第4話 僕と彼女たちと猫について
「猫、お好きなんですね」
彼女は笑いながらそう言った。
今日は実に暇な日であった。学校もなく、知人との約束もない。辛うじて、夕方からアルバイトの予定が入っていたが、それまでは何もすることがなかった。僕は、大学生らしく、今日という一日を睡眠で浪費することを決意した。しかし、それにも限界がきてしまった。空腹である。だらだらと二度寝、三度寝を繰り返していた僕は、ついに腹の虫のけたたましい主張に耐え兼ね、昼食をとるため、布団から這い出した。それが十三時頃のことであった。
布団から這い出した僕は、空腹を満たすため部屋の中の物色を開始した。けれども、何もなかったのである。即席麺はおろか、冷蔵庫の中の食材すらなかった。即席麺で即時的に腹を満たすどころか、手間をかけて何かを作ると言うことすらできない。この状況を打破する方法はただ一つ。買い物へ行くことである。僕は、重たい体を引き摺りながら、身支度を整え、いつものコンビニへと向かった。
コンビニへ入ると、商品の陳列をしている彼女が目に入った。彼女は僕に気が付くと、こんにちは、と笑いながら言ってくれた。こちらも軽い挨拶を返すと、彼女は、
「少しお話しませんか?暇で仕方ないんです」
と悪戯っ子さながらに言う。曲がりなりにもバイト中なのに大丈夫なのか、と言うようなことを聞くと、
「大丈夫ですよ。店長もよくやってますし」
と返された。少し、この店の行く末が心配になる。
話をする、と言っても本来僕は人と会話することがべらぼうに下手である。まず、話題にできること、ついていけることが壊滅的に少ない。だから、最初は彼女の大学の話、知人の話、最近有った良かったことなんかをふんふんと、相槌を打ちながら聞いていただけであった。しかし、彼女に、
「そっちは、何かありましたか?」
なんて聞かれてしまったので、実に困った。ここで、いやあ、特には、とでも返して会話を終わらせてしまっては、いつもと何も変わらない。成長も何も見られない。何か捻り出さなければ、と頭を働かせて思いついたのが、シロの話であった。
そこで、シロの話を延々と彼女にしていた時に、冒頭の言葉を彼女に言われたのである。
「何でですか?」
我ながら、ふざけた返しである。猫がお好きなんですね、と言われて、何でですか、と返す阿呆なんて、それこそ僕ぐらいのものだ。大体、今の今まで猫の話をしておいて、猫好きを否定する必要もないだろう。
そんな頓珍漢な僕の言葉に彼女はクスクスと笑って、
「いや、とっても嬉しそうにシロちゃんのお話をしてるから、好きなんだろうなあ、って」
それから続けて、
「見てみたいなあ、シロちゃん」
と言った。
「お前、猫好きなんだな」
知らなかったぞ、とパン屋の娘さんが言った。
コンビニの彼女と別れ、目的の昼食を手に入れ空腹を満たした僕は、アルバイトまでの時間を、書く必要性が見いだせない程、無駄遣いして、それからアルバイトへ向かった。ベーカリー宮川には、いつもの通り、娘さんが居た。レジに入るなり、彼女は僕に学校の愚痴をぶつけてきた。まあ、それはいつものことであるし、愚痴ならば、大変だったね、とか適当な言葉を放ちながら、頷いていればいい。しかし、今日は彼女がいきなり何か面白い話をしろ、と要望した。
「いつもアタシが話してて、メガネは何も言わないじゃないか」
全く持ってその通りである。しかし、先ほども言った通り、僕は会話の下手さに天性の才能がある。そこでコンビニで披露したシロの話を再度披露したわけである。
猫好きなんだな、そう言われた時、僕はつい笑ってしまった。同じようなことを同じ日に、別の人から言われるとは、思ってもみなかった。
「何笑ってんだよ、気持ちわりぃ」
と彼女は怪訝な顔をしていた。
「いや、同じようなことを別の人にも言われてつい」
「別の人?」
彼女は、アタシ以外に話す相手が居たのか、とでも言いたげな顔をしていた。実に失礼である。確かに会話は下手くそだがこれでも話す知り合いぐらい居る。
「よく行くコンビニの、アルバイトの女の子ですよ」
へえ、と彼女は気だるげに言葉を返す。それから、
「名前」
呟くようにそう言った。
「名前?」
「名前、知ってんの?その女の」
「……知らないです。話すようになったのも最近のことだし」
そっか、と小さな声で彼女は言う。だけどもそれだけであった。彼女の性格からすると、ここらで何で名前も知らないんだとからかってきてもおかしくない。何だか少し変な感じがした。それから少しの沈黙の後、
「名前」
と、思い出したように、彼女はまた繰り返す。
「だから知りませんって」
「そうじゃなくてさ」
僕の言葉を遮るように彼女は言う。
「アタシの名前。メガネ分かる?」
そう言えば呼ばれたことなかったな、って思って、そう付け足す。僕は黙ってしまった。かなりの悪手だ。これじゃあ知らないと白状しているようなものだ。嫌な沈黙が流れた。少しして、彼女はまた、そっか、と呟いて
「アタシも知らない。メガネの名前」
何故だろう、悲しそうにそう言った。
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