていていいのだろうか? いや、大将が育休をとれるのだから、この国はやっぱり平和なんだろう。



 さて、僕が《魔法》の勉強をして初めて知ったことのひとつが、《魔法使い》の数があまり多くないということだった。

 その理由はいくつかあるみたい。


 まず、《魔導の素養》を産まれながらに持つ人がそれなりに少ない。

 ニックの話によると、統計的には十人にひとりくらいは《魔導の素養》を持っているということ。ただし、そのすべてが有能な《魔法使い》になれるとは限らない。

 五官における《魔力》感覚の数が多いほど、優秀な《魔法使い》になれる傾向があるらしい。


 だけど、《魔導の素養》を持つ者のうち三感覚以上に才覚を示す例は四百人にひとりくらい、全感覚に生まれつき覚醒している人は数万人にひとりくらいと言われているそうだ。

 また《魔導の素養》は血統と環境にかなり左右されるものらしい。だから、《魔法使い》を輩出する家柄からは有能な《魔法使い》が出やすい。

 周囲に《魔法使い》がいると生まれつきではなくともほかの感覚が開花することは多いという。

 《魔導の素養》は《魔導具》と呼ばれるもので開発することもできる。五官のすべてで《魔力》を感じ取れるようになってから、次の訓練に移ったほうがより《魔術》への適性を示すものらしい。


 《魔導具》は五官の各部分から強制的に《魔力》を引きずり出して、受動能力と能動能力を覚醒させる器物だという。

 けれど、その使用にはリスクも伴うらしい。


 昔、《魔族戦争デモニマキア》の折りに、人族のある国が国民のうち《魔導の素養》を示した者すべてを《魔法使い》にしようとしたことがある。

 それは結論から言えば、失敗した。

 多くの人が《魔導具》に《魔力》を吸われ過ぎて廃人と化し、《魔導具》を起動させるために《魔法》を使用した《魔法使い》の大多数が無能力者になってしまった。

 それらの犠牲の上に《魔法使い》になった人々も、未熟なまま戦争に駆り立てられ、やがてその国には《魔法使い》がひとりもいなくなった……らしい。


 古い書籍のそれも寓喩から得た知識だからどこまでほんとうかわからないけど、それなりの事実は含まれていると思う。

 それに《魔導具》は希少なものらしく、《ザントクリフ王国》にもひとつしか無いらしい。

 ニックによれば、「あれはじゃじゃ馬だから、私でも用心が要る」とのこと。


 幸い、伯父の期待も無根拠なものではなく、ニックによれば僕の《魔導の素養》はそれなりのものだそうだ。

 僕は厳密には生まれつき《魔導の素養》を持っていたのではないけれど、いちおう五官のすべてで《魔力》を感知することができる。

 しっかりと励めば、必ずものになるレベル。そう太鼓判を捺してくれた。



 《魔法使い》が少ない理由のふたつめは、《魔導の素養》における能動的な能力の問題。

 これが、生まれついてできる人は百年にひとりの逸材らしい。

 ちなみに、まさにニックがそれだったそうだ。


 《魔導の素養》の能動的能力とは、《魔力》を体外に意図的に排出できる能力。これに目覚めるのが、また難関。

 もちろん《魔導具》を使用すれば即座にこの能力も開花するらしいけど、リスクが伴う。

 大方の《魔法使い》の家系では、それぞれに秘伝的な能動能力開発術が伝わっているらしく、僕もニックからひとつの方法を教えてもらって実行した。


 それは多量の血を流すという荒っぽいもの。

 《魔力》は血のように全身を巡っているそうで血を流すとそれに付随して微量ながら流れ出す。

 《魔力》を外へと出す感覚と止める感覚を、僕はなんとか一度手首を切るだけで覚えることができた。


 切られた手首の動脈はニックの《祈り》で回復した。……古い《詩人バード》の伝統的なやり方らしいけど、《祈り》を使えない《詩人》以外にはなかなか試すことのできない荒業だ。


 こんな具合だから、天然の《魔法使い》なんて滅多に出るわけがない。



 さらには、識字率と教育の問題もある。

 《魔法》には刻んだ文字に《魔力》を載せる方法と、発語に載せる方法がある。どちらも言葉を使用する。


 加えて、この世界の《魔法》にはひとつの制約がある。

 一度使用された《呪文》は、込められた《魔力》の量に関わらず徐々に威力が減衰していく。

 特に直接的な表現を使用した場合、その威力はガクンと落ちる。


 ニックの歌った詩によれば、《魔法》の管理者である《夜の女神》の飽きっぽい気質に由来するというのだ。

 僕はそれを聴いたとき、心からこう思った。


……それでいいのか、人類。


 ただ、詩を歌い終えたニックは少しだけ含む言い方をしていた。


「と、いうことになっているんだ」と。


 だから、真実はもう少し別のところにあるのかもしれない。


 どちらにしろ、語彙力と過去に使用された膨大な量の《呪文》の研究は、《魔法使い》の宿命らしい。

 だけれども、基礎教育は富裕な家庭でのみ家庭教師に任されることが一般的。

 この国に限らず多くの国には学校と呼べるような教育機関がほとんどないらしい。《ザントクリフ王国》にもひとつだけ。

 さらに、それは全国民対応のものではなく貴族の子弟専用のものらしい。


 教育システムの偏りには、ひとつには《共和国》の存在が大きいように思える。

 王制国家である《ザントクリフ王国》は知識階級が増えることで王権が揺らぐことを懸念しているのだと思う。

 まあ、全国民に識字教育を施したからってそう簡単に王制が終わるとは思えないけれど。


 教育の前にも問題がいくつかある。それの代表が本。

 この世界では書籍の存在が貴重なんだ。僕がよく知るような植物繊維由来の紙も無いみたい。



 ということで、それらの理由から《魔法使い》の存在は貴重。

 実際に《ザントクリフ王国》には、現在ニックも含めて十人しかいないらしい。


 だから伯父は僕のような子供にも期待をかけるのだろう。



 僕は詩を暗誦しながら窓の外の空をぼんやり眺めた。

 そして、王制という政治形態について改めて考える。


 僕自身は貴族に含まれるから、それでいい。……そんな考え方は違う気がする。

 王族や貴族が特権を保証されているのは責任をとる立場だからだ。


 イルマの『アガルディ侯爵家』は僕が継ぐことになるはず。

 家業を継ぐと言えば聞こえはいいけれど、問題はそれが正しいことかということ。

 民主代議制の国家で産まれて育ったことのある僕としては、血統に根差した身分制っていうのはどうかとは思う。

 家柄もひとつの天与の才能。そんな意見もあるだろうけど、身分制はいろんな人の人生と生活を取りこぼすだろう。


 かといって共和制へ移行することが正しいことだとは限らない。

 押し付けられた共和制なんて共和制じゃない。それは前世でのジャコバン党やロベスピエールの例を考えるまでもない。

 あと個人的には血が流れない革命とかあんまり信じてない。


 その場合、流される血は僕の体に流れるものとおんなじレイア家の血だ。


 もうひとつ、僕が前世の知識をひっさげてこの世界に技術革新をもたらすべきかというと、それも正しいとは限らない。

 ニックによれば、僕にとっては《技能スキル》は危険なもののようだけれど、ほかの全人類にとってはそうでもないっぽい。

 《技能》以外の技術が進歩して汎用化すれば個人の《技能》の水準は低下するだろう。

 それはこの世界の個々人の防衛力や生産力の低下を招く恐れがある。


 実際にお空から見渡した限りでは《ザントクリフ王国》はのどかで平穏そのものだった。

 鳥瞰しただけでは確認することのできない不正や困窮ももちろんあるだろうけど、ニックに聴いた限りでは今のところそれなり安定している模様。


 強いて言えば、幼児死亡率が前世に比べると高そうな印象があるけど。僕にできることは限られる。

 下水設備もそれなりに整っているらしい。この世界にもコンクリートやセメントを使用する技術がある。

 それらにも《生産系技能》や《工術系技能》が一役買っているらしい。


 結論として、僕が下手に介入すると大惨事が起こる可能性もある。必要ならば別だけど、人間疎外の引き金になるつもりは毛頭ない。

 現行、《技能》によって種族同士の衝突以外ではこの世界も安定しているみたい。

 現在以上の進歩が一挙にもたらされれば言うことはないのだろうけど、それがバランスよくできるとは限らない。

 だいたい、僕に産業革命を推進できるほどの知識と実行力があるかと言えば現状では今ひとつ疑問。


 なにより、この世界基準の先端技術を僕は知らなさすぎる。

 それは《魔法》もそうだし、《祈り》もそうだし、《技能》もそうだ。



……ということで、僕はもっぱら《魔法》の勉強に勤しんでいる。


 今の僕を一言で言えば、虚弱。

 そんな僕がなにか正しいことをしようと思ったら、正確な知識を蓄えて、慎重に行動すること以外にはない。

 将来的には小国とはいえ国政に参与する立場になるはずだから、今の時間がなによりも重要になってくるはず。

 できれば僕にも家庭教師をつけて欲しいところだけど、ニックがなにか考えてくれているみたいだから不安はない。


 幸い憧れていた《魔法》には手が届く。ニックやマルクス伯父が提供してくれた《魔導書グリモア》や詩によれば、《魔法》の汎用性は高そう。

 加えて、僕にはそれなりの《学術系技能》があって頭も悪くないから、あとは僕のやる気次第。



……なのだけど。

 庭からイルマの地面を爆発させる踏み込みの音が聞こえてきた。


 最近、イルマの機嫌がもの凄く悪い。

 確かに、最近の僕はといえばニックの書斎に籠ることが多くて、ほぼイルマと遊んでない。二年半の間ほとんど。

 貰ったおもちゃの剣は埃をかぶってる。


 でも、僕だって必死なんだ。

 ニックから出される宿題の量は多い。

 服を着て以来、僕の記憶力や理解力は一時に比べて低下しているように思える。

 今の僕には昼間の時間を精一杯使ってやっと追いつけるぐらいの量だ。


……それにイルマが不機嫌な理由は僕と遊んでないからだけではないらしい。

 イルマは僕が『アガルディ侯爵家』を継ぐことを望んでいないっぽい。

 それなのに、ニックと伯父が、特に伯父のマルクスがノリノリだから機嫌がどんどん悪くなる。


 でも、それならどうしてイルマはこの国に戻って来たんだろう?

 相変わらずマルクス伯父の名前を出すだけでイルマは不機嫌になる。

 だから僕はニックからそのあたりの事情を聴こうとしたのだけれど、苦笑するばかりで教えてくれなかった。



 詩編を暗誦している間に、イルマが発する音が聞こえなくなっていた。

 もう止めてしまったのだろうか?

 イルマの気配がしないと少し寂しいのだけど。


「……僕だって、イルマのアトラクションが恋しいんだけどなぁ……」


 でも、それじゃあ僕のためにはならない。

 僕の双肩にはとりあえずイルマとニックの老後とこの小さな国の未来がかかっているんだ。

 ある程度の失敗はしてもいいとは思ってる。けど、最善を尽くして取り返すのは当然のこと。

 取り返すためにはいろいろな手段と知識を蓄えておかなくちゃ。せめて保守的と言われようとも大過なくすごせるレベルまで。

 ここで踏ん張らなきゃ、いつ――


「聞いたわよぉ」


 肩を震わせて振り返る前に、首根っこを掴まれる。

 デスクの前に置かれた子供用の脚の長い椅子から引っこ抜かれる。

 僕は担ぎ上げられてそのまま目が回る速度で庭へと連れ出された――



 〓〓〓



〈――ルエルヴァ共和新歴百四年、ザントクリフ王国歴千四百六十一年、ヘイズの月、十二夜


 ようやく、この《ザントクリフ王国》が《グリア諸王国連合》に加盟することが決定した。


 加盟条件は関税の部分的撤廃と加盟国国民の自由越境、有事の際の戦力・物資の供出など多岐に渡るが、これで《ザントクリフ王国》はイルマの異名にだけ頼ることもなくなるだろう。

 宮宰が主幹国のひとつ、《ハデュイ王国》から送って来た書簡にそれらが示されていた。


「問題は《共和国》よりも、今は《ギレヌミア》だろうな……今年もまた収穫が減ったからな」


 私から書簡を受け取りながらそう言ったマルクスに、私は頷いた。


 人族の種族の中でもっとも強靭な肉体を持つ《ギレヌミア人》は総じて好戦的で、戦闘能力も高い。

 単純に《戦闘系技能》保有者が多い。さらに氏族ごとに活動していて動向が読み難い。


 氏族ひとつひとつが、一国の軍隊に比肩する武力を持っていることも特徴的だ。

 彼らの機動力には恐ろしいものがある。


 この国の北方は残された平野部から断崖の海と《魔獣種》の活動範囲でもある深い森林があるが、《ギレヌミア人》ならば越えてくる可能性はあった。

 なにより、この平穏な百年ほどで《ザントクリフ王国》の農耕地は北方へも大きく伸長していた。

 いつ《ギレヌミア諸族》の活動範囲に接してもおかしくはない。特にここ数年は寒冷化が進み、周辺地域の収穫量が徐々に減っており、こちらはそれを補うために農耕地をどんどん広げている。


 細やかな農耕にしか頼らない《ギレヌミア人》の略奪活動も年々大胆になっている。


 もし、複数の《ギレヌミア》氏族が合流して攻めてくれば、イルマに率いられたとしても《ザントクリフ》程度の軍事力では不安が残る。


 周辺諸国はどれもこの国と変わらない規模だ。むしろイルマがいるぶん《ザントクリフ王国》のほうがかなり防衛力に優れている。

 いざ、《ギレヌミア諸族》が《ザントクリフ》に侵攻してきても、周辺諸国はこの国を見捨てるだろう。彼らにそれほどの軍備は無い。


 だが、ようやく《グリア諸王国連合》に加盟することができた。

 これで《ザントクリフ王国》は大きな屋根の下に入ったわけだが、それは同時にいくつかの懸念を抱えることでもある。


「《レルミー王》の目的は、イルマを引きずり出すことだろうな」


 マルクスのその言葉に、肯かざるをえなかった。


 もともと、《グリア諸王国連合》への《ザントクリフ王国》加盟は、主幹国のひとつ《レルミー王国》から持ち掛けられたものだった。

 マルクスとしても渡りに舟のタイミングではあったのだが、《レルミー王国》というのがよろしくない。


 イルマはグリア地域最高の武人のひとり。私が知る限り《福音持ちギフテッド》以外では人族最強レベルだ。

 彼女自身の戦力はもちろんだが、彼女が前線に立つだけで敵は慄き、味方は奮起する。


 その武名は《ラマティルトス大陸》の西半分に轟いていると言っても過言ではないだろう。

 ひとりの英傑の存在は、戦局を左右し、国を護る。

……そして、《グリア諸王国連合》の加盟条件には、加盟国相互互助――つまり、連合軍結成時の戦力の供出が含まれる。


「《グリア諸王国連合》も、《共和国》と《ギレヌミア諸族》そして《エルフ》や《ドワーフ》への牽制に必死と見える」


 今のところ、《グリア諸王国連合》が抱える戦線の数は多くない。

 だが、主幹国のうちでもっとも北方に位置する《レルミー王国》は、《エルフ》《ドワーフ》、そして《ギレヌミア諸族》に三方を囲まれている。

 小競り合い程度の接触ばかりではあるが、この先はどうなるかわからない。


「そろそろイルマに、完全に復帰しろと伝えてはくれぬか?」


 私は曖昧な笑みを浮かべて、その場を濁した。

 最近のイルマは私にだって手に負えるものではない。



 帰宅すると、久しぶりにイルマの機嫌がよかった。ここしばらくは、とても不機嫌だったからなによりだ。

 これならば、職務復帰の打診はもちろん、《グリア諸王国連合》に加盟したという事実を伝えても問題ないかもしれない。

 オルが弱ってしまったために延び延びになっていたイルマの復帰もようやく実現のめどが立ったというもの。


 かねてよりマルクスに申し入れていたレイア家家令ガイウスも引き継ぎを終えてようやく来月には我が家に来てくれる。

 ガイウスが家に入れば、イルマも安心することだろう。


 警戒すべきこともあるにはあるが、それでも良いことはあるものだ。


 オルが順調にかなりの量の詩編と語彙を吸収している。やはり、《学術系技能》の精度がものを言っているらしい。

 一年ほど前に念のためオルの《技能》を一度鑑定したが、変化はまったく見られなかった。

 オルに《ドリアハトゥ》についても教える準備をしておこう。


 マルクスが「末の娘をオルに降嫁させ、爵位を継がせよう」などと冗談めかしていたが、まったく期待をかけられたものだ。

 私としてもどうもオルには期待をかけてしまうから、マルクスのことは言えないが。


 まあ、オルの将来は安泰だろう。



『そいつは、どうだろうな?』


 オルが眠ったあと、《ピュート》が私に言った。

 オルが服を着るようになってから、《蛇》の上げる騒音も効果を上げていたようでオルの体調もすこぶる悪かった。

 私が夜ごとの話し相手を買って出ると《蛇》は大人しく従った。


 今では《蛇》と私の間に奇妙な交流すら成立していた。


『ひとついいことを教えてやろう。……お前さんのその紫色の瞳にも、映らないものは映らない』


 どういうことだ?


 そう尋ねても《蛇》は答えなかった。

 この《蛇》は私の過去を知っているようだ。それを匂わすように《紫瞳》という言葉を強調してくる。


 しかし、《蛇妖》に知己などいるわけがない。あの戦争でも《妖獣種レムレース》は距離を置いていたのだから。

 《蛇》はどうして私のことを知っているのだろうか?〉

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