第五夜『佃煮まみれのタランチュラ』

 私は台風なみの雨と風の中、傘をさして近所の公園を目指していた。公園に洗濯物を干しっ放しにしていたのを、祖母に言われて思い出したのである。

 慌てて洗濯物を取り込んでいると、物干し竿のすぐ下に、醤油と砂糖の甘辛い匂いのする水槽が置いてあるのに気づいた。ひと抱え位の大きさがある水槽である。

 不思議に思って覗き込むと、中にタランチュラがいた。タランチュラは、佃煮のダシとして一緒に煮込むと出来上がりが美味しくなるらしい(夢の中だけの話だ)。

 そしてこのタランチュラも誰かに調理されたらしく、佃煮まみれで水槽ごと打ち捨てられていたが、驚いたことにまだ生きていた。

 注釈をいれると、このタランチュラは、『タランチュラ』と言いながら胴体はほぼタラバ蟹で、足だけが蜘蛛のそれであった。ただ、夢の中の私にはそれこそが正真正銘のタランチュラだったことを言いおいておく。

 そして調味液の中で弱りかけたそいつを、わたしは哀れに思い、洗濯物を抱えた手で一緒にうちに連れて帰ることにした。加熱調理されただけあって甲羅は真っ赤である。

 家の水道で洗いながら、「かわいそうに……」と話しかけたが無脊椎動物に言葉は通じないのだった。

水で洗う間も、タオルで拭いてあげる間も、自分を捕まえて色々してくる私の手に噛み付こうとずっと身をよじってバタバタしている。動くな、と言ってもバタバタする。暴れられて、私はもどかしかった。

 とにかく、1度こいつを箱の中に収めなければいけない。飼育用の水槽はいま家にないので、なにか菓子箱でいいから、急場しのぎ&私の両手を空けるための箱が欲しい。コイツをそこに入れたら、ちゃんとした水槽を買いに行こうと思った。

 しかし探しても探しても、家の中にこいつが収まるサイズの箱が見つからない。

 大きいのは、少し前にみんな捨ててしまったらしい。困っていたら手の力が緩んだのか、タランチュラが私の人差し指の先に噛みついてきた。針で刺されたようなチクッとした痛みだ。びっくりして傷口を咥えると、血の味に混じって吸い上げたタランチュラの毒は、うっすらポップコーンのような風味がした。

 ともあれタランチュラの毒がとても弱いのを私は現実でも良く知っていたので、慌てることはなかった。

 少し驚いただけ。

 それよりも早く箱を探さなければ。


 そうしてしばらく探し回って、ようやくタランチュラの体がすっぽり収まる程度の箱を見つける。

 やっとここまで来た……。

ずっとタランチュラを抱えて四苦八苦し、そろそろ疲れ果てていた私は心底安堵して相棒を箱の中に収めようとした。

 しかし当のタランチュラは、こんな狭い箱は嫌であるらしかった。

 じたばた脚を動かして、すごい力で暴れる。ちょっとの間の辛抱だから、となだめ透かしてもきかない。

 無理やり押し込めて蓋を閉じようとしても、隙間から脚をはみ出させて抵抗する。

 しかし、おそらくこれ以上の大きさの箱は、家の中にはない。

 私はだんだん虚しくなってきた。助けようとしているのに、全然上手くいかない。

 面倒くさくもなってきた。どうしてこんな、私に噛みついて暴れるようなタランチュラを、私は助けようとしているんだろう。

――いっそこの、暴れ回る甲羅を叩き割ってしまえば。いや、それはダメだ。どうせ本当は死ぬだけの命だったのだから、ここで消えても変わらないのでは? そんなのは酷い、可哀想だ。

 残酷な思考と良心の呵責が、頭の中でぐるぐる回る。こんな考え、道徳に反している。でもハッキリとは抗えない。

どうしよう、どうすれば……――。


 ……というところで目が覚めた。この時期に、夏がけの涼感タオルケットをかぶっていたというのに、私の身体は汗まみれだった。

 変な設定で怖い夢ではなかったが、なかなか焦らされたし、嫌な選択を迫ってくる時点で性格の悪い夢だったと思う。


 2020年10月13日に見た夢。

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