第13話
「……『《
ニックが《呪文》を唱えていた。
僕の目の前にひとさし指を立てて。
「今、私の指の先端に《魔力》が球形をつくっているのだが……オル、見えるかい?」
僕はニックの指を凝視した。
なにも見えない。指の向こう側に焦点の合わないニックのぼやけた顔があるだけ。
「みえません、にっく……」
僕は心底がっかりしていた。
ニックによれば、これは基礎中の基礎。
《魔法使い》を志す者に、その素質があるか判断するためのものらしい。
――《魔導の素養》。
《魔力》を感覚することと、感覚した《魔力》を操ることをそう呼ぶらしい。
感覚することはその第一歩。それさえできない者は
落ち込む僕に、ニックは困ったように微笑みかける。
「オル、私の指先に触ってごらん」
「……はい」
僕は小さな手をニックの指へと伸ばす。
そうだ。諦めるのはまだ早い。
ニックによれば、《魔力》を感覚する方法は見ることだけではない。
見えることが《魔法使い》にとっては理想的だけど、ほかの感覚器官によって感じることができれば、そのうち見えるようになることもあると言う。
僕はニックの指の上に掌をかざして動かした。
ダメだ。やっぱり、なにも感じない。
「にっく……」
「耳を近づけてみて」
「はい……」
僕はニックの指先に耳を寄せた。なにも聞こえない。
才覚のある人は、耳鳴りのような高音を聴くと、ニックは言っていたのに。
「次は嗅いで」
「はい……」
これもダメ。
「次は舌を出して、指に近づけて」
「はい……んべ」
やっぱり、ダメ。……ということは。
「残念ながら、オル。やはり、きみに《魔力の素養》は無いようだ……」
ニックが申し訳なさそうに言った。
肩を落とした僕の頭をイルマが優しく撫でる。
「ごめんね、オル。やっぱりあたしの血が濃かったみたいだわ……」
「いいえ、いるま。そんなことはないとおもいます」
イルマの膝の上に座りながら僕は上を見る。
しょぼくれた猫みたいな顔をしたイルマが首を横に振っていた。
「うちの家系から《魔法使い》が出たことは無いの。……ニックの子のオルなら、もしかしてとも思ったのだけど。女の子だったら、もう少し体も弱かったでしょうし……」
「……レイア家は頑強な肉体を持つ者が多いんだ、オル。強い肉体を持つ者は、五感が鋭敏だったりすることが多いんだけど、《魔力》を感覚することができない場合も多い。五官のどこかで《魔力》を感じることができれば、《魔導具》の補助でほかの感覚を開くこともできるけど……残念ながら、きみの場合は……」
言い淀むニックに向かって僕は首を振った。
僕には、《魔法》の才能がまったくなかったというだけ。
異世界に転生して《魔法》がまったく使えないなんて、かなり残念ではあるけど。
それだけ頑丈に産んでくれたふたりに感謝しよう。
「わかりました、にっく。だいじょうぶですよ、いるま。……ぼくは、ちしきをたくわえることにします」
イルマが僕の体を抱きしめる。
そんな僕とイルマの正面に座っているニックは、口元を手で覆ってなにかを考えているみたい。
独り言が聞こえてくる。おそらく、僕の耳でなければ拾えないくらいの小さな声。
「……《
僕たちから目を逸らしながら、呟かれた言葉。
たぶん、僕に聴かれているとは思っていないだろう。
――ニックに、なにか秘密があるということは、かなり前から察していた。
ニックは、外出するときには必ず髪と瞳の色を変える魔法を使っている。
それはオシャレのためとかそういうわけではないだろう。日光や外気に対するアレルギーなんかも考えられなくはないけど、ほぼ確実に変装のため。
だって家の中ではいつも元の髪色や瞳の色のままなんだし、日光や外気が問題だったら、帽子をかぶったりすればいいだけの話だし。
僕やイルマの前では、元の姿をさらしているということは、他人への秘密か配慮なのだろう。
だけど、ニックはそれだけじゃない。
僕に対してもなにか隠している。
――《タイタン》。僕が喋れるようになる前に、ニックがよく言っていた言葉。
だけど、その言葉に対して示された内容は少ない。
ニックが僕に見せる挿し絵つきの本にも、その形状は描かれていなかった。
数度、ニックが持ってきた《タイタン》のことを説明していると思われるぼろぼろの巻物に書かれた文字も、僕が習った文字とはかなり違っていた。
その文字は、なんだかニックの体の刺青と似ているようにも思えた。
そう、ニックの全身には刺青が刻まれている。
加えて、ニックが以前言っていた『《詩人》は言葉の専門家』という言葉。
さらに、《魔法》には言葉が不可欠なものらしいし。
僕の前世において、刺青はひとつのファッションとなっていたけど、もともとは違う。
多くの例外もあったはずだけれど、刺青は罪人の証明だったはずだ。
そして、ニックの場合は、ファッションとも罪の証明とも違うように見えた。
どちらの場合にも、刺青は普段から見える位置に彫られることが一般的。
見えないオシャレや、任侠ものの刺青なんかの例外もあるけれど、刺青とはラベルに近いものだったはずだ。
他者に示すことが第一目的の。
一方でニックの刺青は、大きく異なる。
服を着ればまったく見えない。ほかの人が目にする機会もほとんどないだろう。
しかも、《魔法》に不可欠な言葉が、言葉の専門家である《詩人》のニックの体に彫られている。
偶然ではないんじゃないだろうか?
ニックは髪や瞳の色を変えるとき、手首を合わせるようにしていた。
ニックの刺青は両手首で終わっている。
《魔法》に不可欠な言葉。それが刻まれた肉体を、両手首でつなげることで、ニックは《魔法》を使用しているのではないだろうか?
途切れた文を、つなげることで《魔法》を発動しているのではないだろうか?
……僕がニックが使う《魔法》について考えたことはそれ。
その推測から、さらに憶測を重ねてニックについて考えてみる。
ニックの髪と瞳の色はおそらく、この国では不自然なのだろう。僕が上空から見る街中にも、ニックと同じような真っ赤な髪の人間はいない。
加えて、ニックの髪色のように、その体に刻まれた《魔法》に関する技術は隠匿されるべきものなのではないか?
僕の推測通り、途切れた文をつなげることで《魔法》の発動が可能ならば、手首と言わず、指先まで刺青を刻んでも構わないはずだ。
しかし、ニックの体の刺青はちょうど手首で終わる。
衣服を着れば隠れることを念頭に置いているみたいに。
――そして、《タイタン》。
ニックは《タイタン》について今ではまったく語らないし、僕が訊いても笑ってごまかすだけ。
イルマに尋ねてみても「《タイタン》? なにそれ?」と、逆に問い返された。
ニックだけが知っていると思っていた《タイタン》。それが伯父マルクスの舌の上に登った。
あのときのニックの行動を考えるに、ニックは《タイタン》について僕の耳に入れたくないことがあるようだ。
問題はニックが自分を『古い《詩人》』だと言ったことだ。
古い。その言葉にはどれだけの意義が含まれるだろう。
この世界には、古くから存在して全能と言っていい力を持った神々がいる。つまり、歴史未満の時代を記憶した神々から直接教えを受けることができる。
そのためか、ニックから聴いた限りだと考古学や地層・天文といった分野はそれほど発展していないような印象を受けた。
暦こそ一年、十二月、三百六十日というもので、前世のグレゴリウス暦に近いものだったけど、それがこの惑星の公転周期に照らしてどの程度正確なものかはわからない。
考古学的な遺跡の発掘なども行われているという話は今のところニックからは聴いていない。
そもそも、神様と会話できる人間がいる以上、そういう学問にはそれほど比重が置かれないはず。
神様に問えば、正解が与えられるからだ。
聖職者の権威とは、知っているという事実に支えられる。
それは、前世の中世世界では常識で、たとえその知識が間違いだったとしても関係がなかったぐらい。コペルニクスが沈黙してガリレオが裁判にかけられた例は有名だ。
現代においてウィキ○ディアやグー○ルが重宝されていた理由は、そんな権威に対する恐怖だけではないだろうけど。
知は力。いや、隠匿された知は権威の土壌なんだ。
つまり、『古い』ということは、知識が支配する権威主義的な世界において絶大な威力を発揮する。
そして、今世のこの世界。全知の神々には、やっかいなことに人格があるっぽい。
情報操作? いくらでもできるだろう。
むしろ、神々から伝えられる情報を鵜呑みにしない人間のほうがどうかしていると思われるんじゃないだろうか?
しかも、神々の言葉は《神官》を通して聞かされる。
二重のフィルター。
それらを通り過ぎた先に、真実があるかといえば、無い可能性が高い。
そう考えるのは、なにも僕が異世界人だからではないだろう。
ニックは古い《詩人》だ。
ニックの人格は、虫食以外について疑う余地がないけど、信仰はまた別物と考えるべき。
……ニックについて、あまりにも僕は知らなさすぎる。
それを訊いてもいいのかためらうぐらい。
そして、ニックが隠していることを教えてくれるのかもわからない。
それは僕のためかもしれないんだ。
……僕はこれからどうすればいい?
――そんな夜、事件は起こった。
ニックとの問答を終えて、子供用のベッドに横たえられたあとだった。
そのとき、僕は夢を見ていた。
なぜか、ニックに抱き絞められる夢だったと思う。夢だからだろう、ニックの表情が見えた。
憎悪と悲哀にゆがんだニックの顔。
寝苦しさに目を覚ましてみれば、目の前には見慣れた天井しかなかった。
夢だった――
安心と共に寝返りを打とうとした僕の体を襲う抵抗。
なんだか、やけに冷んやりした縄かなにかに縛られているような感触。うまく体が動かせない。
『はじめまして、ぼうや』
声のした方向、頭の真上、闇の中に鎌首を持ち上げた蛇が現れた。
その長くて太い胴体が、僕の口の上を這って悲鳴を閉ざした。
『ちょっくら、お前さんの体に這入らせてもらおうか。……なぁに、痛みなんかない。ちょっとその喉を通って体の中へ這入るだけ。そうすりゃお前さんもいろいろと楽になる』
蛇は先の割れた舌をちろちろと口から泳がせながら、嘲るようにそう言った。
僕には、それが蛇の言葉だと直感的に理解できた。
喋る蛇? しかも、どうやってこの子供部屋まで入ってきたのか?
イルマもニックもいるというのに。
太くて滑らかで長い体を僕の全身に這わしながら蛇は続ける。
『転生者。そんな体を間借りするのは、初めてだよ』
――転生者。僕の性質を知るものは多くない。
同時に僕の脳にひとつの記憶が蘇る。
――……いずれ何かを遣わせよう――
《裸神》の言葉。
人間ではなく、蛇。遣わされるはずのなにか。
――僕は気づけば、乳歯で蛇の鱗に噛みついていた。
『……おいおい、ぼうや。そんな柔な歯で、この《ピュート》様の鱗が』
僕は蛇の言葉を無視して、鱗ごと口の中にある蛇の体の一部を食いちぎった――
『――っ! まさかっ?!』
蛇の体が、僕の体の表面を這うように動く。解放された口から、僕は蛇の肉片を吐き捨てた。
僕は、逃れようとする蛇の体を短い指で掴んだ。イルマに振り回され、その服に掴まり続けて鍛えられた握力で。
蛇の固い鱗が割れて、しなやかな肉を掴み取る。
『ありえないっ! こんな赤子が……』
「こたえろ、《ぴゅーと》とやら。……ぼくに、なにをするつもりだって?」
体をよじって逃げようとする蛇に馬乗りになりながら、僕はそう問い質した。
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