第3話
パンツを穿き、その上からローブを着たオルレイウスは生きていた。
《戦闘系技能》に分類される、《体術系呼吸法技能》《真外氣呼吸》――ローブを着ているときには欠かせなかった《
これも、同じく呼吸法技能である《真内氣呼吸》も、《
……しかし、以前よりもそれらが効率的にできているように思うのは気のせいだろうか?
数年前、どうしてもパンツが穿きたくて、その上からローブを羽織ったときには卒倒したのだが……。
おそらくは肉体の成長に伴う身体機能と強度の上昇もあるだろうが、やはり《
自問自答するオルに厩舎の外から声がかかる。
「着替え終わったか?」
「ええ」
デモニアクス家の広大な敷地の隅にあるこれまた大きな厩舎。
その一番奥の空いた馬房で着替えていたオルは、そこから一番遠い入口からレシルとリシルが顔を覗かせているのを見た。
「なんだ、ちっとも問題なさそうではないか?」
「……いえ、眩暈が……」
「シャツも着ろ」
「……待ってください、これ以上は」
「命令だ」
その言葉とともにゆっくりと近づいてきたレシルが、遠間から物干し竿のような長い棒を伸ばした。
その先には白いフリルのついたシャツが引っ掛けられている。どれだけオルに近寄りたくないのだろう。
オルは渋々それを受け取った。
渋々と受け取ってはみたものの、オルだってできればみんなと同じように衣服をまとって生活したいのだ。
身体の成長と《
――だから、オルは頑張った。
レシルから回される
シャツの次はズボンを渡される。
頭痛と吐き気、倦怠感に虚脱感、指が震え、膝がガクガクするのを堪えて、オルはそれに一息に片足を通した。
瞬間、オルは卒倒した。
『……オル? おい、オル! ……ファアアアアーー!!』
影の中の《
一生懸命、奇声を上げた。
「なにごとだ? なにか物音が」
「お姉さま? 今の叫び声が聞こえてないのですか? ……オルレイウス?!」
幸いにもリシルが近くにいてよかった。……リシルがいたからこそ喋るのを我慢していたのだが。
なりふり構ってられない! 《
《
駆け寄って来たリシルに向かってまくし立てる。
『脱がせ! 脱がせ! ほんとうに死んじまう!』
「えっ?! しかし……」
『いいか小娘、よく聞けよ? こいつは人命救助ってやつだ! やましいことは一切ない! ほらみろオルを! 息が止まってしまってる!』
躊躇っていたリシルもとうとうオルのローブに手を伸ばす。ローブを脱がせた。
しかしながら、オルの呼吸は戻って来ない。
『もっとだ! もっと脱がせ! 脱がせや、脱がせ!』
「――っ! わかりました!」
リシルがズボンを引っこ抜いた。
「リシル? 突然駆け出してどうしたと……リシルっ?! ――リシルぅっ?!」
『あー……マズいぞ、小娘』
だが、リシルは止まらない。
シャツのボタンを引きちぎらんばかりに
オルは既に息を吹き返しているのに、止まる気配がない。
『まて! 十分だ! もう、いい!』
「おやめなさい! リシル!! ――リシぃールっ!!」
「お姉さま! 止めないでくださいまし! これはオルレイウスのためなのですわ!!」
後ろから羽交い締めにされながら足をばたばたさせているリシル。
それを簡単に抑えて持ち上げているレシルの目が息を吹き返したばかりのオルをもの凄い勢いで睨んでいた――
「……さて、つまりお前は、三点までなら着用が可能であるわけか……」
厩舎の馬房の地面に座らされ、見下されているオルには何がなんだかわからない。
自分が無理をして気絶したのはわかる。……だが、なぜシャツのボタンが弾け飛んでいるのかがわからない。
さらにはローブは打ち捨てられている。つまり、オルは今はだけたシャツにパン一という格好でレシルに説教らしきものを受けていることになる。
……なんだか泣ける、オルはそう思っていた。
「……シャツとズボンとパンツ……それでいいだろう」
「ま、待ってください。三点まで着用可能であると言っても、三点目を着用した時点で僕は」
「命令だっ!!」
有無を言わせない返答にオルは沈黙した。
なぜ、レシルは怒っているのだろうか?
察するに、ちょっと離れた厩舎の柱の根元でうずくまって両手で顔を覆っているリシルと関係するのだろうが。
なにがあったのだろうか?
オルの疑問に答える者はいなかった。
――それから早くもひと月ほどが経っていた。
このひと月というものオルはシャツの袖に腕を通し、パンツとズボンを穿いて生活していたが、事あるごとに倒れた。
厩舎の掃除中。馬の世話中。庭の草刈り中。庭苑の剪定中。屋敷の掃除中。食卓の準備中はもちろん、力仕事の最中にも。
デモニアクス家が抱える多くの使用人、奴隷たちから白い目で見られ、奴隷が使用する敷地内の別宅には居づらく、厩舎へと寝床を移した。
夜明け前に起きて、仕事を始め、午前中に二三回倒れたあと、昼前には着替えて教えられていた第四区にあるという師匠クァルカスの邸宅へ顔を出した。
しかし、このひと月というもの、クァルカスからは特に何も教えを受けなかった。
「デモニアクス殿の言いつけを守るように」
そう言い含められて、門前払いのように追い返された。
どうやら、依頼完了の報告に上げた《エンヘン・ディナ》討伐という文言が冒険者ギルドと《元老院》、《ルエルヴァ神官団》において波紋を呼んでいるらしく、クァルカスを初めとした《テオ・フラーテル》のメンバーは事後処理で手一杯らしい。
結果、オルの日常は単なる奴隷そのもの、いや、倒れるぶん一般的な奴隷以下だった。
そして、そうこうしているうちにオルの次の冒険者としての昇級査定まで、早くも五日を切っていた。
「……
折檻にかこつけて殺されるんじゃないだろうか。……オルはそう考えながら藁の中にパンツいっちょで身を沈めた。
厩舎の天井はなんだか黒ずんでいた。なんだかオルの前途を暗示しているよう。
寝る前のこの時間と時折様子を見に来るリシルと話す時間だけがオルにとって身も心も休まる時間だった。
そんなオルに《
『オルよ、オル。こんなところはおさらばしようぜ?』
「……そうして、どこへ行こうと?」
『どこへだっていいさ! お前さんの《
「……そうは思わない」
人間には逃げてはいけないときがある。屈してはいけない時間がある。
オルはそう考える。
自分を生かしたくて下げたはずの頭が自分の大事な何かを折ってたなんてことはあるものだ、と。
『そいつはキレイごとさ、オルレイウス。人間ってのはもっとうまく生きれるもんだ。小狡く生きて、うまく死ぬ。それが人間ってもんだろう』
「……やっぱり、そうは思わない」
「オルレイウス。いますね?」
家政婦長のロジーナの声。それが厩舎の入口からかかっていた。
「……っ! はい! 少し待ってください。今は人前に出れる格好では」
「そのままでよろしい。あなた宛だと思われる小包が届きましたので、ここに置いておきます。あとで確認するように」
「小包ですか? ……わかりました」
ロジーナの気配が遠ざかっていく。それを確認して、オルは身体を起こした。
入口の柱に備えられたランプに火を入れる。小包の宛名を見る。
「――オルレイウス・アガルディ・ザントクリフ・レイア様?」
故郷を追放されたときに名乗ることを自らに禁じたはずのオルの姓名がそこには確かに記されていた。
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