第7話



 僕が転生してからそれなりの月日が経っている。

 おそらくはひと月かそこら。


 一緒に生活している母親らしき女性と父親らしき男性はどちらも日本人離れした顔をしていた。

 どうやら最初に見たおばさんは産婆さんだったらしい。


 僕の今世の母と思われる女性は、浅黒いというよりは赤に近い色の肌を持った人で、少し日焼けした黄色人種か色の白いアメリカ大陸原住民のような微妙な肌の色をしていた。

 彫りが深いがどこか幼さの残る丸顔で、肩ほどまでウェーブしながら伸びた髪の色は暗い赤茶、なによりもオレンジ色の瞳が僕にはとても新鮮に思えた。

 なぜか笑うとネコ科の獣を連想させるこの人は、僕にとって危険人物だった。


 まず、腕が太い。首が太い。胸も大きいが、腹筋ががちがちに割れている。


「オル、●●●、●●●」


 なにかを喋りながら、僕を振り回す。

 身体を抱えて勢いよく、ジャイアントスイングなみに振り回す。


 かと思えば真冬だと思われる雪が残る屋外に、僕を全裸のまま連れ出して、突然真上へと放り投げたりする。

 晴れた日も、雪がちらつきそうな曇天の日も、僕は僕が住んでいる家の屋根を実に頻繁に上から見下ろしていた。



……ばかなっ! 最初のときこそ僕はそう思った。

 現在の僕の体重が三キロほどだと仮定しても高すぎる、と。

 幼児虐待以前に、こんなばかげた筋力を持った女がいてたまるか。


 上から眺める僕が暮らしている家はそれほど大きくない二階建てで、壁と壁の間に挟まれていた。その赤いレンガでかれた屋根を下に、僕はどんどん上昇していった。

 上へとどこまでも伸びるようだった片方の壁が途切れる。


 壁の上には通路があった。そこを槍を手にして歩いていた兵士っぽい人と目が合う。

 驚きの表情を浮かべる彼を眼下へと置き去りに、僕は壁の向こう側の景色を眺めた――


 連なる白壁と赤いレンガの屋根の街並み。

 僕らが住んでいるこの場所が坂の一番上にあるらしく、白壁の小さな建物は、隣接し合ってアパートみたいな姿を呈しながら、まるで棚田の上にでも建てられているみたいに、少しずつ標高を下げていく。

 壁と壁の間を通るセメントで固められたように見える石畳の道は、まるで迷路のごとく街の中を巡っている。

 そのずうっと先にはまた壁が見えた。僕が見ていたものとは、壁と壁の間の街。その中には、少し大きそうな建物もいくつか見えた。


 ロケットのごとく打ち上げられた僕は身体と首をよじって背後を確認する。

 もう一方の単なる壁だと思っていたものが、石造りの高い尖塔をいくつか抱えた構造物だということが知れた。

――つまり、城?


 僕の身体を襲う浮遊感。僕の空への快進撃はいつまにか終わっていた。遠くの空にカラスのような鳥の群れが見えた。


 落下。身体の中身がひゅっ、とした。

 途中、城壁の上にいた兵士が槍を取り落して、僕の身体へ腕を伸ばしているのが見えた。だけど、どう考えても壁との距離があり過ぎる。

 兵士に見送られ、頬を削るような冷たい風と近づく地面と、僕を投擲した女の姿に僕は思った。短い人生だった、と。


 しかし、予想外にも落下の衝撃は硬いものではなく、代わりに柔らかい感触が身体を包み込んで、そのままぐるりと回る感覚。

 回転する視界に僕を投げ上げた女の、あくびをしたときのネコを思わせる笑顔がはっきりと映っていた。


 僕を受け止めて、僕ごと回転している?

 無茶苦茶だ。でも、そうとしか考えられない。

 次第に速度を緩めていく背景の中、僕は、彼女の腕力と身体能力に恐怖を覚えていた。


 抱き寄せられるときに少し抵抗したら、子供に対するものとは思えないほど力強く絞めてきた。

 そして、授乳される。無理やりだ。


 なんだろう、これ。

 こういうプレイを彼女に要求していれば、僕もフラれることはなかったのだろうか?


……いや、ないな。



 父親とおぼしき男性の行動は比較的ふつうだった。もちろん、見た目はかなり僕の常識から逸脱してはいたが。

 鮮やかな赤髪に、透き通るようなというよりは不健康そうなほど白い肌。紫色の瞳は、静かに頻繁に僕を見つめていた。

 面長で、母よりもさらに彫りの深い顔立ち。高くて角ばった鼻や、眼窩の深さは前世のスラブ系の西洋人を思い出させた。


 手足の長い、ひょろりとした骨ばった体型の父の身体には、なぜか全身に刺青があるようだった。

 この世界では一般的なことのだろうか? その模様は腕の周囲や胸の周囲に螺旋を描いて、両手首のあたりで終わる。


 比較的にふつうだと言った父の行動もやはり異様といえば異様だった。

 この家の中にいる間はもの凄い頻度で僕に話しかけてくる。

 僕が数日の間きょとんとしていたら、今度は挿絵の入った本を持ってきて、ひとつひとつ指で示しながらなんどもなんども反復して声に出す。

 僕に言語教育を施しているようす。


 どんなに熱心な教育パパだって、生後ひと月未満の赤ん坊に言語教育をしようなどと思わないのではないだろうか?

 だけど、僕が学習すると確信しているようにそれを毎日父が熱心に繰り返すうちに、僕は焦りを覚え始めていた。


 もしかすると、この世界ではそれがふつうなのかもしれない。

 考えてみれば僕自身の身体もおかしいことだらけなんだ。


 まず、適当な比較対象がいないからよくわからないが、産まれた日には視界がはっきりしていた。

 次に、いつのまにか首が据わってるし、寝返りなんて二日目ぐらいで出来るようになったし、その気になればはいはいどころかつかまり立ちぐらいできそうな気がしてる。


 前世だったらそんなことはありえない。赤ん坊の成長過程には詳しくないけれど、これが異常だということぐらいはわかる。

 母と思われる女性の身体能力を鑑みるに、前世の人類とはやはり身体の構造、というより強度が違うのかもしれない。


 しかも、父親は僕に対して明らかに教育を開始している。

 このままのんびりしていては僕はこの世界で劣等生になってしまうのではないだろうか?

 前世でも優等生とは言いがたかったし、転生したことには未だに納得いってないけど。


 どこぞの劣等生みたいに活躍できるならまだしも、自分が何もわからないままに馬鹿にされる姿を想像すると、少し情けなくなった。

 そこで、最近では父の言葉に耳を澄ませ指先を注視している。



 それと気になることがもうふたつ。


 父が一度、僕を抱いて外出したことがある。たぶん産まれてから一週間ぐらいのときだ。

 そのとき、父は僕を抱き上げる前に手首を合わせるようなしぐさをして何かを呟いたのだけれど、その瞬間、父の身体に変化が起こった。


 燃えるような赤色の髪が、暗い色の茶髪に変わっていった。

 加えて、紫色だった瞳も灰色に。


 魔法。きっと魔法だ。


 そのとき、父に連れていかれたのは街の中の小高い丘の上の、前世で言うところの礼拝所みたいな建物だった。

 外観は尖塔みたいなものは無かったけど、縦に細長い背の高い建物で、それを支えるように壁のあちこちがぼこっとふくらんで、柱が外壁に浮き出ていた。

 中に入ればアーチ状の高い天井。奥に向かって掘り進んだように傾斜していく床は、どちらかというと古代の屋外舞台のようでもあった。

 天井が高い上に、地中へと潜る奥行のせいで高低差がずいぶんとある。


 薄暗い建物の内部には大きな広間しかなくて、僕の家や空から見渡したアパートたちとは明らかに構造が違う。

 これはきっと教会だと僕は考えた。


 建物の一番奥の一番深いところには金属製の子供用のプールみたいなものがあって、その真上の壁の中、入口よりも高いところには鎧と盾を装備した女性の像があったんだ。

 これが女神さま的ななにかなんだと、僕は理解した。


 白い服を着た短髪の青年に導かれて、奥へと下り階段のように段々を造りながら広がるテラスを降りていくと、顔に深くしわが刻まれた厳めしい印象のおじいさんがプールの横、像を下から見上げていた。

 そのおじいさんの服装は白を基調とした丈の長いもので、なんだか聖職者のよう。

 たぶん神父さま的ななにかなんだと、僕は把握した。


 そして、僕はそのおじいさんに金属製のプールの上で細長い口を持ったジョウロというか、壺のようなものから液体をかけられる。

 ぬめっとした感触はきっと油だ。間違ってもローションじゃないだろう。

 僕の身体を滑った油がプールに落ちると、水面が輝いた――


 落ちた油が光り輝く模様を描いていく。

 それがいくつも重なり合って、やがて一条の大きな模様が浮かび上がった。

 それを見た神父さま(仮)が、その模様に指でそっと触れると模様の形がどんどん変化していく。――そして、水面が弾けた。


 きっとこれも魔法だ。それではもしかするとここは教会というよりは、なにか魔術をおこなうような建物かもしれない。

 そこには清冽な空気というかが満ち満ちている気がして、まったくそんな感じはしなかったのだけれど。


……とにかくスゴい。ほんとうにここは魔法がある世界なんだ。

 転生に対して乗り気じゃなかった僕も、さすがにそのときは興奮した。


 まるで童心に帰ったみたいな浮き立つ気持ち。ヒーローに憧れていたころのような単純な憧憬。

……まあ、実際に子供なんだけど。



 それ以来、魔法のことはずっと気になっているのだけれど、父はなかなかそれについて説明してくれない。



 それとふたつめの気になっていること。


 僕はずっと全裸で生活しているのだけれど、これは両親の教育方針なのだろうか?

 布が肌にかぶせられるとなぜか気持ち悪くなるから、助かっているのだけれど。

 ふたりともちゃんと衣服を身に着けているし、この間会った偉そうなおじさんも服は着ていたし。

 何よりあの《裸神》と名乗ったおっさんが「人族を裸に還せ」なる妄言をのたまっていたのだから、裸族はきっと少数派なのだろう。


 とりあえず、僕はあの《裸神》という、僕を踏みつぶしてくれた大きいおっさんのことは忘れようと思う。

 それよりも今は早く言葉を学習しないと。まだ僕の口はたどたどしくて「あー」とか「うー」しか言えないけれども。

 きっとそれが魔法のことを知る近道だ。


 ちなみに、どうやら僕の名前は『オルレイウス』というらしい。

 そして、母の名前は『イルマ』、父の名前は『ニコラウス』だ。



 〓〓〓



〈――ルエルヴァ共和新歴百年、ザントクリフ王国歴千四百五十七年、ヘカティアの月、八夜


 久しぶりに日記を記す。

 我が子オルレイウスは順調に成長している。

 順調すぎる。尋常ではない速度だ。


 それも当然かもしれない。

 彼は《福音持ちギフテッド》だというのだから――



 私自身の思考を整理するためにも順序立てていこう。


 ちょうどひと月前、私は《神殿》へオルレイウスを抱いて向かった。《洗礼》を受けさせるためだ。

 私のかまを使用した《儀式》よりも、《神殿》での《洗礼》のほうが鑑定精度は高いはず。

 しかも、この街にはイェマレンがいる。彼は実力のある《高位司祭ハイ・ビショップ》にして《特異司祭》だ。

 彼の《洗礼》によればあの《天真ボーン・トゥー爛漫・ビー・ワイルド》なる謎の言葉も解明されるに違いない、そう私は考えた。


 産まれたばかりのオルレイウスを真冬の最中に全裸で連れ出すことは危険かとも思ったが、すでにイルマが屋外での授乳を敢行している姿を見ていたので、大丈夫だと考えた。

 イルマにその理由を問い質したところ「このほうが健康になりそうじゃない?」という返答。彼女は育児においても独自の道を行くつもりらしい。


 念のため城から《神殿》までは王宮の馬車を借り、裸のオルを抱いて《神殿》の中に駆け込んだ。


 私と裸のオルを見て、イェマレンはその厳めしい顔をさらに険しくさせたが、事情を簡単に話して《洗礼》を申し込んだ。


 イェマレンの手による《洗礼》は通常と変わらないように思えた。聖油でオルの身体を洗い、そのまま聖泉へと流し込む。

 吐き出された鑑定結果に私は目を疑った。ここでもそれを記しておこう。


……《光視》《遠見》《近見》《暗視》《寒冷耐性》《外氣呼吸法中級》《強い腕》《強い脚》《母国語話者》《良い聴き手》《論述の中級者》《論駁の初級者》《回らぬ舌》《凡庸な閃き》《空想の上級者》《単純構造の想起者》《概念連合中級》《推理の中級者》《死生の究明者》《蒙昧の理解者》《果断》《小過の是正者》《反復思考上級》《算術の上級者》《暗算の中級者》《一連思考処理上級》《並列思考処理初級》《印象合成中級》《印象加工中級》《観念構成中級》《観念合成中級》《観念加工中級》《概念構成中級》《順序構成中級》《一連構造適用中級》《秀才》《事物蒐集家上級》《つまづきを忘れぬ者》


 オルレイウスはわずか七夜ほどで《五感内臓・耐性系技能》のひとつ《寒冷耐性》とさらに《遠見》を獲得し、《体術系技能》に分類される《外氣呼吸法》と腕力脚力補助などの《技能スキル》が上昇していた。この速度は異常だ。


 問題はここからだった。

 ふたたび表れたのだ。


 あの《天真ボーン・トゥー爛漫・ビー・ワイルド》という言葉が。


 イェマレンが眉間のしわを深めて、その文字にさらなる鑑定を行う。


『《天真ボーン・トゥー爛漫・ビー・ワイルド》――《神々の福音ギフト》』


 さしものイェマレンも驚いたようだった。

 当然だ。《福音ギフト》を与えられるほどの力を持つ神々は限られる。

 だから《福音持ちギフテッド》など一時代に数人いればいいほうだ。まったく《福音持ち》がいない時代だっていくらでもあった。


 イェマレンはさらに指を水面に這わせる。


『当該福音授受者は全裸である限り、過去存在したあらゆる人族個体の適化速度を参照し、状況、現象、物質に応じた最適な《技能スキル》の経験値を最速で満たすことができる。かつ、それ以外の状況、現象、物質に対しても、当該福音授受者の人族としての肉体を基準として最適化可能である。すなわち人族最優である』


 ばかな、というイェマレンの細やかな悲鳴が聞こえた。

 私も同じ思いだった。しかし、この《福音ギフト》に関する鑑定はまだ終わっていなかった。


『ただし、当該福音の効果は、当該福音授受者が身体の表面を覆うタイプの衣服や装備をひとつでも身に着けると停止する。加えて、当該福音授受者は、身体の表面を覆うタイプの衣服や装備をその身に重ねるごとに大きく衰弱・弱体化し、《技能スキル》の補助を受けない機能はやがて停止する』


『当該福音は、神□□□の御名において』


 そこで、私のかまのときと同じように、聖泉の水面が破裂した。

 私とイェマレンはしばし呆然と飛び散った水滴を眺めていた。


 長い沈黙の末、イェマレンが口を開いた。


「これがどいうことかわかるか? この世の至上神は《純潔神アルヴァナ》だぞ?」


 イェマレンの言葉が心臓に刺さる。


 《純潔神アルヴァナ》の尊名に真っ向から対立するような《福音ギフト》。

 しかも破格の《福音ギフト》。


「まず間違いなく、太古の巨人とおとしめられている《巨神タイタン》が関与している」


 《巨神》に関する書物・古文書は《ルエルヴァ神官団》の手によって広く禁書登録されている。

 今現在、それら《巨神族》は広い地域において古い叙事詩エピックの中に、単なる巨人としてしか登場しない。

 古い《詩人バード》の伝統を受け継ぐ私と、古くから《特異司祭》を務めるイェマレン《高位司祭ハイ・ビショップ》だからこそ知りえる事実の一端。


「加えて、この《学術系技能》の豊富さ。おそらく赤子の脳には余りある《技能スキル》の多彩さだ。……この《天真ボーン・トゥー爛漫・ビー・ワイルド》なる《福音ギフト》が脳を創り変えている可能性がある」


 その言葉は私の懸念を見事に射貫いていた。確かに幾らかの《技能スキル》は身体機能を向上させる。

 だが、《技能スキル》とは技術の一環であるというものが一般的な見解だ。つまりは、もともとの身体機能を可能な限り効率的に使用しているだけ。

 だからこそ、肉体の成長とともに人族はより効果的な《技能スキル》を蓄えていく。


 だが、我が子オルレイウスは、明らかに肉体の成長、と言うよりも、できることが多すぎる。

 特にイェマレンが指摘するように《学術系技能》の多彩さはいかにも過剰性能としか思えない。

 しかし、《福音ギフト》とはいえ、身体を短期間で創り変えるなどということがあり得るのだろうか?


「神話によれば、《神代戦争ディアエディマキア》において死した《巨神》の霊魂は、記憶を保持したまま転生したという。この子がそれでないという保証はない」


 イェマレンはそれに続けて私にこう告げた。


「殺すべきだ」と。



 私にはそんなことはできない。できなかった。だからこそ私は、一刻も早くオルと会話をしなければならない。

 最初は私の知る限りの国の言葉で話しかけてみたが、彼は理解していないようだった。

 もしかすると、古代の言葉は現代のそれとは大きく異なっていたのかもしれない。《神代戦争ディアエディマキア》は歴史以前の神話だ。


 そこで私は、オルに現代のグリア語を教えることにした。まだ、言葉は喋れないが、早く彼自身の意志を聞きたい。

 復讐を望んでいるのか、人として生きるのかを〉

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