(ii-3)破綻のない世界観

 世界観というのは、『剣と魔法と竜のファンタジー世界』のような、「世界そのものを設定しなければならない」場合の世界設定を指す――が、それだけではない。

 何の不思議も超常現象も出現しない、現代・現実舞台の恋愛小説にだって『世界観』はある。ミステリ小説にもある。童話にだって『世界観』はある。


『世界観』をざっくり言えば、「ストーリーやキャラクターを入れて動かしても問題を起こさない、しっかりした器」だ。


 これを形作るのは、「設定」ばかりではない。小説を記述する「文体」や、「キャラクター」「ストーリー」自体もまた、『世界観』の重要な要素になり得る。

 設定作り、という観点からの「世界観」への言及は、既存の書籍や文章であれこれ発見することが出来るだろうから、本項ではそことは違う、「文体」や「キャラクター」や「ストーリー」の方向性から、世界観について簡単に触れていこうと思う。




 例えば、「リアルでシリアスなバトルもの」として書かれた小説があるとしてみよう。

 その中で、「冗談のつもりでHなことを言い出した主人公を、ヒロインがどこからともなく取り出したバットで場外ホームランばりに100mかっ飛ばす」場面があったら、どうだろう。

 そりゃ、浮くわ。


 「中世ヨーロッパの技術レベルしかない異世界」で、世界を救うために旅をする勇者一行が、ある街で「情報収集だ」といって「紙に印刷された日刊新聞」を売店で購入していたらどうだろう。(新聞は近世、十七世紀に生まれた)

 なんか浮く。


 毒舌キャラの口の悪さが、我々が日々テレビで見かける「毒舌タレント」と同じであっても興が醒めるし、キャラが口にするギャグの一つ一つが、テレビで話題のものと同じだったりするのも同様だ。現代世界を舞台にした作品ならマシな方で、ファンタジー異世界の住人にこれをやられたら、もう目も当てられない。

 この亜種として、現代の少年少女が会話の中で放つギャグが、一昔も二昔も前に流行した、もはや死語となったギャグだった、なんてのも、目にするとガッカリする。



 こういう描写が「浮く」のは、世界観を壊しているからだ。



 ホームランの例では、その小説が最初から強いギャグ要素を取り入れたものであったら、浮きはしない。世界観が「リアルでシリアス」だから浮くのであって、それをやめてしまえばいい。

「それが起きてもいい世界観」で起きたなら、それは浮いたりしない。


 新聞の例では、その世界では既に新聞という概念が発生していて、技術や流通も存在している理屈を提示できれば、浮きはしない。「ありもしないものを、さも当然のように扱う」かってしまえば、その描写は矛盾を引き起こす。

「その世界でもあり得ると、きちんと描写する」ことで世界観を守ることは出来る。


 その世界の中で交わされる言葉は「その世界だから」存在するのであり、「書いてる人間が知っていることだから」交わされているわけではない。みんなが知っていることだからといって、流行語やギャグを入れれば作品が良くなるのだ、ということはないのである。




 さあ、ここでようやく本題が登場するが、面白さを判断する基準としての『破綻のない世界観』とは、先に挙げたような「世界観を壊す表現」をせずに小説が書かれているか、という意味合いが大きい。

「ストーリーやキャラクターを入れて動かしても問題を起こさない、しっかりした器」を、保てているかどうか、ということだ。


 この判断は、実はなかなか難しい。例えば異世界での新聞の例などは、作品世界がライトに書かれているか、シビアに固めてあるかによって、許せる場合と許せない場合の境目が変わる。ゆるふわファンタジーに新聞があっても許せるが、ギルガメッシュ叙事詩の世界に新聞があったらゲンナリする。そういう違いだ。

 この境目を決めるのもまた、「文体」「キャラクター」「ストーリー」の複合になる。最初からメタで、あらゆるところでギャグを連発し、とにかく一行おきに笑いを取ることを目的として書いた小説に対して「世界観がどうとかこうとか」は言わない。

 評価するように読む、というのは、実のところかなり大変なことなのだよなぁ。

 ……ちょっと寄り道した。本題に戻る。


 何故、「世界観を壊す表現」がいけないのか。

「世界観を壊す表現」に気付いてしまうと、読者は「現実に引き戻される」のだ。興醒めするのである。

「あれ、ここおかしい」と気付く。それは「批判的視線」だ。

 批判とは、自分と対象物を明確に区別しなければ出来ない。逆に、批判的な視線を持った瞬間から、読者は、作品世界からは自動的に引き離されてしまうのだ。


 せっかく良い作品に出会って、その作品世界に没入して読んでいるところで、現実に引き戻されることの残酷さ。その世界のことで頭がいっぱいになっているところで、「あれ、やっぱ今ここはリアル世界じゃん」と突きつけられることの無情さ。


 つまり「世界観を壊さない」ということは、「読者の体験を邪魔しない」ことなのだ。

『破綻のない世界観』かどうかをチェックしているのは、「読者を邪魔しない」、ひいては「読者の楽しみを邪魔しない」という、読者に向けた配慮があるかどうかをチェックしている、という意味でもある。


 特にプロ志望の方には気に留めておいていただきたいが――

 書き手には、読者を作品世界という「夢の国」に連れて行く義務がある。

 作品を読んでもらう間だけは、「夢の国」で楽しんでもらう。我々書き手はエンターテイナーとしての責任を負っているのだ。その責務の一端として、こちらから広げた大風呂敷は、せめて綻びのないものにしようではないか。


 『破綻のない世界観』を求める意味とは、そういうことなのである。



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