オズ・ゲーム 3~それぞれの告白

「そもそも、私たちのオズ・ゲームって達成されたのかしら」


 長い沈黙を破ったのは、ドロシーだった。


「私たちがオズ・ゲームで求めたのは何。幸せよ。幸せを得るために必要な物を求めたの。……で、それは手に入れられたの」


 ドロシーが長い髪をかき上げた。ラメを散らしたコーラルピンクの爪が、きらりと光を放つ。


「私が欲しかったのはゆっくり眠れるベッド。これはきちんと手に入れたわ。どうやったのか、知りたい」


 挑戦的な瞳で、ドロシーは僕たち三人を見回す。


「……ここは、それを聞く場ではなかったはずだ」


 話をしやすいよう、僕とブリキは高台から降りた。苦々しく、ブリキがそう言うと、ドロシーは苦笑を浮かべた。


「無理よ。私たち、子どもじゃなくなってしまったんだもの。生きている限り、逃げることなんてできない」


 何から逃げるというのか明言しないまま、そう言い切ったドロシーの瞳が、どことなく哀しそうに見えたのは僕だけだろうか。


「もう時効よ。これ以上、この場所で現実から逃げ出すのなんて不可能なんだから。最後に、オズ・ゲームの結果だけでも話しておこうかと思って」


 ドロシーの言葉は、少なからず僕の心に衝撃を与えた。

 それくらい理解していたはずだったのだ。


 小学生の頃、この場所がなければ生きていけないと思っていたのに、ぼくとドロシーが中学卒業をきっかけにマンションを離れることになり、オズ・ゲームは終わりを告げた。

 世界が揺らいだその瞬間を、僕は今でも覚えている。

 夕日が落ちてしまえば僕たちは終わりだと思っていたのに、僕たちはこうして四年経った今、こうして集まることができてしまった。この場所がなくとも、生きていくことができたのだ。


「私はね、家を出て高校も中退したわ」


 ドロシーの告白は、予想していたもののショックだった。


「今は、町で知り合った仲間の家を渡り歩いてるの。TVでよく見る家出少女のお仲間みたいなもんね。……何よカカシ、そんな目で見ないでくれる」

「あ、あたしは、別に……ドロシーらしいなぁて、思っただけで」


 おどおどとそう言ったカカシを見て、ドロシーはふんと鼻を鳴らす。


「あなたは……そうよね。きっとそう思うと思ってた」


 確かに。ドロシーは自分の快楽のためにそういう行動に出てもなんらおかしくない。そして僕は、そんなドロシーだからこそ好感を持っていたのだ。傷跡を意識するでも誇示するでもなく、ただそこにあるもの、自分の一部として自然に受け入れられる彼女だからこそ。

 しかし、そんな僕の想いは粉々に砕かれた。


「あなたは昔から、私のことを見下してたわ」


 ドロシーの言葉は、僕の予想を簡単に裏切ってくれた。思わず僕はドロシーとカカシを交互に見比べてしまう。

 うっすらと妖しい笑みを浮かべたドロシーは、青い空の下だというのにまるで蜘蛛を思わせるような雰囲気を漂わせている。

 対して。ドロシーの強さに圧倒されそうだ……と僕が勝手に思っていたカカシはといえば。


「あれ、知ってたんだ」


 まるで向日葵のような清々しい笑顔だった。その言葉に秘められた残酷な意思とは裏腹に、僕の思いを引きちぎるように。


「そうよ。あたし、ドロシーのこと嫌いだったもの。だけど、あなたがいればあたしの不幸さや体型が際立つでしょ。だから一緒にいたの。それだけ」


 優しい言葉を紡いだ口と声で、カカシは硝子のように美しく尖った言葉を吐き出す。小さくきらきらと光るその破片は、僕の心まで侵食していくのだ。

 こんなカカシは知らない。僕は、知らない――。

 言葉を失った僕に気付き、ドロシーはふっと口元を緩めた。皮肉に。


「気付いてなかったのよね。ライオンは鈍いから。そういうところ、好きよ」


 好き、と言われて少しだけ心が跳ねた自分がとても恥ずかしい。身を切り裂くように鋭く磨がれた空気の中においても、僕はドロシーにかなわないのだ。

 しかし。僕にはひとつだけ、どうしても腑に落ちないことがあった。


「……僕にはひとつだけ分からないことがある。聞かせてくれないか、カカシ。君は何故、わざと自分の体型が際立つような人選をしたんだ」


 ぽろりと質問が口をついて出る。カカシは満面の笑みを浮かべた。


「大好きだった人に、あたしを見てもらいたかったからよ……ねぇ」


 と、カカシはちらりと視線を向けた。――ブリキ、に。

 僕は今目の前で起きたことが信じられず、思わずまじまじとブリキを顔を見てしまう。ブリキは僕にほとほと愛想を尽かしているらしく、僕の視線に気付くと、うっとうしそうに顔の前で何度も手を振った。

 ブリキはカカシを見つめていた。その視線は関係の無い僕の背筋までが寒く感じるほどに冷たく、嫌悪をむき出しにしていた。

 だというのに、そんな視線を受けてなお、カカシはうっとりとブリキに微笑む。


「ブリキの目にあたししか映らないように、ブリキの心があたしだけに向けられるように、あたしはずっと醜い姿でいたの。ねぇ、ブリキ。……大好きよ、愛してるわ」


 それは、僕の知っていたカカシではなかった。

 けれど。それが本当のカカシだというのだ。ならば、今まで僕が見てきたものは何だったのだろうか。


「……愚かだな、お姫様は」


 ブリキの薄い唇が微かに動いた。その言葉からは、カカシに対して抱く気持ちのひとかけらも理解することはできない。


「だって、あたしの願いはのうみそのないカカシみたいに馬鹿になることだったわ。だから、馬鹿になったのに……ブリキは、あたしのことなんて忘れてたの」


 それは、オズ・ゲームを始める上でのカカシの宣誓だった。

 普通の女の子みたいになりたい。可愛い服を着たい。確かに、今のカカシを見ている限り、それは達成されているように思える。


「忘れていられるならよかったんだ。俺はこんなところまで来なかった」


 ブリキは、悔しそうに唇を噛みしめる。


「何故だろう、お前のことが憎い。憎くて憎くて堪らない。小学校の頃からそうだった。憎いのに、手元に置かなければ気が済まないんだ。お前のような女、本当なら見るのも御免なのに」


 ブリキの言葉に、カカシの表情がみるみるうちに明るく輝きだす。

 それは確かに、幸せな人間の顔だった。


 ――僕は今まで、何を見ていたのだろうか。

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