第6話



「おお、もう死んでしまうとは情けない」


 言葉の体裁をとっている轟き。そんな音量のネタ的なセリフが、僕の頭上から降って来た。


「ちょっと違うがぁっ!?」


 流れで勢いよく声を張り上げた僕の目の前にはまた《裸神》――巨大なおっさんがいた。


 気づいてみれば、僕の身体は八頭身とはいかないまでも七頭身ぐらいまで引き延ばされ、手足の感覚とその長さは懐かしささえ覚えるほど。

 僕の喉を通った声は至ってふつうに意識通りに発声され、それは上空高くにあるはずのおっさんの耳にも奇跡的に届いたようだ。


 そう、僕はたぶん転生前の身体に戻っている。


 前世の大人の身体に戻ったはずなのに僕の目が見る景色はさっきよりもより一層、滅茶苦茶だった。

 考えてみればこのおっさん、ほんとうにデカい。ちっちゃいおっさん、ではなくて、デッカいおっさん。

 声が天から降ってくるみたいだ。顔も空気(?)の層で霞んでいて判然としない。


「……なにがだ」


 ふたたびはるか天空で轟く轟音。おっさんはどうやら元ネタを知らないらしい。偶然? できすぎだろう。


「天然かぁっ!?」

「天然といえば天然物ではあるが」

「なんの話だぁっ!?」

「この陽物のことではないのか」

「下ネタかっ!」


 股間を太い指でさし示したおっさんに僕は憤懣を吐き出した。

 死んでまで中年以降の男性お得意の堂々とした下ネタを聞かされるはめになるとは思ってもみなかった。


 しかし、男はどうしてこういう単純な下ネタがいくつになっても好きなのだろうか。大して面白くもないのに。

 それとも、今回この巨大なおっさんが下ネタまがいの言葉を口にした理由は、僕が前にこのおっさんと会ったときにおっさんの股間を凝視していたことを承知していたからだろうか。


 だとすれば、悪いのは僕かもしれない。ちょっと巨大なおっさんに申し訳ない気持ちになる。



――でも、もう、謝ることはない。

 おっさんの先のセリフがネタではないとすれば、僕はふたたび死んでしまったらしいのだから。

 謝罪とは取り返せるからこそ意味がある。取り返せないものに対しては警察と司法に取り立ててもらうしかない。

 だが、僕にはもうそれすらも残されていない。


 そう考えると、少しだけ肩の荷がおりたような気がした。

 死んだことを理解してからなんだか饒舌になっていたのはそういう理由だったのかもしれない。

 そして、少しだけ切なくもあった。


 ほんとうに、終わったんだ、と。



「…………」


 沈黙している巨大なおじさん。


……今までふつうに突っ込んでいたけど、改めて考えるとちょっとコワい。

 眼の前の右足の指とかもの凄くデカい。僕の身長が生前のままだったら、おじさんの小指の厚さだけで五メートルぐらいありそう。

 壁。そう、壁だ。しかも、そこからなだらかな稜線を描く足の甲を経て、垂直の壁というよりは断崖であるスネへと到る。


 万がいち踏まれたらどうなるんだろう? 死んだあとにも死ぬこととかあるんだろうか?


 そんな想像よりも現状コワいことがひとつある。


……見てる。凄い見てる。僕のことをもの凄い見ている。

 ぬーーーんっ、という感じで見下ろされている。


 人間なんて一番見慣れているはずのものなのに、サイズが大きくなっただけでなんだかグロテスクにさえ見えてくるのだから驚きだ。

 おじさんという人間のひとつの身体に見えていたパーツというパーツが、僕が人間の身体に対して保持していたはずのゲシュタルトを逸脱し、より過剰に、より劇的に、部分部分が主張してくる。


 特に股間。なんという存在感。怪漢、そんな使い慣れない言葉が僕の頭をよぎる。


……しかし、このおじさんはなぜ、喋らないんだろう。

 この時間はいったいなに待ちなんだろうか? なんで巨大なおじさんは黙って僕を見るんだ。


 そもそもこの僕の状態はいったいなんなのだろうか? これが僕の魂の姿だとでもいうのだろうか?

 加えて、このあと僕はどうなるんだ。『無』的なものに還されたりするのだろうか。

 それともまた記憶を持ったままどこかに転生、……というかたちになるのだろうか。子供は三歳までは前世の記憶で生きているなんて話も聞いたことがあるし。


 でも、それは勘弁してほしい。

 なんにも無かった人生だったけど、僕は僕の人生に後悔しかないけれど。

 死んだとなれば、そんなものだ。だって、僕のあの人生が取り返せるわけじゃないんだから。


 生きることに意味はなかった。それを自分で見つけることには意味があっただろう。

 そして僕は、それに失敗した。それはそれで充分じゃないか。



「…………」


 沈黙が重い。終わらない。なんだかよくわからないまま巨大なおじさんに見つめられるだけの時間が流れている。時間がほんとうに流れているのかは定かではないけれど。


……なにか喋るべきだろうか? これはこっちのアクション待ちだ。たぶん。

 幸い話題にはこと欠かない。


 少しだけ躊躇って、僕はおそるおそる声を張り上げた。


「…………い、今のなんですかっ……?」

「《大地ゲーア》の上の《ラマティルトス大陸》の北西部の小国、《ザントクリフ王国》の宮城壁内部、王宮敷地内に建てられたニコラウス・アガルディ・ザントクリフ・レイアとその妻イルマ・アガルディ・ザントクリフ・レイアの邸宅の一室だな」


 沈黙。ふたたび沈黙するおじさん。

 え? 終わりですか?


「……そういうことじゃないですよねっ?」

「ふむ……《ザントクリフ王国》とはこのたび千四百九十七年の歴史を迎えた……」


 ダメだ。まったく話が噛みあわない。


「僕、転生したんですかぁっ?」

「うむ」

「どうしてぇっ?」

「さきにも言ったが、死に方が見事だったからだ」

「死に方ぁっ?!」

「ああ」


 そして、沈黙。え、それだけ?

 最初に死んだときの記憶はちっともよみがえってこないのだけど。考えてみると「死んだ」ときの記憶が「蘇る」というのもなにかおかしいな。


「それだけですかぁっ?」

「うむ」

「……ちょっと待ってっ。それで転生して、僕はまた死んだんですよねっ?」

「ふむ。……少し違うな」

「えっ?」

「よっ」


 僕の眼前の巨大な壁が動いた。違った、おじさんの右足が持ち上がる。

 なんだこれは。天変地異か。ゆっくりと、持ち上がっていく奇妙な形をした山のようなかたまり――おじさんの右足。

 僕はその光景を口を開けながら見上げた。おそらく生きていたなら、生涯見ることのなかった光景だ。


 やがて、侵攻を開始する前の宇宙人の母船のように、重力を無視して空を進んだ右足の動きが停止した。

 僕の真上におじさんの巨大な足の裏がある。

 ついでに足を上げてるせいで股間も非常によく見えてしまう。見たくなくても目に入る。なんという拷問。


「どうしたんですかぁっ?」

「今すぐ送り返せば、生き返る」

「送り返すぅっ? どうやってっ?」

「踏む」


 そういうものなのだろうか。神様に踏まれると生き返るって、そんな話どこかであっただろうか?


 遠近感もなにもかもがおかしい。降ってくる。巨大な足が降ってくる。

 足の裏が近づいてくる。まるで巨大な壁が水平に落ちてくるよう。あ、股間が隠れた。

……そうではない。


「ちょっと! 僕にどうしろというんですかっ?」

「向こうの世界の人族を新神族の手より解放せよ」

「曖昧かっ?! 具体的にっ!」

「特になにもせずともよい。貴様が指標となるのだ。いずれ何かを遣わせよう。だが……もし、できるなら」

「できるならっ?」

「人族を全裸に還せ。あるべき姿に戻すのだ」

「はあっ?!」

「《黄金の果実》に前歯が入る前。人が人たる本来の姿へ。それこそが《エヴァ》が過つ前の姿だ。……貴様ならばわかるだろう。それこそが正しき姿なのだ」


 無茶苦茶か、こいつ。全人類を全裸へだと? なんだその、人類ぽかん計画みてえのは。


……いや、待て。そんなことを考えてる場合じゃない。このままでは踏まれてしまう。

 そうしたら、また広大なグレーゾーンの大草原を謝り倒して駆け回る日々が待っているに違いない。


「待ってくださいっ! 僕は別に記憶を持ったまま転生なんかしたくはありませんよっ!」

「お前の意志は関係ない。転生させると決めた以上は転生させる」

「お役所仕事かっ!?」


「違うな。神の御業だ」


 なに急にそれっぽいこと言ってんだ? ……いや、言ってたか。今までも。


「さきにもその力を説いたように、貴様には、偉大な《福音ギフト》が授けられておる。……征くがよい、我が尖兵よ」


 それを、僕は、憶えてないっ!!


――僕は遅まきながら駆けだした。死を自覚したときにも増して激しく後悔していた。動くのが遅すぎた。

 そもそもこの場所はなんなんだ!

 ひたすら何もない! 凹凸もなければ、色もない! 見渡す限り真っ白だ! 天と地の境目すらないって、なんだ!

 光源だってどこにあるのかわかんない! あれだけ巨大なおじさんの足の影すらできてない!


……影がないってことは、どのタイミングで落ちてくるかわからないんじゃ……?


 僕は振り返った。

 そこには壁というよりは空そのものと見まがう足の裏があった。


「理不尽だっ! こんなやり方、正し……」



 こうして僕は踏みつぶされた。まるで、契約書に三文判でも捺したときのような、ぺたっ、という乾いた音とともに。

 踏みつぶされた僕は今度こそさっきの赤ん坊の身体に転生することになるだろう。

 踏みつぶされたとき、僕が全裸だったことは言うまでもない。



 〓〓〓



〈――ルエルヴァ共和新歴百年、ザントクリフ王国歴千四百五十七年、ディースの月の二夜


 私はかまに火を入れた。

 《儀式》用の《魔材》は多少ならば残っている。


 オルレイウスと名づけた私たちの息子は、どうも不自然だ。

 産まれて一日も経っていない嬰児だというのに、目がしっかりと見えているようだ。我々の顔を小さな瞳が追っている。

 しかも、力が強い。イルマが初乳を上げようと抱きかかえるとその腕を押して逃れようとした。


 なによりも不自然なことは、それほど力強く異常な健康ささえみせるオルが、布を少し上からかけて包んだだけで弱ってしまうことだ。


 私は彼の薄い髪の毛の一本を切り取り、《儀式》を起動させた窯に入れた。

 窯に満たされ、浮かんできた結果をここに記しておく。


……《光視》《近見》《暗視》《外氣呼吸法初級》《逞しい腕》《逞しい脚》《母国語話者》《良い聴き手》《論述の中級者》《論駁の初級者》《回らぬ舌》《凡庸な閃き》《空想の上級者》《単純構造の想起者》《概念連合中級》《推理の中級者》《死生の究明者》《蒙昧の理解者》《果断》《小過の是正者》《反復思考上級》《算術の上級者》《暗算の中級者》《一連思考処理上級》《並列思考処理初級》《印象合成中級》《印象加工中級》《観念構成中級》《観念合成中級》《観念加工中級》《概念構成中級》《順序構成中級》《一連構造適用中級》《秀才》《事物蒐集家上級》《つまづきを忘れぬ者》


 これらの結果を見るに、我が子オルレイウスには『経験』がある。

 特にかなりの数の《学術系技能》を確認するに、産まれながらに持つべきはずの規格を大きく超越した自我があると考えるべきだろう。


 転生者。その言葉が私の脳裏をかすめた。


 そして、最後に《天真ボーン・トゥー爛漫・ビー・ワイルド》という見たことのない文字列が浮かんだ。

 私は窯の《魔力オド》に干渉しさらなる《鑑定》を行おうとしたが、


『その子供に着せるな』


 という言葉が踊り、窯の中身が破裂した。


 この子は、いったい、何者なのだろうか?〉

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