第5話
――僕は眠っているのだろう。
あたりは真っ暗で目は開いているのか閉じられているのかもわからない。
身体の感覚も非常に曖昧だ。
……いや、何かが違ったはず。どうも拭いきれない違和感がある。
ああ、そう、違った。
僕は確か、死んだのではなかったろうか。
死んでいるはずなのに自分が死んでいることを今思い出すっていうのもおかしな話だ。
記憶は脳じゃなくて魂か何かにくっついているのか?
……しかし、ほんとうに我ながらなんにもない人生だった。
いつからだろう? 悪くもないのに謝ってばかりになったのは。
子供のころは、たぶん誰しもがそうだったようにヒーローに憧れるふつうの子供だったはず。
少しだけ成長してからも、特別じゃなくてもいいから、正しいことを正しいと言える大人になりたかった。
でも、善悪とかっていうものは成長するごとにどんどん複雑化していった。
勧善懲悪はフィクションの中の出来事。暴力に訴える正義もあれば、非暴力に訴える正義もある。
力のないことが悪だと言う人もいれば、力を持ちながら責任を果たさないことが悪だと言う人もいた。果ては無力な無関心もまた悪だと言う人も。
平等はこれまた悪しき慣習で、施しもまた当人のためにはならない。
国家間においては弱気外交は主権者たる国民に対する犯罪だそうで。強気外交のイメージはしかしながら、もの凄く悪かった。
政治においては官僚政治が国家を腐敗させるといい、同じく優秀な官僚が国家をぎりぎりのところでもたしているという。
政治家の腹は総じて黒いけど、そのぐらいのほうが頼りになるし、少しぐらいの癒着は見過ごすべきだとか。
広大になるグレーゾーンに僕は目が眩む思いがした。
それは何もそんな大枠で曖昧な話ばかりじゃない。そのへんを歩いていたって誰も彼もが正しさを主張する。
主張するばかりで聞きやしない。まるですれ違うだけのディスコミュニケーション。それをさえコミュニケーションと言うのだから、頭を抱えてしまう。
結局、正しいことなんてものはない。そう結論を出すことは難しいことじゃなかった。むしろ楽だった。
それでも、僕は正しいことをしたかった。
だから、頭を下げるようになったんだ。
それが楽だったからというのもあるし、すぐにできることだったから。
相手の話を聴いて、聴いて。双方の話を聴いて、聴いて。
それでも、僕がどれだけ聴いても、日々生き続ける人間に終わりなんてない。
膨らみ続ける情報に僕は終わりを告げるために頭を下げた。
ごめんね、と言い、すみません、と言い、申し訳ないです、と言い、許して、と言い……。
それがきっと正義の最大公約数。
これはきっと正しいこと。
謝ればいいと思ってるんだろ、って言われても謝った。
ごめんって思ってないでしょ、って言われても謝った。
もちろん、社会に出ても謝り続けた。上司に謝り、取引先に頭を下げ、数少ない後輩にも手を合わせた。
顔に張り付いた情けない笑い。引き攣った頬。他人と会わない日は一日中、無表情で過ごした。
どうしたことか謝ってばかりで、どうにも身動きがとれなくなっていた。
謝ることしか知らなかった。
どんなに理不尽なことでも言うことを聞いて、はい。
気づいてみれば自分の中身が無くなっていた。どうやって燃えればいいのかもわからない。
彼女が出来たと思ったら、「アンタ、なにしたいのかわかんねえんだよ!」……って言われてフラれちゃったしなああ。
優しそうだと思ったのに、とかも言われたなあああ!
悔しかった。なにが悔しかったかといえば、別に彼女にフラれたことじゃない。結局なにもできなかった自分だ。別に彼女とのセックスのことじゃない。
罵声に対しても謝り、虚脱感に苛まれ、それでもこれは正しいことなんだと自分に言い聞かせ続けた自分。
僕は初めて後悔していた。広大無辺のグレーゾーンに目を背けた僕自身に。挑戦すらしなかった僕に。
――あんなものが僕? 誰かに頭を下げ続けることで人生が終わってしまった?
僕がなりたかったものは、正しいことを正しいんだと言える人間だったはずなのに。
僕がやったことといえば、現状維持の事なかれ主義。
でも、もう遅い。
だって、僕は既に死んでしまったのだから。
どうせ死んだときもなにか謝ってたんだろう。
……あれ? でも、なんだか死んだときはいつもと違ってたような……。
久しぶりにこう、なにか込み上げるような何かが。
感動した!! って 昔の首相みたいなセリフを誰かからかけられた覚えさえある。
死んだときのことはよく覚えていないけど、誰かが出て来てそんなようなことを僕に言っていたような気がする。
うーん?
そういえば、ここって死後の世界?
そんなものがあるなんて驚き――
あれ? なんかもっと凄いこと言われなかったっけ?
というか何かもの凄いものを見なかったっけ?
……誰か、っていうか出て来たのは全裸の――《裸神》とか名乗ってた巨大というには余りある、おっさんだったんじゃなかったか……そういえば。
あんなにデカいのに全裸って……。
キツかった。
だって目のやり場に困るもの。
見るなって言われても目に入っちゃうもの。
もう、インパクトが凄すぎてそれ以外なんにも憶えてない――
――とか思ってたらなんか足を掴まれた。
そのまま引っ張られる引っ張られる。頭が、全身がなにかに押される押される。
え? まじ? なにこれ、どうゆうこと? とか考えてたら今度は眩しい。
いや、眩しいどころじゃない。痛い! 目が焼ける!
サーチライトの集中砲火だ。……目がっ、目がああ!
ふざけるなよ! 僕はもう死んでるんだっ!! って叫ぼうと思ったら、口から出たのは。
「ああああああああ!!」
どこぞの勇者の名前かっ!?
目が光になれてきたのか景色がはっきりしだす。別にサーチライトなんかなかった。ふつうに天井や壁に灯りがついている。
ふつう? いや、おかしい。デザインが古い。もっと言えば何かサイズ感もおかしい。
影が光を遮った。デカいおばさんが眼の前にいた。
また巨人かぁっ!?
ほかにも誰かが視界の外にいるらしく、巨大なおばさんの口元が動いて、合わせて声が聞こえた。
「●●、●●●●●」
「●●●、●●●●●●●」
何語かぁっ!?
――そのとき、ようやく僕は気がついた。
これはあっち側がおかしいんじゃない。
僕のほうがおかしいんだ。
赤みがかって濡れた、僕の小さな手足。
妙に力が入らない身体感覚に、自由にならない手足と首、燃えるように熱い肌。
必死になって声を出していなければならないほどに呼吸の仕方と話し方を忘れた肺と舌。
温かいお湯で身体を洗われる。
柔らかい布で身体を拭かれる。なぜか、遠のく意識の中で考えたことは。
転生かぁっ……!? ……だった。
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