第14話



――僕はある日のイルマのアトラクションと、彼女との会話を思い出していた。




「いい、オル? 肉食獣とおんなじで《魔獣種》なんかは、ちょっと手傷を負っても跳びかかってくるの。だから、あたしは、こんなふうにどぉどぉ言いながら突っ込んでくる《魔猪ましし》の鼻づらを、がんって、こう思いっきり叩いたの! 先手必勝って感じね! そしたら、バンって来たから、さすがのあたしもヤバいと思ったわ。でも、そこで諦めないのよ。どう? お母さんはすごいでしょ? そこから、こうして……」

「いるま? すこしいいでしょうか?」

「ん? なぁに?」

「いるまのおはなしは、とてもおもしろいのですけど……そのう……ぼうりょくのおはなしは、あんまりよくないのではないですか?」


 イルマの話はいつでも面白い。

 でもよくよく考えてみると、血生臭い話が多い。

 僕はまだしも、これから産まれてくるかもしれない弟や妹たちのことを考えると、教育上よろしくない気もする。


 そんな僕の懸念に、イルマは熱弁で応えた。


「違うわ、オル! ……いい? これは《戦士》としての矜持の問題なの!」

「きょうじ、ですか?」

「そうよ! あたしたち人族は弱い。でも、産まれたからには誇りと、情熱を抱いて生きなければならないの!」

「ほこりと、じょうねつですか?」

「そうよ! 小っちゃなオルにはまだ難しいかもしれないけど! ……体を痛めつけて痛めつけて、数え切れないぐらい素振りをして、それは傍から見たら苦しいことかもしれない。でも《戦士》はそうじゃないの!」

「くるしくないのですか?」

「節々は痛むし、マメは割れるし、筋は切れるし、肌は裂けるし、血尿は出るし、ゲロは吐くし、汗臭くはなるし、衛生面ではどうかな、って思うこともあるけど!」


 僕はちょっと引いた。

 だけど、それ以上に輝かしい笑顔を見せてイルマは言ったんだ。


「それこそが、進歩の証明なのよ! ……痛んでいたはず節々がより滑らかに、割れたマメがより硬く、切れた筋はよりしなやかに、裂けた肌も強くなる!」

「つよく、ですか?」

「そうよ! 日々、強く! より高みへ! 一昨日のあたしよりも昨日のあたしは強くて、昨日のあたしよりも今日のあたしは強い! そして、そういうことを積み重ねて、オルみたいに小っちゃくて弱かった人族のあたしが、神々によって強力に創られた《魔獣種》と闘える!」


 イルマは高々と僕の体を捧げ上げて、朱のさした笑顔を見せた。


「オル。自分を練り上げ続けるからこそ、その芯に固い信念が産まれるの。うねるような情熱を向けることができるからこそ、生きる意味があるの。……その上にこそ矜持が抱ける」

「いきる、いみですか?」

「そうよ。あたしたちの命には意味がある。あたしやニックがあなたに注いでいるものがそれで、あなた自身が積み重ねるものがそれ。……弱く産まれたから? それは膝を抱えて立ち止まる理由にはならないわ。……恵まれているから? それは挑まない理由にはならないわ。……だからね、オル」


 そして、そのとき、優しい微笑みとともにイルマは言ったんだ――


「敵は、全身全霊で殺しなさい」


 と。



……つまり、イルマが言いたかったこととは、たぶん、心構えの問題。

 心の優勢を保つことと先手を取ることの重要性とか。

 前世では謝ってばかりで、こちらから手を出したことなんてなかったし、殴られても殴り返したことはなかったと思うけど。


 そんな僕でも、イルマの言うことが実感できる。

 今世では毎日、イルマと取っ組み合いをやっているようなものだ。投げられるのも、アトラクションにしがみついているのも、抱き絞められるのに抵抗するのも、なかなか疲れる。

 でも、楽しい。楽しく鍛えられている感じ。実際、僕の体にできることは日進月歩の勢いで増えている。


 一昨日の僕より昨日の僕のほうができることが増えていて、昨日の僕より今日の僕のほうができることが増えている。

 そうやって、僕は日々、進歩している。それは単純に嬉しくて、単純に正しいことだろう。


 確かにイルマの「殺しなさい」発言はなかなかインパクトがあったけれど、生きるということは命を頂くことだ。

 そして、それは物質的な場面でだけじゃない。……そう、イルマは言いたかったのだと、解釈することにした。




――そして、現在。僕の初陣ということになるだろう。



『――喋れるのか、そんな舌で? 見えるのか、こんな暗がりで? この《ピュート》を捕らえようというのか、その短い手足で?!』


 血を流しながら体をくねらせる《ピュート》の姿を、僕の目は細く開いたドアの向こうから薄く差す乏しい灯りの中、確かに捉えていた。

 前世とは違って、この家の照明は非常に弱い。でも、僕は転生してから夜目が利く。


 《ピュート》の太い体が、光沢を放っていた。ニックの前腕ぐらいの太さはありそう。

 そして、長い。僕の胴体を軽く十周ぐらいはできそうなほど長い。


 頭部は大型の蛇の体型バランスからして少々大きめで、胴回りの三倍ぐらいはありそうだ。

 アゴを大きく開ければ赤ん坊の僕ぐらい、丸のみにできそう。


――そんな大蛇の頭部がベッドの上で持ち上げられ、僕を見下ろしながら威嚇音を放つ。

 この、《ピュート》という名前の《蛇》が発する音と、僕に語りかける方法はどうも別物らしい。


 僕は《ピュート》の体の首(?)のあたりにまたがって、太ももで強く絞めつける。


「おまえは、あのおおきな《かみ》の、つかいなのか? こたえろ」

『嘗めるなっ、がきんちょ!』


 《ピュート》の体が僕を乗せたまま大きく波打つ。

 僕は振り落とされないように、鱗の上からその肉を掴んだ。


『痛えよっ!』


 背後からしっぽが伸びてきて、僕のお腹にまとわりつく。

 しゅるしゅる巻きつく長い体と、僕のお腹の間に片腕を突っ込んで、強引に引き離した。


『なんだその力はっ?! 非常識だ!!』


 僕もそう思うけど、喋る蛇ほどではないと思う。

 闇の中に沈む子供用ベッドの上で、僕と喋る蛇のプロレスは続いた。


 別の部屋にいるはずのイルマとニックを呼ぼうかとも思ったけど、この《ピュート》は僕が初めて得る僕自身の手掛かりになるかもしれない。

 自分の力でできるだけのことはやろう、そう決めた。


――ふいに、《ピュート》のなにかが変わったと思った。

 直後、これまでは僕の体を押さえつけようと、もしくは振り落とそうとしていたのに、首を必死に僕の頭上へと伸ばし上げた。

 がくんっと音がしそうなほどにアゴを開いて、今度は僕の上から降ってくる。


 このままでは丸のみコース。


 僕は《ピュート》の体から手を放し、上あごと下あごを両手で受け止めた。


『お前っ、ほんとうに子供かっ?!』

「せいしんねんれいは、おとなだから」


 そう言って、僕はイルマに空中で側転させられたときの感覚を思い出して、ベッドを蹴った。


『――は?』


 僕の両手にアゴを持たれたままの《ピュート》の長い体。

 それが僕の体の動きに従って、水圧を目いっぱい上げたシャワーホースのように闇の中に踊った。


――びたぁあん。


 《ピュート》の長い体が、子供用ベッドから床に叩きつけられる音。

 僕は、《ピュート》の体を踏んづけながら着地すると、その頭を床へと両手で押さえつけた。


『待て! なんだこれっ! いくらなんでもおかしいだろ!!』

「そんなこといわれても、こまる。……それよりも、《たいたん》ということばに、ききおぼえはない?」


 僕は逃れようとする《ピュート》を思いっきり固い床へと圧しつける。

 木製の床がぎしぎし音をあげる。


『待て待て、そんなに圧すと……』


「オル? ……今の音は?!」


 慌ただしげなニックの声。

 それが聞こえた直後、寝室のドアがものすごい勢いで開いた。

――イルマだ。


「いる…………」

『――へ?』


――ぐしゃっ。


 次の瞬間、僕の手許でそんな音がした。


「……ま?」


 僕の掌の下にあったはずの《ピュート》の頭が、イルマの足に床ごと踏み抜かれていた。


「オル、大丈夫?!」

「……ええ、だいじょうぶです、いるま」


 踏み抜かれた床に両手を突っ込みそうになって体勢を崩した僕を、イルマが抱き上げてくれた。そして、僕の体をぐるりと回して点検して、ほっとひとつ安堵の息を吐く。

 僕は見るも無惨に変わり果てた《ピュート》の体を、逞しい腕の中から見下ろして手を合わせた。

…………合掌。


「とりあえず、ニック。オルを預かって。あたしは、これ始末するから。……まったく、どうやって入り込んだのかしら?」

「わかったよ」


 イルマの腕から駆け寄って来たニックの腕へ。イルマが床の穴から原型をとどめていない《ピュート》の頭を掴み上げる。

 うん、グロい。

 淡々と、長い体を引きずって台所へと向かうイルマの背中を僕は見送った。


『……嗚呼、また体を喪っちまった……』

「え?」

「――オル?」


 僕の耳に聞こえた《ピュート》の声。

 でも、その体はイルマが引きずっていったから、この場にはもうない。


『……計算外だ……なんで、こんなことに……くそがきめ……』

「……これは、床から聞こえているのか?」

「やっぱり、にっくにも、きこえるのですか?」


 僕は思わずニックの顔を見上げた。ニックの紫色の瞳が僕らの影が落ちた床を見ていた。


『? 宿主以外に聞こえるはずは……っ!』


 ほんとうだ。ニックの言うとおり、地面から《ピュート》の声がする。

 その声が息でも飲んだみたいに詰まった。


『……赤髪に紫瞳……こいつは、驚いた!』

「……影か?」


 ニックの言葉に僕は影を凝視した。いつものように思えるのだけど?


「《幻惑魔法》……では無いな。この子の影の中に潜んでいるのか?」


 僕の影の中に潜んでる?


『――そこのくそがきと、あの女のせいだ! 無理矢理圧しつけるもんだから、影の中に魂が入っちまったじゃないか!!』

「そんな……」


 Tシャツの中に入ってしまった平面ガエルじゃあるまいし。

 そんな言葉を僕は飲み込んだ。


「お前は何者だ?」

『《ピュート》だ! 影に潜む《蛇》さっ! なんていう災難だ!』



 そう言うと、《ピュート》は会話を拒否するように押し黙った。


――こうして、僕の影の中に《ピュート》が棲みついたんだ。



 〓〓〓



〈――ルエルヴァ共和新歴百年、ザントクリフ王国歴千四百五十七年、アウトラの月、十二夜


 オルレイウスの影の中に《ピュート》と名乗る怪物が棲みついたようだ。

 その声は強力な《魔力》を孕んでおり、私の耳にも明瞭に聞こえたほどだ。


 オルの話や遺された蛇の体からは、とても高位の《魔獣種》とは思えなかったが。

 《魔物種》の中には、影のような体を持つものもあるが、どうやらそれとも異なるらしい。

 それの言葉を信じるならば、魂が影の中に入ってしまった、ということだ。


 となると、考えられることは、もともと《霊魂》のみによって世界をさまよう《魔物種》か。

 死して肉体から離れても、再生が約束されているタイプの《妖獣種》か。


 前者ならば、《神殿》で《祈り》を捧げてもらえば、高確率で撃退できる。

 しかし、後者ならば?


 太古の《妖獣種》の中には、そのような力を持つものも極少数だがなくは無い。

 そして、とくに強力な《蛇妖》や《竜種》は死と再生、あるいは不眠と不死を司る。


 かなり厄介な敵ではあるが、私とイルマならば《竜種》であってもそれなりに戦えるだろう。

 それに、《ピュート》とやらは今夜肉体を喪ったばかりだ。

 肉体の再生には百年単位の時を要することだろう。今、懸念することではない。



……それにしても、どうやってオルを探し当てた?

 彼の授けられた《福音》の力に誘われたとでもいうのか?

 なぜ、あのような低位の蛇の肉体に宿っていた?



……それらの《妖獣種》を統御する神。《純潔の神》に鱗と皮を剥がれたものがいたはず。


 いや、考えすぎだろう。いくらなんでも、これでは単なる空想だ。

 《ピュート》という怪物だけをのりしろに、オルの会った《巨神族》とそれ・・をつなげることは如何にも飛躍している。


……そう、私の単なる妄想にすぎない。


 とりあえず、明日は《神殿》へとオルレイウスを連れていこう。イェマレンの渋い顔が今からまぶたに浮かぶようだが。


 マルクスからは、イルマの本格的な復帰を促されているが、こんなことがあったばかりではイルマも承知しないだろう。

 従僕としてレイア家に長年仕えている家令のガイウスを遣ると言われたが、果たしてガイウスにもどこまで話すべきだろうか?


 それに今は《グリア諸王国連合》への加盟の話も来ている。

 《ザントクリフ王国》は、《ルエルヴァ共和国》からは最も遠い王国のひとつに数えられるものの、北の《ギレヌミア諸族》と東の《アルゲヌス山地》の動きも気になる。

 こんな小国、いつ消し飛んでもおかしくはない。

 現在はこの小国にとっても、かなり重要な時期なのだ。


……とりあえず、念のために、かの《巨神族》についてはもう一度洗い直してみよう〉

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