第3話 イフォーン(前編)

 このあと〈紅葉商店〉でバイトがあると言うので、イークロンは駅前のカフェでアントの話を聞くことにした。とりあえず、だ。話の流れでうまいことごまかせれば逃げ出したいと考えていた。もう小銭稼ぎの必要はないからだ。

 カフェの店内は学校帰りの高校生で少し混み合っていた。完熟マンゴーモカフラペチーノという新商品を注文した女子校生がアントたちの隣の席に座った。確かあの制服は駅の逆側にある孤月高校とかいう私立校の制服だ。イークロンがなんとなくその制服を見ていたら、アントがポケットから携帯電話様のガジェットを取り出した。銀河商業文字コモンズで「イフォーン」と書いてあった。商品名なのだろうか。英語に置き換えるとifとPhoneなのかな。微妙だな。と、同時にイークロンは少し違和感を感じていた。違和感というか、既視感か。アント王子がポケットからそれを取り出すのを何度か見た気がした。デジャブーというやつか。正夢ってものかもしれない。

 アントはイフォーンをテーブルに置いて、冷えたルートビアを飲んだ。それは地球人にはちょっとクセのある味だが、草食のアントにはちょうどいい風味だった。イークロンはアイスカフェオレというなんのヒネリもないものを飲んでいたが、別にそこに無理にネタを盛る必要もないので構わないだろう。あまり大きなカップではないので、ひと吸いしただけでもだいぶ減っていた。


「で、それはなんなんです?」

「ああ、うん。エミュレーターだかシミュレーターだかでね、ある条件を設定するとその状況を実際に試してみることができるということなんだ」

「何言ってるかよくわかりませんサー」

「実際にやってみよう」

 言うや否やアントはその微妙な商品名の二つ折の筐体をパカっと開いて、中央のボタンを押して、その携帯電話様のガジェットを耳に当てた。何か女性の声のようなアナウンスが漏れて聞こえた。

「えーとね。もしもピアノが弾けたなら。ああ、うん。そう」

 アントはガジェットを耳から話して、通話を切った。


「これで弾けるようになったらしいのだが」

「は?」

「俺は今ピアノが弾けるらしい」

「え?」

「ピアノないかな」

 アントはきょろきょろ辺りを見回したが、普通のチェーン店のシアトル系カフェなんで、当然そういう設備はない。


「なんで」

「ん?」

「なんで今すぐ確認できるネタにしなかったんすか」

「あー」

 アホ王子め、とイークロンは心の中で罵った。腹立ち紛れにアイス・カフェオレを思い切り吸ったら、ガボっと音がした。たったふた口で終わりなんて少な過ぎる。イークロンはもっと大きなサイズしておけばよかったと後悔した。アントはまたイフォーンを開けて通話を始めた。


「あ、すいません。お金のいらない世界にしてください。え? ああ、そうなの? あ、はい、じゃあキャンセルで、一旦切ります」

 アントはイフォーンを耳から離して、通話を終了してポケットにしまった。

「どうしたんですか?」

「ああ、重ねがけはできないんだって。一旦シミュレーションを終了しないと、次の設定に変えられないんだってさ。意外にめんどくさいな」

「まあ複雑になり過ぎてもわけわかんないですから」

「少し間を空けろって言われたよ。どのぐらい空けるのかわからんし。まだ開発中だからいろいろ決まってないのかな」

 そういえばテストモニターだったなこれは。このままアントに任せていても埒が明かないので、結果を確かめやすいネタを提示してやらんといかんな、とイークロンは思った。


「なんか説明書きみたいなものはないんですか?」

「ああ、一応あるよ」

 アントがポケットからガサガサとコーションペーパーを取り出した。細かい文字でいろいろと注意事項が書いてあった。

「これ読みました?」

「あー、まー、一応。ざっくりと」

 読んでねえなと、イークロンは思った。5行目に重ねがけはできないことがはっきり書いてあったからだ。その他、仕様について事細かに書かれていた。ただし、銀河商業文字コモンズなので、細かいニュアンスまではイークロンにはわからなかった。彼が知っている単語が、主に軍事関連の用語に偏っているからだ。


「これさ、軍事シミュレーターに使えないかと思ってんだけど、どう思う?」

「軍のですか? どうですかね」

「模擬戦じゃ戦術どころかせいぜい単位コンバットしか試せないだろ。大規模演習やるっていったって金はかかるわりに想定内のことしかできないじゃん。片付け大変だし。スパコンシミュレーションはどうも臨場感がないんで好きじゃないんだよね。できればもっと広範囲での戦略シミュレーションがしたいんだ」


 うーん。とイークロンは説明書きを読み下しながら考えたが、影響範囲については何も書かれていなかった。ティムティキの持っている〈リセットボタン〉はだいたい月までぐらいのローカルエリアでのみ、その効果の影響をうけるようだったが、イフォーンの方はどういうシステムになっているのだろうか。


 この端末単体で効果を発生させるのであれば、それほど多大な出力は発生できないはずだから、せいぜいこの惑星全体ぐらいではないかと思われる。で、あれば拠点防衛や攻略戦の戦術シミュレーションにしか使えないだろう。

 しかし、さっきのやりとりを見る限りでは、アントがどこかイフォーンの本部だかに電話をして設定を注文していた。となるともっと大規模な装置によるサービスなのかもしれない。星系レベルでのシミュレーションが可能となれば実用性は充分といえる。そんな装置がこの辺境星系のどこにあるのかとは思うが、ガニメデあたりの貿易中継地に交易船タイプの事務所があるのかもしれない。


 隣の席に孤高の女生徒が完熟マンゴーモカフラペチーノを持ってきて座った。変形セーラー服がかわいいことで近隣では有名な学校だ。やたらと部活が盛んなことでも知られている。

 アントがポケットからイフォーンを取り出した。テーブルに置くと、ルートビアを飲んだ。イークロンはアイス・カフェオレを飲んだ。ひと口のんだだけだがもう半分近くにまで減っていた。はて? さっき飲み干したと思ったのは気のせいだったか。


「で、それはなんなんです?」

 そう聞いてから、イークロンはすでに自分がそれを知ってることに気づいた。

「ああ。うんとね、エミュレーターだったかシミュレーターの一種でね、仮定する条件を決めるとその状況を実際に再現して試してみることができるんだって」

「もう試しましたか?」

「いや、まだ。だと、思う。やってみる?」

「さっき試してませんか?」

 アントは、むうと唸って黙ってしまった。心当たりはあるらしい。

「記憶はないが、違和感はある。また催眠術か?」

 先週のダブダブラーのことを思い出したらしい。確かに状況は似ている。

「その可能性は考えましたが、カフェオレの量の辻褄が合いません。何度か飲み干したはずなのに、今これだけ残ってます。ルードビアもまだあるでしょ?」

 あとそこの女子校生も何度もそこに座っている気がしている。


「あと、一つに気になってるんですが、王子のバイトって何時からですか?」

「五時」

「今、五時半です」

「げえ! 悪い、もう行くわ。これ試しといて!」

 アントはイフォーンをイークロンに放り投げて、ダッシュで店を出ていった。

 確か学校を出たのが午後4時頃だから、ここに着いたのは4時15分ぐらいのはず。アントは軽く話してからバイトに行くつもりだったのだろう。実際、そんな大した会話はしていない。つまり、このシミュレーターとやらは、時間の巻き戻しまではできないらしい。なんだかやっかいだな。


 とはいえ、試せというご命令であれば、遠慮なく試させていただこう。イークロンはニヤりとした。イフォーンを明け、発信ボタンを押す。プルルという電子音が聞こえる。プツンと音がして女の声がした。銀河標準語が自動翻訳されて聞こえてきた。

『ご利用ありがとうございます。イフ・フォーンオペレーションセンター、担当のアタミ・ウォンセでございます。ご希望の設定をどうぞ』

「あ、はい。内容はなんでもいいんですか?」

『もしも形式ならなんでも大丈夫ですよ』

「ああ。そうか。じゃあ……」

 イークロンは一瞬考えてから言った。

「もしも宇宙人が攻めてきたら」

『かしこまりました。シミュレーション開始カウントダウンを始めます』

 おお、受理されたぞ。イークロンはゴクリと唾を飲み込んだ。

『3、2、1、ゼロ』

 アタミの声と同時に、イークロンはカフェもろとも爆風で吹き飛ばされた。


つづく




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