第15話



「今夜の講義は……そうだね、《祈り》について解説しようか?」

「おねがいします。ニック」


 僕は子供用ベッドの上からニックに向かって頭を下げた。


「《祈り》と《魔法》の違いについてはわかるかい?」

「……イメージですけど、《魔法》はちょっと、わるそうなエネルギーによって。《祈り》は、よさそうなエネルギーによって、はたらいている?」

「うん、不正解だね。まあ、オルの世界には《魔法》が存在しなかったようだし、《魔力オド》も無かったんだろう。《祈り》も《魔法》も、《魔力》によって働く力さ」

「ニック? それではますます違いがわかりませんが?」

「だよね。……オル、《祈り》というものは自分や他者の《魔力》を神に捧げることで……」



――僕の影に《ピュート》が棲みつくようになってから、すでに一年半以上が経過していた。

 僕が生まれ変ってから、もう二年強になる。前世で言えば二歳。今世では三歳だ。


 僕の舌足らずだった口もそれなりに回るようになり、前世の子供だったらそろそろイヤイヤ期に入っているころだろうけど。

 もちろんのこと、僕に限ってはそんな期間は存在しない。

 だって精神年齢はイルマとだってそう変わらないもの。


 この一年半ほどを、僕は知識を蓄えることに費やした。

 僕は地味にかなり早い時期に歩けるようになっていた。だから、一日二回はイルマの目を盗んではニックの書斎に侵入して書籍を読み漁っている。

 だいたい、小一時間程度でイルマに発見されて、強制的にアトラクションに乗せられることになるけど。

 それでも、ニックが保有している書籍の半ばぐらいには目を通すことができたと思う。


 ニックが持っていた本は、詩文や散文なんかが多かったけど、《ルエルヴァ共和国》発行の戦争報告書や、各民族の文化や風俗史、地理誌、史書のたぐいもそれなりにあった。

 なんで、戦勝報告書なんか? とも思ったけど、読み物としてもかなり面白かったし、それなりに需要はあったのかもしれない。


 夜は夜で、帰宅したニックから短い時間ではあったけど講義を受けることが習慣になっていた。

 大概、僕の寝落ちで終わってしまうし、半分ぐらいの時間はニックが詩を歌っているから、学習時間というよりは独演会に近かったけれど。


 ニックによれば、この世界の詩は事実を歌っていることも多く、実際にそれなりに参考になった。

 加えて、ニックは言語教育の一貫として《ルエルヴァ共和国》の言葉も僕に教えてくれた。

 ニック曰く、「複数の言語を習得すれば、事物への理解が深まる」ということ。

 それが、最近の夜の講義のもう半分の時間を占めていた。


 僕の母国の《ザントクリフ王国》での共通語は《グリア語》だ。

 必然、イルマとニックの会話もグリア語だし、《ルエルヴァ語》を耳にする機会は少なかった。具体的にはニックが教えてくれるときだけ。

 おかげで、《ルエルヴァ語》の習得にはまだ少し時間がかかりそう。


 聞けば、イルマも《ルエルヴァ語》を話せるらしいのだけれど、ちっとも喋ってはくれない。

 イルマ曰く、「あたしの《ルエルヴァ語》は、ちょっとおかしいのよ」とのこと。

 話してくれるように無理強いをするつもりなんて無いし、イルマがそう言うならしょうがない。



 結果、僕の日常は以下の通り。


 朝、ニックが出勤するぐらいの時間に起床。イルマと一緒にニックを送り出す。

 朝食。食後にニックの書斎へ。この間にイルマは洗濯なんかの家事をしてる。

 お昼少し前、イルマに捕まる。アトラクションが始まる。

 お昼ご飯。食後、アトラクションで疲労した僕は眠ってしまう。

 夕方というには早い時間、僕は起き出してふたたびニックの書斎へ。このとき、イルマはだいたい自己鍛錬をしているみたい。

 夕方、イルマに発見される。そのまままた強制アトラクション。

 夕食時、ニックが帰宅してみんなで食卓を囲む。食後、ニックの講義。詩を歌うときには、必ずイルマの膝の上。

 夜、ニックに体を洗ってもらう。

 そして、就寝。



 こうして、僕の一年八か月は過ぎていった。

 最近になってひとつ変わったことは、イルマが僕におもちゃの木剣を持たせるようになったこと。

 そして、アトラクションの時間がなんとなく剣の訓練に移行し始めたこと。



――《ピュート》はと言うと。


『くそがき! ばかがき! 乱暴者に、最低野郎! ……お前なんか、大嫌いだっ!!』


 と、寝る前に僕を散々罵って、安眠の妨害を試みていたようだけど、初日にはもう慣れた。

 前世の僕は静かじゃないと眠れないタチだったけど、赤ん坊の体のせいだろうか?

 《ピュート》の悪口も、今ではすっかり心地よい睡眠導入剤になっている。


 それに《ピュート》は踏みつぶされたことが、よほど恐ろしかったらしく、イルマの前では口を利こうとはしない。

 それから、ニックにはなぜだか《ピュート》の声が聞こえるらしく、ニックの前でも《ピュート》は喋らなかった。


 ニックと《神殿》のイェマレン司祭様によれば、《ピュート》はほぼ確実に《妖獣種レムレース》の《蛇妖》というものだろう、ということ。

 それなりに強力なモンスターだけど、肉体を喪っているから大した悪さもできないらしい。

 むしろ、イェマレン司祭様の僕に向けられる視線のほうが、悪口しか言わない《ピュート》なんかよりも、よっぽど心臓に悪かった。


 だけど、《ピュート》は僕の質問にも答えやしない。

 《裸神》との関係はもちろん、《タイタン》という言葉との関係も謎のまま。


 ニックの書斎にも《タイタン》のことについて書かれたあの巻物は見つからず、多数の蔵書の中にもそれらについて書かれていると思しきものは未だ見つからない。

 もしかすると、ニックによって隠されているのかもしれない。


 加えて、ニックの素性についてもわからないままだ。



……ということで、僕の気になる方面にはあまり進歩らしい進歩はない。

 だけども、僕の肉体の進歩には恐るべきものがある。

 先日も、与えられた胡桃のような堅い殻に包まれた木の実を素手で割ったら、大層イルマに喜ばれた。


 夜になって帰宅したニックに、イルマがそのことを報告すると、ニックは愕然としていた。

 やはり、少しおかしいのだろうか?


 しかし、僕の体に問題があったとしても僕にはどうしようもない。というかこれもレイア家の血統というものなのでは?


 ということで、僕は体について疑問に思うことはやめた。

 むしろ、余暇にここまでで得た知識の整理に専念した。



 戦勝報告書や文化風俗史や地理誌から知れたことによると、《ザントクリフ王国》があるこの大陸は《ラマティルトス大陸》というらしい。

 この大陸にはおもに四つの人種がある。


 《グリア人》《ルエルヴァ人》《ギレヌミア人》《アラシュヴァーナ人》がそれだ。

 前世では人種や民族とは幻想的なものだとよく言われていたけど、この世界では古くからあまり混血は無いらしい。

 各民族の特徴は現代の人族にも強く受け継がれているようだ。


 ただ、それらの人族の民族の特徴に、紫色の瞳や赤い髪の記述は無かった。

 つまり、ニックの身体的特徴は、一般的な人族のものではない。加えて、《エルフ》《ドワーフ》《獣人》、もちろん《魔族》にもニックの見た目すべてと合致する特徴は示されていない。強いて言えば《エルフ》の真っ白な肌と《魔族》の赤い髪というのが近いと言えば近いけど。

 でも、ニックの肌は真っ白を少し通り越しているような気もするし、髪色は赤をいくらか通り越しているようにも思える。

 じゃあ、僕の父親のニックとは、何者なんだ? 劣性遺伝子が爆発したのだろうか?



「オル?」

「……はい、ニック!」


 僕は慌ててニックの笑顔を見た。


「眠いかい?」

「だいじょうぶです!」

「……実際にやってみせたほうが、わかりやすいだろうか」


 そう言うと、ニックは立ち上がって寝室を出ると、ナイフを手にして戻って来た。

 そして、また着座して突然、ナイフで自分の掌を切る。染みるように浮かぶ赤い血。痛そうだ。


「ニック?」

「まあ、そんな顔しないで。……いいかい。よくご覧……《陽の神アプィレスス》よ。私の傷を癒したまえ」


 ニックが目を閉じる。

 僕に向けられたニックの掌が淡い輝きを放つ。それだけじゃない。

 光の球。小さなシャボン玉のようなものが大気中から突然現れて、ニックの傷口にどんどん吸い込まれていく――


 見る見る、まるで逆回しのように、ニックの傷がふさがっていく。

 そして、光のシャボン玉がすべて消えるころには、ニックの掌の傷は跡形もなくなっていた。


「……こういう具合に《祈り》は捧げられるんだ。捧げるときに自分の《魔力オド》を込めるのは、《魔法》の《呪文》と同じ。でも、それは神々に聞き届けてもらうためなんだ。実際に働くのは私から出た《魔力オド》じゃない。……今、なにも無いところから光が現れたのを見たろう?」

「ええ。あれも《魔力》なのですか?」

「あれは、神々の力、そのほんの一端。……私が祈りを捧げたのは《陽の神》だから、彼の神の力さ。彼からすれば、今の力は小指の垢くらいも無いんじゃないかな?」

「ニック? 少しいいでしょうか?」

「なんだい?」

「《祈り》というものはわかりましたけど……ニックは、《魔法》だけではなくて、《祈り》も使えるのですか?」

「ああ、そうか。《詩人バード》、それと《ドルイド》について説明が不足していたね。……《ルエルヴァ神官団》においては《異教司祭》とも呼ばれる《ドルイド》は、言わば《神官クレリック》なんだ。そして、私の職である《詩人》――《バード》は、その《ドルイド》の中に含まれる」



 ニックの話によると《神官》にはふたつの勢力が存在するらしい。


 《神殿》を中心とした《ルエルヴァ神官団》と、《ドルイド教》の教えを頂いた《ドルイド》。

 どちらも、崇める神は基本的には変わらないらしい。


――至上神純潔神アルヴァナを含む《世界を治める七大神》。

 《神官団》と《ドルイド》、どちらも《純潔神アルヴァナ》を神々のうちでも最上の権威としているようなのだけど、向き合う姿勢には若干の違いがある。


 《ルエルヴァ神官団》においては、《純潔神アルヴァナ》以外の七柱も敬っているのだけれど、《純潔神》ありき。

 すべての《神官》は《純潔神アルヴァナ》を崇めたうえで、ほかの神々へも祈りを捧げる。

 ほかの神々には、ちょっとおまけ感がある。


 一方、《ドルイド》たちは、《純潔神》を至上神と認めつつ、ほかのそれぞれの神々だけを崇める。

 彼らは個々に崇める神を決めているのだそうだ。

 彼らの間では《純潔神》は影の薄い神様だとみなされているらしい。


 そして、双方の教義にもかなりの違いがあるらしい。


 他者を広く教化して、蒙昧をひらき、すべての種族は慎みを覚えるべき。全種族の中でも人族こそがもっとも神々に愛された種族だと主張する《ルエルヴァ神官団》。


 他方、《ドルイド》たちの教義は密儀とともにある。布教活動なんてもってのほかで、種族の優越なんてどこ吹く風。それぞれの神を崇め、真理を追究することこそ本義である。


 《ルエルヴァ神官団》に所属する《神官》は《魔法》を学ぶくらいだったら、神学を学んで他者を教導するし、自分の生活を律して、《祈り》を捧げる。

 《ドルイド》はその系統によって、《祈り》を捧げる神が異なり、《魔法》も学ぶし、密儀も執り行う。



「……という具合で、《ドルイド》の伝統においては《魔法》が使用されることは一般的なことなんだ。ただし、自分が崇める神に関係する《魔法》のみを修めることが多いね」

「それでは、《ドルイド教》というものは、信仰する神様によって別の宗教といえるのではないですか?」

「いや、それがそういうわけでもないんだよ、オル。……そこから先は、《ドリアハトゥ》――《ドルイド教》の密儀に関わることだから、息子のきみにも言えないのだけど。……私も神罰は受けたくないしね」


 ニックの苦笑。


「《ドルイド》と《詩人》の関係って? 《詩人》とはどういうものなのですか?」

「《詩人》――《バード》はもともとは《ドルイド》の一種なんだ。特に伝承を詩に載せて語る役割を担っていた《ドルイド》を《詩人バード》と呼ぶ。私たち《詩人》は《天上の詩い手》とも呼ばれる《陽の神》を崇めるものなんだ」


 ニックはやっぱりなにか、ふつうの人が知らないことを知っているんだ。

 《タイタン》という言葉もそれに関係することなのかもしれない。

 つまり、宗教的な制約からニックは、それについて口にすることができないのかも。


「オル? どうかした?」

「いえ、なんでもありません」


 僕は頭を振ってニックに応える。


「……《祈り》に応えてもらえるニックは《陽の神》に愛されているのですね?」

「うーん、まあ、ね」


 ニックが微妙に苦そうな顔をする。なんだかちょっとイヤそうでもある。

 神様に愛されるということは名誉なことではないのだろうか。


 僕は少しだけ躊躇して、口を開いた。


「ニックの体の《いれずみ》も、その《ドルイド教ドリアハトゥ》にかかわるものなのですか? ……まえにも秘密だ、と言ってましたけど」

「まあ、そうだね」

「なるほど。……ひょっとして、ニックの髪の毛や瞳の色が、みんなと違うのもそれとなにか関係が?」


 なにげない感じで、できるだけ子供らしく、僕はそこに踏み込んだ。人種問題はたぶん、こちらの世界でもそれなりに繊細な問題。

 それに、《ドルイド》の密儀がどういうものかは知らないけれど、その可能性はあるように思った。薬品とかで髪や瞳の色が変わってしまったとか。


 今まで、ニックは基本的に僕の質問にはすべて答えてくれた。《タイタン》のこと以外は。


「ま、それなりに関係はあるかな」


 なんとも曖昧な回答。


 でも、僕は確信を深めた。

 やっぱりニックは僕にウソをつく気はないみたい。

 隠したいことは濁したり、話を逸らしたりもするけど、ウソや誤魔化しを口にすることは無いように思える。


 今の質問にだって、ウソをつく気なら曖昧に頷かないで「関係がある」と言ってしまって構わなかったはずだ。

 濁したということは、それは正確じゃない、ということなのだろう。


 僕の父、ニックには秘密がある。

 けれども、それで僕やイルマをないがしろにしたり、傷つけたりしたことは無い。


――やっぱり、ニックは僕のことを大切に思ってくれているんだ。

 ニックはやっぱり、尊敬できる父だと思う。


 ふと、僕はひとつの考えに囚われた。

 僕は前世では無宗教だったけど、このままでいいのだろうか。


「……ねえ、ニック? ……やっぱり僕も、どの神様かを信仰しなければいけないのでしょうか?」

「別に、無理に神々を信仰する必要はないさ! 神々もそんな気持ちで《祈り》を捧げられても嬉しくはないだろうしね」


 それはそうか。

 とりあえず、ビールみたいな感じで《祈り》を捧げるのも確かにおかしな感じだ。

 神様にも人格がある……らしいし……。


「オル? 今日はこのぐらいにしようか?」


 急な眠気に襲われて、体がいうことを利かない。


「……あい……」


 僕は、ニックに抱き上げられて寝室へと連れていかれる。



 〓〓〓



〈――ルエルヴァ共和新歴百二年、ザントクリフ王国歴千四百五十九年、エウラの月、十夜


 私は今夜もイルマの目を盗み、オルに服を着せる。


『……ご苦労なこった』


 今日は《蛇》から私に声をかけてきた。

 なにを考えている? なにが目的なんだ? いつものようにそう問うと今日はいつもと違って、答えが返ってきた。


『……それに答えるつもりはないが、オルレイウスは、業腹なことにこの《ピュート》様を無視しやがる。暇なのさ』


 私は《蛇》の言うことに苦笑を漏らして、いつものようにオルの腕を幼児用の服に通す。

 相変わらず顔色は青くなるが、最近の成長速度のためだろうか、以前ほど苦しそうには見えない。


 そろそろ、オルも衣服を着て生活できるのでは?

 そうすれば、いずれ彼もふつうの子供のように。

 私の思考を読んだように、《蛇》が声をかけてきた。


『ひとつ、いいことを教えてやろう。……鍵はこのガキがどこへ行くか、だ』


 なんのことだ?

 そう問い返しても、《蛇》はそれ以上語ろうとはしなかった。


 《蛇》は、おそらく《福音ギフト》の存在を知っている。

 加えて、《福音ギフト》を与えたものの目的と、どのように指標とされるのかも知っているのではないか。


 つまり、オルレイウスが特定の場所に到達すると、指標として機能する?

 発動しているかどうかは関係ないのだろうか?


 この《福音ギフト》を与えた者については、ある程度わかっていることもある。


 私が所有する古い詩編。そのうちのひとつ《巨神狂詩曲》を評した散文詩。

 《巨神狂詩曲》は既に亡佚ぼういつしてしまっているが、引用された一部が残っていた。


 おそらくは、これなのだ。


 やはりこの《福音ギフト》は危険だ。

 もし、発動状態が指標と関係ないとしても、停止させられるならそれに越したことはない〉

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