第二夜『すべて識るひと』
気が付くと、そこはだだっ広い場所だった。地面は純白である。平らに削られた、おおよそ1.2M四方の石が規則正しく石畳を造っている。それが目に見える範囲に際限なく続いている。遮るものは何もない。ただどこを向いても、地平線が見えるばかりだ。
私はそのど真ん中に立っている。
見上げれば、空は真っ青だった。夏の空だって敵わない程に濃い色をして、驚くほどに透き透っている。大地と同じく、雲一つ浮かんでいない。
……とてつもなく、美しい。
(『本当の青』というものがあるのなら、きっとこんな色の事をさすのだろう)
と、私は思った。
辺りは太陽もないのに、真昼のように明るい。白い大地に照り返した光が目に刺さって、眩しいぐらいである。しかし強い日差しの下にいるときのような熱は、不思議と感じない。また、かといって寒い訳もなかった。
現実的に考えれば明らかに屋外なのであるが、夢の私は、ここが外ではないと解っていた。口では説明しきれないのだが、この時私は
(この空は、本物であって本物でない。しかも果てがある。閉ざされた場所だ)
と、そんなことを直感していたのである。
しかし居心地は、なかなか良い。生き物の気配など一つもなく、時折耳鳴りがするほど
その時だ。私はふいに、背後へ気配を感じた。只の気配ではない。非常に神聖で凛と張り詰めた、おまけにすごくおおきな気配だった。
私はたったそれだけで、まるで神様でも前にしたかのように敬虔な気分になった。ゆっくりと後ろを振り向く。
するとそこには――いつから居たのだろう、若い男のひとが立って、こっちを見つめていた。
見かけは二十代半ば程だろうか。優しく澄んだ瞳の目尻を下げて、わずかに首を傾げ微笑んでいる。とても綺麗な顔立ちのひとだ。服装は、真っ白なワイシャツに、パッと見ですぐ上等な代物だと判るような黒いスーツ。服と同じ色の革靴は綺麗に磨かれていて、首には真鍮製の金具のついたカーキ色のループタイを巻いていた。
見かけは、身なりの良い紳士である。当然、初めて会う人だ。
しかし夢の中で私は、その人が目に入った瞬間から、彼が《全て知るひと》だということを知っていた。
(嗚呼、このひとは過去・現在・未来の事も、この世にあらゆる事象が起こる意味も、この世に生けるもの・死せるもの全ての命の事も《知っている》のだ)
と、あたかも昔からの常識のように、解っていたのである。そして彼が私の生きる次元には居ない、《人間を超越したひと》なのだという事も解っていた。故に、このひとと出会うなど普通ではあり得ない事なのだということも理解している。
(滅多に遇えない人なのだ、折角だから、何か普段では知り得ない事を訊いてみたい……)
そう考えた私は、彼の許へと歩み寄ることにした。この時、彼と自分の間には5Mほどの距離が空いていたのである。
近くまで来てみると、かなり背が高い人だということが分かった。2M程度はあったかもしれない。地面が眩しいので、上を見ている方が楽だった。
「あの、こんにちは」
私は彼を見上げながら、失礼があってはいけない、と思って挨拶する。するとそのひとも、
「こんにちは、あやのちゃん」
と返してくれた。
――名前を、知っている。
私は、穏やかなその瞳に全てを見透かされているような気がして、また尊い方を前にしているのだという思いも相まって気を硬くした。
そうしたらそれを察したのだろう、彼が私の気持ちをほぐすかのようにニコリと笑んで、するとその緊張も、なぜだか急に心地よく感じられてきた。
閑話休題。
ここで現実の話を挟むが、この夢を見た当時、私は『子供を産むなら女の子がいいな』と、ぼんやり考えていた。
ただ私は妊婦ではない。結婚すらしていないし、というか現在進行形で恋人の影すらないのだが、私には家族ぐるみで付き合いのある、14、5ばかり歳の離れた友人がいる。その友人の娘がとてもかわいくて、ただそれだけの理由で、漠然と『女の子最高!』とか考えていたのである。
さて話をもどそう。
私の表情が和らぐと、そのひとはゆったりと微笑みを浮かべて
「なにが訊きたい? なんでもいいよ」
と言った。やはりすべて解っているのだ。
私は彼と視線をあわせ、穏やかな気持ちで質問した。
「――私は、女の子を産みますか?」
おそらく、現実の方で先述したような事を考えていたおかげでこんなことを尋ねのだろう。すると彼は自分の発言がさもあたりまえであるかのように唇を尖らせ、
「――いいや? あやのちゃんが産むのは男の子だよ?」
と答えた。私は少しショックを受けたが、でも、このひとが言うのだからきっと間違いないのだと思う。それで数秒のちには、やけに神妙に現実を受け入れている。
「――そうですかー……」
少し残念なように、でもとても納得して返事をする私。
そして他にも何か訊きたいことがあって、口を開こうとした矢先だった。
ただでさえ眩しいと感じていた地面の照り返しが急に輝きを増してきた。
嗚呼、時間が来たのだな、と思った。私の視界は、あっという間に白に覆い尽くされる。
「――…………。」
目が覚めた瞬間は、とても穏やかな気持ちだった。だが同時に、とても残念でならなかった。
(もっと彼と話していたかったのに……)
ただ、全部真っ白になる刹那、
「またね……」
という声が聞こえたような気もしたけれど、視界と一緒に音すら薄れていく世界の中で、その言葉を彼が本当に言ってくれたのかは定かではない。今となっては確かめようもない事である。
《2012年の初夏ごろに見た夢》
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