Death Breath

 祖父が火葬炉から出てきた。炉に入る前の"へ"の字になった表情などもちろん跡形もなく、骨という無機質な"物"になったのが祖父の死と同じくらい悲しかった。当時は11歳かそこらで、あまり突然すぎた祖父の死は、火葬を終えたその瞬間でも、理解できずにいた。現実問題、もう会えないということは分かっていても、会えないということが時間経過でしか自覚できないこと故か、理解できなかったのだろう。

祈祷などの諸々が一通り終わり、みな散り散りに休憩をとっていたところだった。突然辺りを炭の匂いが立ち込めた。

また誰かが火葬されているのかと思ったが、立ち込めた匂いの濃さにただ事ではないと思った。キャンプ場を想起するような、何かが燃えているわけでもない、澄んだ炭の匂いだ。匂いは濃くなるにつれ、色となって私の前に黒く形となって表れ始めた。もやは布のようになり、まるでそこに存在していたかのように、揺らめくローブとなった。


「何を見ている」


 そいつはローブの中から顔も見せず、唸るような声で私にそう言った。突如現れた異形の姿に私は身動きはおろか、助けを呼ぶ声すら出せずにいた。匂いでしかなかったそれは、確かな存在を誇示するように揺れ、声を震わせ、話しかけたのだ。

萎縮しながらも誰かを殺しに来たのか、と絞り出すように声を出した。


「なぜ俺が人を殺せるんだ。死んだ奴に会いに来ただけだよ」


死神は少し怒ったような声色だった。聞けば彼ら死神は、死んだ者の魂を剥ぎ、現世から取り除くために存在しているようだった。


「四半世紀ぶりだよ。童ごときが俺を見ることができるなんてね」


話を二三聞いたあたりで、私はこの恐怖の存在に慣れ、普通に会話を始めたことに気づく。今思えば、見えぬ死よりよほど明瞭な死神は安心できるものだと、幼心ながら思ったのかもしれない。


「なんてことはない。お前らの単位でいえば16グラムほどの質量しかないんだ」


「それが死体にあるうちにこのランタンに入れて持ち帰る」


「魂は有限だからな。再利用するだけだよ」


死神は饒舌だった。べらべらと話すようになった好奇心のある子供に、またべらべらと霊界の理のようなものまですべて話してくれた。


「強かな魂だ。それでいて温い」


「お前の祖父は幸せだった」


「上等なものだ」


 時間にして二時間半ともなろうか、誰からも声もかけられず、不審がられず、ひたすらに会話だけをしていた。彼曰く、人は無意識に死神を恐れ、関わらないらしい。

最後に私は少しの沈黙の後、祖父にもう一度会えないかと尋ねた。死神は指で顎(ローブで隠れているが、恐らく顎がある位置)に指を当て、しばし考え無言でランタンに手を入れた。

取り出された淡い光を放つ玉は、死神が少し撫でると、形を変えて人型になった。表情などはわからず、祖父かどうかもわからなかったが、その祖父であろうものに伝えることをありったけの声量で伝えたのを覚えている。

大嫌いと言ったあの日、本当は自分の身勝手だったというのを分かっていたこと。祖父は何も悪くなかった、ということ。また死神のように会いに来てほしい、ということ。

そして最後に幸せに暮らしてくれ、ということ。

人型の魂はゆっくりと手らしきものを私の頭の上に乗せ、また淡く光る玉へと姿を変えた。その時にはもう私の顔は涙と鼻水で混沌としており、さしもの親類も様子を気にしているようだった。


「俺を見れた褒美だ。だが、そろそろお別れだ」


「童。祖父のように強く生きろ。俺ほど霊界の連中は優しくないぞ」


「次に会う時、またランタン越しに話そう」


 また炭の匂いとなり、次第に消えた死神とは、以降どの葬式でも会うことはなかった。どの時代でも彼と、この経験を忘れたことはない。言われた通り、誰にも影響されず、自分と世の中と来たる再開の日に恥じぬよう生きた。死を幼いながらに理解し、認識しきった私は生きることに余裕を持てたのだ。事業は成功し、まずまずの成功を収めたと自評しても、可笑しくはないだろう。

家族も持った。愛する家族を。仕事がまずまずの成功、で終わったのは家族を優先したからだ。家族を愛し、優先すれば家族に愛される。そう、表情こそ怪訝だった祖父のように。

それでも理解しきったはずの死は怖い。私は祖父のように強かに生きただろうか。思い返せば後悔もある。だがそろそろという頃だろう。棺が揺れ、火葬炉に近づいているのが分かる。微かに匂っていた炭の匂いも濃くなっていく。


「また会ったな、童」


 死神は男の魂を救い上げ、ランタンに入れた。

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