第六夜『順番なんだよ』

 気づけば私は、鈍色にびいろのパイプベッドの上に腰を下ろしていた。同じ部屋には4人くらいの人がいる。年齢層も性別もバラバラで、人種さえ違うような人もいた。

 部屋は20畳位はあったと思うが、その中でちょうどベッドの前を通り過ぎようとしていた人が、座っている私に気付いて声をかけてくれる。

 そして

「ここが君の部屋だよ」

と、真っ白な壁と天井に囲われた、窓のない空間を案内してくれた。床は黒に近い茶色をしていたような気がする。

「ここがトイレ。こっちが洗面台。私物はここね」

「はい」

「じゃあこっちも案内するよ」

 そのあと、促されるまま部屋の扉をくぐると、左右に長い廊下が続いていた。天井も壁も、部屋と同じく白い。こちらの廊下は鉄のようなにぶい灰色をしていた。両側の壁には、私の出てきた両開きの扉と同じものが等間隔で並んでいるが、やはり窓はない。天井の明かりよりも壁や床の方が輝いて周囲に光をもたらしている、不思議な空間だった。

「出口はないようなんだ」

とも説明された。そうなのか、と私は思った。


 しかしそこでの生活は、衣食住もちゃんと保証されていて、特に何か労働もしなくて良いので思いのほか快適であった。

 個人の体力に沿った適度な運動と、野菜多めで栄養バランスのしっかりした食事を完食することだけが求められているようだったが、それだって自分の健康には良いことだ。

 あとの余暇よかも、ゲームや手芸、読書、併設されたいくつかの運動場でのスポーツなど、好きなことをしていて良い。そんなわけだから、私は特に不満を持つこともなく、ここを出ていこうとも思わなかった。

 強いて1つだけ不満を上げるとすれば、それは食事のバランスと管理が整いすぎていることだった。間食はないし、あまり油モノのおかずもでない。

 私も含め、若年から中年層までの者たちの胃袋には少し物足りないのである。

 ただ、皆のそんな不満を知ってか知らずか、一週間に一度だけ、夕食にご馳走が出る日があった。

 その日は山ほどの肉料理に、揚げ物もお菓子もたくさん食卓に並ぶので、みんな楽しみにしていた。

 そしてその日がくるたびに、コミュニティで暮らしていた誰か1人がいなくなって、新しい人が来る。

 ここに住む期限は決まっているということなのだろうか。不思議に感じたが、疑問にはおもわなかった。

 ただ私の来た日もご馳走の日だったことだけをふと思い出したりもした。


 そしてそれは、私がこのコミュニティに来てから1ヶ月ほど経った頃のことだった。

 その日は皆が楽しみにしているご馳走の日だった。

 お肉料理が並ぶ晩餐ばんさんのテーブルで、私はたまたま隣に座ったおばあちゃんと話す機会を得た。ここで暮らし始めた日から見慣れてはいたが、話したことはなかった人だった。

 おばあちゃんは、今日あった面白いことについて語ってくれたあと、新しく雑談の話題を持ち出す時と同じ気軽さで

「――……そういえばここのリーダーをしてるあの人はね、人のお肉が好きなんだよ」

と口を開いた。

「え……?」

私は思わず食事の手を止める。話はまだ続いていた。

「彼女はね、どうせなら美味しい肉を食べたいんだって。だから、連れてきた人を一定期間手元に置いて、いいもの食べさせたり適度な運動をさせて、ストレスも減らして肉質を良くするの。牛だって豚だってそうでしょう? だから、そうしてから食べてるんだよ」

と教えてくれた。

 私は、無意識に食堂に1つだけある大きなテーブルの、いちばん上座に座る「彼女」へ視線を泳がせていた。すぐ側に座る者たちと楽しげに談笑をしている。

 「彼女」は、このコミュニティのリーダー格とも言える女性で、常に私たちとも生活を共にしていた。

 何時でも穏やかに話して、ショートヘアでも分かるその黒髪の美しさは、彼女の目付きとも相まって、「彼女」という存在にとても怜悧れいり(※頭の回転が早く賢いこと)な雰囲気をまとわせていた。その見た目通りにリーダシップもあって、コミュニティの統率者としてもふさわしい。人を惹きつける不思議な魅力のある人だった。

 と、そこで彼女の瞳がチラとこちらに向いた。目が合ってしまい、微笑まれる。

 私は「ハッ」としてしながら目を逸らし、自分の手元のフォークとスプーンに意識を引き戻してきた。おばあちゃんの話は、まだ止まることも無く続いている。

「でも流石に独りでは1人を食べきれないし、新鮮なうちに全部食べ切りたいというのがあの人の信条らしいんだ。だからこうやって、1日で食べ切れるようにみんなにも振る舞う。牛や豚も少しは一緒にこのテーブルに乗っているけども、殆どはそうじゃないよ」

「そう……なんですね」

私は曖昧に横目でおばあちゃんを見ながら、甘酸っぱいリンゴをひと口頬張る。ただ、リンゴで口を塞がれる前に発したその返しは、決して与太話よたばなしを受け流すための言葉ではなかった。

 私は特に疑うこともなく、素直におばあちゃんの話を信じたのだ。しかしだからといって、その信じた事実に抗うことさえもしなかった。

 他に行ける場所があるとは考えなかったし、何より私は「彼女」が好きだったから。彼女に身を委ねて時を過ごすことこそが最も自然なのだとしか、この時の私には思えなかったのだ。

――『半年でみんないなくなる。順番なんだ……順番なんだよ。私は、もう次だからね』

 おばあちゃんはそうとも話していた。それから1週間後に、おばあちゃんは本当に居なくなった。

 その日のご馳走のお肉も、美味しかった。


 それからも、時は素知そしらぬ顔をして去っていった。

 私はおばあちゃんの話を信じる前と変わらずに人と話し、ご飯を食べ、動き、余暇を過ごし続けていた。

 1週間は呆気なく去り、また再びやってくる。経つごとに1人、また1人と姿を見せなくなり、週の終わりの晩餐の日には新しい人がやって来る。

 そのご馳走の肉を食べる度、私の中のカウントダウンの数字が1つ減り、おばあちゃんの「順番なんだ」という言葉がまるで呪いのように、あるいは祝福のように、私の心を縛った。

 やがて30半ば程の男性の姿が晩餐の食卓に見えないことに気づくと、私より前にココにいた人は、もう1人も残らなくなった。


 ――そしてついに、その日はきた。それから7日後、次の晩餐が予定されている当日の事だった。

 夕方に、私は「彼女」に呼ばれた。

「ねこのさん、あの人が呼んでるよ」

伝言を伝えに来たのは、私よりずっと後に来た10代の少年だった。変声期も過ぎたばかりの彼の未熟な声に振り向いたあと、

(ああ、そうか、ついに来たのか……)

私は淡々と彼女の呼び出しに応じていた。

 白い廊下を裸足で歩き、1番奥の扉を開ける。

 その部屋は不自然に広くて、中央に鉄の台があった。部屋の白さが妖しくも眩しかった。

 彼女が無言で振り向く。

「よく来たね」

私を銀色の、冷たい台の上に座らせてから、とてもおだやかに彼女はこう言った。

「君の番だよ。……解っているかは……判らないけど」

気づけば、するどい銀にかがやく大きなナイフが彼女の手に収まっている。

 そこでやっと私は、「死にたくない」と思った。

 でもそれは、あくまで痛みと死を恐れる本能からの恐怖であって、反対では「逃げられない」とも「逃げてどうなる?」とも思う理性が、私を彼女の手の届く範囲はんいに押さえつけている。

 それはまるで注射をいやがる子供が、診察室から逃げ出さないように自分をりっしているかのような、そんな様子に似ていたかもしれない。実際その時の私にとっての『死』は、まさにそのようなものでしかなかったのだ。

 震えながら思う。

(『順番』なんだよ。そう、順番。だから仕方ないんだ……)

 沸き立つ恐怖を、そう自分自身に言い聞かせて抑える。閉じていた目を薄く開くのと同時に、細くて白い手が、私のほほに触れていた。

「いい子」

優しく微笑ほほえむ彼女。

 そして反対の手に握られたナイフが静かに近寄ってくる。

私の首に、頸動脈けいどうみゃくを掻き切る鋭い痛みが走り…………目が覚めた。

 起きた時の私はじっとり汗ばみ、呼吸も浅かった。

 まだ生きていること・夢であったことに安堵あんどしながらも、まだ半分は夢にいる私が最初に思ったことはこうであった。

――『私のお肉は、次に来た人にも美味しく食べて貰えただろうか……?』




2023年9月下旬頃にみた夢



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さあ、夢の話をしよう。 睦永 彩乃 @mutunaga

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