第4話



 オルレイウスは元の一番奥の馬房にランプを手にして戻り、地面に腰を下すとその小包を膝の前に置いて考える。

 この名が記されている以上、差出人は限られる、と。

 オルにはひとつだけ心当たりがあった。



 遡ることひと月。オルはデモニアクス家で最初に倒れたあと、初めて顔を合わせたデモニアクス家の家政婦長ロジーナ・ゲイナモルトにデモニアクス家の奴隷に与えられる権利と義務を教えられた。

 まず、ひとつが食の権利と義務。十分な仕事が行えるだけの食事を摂る権利と義務がある。

 ひとつが住の権利と義務。デモニアクス家の従僕として十分に清く生活するだけの住居に住む権利と義務がある。

 さらに、ひとつが衣の権利と義務。涜神的ではないだけの衣服を着用する権利と義務がある。


……このみっつ目にオルは落第しかけたのだが、それはひとまずいい。


 加えてもうひとつ、音信の権利と義務。家族と故郷がある者は仕送りと音信をする権利と義務がある。

 以上よっつの権利を主張し義務を果たすために、奴隷がいかなる財産をも使用する必要はない。デモニアクス家が負担する。


 それを聞かされたとき、オルは非常に衝撃を受けた。

 レシルはオルの考えていた数十倍まともではないのか、と。


 衣服についての発言もそうだが、この奴隷に対する施策はどうだ。

 人道的、そう言ってもいいかもしれない。

 まあ、「これは初代以来の家訓です」というロジーナの言葉を聞いて、そうだろうな、とオルも思ったのだが。


 それはともかく、オルはせっかくなので両親と伯父に向けて手紙を出すことにした。

 本文は簡潔に。近況と、今の状況を報告するに止めた。

 定期便に載せて出すそうなので、時間がなかったこともあった。


〈イルマ、ニック、伯父上へ。

 みなさんお元気でしょうか?


 最近、《エンヘン・ディナ》という《妖獣種レムレース》の王と決闘しました。

 敗北しましたが、僕は元気です。

 それと高名な冒険者の徒弟になり、あの《デモニアクス》家の奴隷になりました。

 全裸にならないように気をつけます。


 草々 オルレイウス〉



 出したあとに激しく後悔したことは言うまでもない。

 粗略にもほどがある。自分がほんとうに馬鹿だったのではないだろうか、と自分自身を疑ったものだが、出してしまったものはしょうがない。

 それからおよそひと月。オルはすっかりそのことを忘れていた。

 日々の生活が忙しく、虚弱体質のオルにはもの凄く過酷だったせいだ。


 小包を眼前に、オルは少し恐怖を覚えていた。

 父ニコラウスと伯父のマルクスはともかく、母イルマの反応が予想しにくい。

 ニコラウスならば「すべての経験はきみの生の糧となる」とかなんとか言ってきそうだし。

 マルクスなら「……金銭の問題ならば、なにがしかの金を送ろう」とか言ってきそうだ。


 しかし、イルマはなにを言ってどうするだろうか。

 ありそうなのは、「《エンヘン・ディナ》に雪辱せよ!」とか「その《エンヘン・ディナ》の居場所を教えなさい、私が討ちに行く」とか「オルの師匠に挨拶に行くので今から向かいます」とか「……奴隷に落ちるなど許しません」などなど。


 基本、行動の人であるイルマはなにかイベントがひとつあるだけですぐにどこにでも行く。

 このルエルヴァのデモニアクス家の屋敷に来ることも大いに考えられた。

 さすがに、イルマの足が速いといっても鳥に運ばれる郵便物を超えることはないはずだろうが。


 それにしても、この大きさは手紙ではない。両手に余るほどの大きさの直方体をためつすがめつする。

 伯父がほんとうになにがしかの金銭を送って来たとでもいうのだろうか?

 そう考えながら、オルはそっと小包を開き始めた。


「……本?」

『ほう』


 本というよりは厚手のノート。この世界では書籍、というよりは書籍に使われる羊皮紙がそれなりに貴重だ。

 オルの父ニコラウスと伯父マルクスはそれなりの蔵書家だったように思うが、ふたり合わせてもその書籍数は三百冊に満たないだろう。

 もっとも巻物などを入れればその三倍は固いだろうが。


 紙の書籍よりもページにかなり厚みがあるそのノートの上に一枚の折りたたまれた羊皮紙が添えられていた。

 宛名はもちろんオル。署名はマルクス・レックス・ザントクリフ・ユニウス・レイアという几帳面な筆跡。


「伯父上か」


 オルは正直少しがっかりしていた。

 伯父が返信を送って来たということは父ニコラウスと母イルマはオルに返事を書いていない可能性が高い。

 手紙も一通だけだし、と。


 とりあえず、封を切って手紙を読んでみることにした。



〈オルレイウス・アガルディ・ザントクリフ・レイア殿


 解氷の候、風邪などは引いておらぬだろうか?


 さて、先日は短いながら、内容がこもった手紙を読まさせてもらった。


 まずは、この音信おとずれ、粗略に過ぎぬだろうか?

 そなたが国を出て、早一年。一年ぶりの音信となる。


 それをかような短文で済まそうとは、謙譲と礼節を欠くというもの。

 そのように教導したつもりは、この伯父、ザントクリフ王マルクスにも、もちろん、ニコラウスにもあるまい。


 そもそも、書信において父の名を略称にて記すとはいかがなものか?

 親しき仲にも礼儀は必要であり、そなたの父は婿とはいえども一国の王族に連なるものぞ。


 さらにはどうしたものか、この伯父、ザントクリフ王マルクス・レックス・ザントクリフ・ユニウス・レイアについては名さえも記されておらん。

 そなたの伯父は心傷んでおる!

 この心痛により、このザントクリフ王マルクス・レックス・ザントクリフ・ユニウス・レイアが、今倒れれば、そなたの故国は草木一本残らぬと胆に命じるがよい!


 そなたはそのようなところばかり、我が妹にして、そなたの母イルマに似よってからに。


 そもそもイルマが、このマルクスが用意した求婚者どもことごとく袖にし、さらには闇討ちまでして国を出奔したときに、この伯父がどれほど骨を折ったことか。

 グリア諸国の若き英傑どもの見るも無残な〉



 読み飛ばそう。オルはそう決めた。

 経験上この愚痴は長くなる。

 とりあえず、同封されたこの書籍がなんなのか書いてある部分をオルは探す。

 発見した。追伸のところ。



〈追伸


 イルマとニコラウスは今この国にはおらぬ。

 先の、『このザントクリフ王マルクス・レックス・ザントクリフ・ユニウス・レイアが、今倒れれば』という言葉にはそのような意味もある。


 まことに遺憾ではあるが、イルマの《戦豹パンテラ》なる異名は、周辺諸国への牽制に一役買っておるのだ。

 加えて、どうせイルマが連れ出したのだろうが、ニコラウスがおらぬ今、《神殿》と《ドルイド》の折衝役を担える者もおらず、《人馬種ケンタウルス》とも交渉ができん。


 奴隷なぞさっさと辞めろ。金が問題ならば、この伯父にしてザントクリフ王マルクス・レックス・ザントクリフ・ユニウス・レイアの名を使え。

 この書状を見せれば、そなたの血統も知れるというもの。


 デモニアクス家当代とは面識がないゆえ、信ずるに足らずとあらば、返書を認めるがよい。

 奴隷ひとりをあがなう程度のはした金、我が小国といえど捻出するは容易いことだ。


 帰ることを希望するならば帰ってくるがいい、オルレイウス。

 別に、そなたの顔など見たくはないが、どうしてもと言うならば、門を開かんでもない。


 ニコラウスよりことづかっていた彼の日記を同封する。


 良いか。《グリア諸王国連合》のことなどそなた如きが気に病む要はないのだ。娘もそなたの顔を見たがっているはずだ〉



 追伸も長い。しかも、相変わらずのツンデレ。

 オルが知る限り伯父マルクスがデレを見せなかったことなど一回もなかった。

 オルはマルクスが変わっていないことに安心しつつ、故郷の様子に不安を覚えつつ、まあ、マルクス伯父はあれで有能だから大丈夫だろう、と思考に一区切りをつけた。


「ニックの日記か……」


 いつからニコラウスはこんなものを記していたんだろうか? ちっとも知らなかった。

 それに父の日記を勝手に読んでいいものだろうか? 伯父は託されたとは言っていたが。


 そう思いながらオルが視線を落とした手許の本の表紙には「1253」という数字。

 1253?


 オルは数字の意味を考えながらその本を開く――



〈――ルエルヴァ共和新歴百年、ザントクリフ王国歴千四百五十七年、ディースの月の一夜



 今日大望の第一子、それも男子が産まれた。

 そして、死んだ。


 産着を着せてやることもできなかった。

 父としてなんと無力なことか。


 深夜に息を引き取り、そろそろ夜明けになるころだろうか?

 さすがのイルマも気落ちしているはずだ。



 いきてる!!〉



 最後の一文は走り書きだった。ニコラウスもよほど驚いたのだろう。


「…………あのときは、確か――」


 ランプの灯りが揺れる中、オルは記憶を呼び覚ましていた。

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