第11話



「オル、そろそろ、ご飯にしましょうか?」

「はい、いるま。おねがいします」


 その言葉とともにイルマのアトラクションは停止。僕をベッドの上に優しく降ろすと、イルマは寝室からするりと姿を消した。

 おそらく、食事の支度にとりかかるのだろう。



……さて、ひとりになったことだし、僕の両親と現状について、改めて考えてみよう。

 ニックだってずっと家にいるわけじゃない。訊きたいことは山とあるけど、僕の得た情報を整理することも必要だ。

 訊いてばかりだと、自分で考えることができなくなってしまいそうだしね。



 まず基本的な情報として、ニックによれば、ここは《ザントクリフ王国》という国だそうだ。

 あの《裸神》というおっさんも、そんなようなことを言っていた気がする。


 あのときの、《裸神》との話の内容は、はっきりと覚えているのだけれど、固有名詞をどのように口にすればいいのかはわからない。

 たとえば、《裸神》というイメージも、どういうふうに発音すればいいのかわからないんだ。

 ニックの言う《ザントクリフ王国》が、《裸神》の言っていた国の名前だということはなんとなくわかるのだけれど。


 あのとき、僕はてっきり日本語で会話していたものとばかり思っていたけど、単純にそうとは言いきれない。

 どうも、言葉未満のイメージによる会話、とでも言うべきものだったんじゃないか? ……その仮定自体が矛盾めいているのはこの際しょうがない。


 僕の魂とやらが、あの《裸神》の元に行っていたのか、むしろ僕の脳に《裸神》が干渉してきたのかもわからない。

 だけど現状、僕が転生したということは事実なのだし、相手は全能に近い神という種族のひとりなのだから絶対無いということも無いのだろう。


 まあ、そのあたりはいいとして、基本情報の整理に戻ろう。


 さて、ニックによれば、この《ザントクリフ王国》はおもに王と王族が政務を執り行う君主制、というか王政国家だそうだ。

 日本育ちの僕には今ひとつぴんと来ない国家体制でもある。

 前世でもそれなりに君主制を採っている国家はあったはずだけど、王の執政がどの程度行われていたかはわからない。

 日本はもちろん、イギリスなんかは立憲君主制とは言いつつも、実態は議会民主制だったはずだし。


 ひとりの人間が国家の全権を掌握していると思うと、小心な僕はちょっと不安になる。

 とりあえず、この《ザントクリフ王国》の王様が暴君でないことを祈ろう。

 そう思っていたら、僕はすでにこの国の王様に会っていたらしい。


 マルクス・レックス・ザントクリフ・ユニウス・レイア。

 僕がまだ喋れないとき、僕が《洗礼》を受けたすぐあとぐらいにこの家にやって来た、偉そうにふんぞり返っていた、あの壮年の男性が王様だったらしい。

 ときどきある、イルマの姿が見えなかったときだった。


 僕が産まれて以来、常にニックかイルマは家にいて、イルマがいることが多い。だけど、たまに家にニックと僕だけという日もある。

 外出しているときのことをイルマに訊いてみても「仕事よ」と言って笑うばかりで、その内容は教えてくれない。


 とにかく、そのときもイルマのいない珍しい日で、王様は僕の体を軽く持ち上げて、顔をまじまじ見て帰って行った。

……まさか王様だったとは思ってもみなかったけど、喋れるようになってからこの国の話を尋ねていたときに、ニックがそう教えてくれた。


 ちなみに、ニックはほぼ毎日、午前中にはあの王様がいる、僕らの家のお隣の城へと出かけているようだ。仕事があるらしい。


 ニックの職業は《詩人バード》。

 この世界の《詩人》は、古い伝承を歌ったり、机の前で延々と詩作を練ったり、旅をしたりして新しい詩を創ったりするだけのものではないらしい。

 《魔法》が使える。つまり、技術職に近い扱いなのかもしれない。


 加えて、ニックは、《ルエルヴァ共和国》というところで《冒険者》という職にも就いていたことがあると言っていた。


 《冒険者》――《アルゴノーツ》とは、雑多な諸事を初めとして、少人数でモンスターがひしめく未知の荒野へ脚を伸ばしたり、地方自治体や行商人の依頼でモンスターからそれらを守ったり、もしくは、地図からは消えてしまった地域の探索を行ったりする職業らしい。


 何でも屋さ、とニックは言っていたけど、モンスターとの接敵機会が多そうだということはよくわかった。

 つまり、《冒険者アルゴノーツ》は武闘派職業だ。細身のニックが《冒険者》という職業に就いていたのも《魔法》が使えるからだろう。


 イルマのアトラクション付き武勇伝と、ニックの経歴を考えあわせてみると、おのずと答えが導き出されるような気がする。

 たぶん、イルマも《冒険者》だったんじゃないだろうか? こちらの人類の中でも相当強そうな、そして戦闘経験が豊富そうなイルマだ。十分に考えられる。


 それに現在、お城勤めをしているということは、ニックも相当腕利きの《冒険者》だったんじゃないか?

 しかも、王様がわざわざニックの息子の僕の顔を見に来るということは、かなり優遇されているんじゃ?


 加えて僕らの家の特殊な立地。

 ここは、よくよく考えてみれば王宮の敷地内ということになるんじゃない?

 城の中に住んでいるわけじゃないけど、それなりにニックの地位は高いんじゃないだろうか?



「さ、オル。ご飯ですよー」


 いつの間にか寝室に戻ってきていたイルマが僕を抱き上げる。

 僕はその太い腕の中からイルマの顔を見上げた。


「どうちたんでしゅか?」

「いるまは、《ぼうけんしゃ》だったのですか?」

「内緒よぉ」


 猫のような笑顔と足音のしない歩みで、イルマは僕を食卓へと運んでいった。




「はい、あーん」

「あーん。……むぐむぐ……おいしいです」

「良かったわ! ……ちゃんとよく噛んでごっくんした? じゃあ、もう一度、あーん」

「あーん」


 生え揃わない歯で柔らかい離乳食を細かく噛む。僕のために柔らかく煮込まれ、骨を取り除かれた魚。それをイルマの手で口に運ばれる。

 イルマの行き届いた心遣いに、深く感謝しながら、僕は考えていた。


……ちょっと恵まれすぎてない?


 料理上手で、優しくて、その上、下手な鉄骨を溶接し合わせた機械よりも頼もしいイルマ。

 博識で、優しくて、その上、下手な国家公務員よりも安定していそうな職に就いているらしいニック。


 城に隣接しているけど、ちっとも堅苦しくない我が家。

 王様がほっつき歩いて臣下の家に顔を出すぐらいだから、国情も安定していることだろう。

 実際に、毎日のようにイルマの腕によって打ち上げられる僕の視界に映る街並みは、平穏そのものに見えるし。



……このままでは、見事なダメ人間がひとり出来上がってしまうんじゃないか?


 ニックとイルマはまだ若そうに思えるけど、現在の僕のほうがよっぽど若い。

 このままふたりにおんぶに抱っこのままでは、非常にマズい。逞しいイルマだっていずれおばあちゃんになるはず。

 ふたりの老後は僕が面倒を見なければならないし、そのためにもなにか今のうちから精進するに越したことはない。


 正しいことをするのにだって、ある程度の実行力は必要だ。

 いざと言うときに、力がなければ泣いたって、いくら悔やんだって取り返しはつかない。


――やっぱり、《魔法》だ。

 《魔法》になにができるのかということはまだわからないけど、ニックの現在の職を見るとかなり潰しが利くように思える。

 どうにかして一流とは言わないまでも、準一流ぐらいの魔法使いになって、いい就職口を見つけて、ニックとイルマに楽をさせるんだ――



「…………ごっくん」

「全部食べられたわね、オル! 偉いわ!」

「ごちそうさまでした。……いるま」

「うん? なあに?」


 僕は僕専用の足の長い椅子に座りながら、隣のイルマの顔を見上げた。


「ろうごのしんぱいは、むようです。ぼくが、《まほう》をべんきょうして、せんもんかになって、きっと、いるまと、にっくに、らくを……」

「――ええ?」

「え?」


 相変わらず猫のように笑うイルマ。しかし、その顔は微妙に怪訝そう。


「オルには《剣士》がいいわよ。産まれる前からニックとふたりで話してたんだから。男の子だったら《剣士ソードマン》。女の子だったら《魔法使いソーサラー》って」

「……そう、なのですか?」

「そうよ。きっと、オルはあたしに似て強い体に育つわ。ひょっとしたら男の子だし、あたしよりも強くなるかもしれない。《魔法》は産まれ持った才能に強く影響されるし、ニックみたいに偉大な《魔法使い》には、たぶんなれないわ。微妙な《魔法使い》は使い捨てられるし。あんまり堅実じゃないの」


 《魔法使い》というのは、なかなか厳しい職業なのか?

……しかし、《魔法》のある異世界に来て、しかも人間の性能を大幅に超越していそうなイルマの口から、堅実なんて言葉を聞かされるとは思ってなかったけど。


「ぼくに《まほう》のさいのうはないのでしょうか?」

「うーん? ニックに調べて貰えばそれなりにはわかると思うけど。……でも、おすすめはしないわ。男の子のオルが《魔術》の道を歩めば、いずれ父親のニックとの才能の差に落胆するもの」

「にっくは、そんなにすごい《まほうつかい》なのですか?」

「ふつうに、天才ね! しかも類まれな努力家! ニックほどの《魔法使い》が《ルエルヴァ叙事詩エピック》に詠まれていないことが不思議な程度には!」

「その《えぴっく》はむかしのことを、かたったものでは?」

「まあ、そのあたりはいろいろとあるのよ! とにかく、あんまり《魔法使い》はおすすめできないわ。特に男の子は成長するにつれて父親と自分を比べて反発するものだし」

「そうですか? ……うーん……」


 超人間的なイルマが手放しで『天才』と言う、ニック。

 僕としてはニックに反発するつもりなんてさらさら無いし、《魔法》も使ってみたいけど無理にというほどじゃない。《魔法》というものに憧れを抱いているぐらい。


 ただ、せっかく転生して、ほかの同年代の子供たちよりも先んじているはずなのに、この時間を無駄にしてしまうのはもったいない。

 《剣士》になるのは百歩譲っていいとして……政治家とか、執政官じゃダメなのか、ということもこの際、脇に避けて。

 問題は、その鍛錬が今からできるかということ。


「いるま? ぼくは、いまからできることを、できるだけやっておきたいのですが?」

「まだまだ赤ちゃんなのに真面目ね、オルは。……そうねえ、……オルがそう言うなら、ニックと相談してみないと。……でもねえ、ニックを越えようとは思わないことだわ。きっと自分に失望する。……まだ、赤ちゃんのオルに言ってもわからないかもしれないけど、ニックは」


 そこに、玄関のドアが開く音と帰宅を告げるニックの静かな声。


「イルマ、オル。帰ったよ」


 僕が見上げていたイルマの顔がぱぁっと笑顔になる。

 イルマはニックを心底から愛しているようで、ニックが帰宅するたびにこんな顔になる。


 早速、僕を椅子から取り上げ、立ち上がって玄関へと向かうイルマ。イルマに運ばれる形で、僕も御供をした。


 が、次の瞬間。ニックの顔を見たはずのイルマの口角が下がる。げんなり、という顔。

 言葉にすれば「うげぇ」みたいな顔をしている。


 イルマがそんな顔をするのは珍しい。

 一番最近では、あのゴキブリにそっくりの虫の素揚げが食卓に上がったときにそんな顔をしていたけど。イルマはそれほど虫が得意ではないみたい。


 まさか、ニックがまた、食材と言い張ってあの虫を捕まえて帰って来たとでも?

 そう思って玄関のほうを見ると、なぜかいつも以上に顔色の冴えない、というか青白い顔のニック。

 その傍らにおじさんが立っていた。


 少し白髪が交じり始めた暗い色の茶髪。口の上の短い、ペンキを塗るための刷毛のように切りそろえられたひげにもそれが交じっている。

 ゆったりとして真っ白な丈の長いワンピースのような上着に、その上から腰を絞める革製のベルト。その下に覗いているスネには黒いズボンの裾が見えた。

 革製の細長い帯をゲートル代わりなのか、足首に巻き付けていて、その下には革製のテカテカした靴。


 おじさんの服装は出勤前のニックよりもラフに見えるけど、首から下げられてる金色のネックレスとか、指にはまってる宝石をあしらった指輪だとかが成金っぽい。

 まあ、成金というか王様なんだけども。


――そう、マルクス・レックス・ザントクリフ・ユニウス・レイア。

 この国の王様がふたたび、僕の前に現れていた。

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