第9話
僕が喋れるようになってからも、なる前からも、ほぼ毎日、ニックが僕の教師役だった。
かと言ってイルマと全然喋らなかったわけじゃない。
むしろ、僕が喋れるようになってからは、イルマの話を聞くことのほうが多くなった。
「ニックったら、オルが言葉がわかるってことを隠してたのよ」
そう楽しそうに愚痴るイルマ。
イルマが、僕が言葉を理解していることと、喋れることを初めて知ったのは、先日僕を失禁させるまで抱きしめていたときだったらしい。
突然喋りだした前世の記憶を持つ自分の子供を、それでもイルマは自分の子だと言った。僕の母親の順応性は非常に高く、なによりも優しいようだ。
考えてみれば、ニックは僕に頻繁に話しかけていたけど、イルマはそんなに話しかけてこなかった。
だから、最近喋れるようになった僕も、特にイルマに対しては言葉を返さなかった。
驚かせてしまっても悪いしね。
ちなみに、イルマが僕に教えてくれる内容とはこんな感じ。
「……でね、そこで一番大きい《グリフォン》がバァッと来て、あたしはぐっとして、ヤァッて感じで倒したのよ!」
「ねえ、いるま? 《ぐりふぉん》ってなんですか?」
イルマは立ち上がると両腕を大きく広げた。
「こーんなデッカい、鳥みたいに飛ぶ《
「いるま、《もんすとぅるむ》ってなんですか?」
「うーん、怪物の一種ね。わりと手強い感じの」
「《かいぶつ》には、《もんすとぅるむ》のほかにも、しゅるいがあるのですか?」
「そうよ! あるのよぉ、小っちゃいオルなんか、すぐに食べられちゃうわよぉ!」
「……どのような、しゅるいがあるのですか?」
「《魔獣種》のほかには、《
「《れむれーす》というのは、どのような《かいぶつ》なのですか?」
「うーん、滅多に遭わない怪物ね。ものによっては、かなり手強い感じの。小っちゃなオルなんか、こうなっちゃうわ!」
そう言って、僕の腋やお腹をくすぐりだすイルマ。
「やめ、やめてください。いるま」
「やめませーん」
猫が猫じゃらしにじゃれ付くように僕をくすぐるイルマ。
――知ってた。イルマがこういう人だって。
そう、まず、あんまりお話しが上手くない。わかり易すぎて、逆にわかりにくい。話をしているというか、劇かオペラか映画でも見ているような気分になる。
しかも、イルマが配給するこの映画は、鑑賞者強制参加型の作品だ。僕に見られることによって完成するのではなくて、巻き込んでくる。
僕は話の佳境や、ラストのほうになると、決まってイルマに振り回された。物理的に。
……これはこれで、非常におもしろかったりもする。
記憶に残したい話を聞いたとか、いい映画を見たというよりは、遊園地のアトラクションに乗った感じ。
イルマの腕は、前世のどんなジェットコースターよりも、安全なスリルを産み出せることだろう。
ちなみに、イルマに聞いた話では、僕がイルマの手によって上空に投擲されるという謎の習慣は、前世でいうところの「高い、高い」だったのだそうだ。
念のため、それがこの世界では一般的な子供のあやし方なのか、とニックに問えば、決してそういうことではないらしい。
イルマという、この世界でも常軌を逸しているらしい腕力と運動能力の持ち主によって初めて可能となっている芸当だという。
つまり、僕はこの世界どころか前世においてもほとんどの人間が体験したことのない、「安全性に限りなく配慮された、乗降式アトラクション(天然物)」に乗っていたわけである。
恵まれていると言えば、恵まれているのかな?
ただし、そんなイルマの提供してくれるアトラクションが知識に変わるかと言えば、そんなことはなかった。
別に、イルマの頭が悪いわけではなく、単純に僕が子供扱いされているのが原因だ。
僕を楽しませながら教育しようとしてくれているイルマには少々申し訳ないが、イルマのアトラクションは僕の知りたい情報にかすりながら、僕の体を宙へと放ってしまう。
ということで、現状、僕の家族構成はこんな感じ。
父親兼教師のニック。母親兼アトラクション担当のイルマ。
食事や諸々の家事はふたりで担当しているらしい。
ひとつ、意外なことは、それらのことにこだわらなそうなイルマのほうが、特に味にはうるさかったりすることだ。
塩味の濃い薄いはもちろん、コクがないだとか、油分が少ないだとか、歯ごたえがないだとか、ぱさぱさしているだとか、素材の本来の持ち味を殺してしまっているだとか。
どこかの味○のようなコメントがとめどなく口からこぼれる。
加えて、離乳期に入った僕にも、イルマの料理は美味しく感じられた。
もちろん、ニックの料理がマズいわけではないけれど、イルマの料理は見た目といい、味といい、ケチのつけようのない出来だった。
一見単純に見えて手の込んだ丸焼きなんかも、調味料をうまく使っているらしく、いくら食べても新鮮に味わえた。
ちょっとした生野菜のサラダなんかも、イルマ謹製の意味不明に真っ赤な液体をかけると不思議と苦みがまったくなく、素材の甘みさえ感じられた。
さらにイルマの本領はそこではなかった。家庭料理的な飽きない煮込み料理。どうしたことか食べても食べても止まらない自家製パン。
――一生、食べ続けられる。
僕は半ば本気でそう思いながら、細かく砕かれた離乳食を口に運んだ。
一歩間違えれば、どこかの味○のごとくお城と合体していたことだろう。
一方、ニックの作る料理はといえば、味はそこまで悪くないものの、見た目がすこぶる悪かった。
ピンク色のソース。どう下処理をしたのか発光する肉。毒々しい光沢を放ちながら泡立つスープ……。
一度なんか、ゴキブリそっくりの虫の素揚げが食卓に並んだ。
確かに、前世でもゴキブリを食材として扱う文化はあった。
しかし、どうだろうか? 体長十センチを超えたゴキブリらしき生物の素揚げは、いかにもインパクトが強すぎた。
「今日は御馳走だよ」と言うニックの顔を殴りたいと思ったのは、初めてだった。
しかし、イルマは涙目で切り分けられた虫を咀嚼し、飲み込んだ。
そして、一言「マズい」と言った。ニックは苦笑していた。
僕は断固拒否した。
僕が初めてニックの人間性を疑った瞬間でもあった。あれを一口でも口にしたイルマは偉い。
……そういう細かい事情はいいとして。
とにもかくにも、僕の実質的な教師はニックひとりだった。
そのニックがある日、僕に質問してきた。
「オルは前に、凄く大きな神を見た、と言っていたけど、どんなことを話したんだい?」
「えーと、そうですね。……ぼくが《てんせい》したりゆうだとか、このくにのこともいっていたようにおもいます。……それから」
「それから?」
「ぼくが《しひょう》になる、だとか。あとは、《ひとぞく》を、はだかにかえせ、なんてもうげんを……にっく?」
そのときのニックの顔は、虫の切れ端を口に含んだときのイルマよりもよっぽど蒼褪めていた。
「……ああ、なんでもないさ、オル。それで、それからは?」
「……いえ、とくになにもありませんけど……?」
「それなら良かった。……いや、別に深い意味はないけどね」
「にっく?」
「そうだ! オルレイウス、きみが喋れるということを家族以外の誰かに言ってはいけないよ」
「どうしてですか?」
「もちろん、その人を驚かせてしまうからさ!」
「にっくがそういうなら、ぼくはだれにもいいませんよ?」
「悪いね、オル……」
「どうしてですか?」
「……きみに不自由をかけるからさ」
「きにしないで、にっく。ぼくたちはかぞくですよ?」
「そうだね」
ニックはそう言って笑った。どこかぎこちない笑顔に、僕は少しだけ不安を覚える。
それでも、僕はその不安を打ち消した。
ニックとイルマは、僕のことを『自分の子供』だと言った。その気持ちや思いを疑うなんて、間違っている、と。
そうして、僕はニックに微笑み返した。
〓〓〓
〈――ルエルヴァ共和新歴百年、ザントクリフ王国歴千四百五十七年、アプィレススの月、二十三夜
懸念していたことをオルの口から聞かされてしまった。
オルが指標になる? 人族を裸に還せ?
特にふたつめは、いかにも《巨神族》の言いそうなことではある。
だが、私の息子のように、私にはそれを妄言と切って落とすことができない。
《巨神》は強大だ。その一体でもこの世界に帰還すれば、人族はどうなるかわからない。
また《
この世界の神々もきっと易々と《巨神》に屈したりはしない。
なぜ、オルレイウスなのだ?
なぜ、私たちの子供を《巨神》は見初めた!
誰でも良かったはずだ、どんな子供が指標になろうとも良かったはずだろう?
飢えてすぐに死んでしまうような貧民の子供でも、まともに育つかどうかさえあやしい奴隷の子供でも良かったはずだ!
……なぜ、あれほど聡明で、心優しいオルレイウスが世界の破滅を呼ぶ指標などにならなければならないんだ?
私は、どうすればいい?
どのようにして、僕たちの子を《巨神》から匿えばいい?
僕はいったい、どうすればいいのだろうか?
……情報が少なすぎる。
だが、幸いにも、オルは自身の重要性になにひとつ感づいていない。
オルに与えられた《
どうにかして、彼の《
このことは背景を知らないイルマには言えない。
言えば、イルマはきっとオルを守ろうとするだろう。
あのイルマが本気で姿を隠そうとすれば、おそらく私にも探し出すことは不可能だ。
そうなれば、万がいちのとき、手遅れになる。
――万がいちのとき?
そうだ、私は想像している。
私が、私の息子、オルレイウスの命を奪うことを想定している。
イェマレンのことは責められない。
あのときの私は、まだ、いくらでも取り返しがつくと自惚れていたのだ。
たとえ《巨神》の魂を持っていたとしても、オルレイウスの体の《
実際、オルは《巨神》の魂は持っていないようだし、彼はまだまだ発展途上だ。
だが、完全な《巨神》が相手となれば、私に勝ち目はない。
加えて、気になるのは真っ直ぐなオルの性質だ。
彼は、自分が許されないかもしれないと考えていたにも関わらず、自分が《転生者》であることを私に打ち明けた。
それは、素晴らしいことだ。私を信頼し、自分の正当性が得られないならば死ぬことさえも、彼は厭わないだろう。
誇り高い行いだ。
……だが、もし。
この世界の正当な主権者が《巨神族》であると、オルが知ったなら。
彼はどうするだろうか?
……今のうちに、彼の目の届く範囲から、《巨神族》に関する古文書を隠匿する必要がある。
加えて、彼の《福音》の発動を制限する方法を考えなければ……〉
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