第12話



 僕の肌が勝手に鳥肌を立てる――


 なにが原因なのかは考えるまでもない。

 くしゃくしゃにシワを寄せたイルマの顔。その顔は渋そうな、というよりは、威嚇しているネコ科の動物みたい。

 僕を抱いてる腕と胸から伝わってくるイルマの拍動が、テンポを上げているのがわかる。


 これは、あれだ。攻撃態勢に移行した動物と同じ。僕はそう直感していた。

 イルマは成金趣味も虫と同じくらいキライなのかもしれない。


 前回このおじさん――王様が家に来たときは、ニックと僕のふたりだった。

 僕が、王様とイルマが顔を合わせているところに遭遇するのは初めてだ。

 僕がそう思っていると、王様のほうもイルマを見て苦虫を噛み潰したような顔をしてる。


 王様が敷居をまたぎながら、口を開いた。


「……ふんっ、イルマ。相変わらずのよ――」


 気づくと、そう言いかけていた王様の頭が、僕の短い腕でも届きそうなところにあった。

――僕を抱きかかえたままのイルマの右足が、王様の腹部に潜り込んで、王様の体が「く」の字がたに曲がってる。


 前蹴り?


 僕には、その過程がまったくと言っていいほど見えなかった。イルマが玄関まで走ったことも、脚を蹴りだしたことも。

 イルマの真っ直ぐに伸びた右足。その先の王様がエビのような体勢で、家の外へと弾きだされる。

 その体が、投げられたおもちゃみたいに、地面の上をバウンドしていた。


「え?」

「――イルマっ!」


 イルマは、空いているほうの片手で取り乱すニックの袖を強引に引っ張り家の中に入れ、流れるような動きで勢いよく扉を閉めた。

 そして、またニックの袖を取ってぐいぐいリビングへと引っ張りながら笑顔を見せる。


「今日は早かったのね?」

「いや、イルマ! マルクスが」

「お昼は食べたのかしら? まだ?」

「いや! 食べてないけど! マルクスを」

「オルにもご飯をあげたところだから、ニックもなにか食べるといいわ」

「だから! イルマ!」



……僕にはわけがわからなかった。王様への暴行はきっと重い罪になる。

 しかも、生物として不可解なほど力が強いイルマの前蹴りだ。


 前世でも、シマウマなんかの後ろ足での蹴りは、ライオンを撃退すると聴いた覚えがある。

 そして、おそらくイルマの強靭な肉体が産み出す衝撃は、ウマ科の動物の比ではない。


 イルマは空高く僕の体を打ち出し、それを無傷で受け止めることができる。

 あれは、投擲された陸上競技用の砲丸を素手で受け止めているようなものだ。


 そんな芸当が可能なイルマの肉体。おそらくは前世の全生物を基準にして、なお空前の運動能力を発揮できると言える肉体。

 それがたった今、人間への攻撃に使用されたのだ。

 シマウマの一撃なんか目じゃないに決まってる。


――死んだ。

 十中九、ザントクリフ王は死んでいる。

 この世界の人類の体が、どれほど強固にできていようとも、イルマの脚力に耐えられるとは思えない。


 僕の幸せな生活は、たった今、終わりを告げたんだ――



 ばんっ。


 勢いよく、僕らの背後で扉の開いた音がした。


 イルマが体ごと振り返り、僕の視界にふたたび王様が登場していた。

 白い服のお腹あたりに、イルマの靴の痕がばっちり捺されている。


「ばかめっ! そう来ると思って、あらかじめ服の下に鋼鉄製のチョッキを着ておっ!」


 素早く間合いを詰めたイルマのバックハンドブローを寸前でかわしたらしい、王様。

 が、そのまま後方へと転がって、今度は自ら退出するかたちになった。


 イルマはそれを見送ると、また無言で扉を閉めた。

 閉めた途端に、扉の向こう側から物音がして、扉になにかが飛びつく衝撃音。


「ふんぬっ! ふぅうん!」


 という声が聞こえてくる。王様が外からドアの把手を引いているみたい。

 だけど、それを片手でイルマが抑え込む。具体的には、扉の把手を何気なく片手で家の中から引いているだけ。

 でも、扉はぴくりともしない。王様の力んでいる声が扉越しに聞こえてくるというのに、イルマはただ無言のうちにそれを引いているだけ。


――どういう状況なんだ?

 僕は途方に暮れる。


 鋼鉄製のチョッキ? そんなものを着ていたとしても、衝撃がすべて殺せるわけがない。

 にも関わらず、王様はぴんぴんしていて、現在進行形でドアの向こう側から把手を引いているらしい。


 丈夫。……丈夫すぎるだろう、ザントクリフ王。

 扉越しに、彼の声が響く。


「ニコラウスっ! ニィーックっ! 余にっ、加勢せよっ!」

「……ニック、今日は害虫が多いわね?」


 僕は、ニックにそう話しかけるイルマの腕の中からニックを見た。

 ニックは天井を仰いで、顔を両手で覆っている。その指の間からニックの掠れた声が聞こえてきた。


「……イルマ、いいから」

「ダメよ、ニック。……あいつはすぐに調子に乗る。一度でもこの家に入れたら、我が物顔で何度でも上がり込んでくるわ」


 イルマはなぜか王様をほんとうに害虫扱いしていた。

 害虫並みにキライだとか、そういうわけではなく。

 扉越しに壮年の男性の絶叫が聞こえてくる。


「この家を建ててやったのは余であろうがっ! 上がって何が悪いっ!」

「違いますぅー。あたしとニックが貯えたお金で建てたんですぅー」

「許したのは、余だっ!」

「自分の実家の敷地に、自分の家を建てるのに許可もクソもありませんー」

「余は――王ぞっ!」

「あたしは王女よっ!」


 イルマの怒声に応えるように、家の玄関の扉がみしみし言っていた。

 王女? 僕は頭を抱えるニックを見た。


「いるまは《おうじょ》さまなのですか?」

「ああ、そういえば、オルにはまだ言ってなかったか。……イルマはこの《ザントクリフ王国》の先代の末子だ。家の外にいるマルクス王の腹違いの妹にあたる。だから、マルクス王はきみの伯父さんになるんだけど」

「……へー」


 僕は少しだけ納得していた。イルマの血縁者なら、さぞ頑強な肉体を持っていることだろう。

 王様がイルマの蹴りを受けても健在だった理由は、そのあたりにあるのかもしれない。


 そして僕は同時に考えた。


 恵まれてるなんてもんじゃない、な。

 異世界に転生したら、優しくて容姿の整った両親がいて、その上王族だったなんて。

 なにかもの凄い落とし穴でも用意されているんじゃないだろうか?


……それより、なんでイルマは実の兄を自分の家に入れたがらないんだろう。


 ふいに、扉の向こう側から聞こえて来ていた「ふんっ! ふーんっ!」という声が已んだ。


「…………ニコラウス? 誰と話している?」


 王様の怪訝そうな声。


「……えー……、オルレイウスです。……私たちの息子の」

「そんなばかな話があってたまるかっ! オルレイウスは半年前に産まれたばかりではないかっ?」

「……王よ。あなたの甥、オルレイウスは……転生者だったのです」

「転生者ぁ? ……おい、ニコラウス。余を謀るなよ? 余とてものを知らぬわけではない。転生者などというものは、神代にあってなお《巨神族タイタン》が――」


 《たいたん》? 前にニックがしきりにそう言っていなかったか?


 そう、僕が思った瞬間、ニックが素早くイルマの胸を後ろから鷲掴みにした。


「ちょっ――」


 なんだか艶っぽい悲鳴を上げたイルマの手が把手から離れる。

 イルマから解放された扉が開き、王様がその向こう側に立っていた。


 目が合う。僕の伯父にして、ザントクリフ王のマルクス・レックス・ザントクリフ・ユニウス・レイアと。

 なるほど。そう言われてみればイルマと同じ瞳の色だし、どことなく顔立ちも似ているような気がする。


 それに、長い名前の真ん中と最後の部分が僕ら家族の名前と一緒だ。

 ちょっと推測すれば、もっと早くわかっていたことかもしれないな。


 王位に即いている伯父だ。礼儀には厳しいかもしれない。

 丁寧にあいさつしなくちゃ。


「こんにちは、おじうえ。あなたのおいの、《おるれいうす》にございます。せんじつは、ろくにおはなしもできず、もうしわけありま……おじうえ?」


 僕が口を動かしていると、伯父のアゴがどんどん落ちていく。

 外れるんじゃないだろうか?


「だいじょうぶですか? おじうえ?」

「……ニコラウス。……余は……余は……」


 そう口にしながら、マルクス伯父は白目を剥いた。

 そして、直立した姿勢のままひっくり返ったのだった。


 イルマが虫でも見るような目で仰向けに倒れた伯父を眺め、ふたたびドアを閉めた。



 〓〓〓



〈――ルエルヴァ共和新歴百年、ザントクリフ王国歴千四百五十七年、アウトラの月、二夜



「ニコラウス、知っているか? 最近、市井ではこのようなものが流行っているのだ」


 登城するなり執務室に呼ばれた私は、興奮気味のマルクスからひとつの小さな銅細工を渡された。

 翼の生えた裸の赤子――複数の姿を持つ《愛の神》のひとつの姿、それをかたどった品に見えた。


「なんと、我が城にかの《愛の神エクッド》が顕現されているらしい!」


 続けて言われたその言葉に、私は直感した。

 イルマに放り上げられるオルレイウスだ、と。


 先日、そんなようなことをオルに訊かれた。


「あかちゃんを、そらへとなげて、うけとめるという《あやしかた》は、いっぱんてきなものなのですか?」と。


 私はてっきりオルの前世のことを言っているのだと思っていた。

 変わった風習が存在するものだ、と。そんな感想すら抱いた。


 なんということだ!

 どうして私は気がつかなかったのだろう?


 マルクスの話によれば、最初に《愛の神》の姿を見たのはこの城の衛兵だったらしい。

 城壁の上を歩いていると、下から子供の姿をした《愛の神》が舞い上がり、また降りてきた。

 受け止めようと手を伸ばすも、届かず、下を見下ろすと消えていた。



……おそらくだが、高速で移動するイルマの姿を視認できなかったに違いない……。



 それからも時折、城から舞い上がり、降臨する《愛の神》の姿を見たという者がいるらしい。


「その姿を見た夫婦の間には、子ができると評判だそうだ。隣国にもそのような噂が広まりつつあり、聴けば我が城は《愛の神》の巡礼地となりつつあるそうだ!」


 王としては、近くに新しく《神殿》を建てることもやぶさかではない。外貨ががっぽりだぞ! ……


 満足げにそう語るマルクスに、私は何も言えなかった。

 さらに、マルクスは続けて宣言した。


「さて、我が甥の顔を見に行こうではないか?」と。


 やはり、マルクスは自分の言葉を憶えていた。

 そして、私が懸念していたようにイルマと兄妹喧嘩を始める。


 ふたりの兄妹喧嘩は、建造物が壊れることで有名だ。過去には、レイア家の者同士の喧嘩に巻き込まれて死人が出たこともあったという。

 城の石造りの壁を突き破って重傷を負って以来、マルクスもイルマには遭わないようにしていたはずだが、産まれて間もない甥がよほど気になると見える。


 そして、流れ上、私はオルが転生者であることをマルクスに打ち明けた。



 気絶したマルクスを城まで送り届けると、目覚めた彼に、早速、《巨神族》のことについて訊かれる。


 由緒ある《ザントクリフ王国》は、多数の古文書を保有しており、同時に現王マルクスは読書家でもある。

 マルクスが《巨神族》の存在を知っていることはなんとなく察していたが、それをオルの前で口にされるとは思わなかった。



「危険ではないのか?」


 危険性は皆無ではない。オルの転生に《巨神族》が関わっている可能性は高い。しかし、オル自身にはなんら問題はない。

 私はそう答えた。


「その《巨神族》の目的は?」


 まだわからない。わかったところでどうにかできるとも思えない。


 私の答えに沈思していたマルクスが口を開いた。


「ニコラウス。いざという時はお前に任せるほかない」と。


 私は頷いた。


 マルクスはオルレイウスを即座に殺せとは言わなかった。

 それだけでも、寛容な態度だと言えた。私への信頼を示す意味もあったのだろう。


「しかし、お前ならば……かつての大戦争に《デモニアクス》と共に終止符を打ったお前ならば、《巨神族》とて」


 私は力なく、首を振った。

 無理だ。あれは、所詮、人と魔族の戦い。《巨神族》は神々に匹敵する。

 私とて、虫けらに過ぎないだろう。


「そうか……。お前の種族は子が成し難いと聞くのに、産まれた子が……」


 そう。長寿を与えられた私の種の繁殖力は弱い。

 それでも、イルマとの間にこれほどすぐに子を成せた。

 イルマには、子供は諦めてくれと言っていたにも関わらず。


 待望の子。オルレイウス。

 数百年を生きる私の、疾うに諦めていたはずの子供。



……だから、最後まで諦めることなどできない。オルを見殺しにすることなど、無理だ。


 私はマルクスに《巨神族》のことと転生のことを口止めして、下城した。

 帰宅したら、きっと《巨神族》について、オルに訊かれることだろう。

 それにどのように答えるべきか思案しながら。


 だが、オルは《巨神族》については尋ねてこなかった。

 イルマとマルクス、そして《魔法》について訊かれるだけ。


 どうやらオルはマルクスの言葉を聞き逃していたようだ。

 心底、ほっとした。

 オルには《巨神族》のことなど気にせずに過ごしてもらいたい。もし、彼が《巨神族》に同情するようなことでもあれば、私は選択を迫られるのだから〉

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