第17話



 いつも楽しい夕食の時間。

 だけど、今日に限っては和やかムードというわけにはいかない。


 僕は昨日からもうずっと体調が優れない。

 なんだか体がすごく重い。まるで鉛の服でも着こんだみたいだ。

 ほんとうに今着ているこのひらひらの付いた幼児服に鉛が入っているんじゃないだろうか?


 目も少しかすむし、耳もいつもよりはっきりとは聞こえない。

 鼻もなんだか詰まったようだし、熱もあるみたいで頭もあんまり働かない。


 幸い、食欲だけはちゃんとある。

 僕を膝の上に載せたイルマが夕飯を食べさせてくれる。

 せっかくひとりで食べれるようになったのに、なんだか乳児期に退行してしまったみたいだ。


――そのイルマが一番ピリピリしてる。

 マルクス伯父が家に来たときに近い。


 食卓を挟むニックをずっと睨んでいる。


 睨まれているニックはニックで、とても深刻そうな表情を浮かべて僕を見ていた。

 そのニックが口を開く。


「……イルマは既に承知していると思うけど、オルレイウスは《福音持ちギフテッド》だ」

「《ぎふてっど》? ……まえにきいた、《さんえいゆう》とおんなじ?」


 言葉までなんだか発音しにくい。

 ニックが神妙に頷いた。


「そうだ。《神々の福音》はその名の通り神々から人族に与えられる、素晴らしい能力さ。……ただし、きみの《福音ギフト》は全裸にならないと発動しない」

「は?」


 全裸? なにが? 誰が?

 ニックが言っている意味がわからないのは、僕の頭があんまり働いていないからなのか?

 そして、《福音ギフト》。その言葉が、ようやく《裸神》の会話の内容と合致していた。


「オル、きみには謝らないといけない。だが、終生隠しおおせるとは私だって考えていなかった。ただ、打てる手が無かったこと。なによりも、きみにいたずらに不安を与えるべきではないと考えていた」

「ぼくがしると、ふあんになるようなことなのですか?」


 ニックが頷いた。


「……加えて。長い間、ひとつ考え違いをしていたことに気がつかされた。きみの《福音》の鑑定結果に踊った『状況、現象、物質に応じた最適な《技能スキル》の経験値を最速で満たす』という言葉、そして『《技能スキル》の補助を受けない機能はやがて停止する』という言葉によって」

「は?」


 確か、《技能》っていうのは人族が使える技術一般のことで……それの経験値を最速で満たす?

 すぐに必要な《技能》を取得できるということ?

 ちょっと待って? 《技能》の補助を受けない機能? それは僕の身体機能ってこと? それが停止する?

 やがて? それっていつ?


 イルマが僕の頭の上で吼える。


「いいことじゃない! オルは服を着さえしなければ、人族最優なんでしょ!」


 初耳。それ、初耳だ。


「いいことじゃないだろ、イルマ? 全裸は《純潔神アルヴァナ》に対する涜神とくしん行為にあたる。……それに、なにより、この言葉は《技能スキル》の性質をよく表していると思わないか?」

「……どういうこと?」


 イルマの怒りを殺し切れないという声。

 ニックは、静かに僕を見る。その紫色の瞳がゆらりと光ったように僕には見えた。


「……オル、わたしは、きみに与えられた《福音ギフト》を見て、《技能スキル》のほんとうの意味を理解したのだと思う。……《技能》とはその身体と振る舞いを状況や現象・対象物に対して適化していく・・・・・・ということなのだと考えるようになったんだ。……これが、どれほど恐ろしいことか、幼いきみにわかるだろうか?」

「……にっく? よくわからないのですけど?」


 ニックは目を伏せるとひとつ深呼吸をした。


「……そもそも、《技能》は六つに大別される。《戦闘系技能》《工術系技能》《雑技系技能》《生産系技能》、そして《学術系技能》と《五感・内臓系技能》だ。さらに、それぞれの系統から複数の術系が分岐して、三十五の術系に別れる。これらの分類は人族の手によって体系化されたものだから、当然完璧なものではない。それでも、ある程度は真理に接近しているものではないかと私は考える」

「……なにが言いたいの?」

「イルマもよく聴いてくれ。……問題は《学術系技能》と《五感・内臓系技能》と呼ばれるそれだ。考えてみれば、これらはほかの系統とは明らかに異なっている。そこには人格構成と生命の維持に直接関係するようなものが含まれているからだ」


 ニックが顔を上げ、イルマを見る。


「……だが、人族が《技能》を与えられて誕生する以前から、ほかの種族は存在していた。加えて、そのような《技能》を習得しなくともふつうに生存している人間は幾らでもいる。……すなわち、それらの《技能》とは本来、生命の維持や脳機能に必ずしも必要とされるものでは無い。それでも、それらの《技能》は存在している」

「なにが言いたいの、ニック?」


 そこで、ニックはふたたび僕を見た。

 そして、重々しく口を開く。


「つまり、《技能スキル》とは、単なる技術である以上に、肉体そのものが不自然に改変された――適化された結果である、ということさ」

「だから、なにが言いたいの?!」


 イルマの怒りが爆発した。僕を抱えて立ち上がり、食卓を挟むニックに凄む。

 だけどニックはあくまでも冷静に、そして淡々と語る。


「昨夜の鑑定結果を見るに、オルの《福音》は恐るべき速度でオルに《技能》を習得させ続けている。……《技能》には身体機能を代替・強化するものまである。脳機能もだ。下手をすれば、肉体は死んでいるのに、《技能》によって生かされているように振る舞う人間、なんて存在もありうるかもしれない」

「だから! それのなにがオルに関係」

「オルレイウスが、そうならない保証は無い! それじゃあ、まるで《魔物》――《アンデッド》じゃないか!」


 ニックが怒鳴り声を上げた。

 そんなところ初めて見た。


「私が見たことも聞いたことも無い《技能スキル》が含まれていたんだ! それはそうだ、人族が産まれてから長い長い時間が経っているんだから! 僕が知らない《技能》だって当然あるさ! だけど、この子はまだ三つだ!」


 ニックが真剣な眼差しで僕を見る。


「……このまま、オルが《技能スキル》を習得し続けていったなら、どうなるかわからない。……死ぬことさえ克服して、その状況に最適化してしまうような前人未踏の《技能》を得てしまうかもしれないじゃないかっ!」

「……あり得ないわ!」

「おそらくオルレイウスは、かつて人族が与えられたことのない《福音》を授かっているんだ。無いとは言い切れない」


 あのぅ、僕にはまだ話の流れがわからないのだけれど?

 このまま、全裸でいると、僕はゾンビになるってこと?


「……そうだとしても、いいじゃない!」


 え? イルマさん?


「オルが与えられた力で、正当に得た報酬だわ! オルが苦しむくらいなら、オルが人間じゃなくなったって……」


 イルマの僕を抱きしめる腕に力が入る。


 ゾンビはイヤなのだけど?

 あと苦しいのだけれど? あんまり強く絞めないで、イルマ。

 今はなんだか体に力が入らなくて抵抗できないのだけど?


「イルマ。《技能》によって与えられた機能のみによって動く肉体は、おそらくオルレイウスのなにかを損なう。……なにより、『魂』に関する力は、どんな《技能》の範疇にも含まれていないんだ。……僕はそれを知っている。オルの『魂』は、つなぎ止められない可能性が高い。つなぎ止められたとしても、きっと『魂』をゆがめてしまう」


 ニック? なんで、ニックはそれを言えるのだろうか?

 ニックだってすべての《技能》を知っているわけではないと言っていたのに。


「……それに、僕は、取り残される側の気持ちをよく知っている……オルレイウスにはこんな思いをして欲しくはないんだ……」


 え? そうなの?


 イルマの腕から少し力が抜けた。


 食卓に落ちる沈黙。重い。空気が重い。

 だけども、僕には二三納得いかないことがあった。というよりは、人として納得してはいけないことがあるように思えた。


 ふいにイルマが沈んだ声を出す。


「…………あなたの前で、言っちゃいけないことを言ったわ。……ごめんなさい、ニック」

「イルマ、いいんだ。……わかってくれたかい?」

「ええ、納得したわけじゃないけど。……あたしだって、オルにはオルのままでいて欲しいもの」


 ニックもまた席を立って、僕を抱いているイルマへと歩み寄る。

 そうして、ふたりは僕を挟んで仲直りのハグをした。



――それはいいのだけれど。

 僕は《裸神》を思い出して、恨めしく思った。


 そうだ。《福音ギフト》。

 あのおっさん、『偉大な《福音ギフト》を授けている』とかなんとか言っていた。


 なんだ、服を着さえしなければ人族最優って?

 僕を強制的に裸族にするつもりなのか?


 自分が裸族だからって、そんなことしていいと思っているのか?

 なんて……ヒドい……。

 僕のまぶたが勝手に落ちる――



 寝苦しさに目を覚ませば、僕は子供用ベッドの上にいた。


「オル? 大丈夫?」


 イルマが僕の顔を覗き込んでいる。

 周囲が明るい。もう、朝になったらしい。


「だいじょうぶです、いるま」


 僕を抱き上げるイルマの腕に甘えた。体が弱っているせいかひどく心細い。


「……お服、イヤだったら脱いでもいいのよ? ニックにはあたしから言うから……」


 僕は首を横に振った。

 イルマの気遣いはほんとうに嬉しいけど、《裸神》の思い通りになんてなってたまるものか。

 誰が全裸でヒャッハーなんてするものか。


 そうするぐらいなら、《裸神》なんかじゃない誰かのために命を燃やす。

 神々なんかでもなく、できるだけ多くの人が正しく生きるためにこそ僕は骨身を粉にしよう。


 《裸神》のように、あるいは神々のように、力と可能性の笠を着た存在――生きる意味を押し付けようとするやからには、従わない。

 僕がニックとイルマから新しく貰ったぜんぶを、全裸の肌色なんかで上書きされてたまるものか。


――だから、僕は救おう。

 不条理を払い、不義を拭い、不仁と不信を払拭しよう。


 今の僕の手足は短くて弱いけれど、明日にはもう少しだけ強くなる。明後日にはさらにもう少し。

 それが《裸神》から与えられたチャンスだとしても、選ぶのは――積み重ねるのは僕自身だ。


 僕の手足が届く範囲のすべてを、僕は見過ごさない。

 人間は人間なのだから、自分の意志にこそ従うべきだ。

 僕らは道具なんかじゃない。頭を下げて、膝を屈するだけの機械じゃない。


 だから……


「オル、ほんとうに大丈夫?」

「……だいじょうぶ……なんだか、すこし、みみなりがするだけです」


 いつのまにか、イルマに抱かれて玄関まで来ていたようだ。

 さっきから、モスキート音みたいな耳たぶがチリチリしそうな音が聞こえる。

 これも、《福音》とやらが停止しているせいなのか?


「耳鳴り? ……オル、私のほうを見るんだ」


 ニックの声が弱った耳に聞こえて来て、僕はイルマの肩にすがっていた体を少しだけ起こした。

 目まで弱っているのだろうか。手首を合わせたニックの瞳が紫煙をくゆらせているように見える。


「……にっく? めから、けむりがでていますよ?」

「――っ! ……『《魔力オド》よ。《魔力オド》。指より……』」


 ニックが聞き覚えのある《呪文》を唱えている? なんだかまた耳鳴りが強くなる。

 その人さし指が僕の目の前に差し出された。


 なんだろう? ニックの指の爪の先っぽあたりを、紫色のシャボン玉が周ってる?

 僕の目が回ってしまいそう。


「これは、どうだい?」


 耳鳴りをBGMにニックが興奮したような声とともに、僕のほっぺを人さし指で押す。

 なんだ? 頬の中をシャボン玉が通過して出ていくみたいな気持ち悪い感触。


「にっく。ひゅっとして、すこしイヤです」

「……オルレイウス、嗅いで」


 ニックが指ごとシャボン玉を僕の鼻へと近づける。

 いつものニックのもう少しすると加齢臭とも呼べそうな、お父さん臭さではなく、なんだか花粉が鼻に入ったときみたいな粉っぽい甘い匂いがした。


「……おはなの、あまいにおいがして、おちつかないです」

「――口を開けて」


 ニックの指が僕の口に侵入する。

 なんだか、シャボン玉が舌に微妙な感触を与えているらしく、そのたびに香辛料のような懐かしいピリッとした味がした。


「……からいです。……にっく、なにをさわったのですか?」


 指を引いたニックがなぜか驚いたような顔を見せ、その顔がだんだんと変わっていく。

 あんまり見たことのない、すごくご機嫌なときの笑顔。


「――オル! 喜ばしいことだよ! ……ああ、まさか、こんな副作用があるなんて……」


 なぜか興奮しているニック。

 僕は、ぼんやりした頭で考えた。

 今のは、確か《魔法》の才覚があるかどうかの検査ではなかっただろうか?


 でも、僕にそれは無かったはずだし?


「オル。きみの《魔導の素養》が目覚めている! ――《魔法》が使えるぞっ!!」


 ニックの狂喜の声。


――え? ほんと?



 〓〓〓



〈――ルエルヴァ共和新歴百二年、ザントクリフ王国歴千四百五十九年、ヴォルカリウスの月、八夜


 まさか。こんなことがあり得るのだろうか?


 才覚が無いと思われていたオルレイウスに《魔導の素養》が発現した。しかも、五感のすべてに。

 特に視覚と聴覚はそれなりに鋭敏だと思われる。


 私の息子オルレイウスは、服を着さえすれば《魔導の素養》を有していたのだ。



……落ち着こう。冷静になれ、ニコラウス。


 なぜ、オルレイウスの五感のすべてに《魔導の素養》が発現したのか?

 私の血統ゆえ……と言いたいところではあるが、それだけではないだろう。


 伝承に言う《魔力の海オド・マーレ》にオルの魂が接近したためだと思われる。

 魂と精神の混沌である《魔力の海》。それに幾度となく接近したものは、《魔力》の流れに敏感になると言われている。


 肉体が強靭なものは終生、それに気がつかない。肉体が強力過ぎて、魂が離れないからだ。

 肉体の虚弱さに対して、精神が強力無比なものだけが、それに引き寄せられる。


……考えてみればオルは毎晩、知らないうちに私に服を着せられていた。

 おそらくはそれが、彼の精神と《魔力》の混沌を結びつける結果となったのだろう。


 《果断》という《きしょうな技能レア・スキル》保持者であるオルだからこそ、私の助力によって生きたまま《魔力の海》に接近し得たと見るべきだろう。


……それは、オルが服を着せられるたびに死にかけていたということの証明である。……そんな話は置いておこう。



 とにかく、私は後継者を得た。

 私の息子のオルレイウス。


 《陽の神》にはとても感謝を捧げる気にはならないが、《義侠の神》にこの思いのすべてを打ち明けたい。


 得られるはずのなかった我が子に、《魔術》を教えることができるとは……。


 私は、今、初めて神の御業に感激している!

 それが、たとえ《巨神族》の手によるものであろうと知ったことではない!!〉

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