オズ・ゲーム 2~今の僕らは

「どうした」


 はっと気が付くと、僕の顔をブリキが覗き込んでいた。


「うわああぁっ」


 突然のことに、僕は間抜けな悲鳴を上げてしまう。格好悪い。最悪だ。


「……そんなところでぼんやりしていると、落ちるぞ」


 少しだけ呆れたように、ブリキは息を吐いた。

 僕は給水タンクの置かれた高台の縁に腰かけていた。ブリキは、そこに上がるためのはしごを途中まで昇った格好で、僕のことを下から覗き込んでいた。

 他人の顔を突然間近で見るのは怖いことこの上ない。表情の無いブリキの顔だから、尚更だ。


「ああ、ごめん……」

「ライオンは一回、そこから落ちて見た方がいいかもね」


 ドロシーがくすくす笑いながら、僕を見上げている。


「そうすれば、少しくらい物忘れの激しさも改善されるんじゃないの」


 失礼な。そう言おうとして、言えない自分が悲しい。今もこのゲームの始まりに宣誓した事柄が思い出せず、悶々としたまま記憶の中に漂ってしまっていたのだから。


「相変わらずだな」


 ブリキははしごを昇りきると、そのまま僕の隣にひょいと腰掛けた。

 横から見てもブリキの顔は綺麗だ。思わず見惚れそうになってしまい、これでは昔とまったく変わらないだろうと己を戒める。


「今でも、自分で書いた果たし状の存在を忘れて、俺に待ちぼうけを食わせたりするのかな」


 ブリキの言葉に、僕は顔から火が出そうだった。

 僕が忘れていることは、大抵、周囲の人間が覚えている。ブリキも例外ではなかったようだ。


「……忘れていたのか。呑気だな」


 僕の沈黙を理解して、ブリキはもう一度ため息をついた。


「ライオンの物忘れも相当なものだね」


 カカシが下でくすくすと笑っている。僕は下を向いて、それから何事もなかったかのようにさっと目を逸らした。

 カカシの胸元から白い肌が見えた。幸い、カカシは僕が何故、目を逸らしたかは気付いていない。


「えっち」


 ……その隣にいたドロシーには気付かれてしまったようだけれど。


「……お前は本当に呑気だな」

「そんなしみじみと言わないでくれよブリキ……悲しくなってくるから……」

「事実だろう。……ああ、けれど」


 ブリキは僅かに口元を緩ませる。


「ここに集まろうと約束したことを覚えていたのは、褒めてやろう」

「偶然だよ」

「しかし、あのとき言い出したのはお前だった」


 その言葉を聞いて、僕は再び考え込む。


「…………そうだったっけ」


 我ながら間抜けな返答で涙が出そうだ。ブリキも、もう何も言ってくれなかった。呆れ果ててしまったらしい。


「そ、そうだ。僕たちって昔、ここで何をしてたんだっけ」


 ここはひとまず話題を変えてしまおうと、僕は慌ててそう言った。


「何も」

「してないと」

「思うんだけど……」


 ブリキ、ドロシー、カカシの順番で、見事に言葉が繋がった。三人の視線が僕に突き刺さる。痛い。というか、冷たい。

 僕はふと思い出した。今、僕たちのやっていることは、昔とまったく変わっていないのだ。ただ四人で集まって、何をするでもなく屋上にいるだけ。

 僕たちはそれを『オズ・ゲーム』なんて呼んでいたけれど、遊びらしい遊びなんて本当はひとつもしたことはなかった。

 螺旋状の非常階段を昇って屋上の扉を開けるまでが、現実と切り離されるための儀式。そこから先、僕たちは身にまとうすべてのしがらみを捨てて、ただの一人としてそこに立つのだ。それこそがこのゲームだった。


 僕は下に降りようと身体を動かした。途端、強い眩暈めまいが僕の体を襲う。

 白い闇が僕の視界を覆い尽くす。すっと血の下がっていく浮遊感が何となく心地よい。

 ここにいる限り、僕は僕でいられたのだ。


「……おい」


 ブリキが僕の手首を掴んだ。じんわりと汗ばんだ手のひらから熱い体温が伝わってくると、彼は人間なのだと妙に安心してしまう。


「だから、ぼうっとするなと……」

「……そういえば、もう着てないんだね」


 過去のブリキ――フリルとレースに包まれた姿が、今の彼に重なった。思わず僕が口にした言葉に気分を害したのか、ブリキはぱっと手を離す。僕の体がぐらりと傾いだ。

 慌てて体勢を立て直すと、隣で舌打ちが聞こえる。


「……ごめん」


 気付いて、僕は慌てて謝る。

 オズ・ゲームには暗黙の了解があった。外のしがらみを持ち込まず、追求もしないということ。ドロシーの傷も、カカシの涙も、ブリキの服装も、誰にも追及する権利は無い。

 僕は今、それを破ったのだった。


「……お前は変わっていないと思っていた。けれど、違うな」


 ブリキが、感情を押し殺した声で呟く。


「人間は誰でも変わる。俺も、お前も、あいつらも。このゲームは、終わって正解だったんだ」

「ちょっと待ってよ。何だよ、終わりって……」


 僕は慌ててブリキにくってかかる。


「お前は言った。四年後、それぞれが高校を卒業したら、またここに集まろう、と」


 ブリキは僕を見ない。


「こうして俺たちは集まった。けれど、昔のように何も言わずにここにいるだけで、俺たちは満足しているのか。だから俺は、ここにオズ・ゲームを終わらせに来たんだ。お前はそうじゃないのか」

「あ……」


 僕は言葉を失った。

 昔は、ブリキがどんな格好をしていても、それについて追求することはなかった。ブリキはブリキであって、外見も行いも関係なかったのだ。

 それが今はどうだ。僕はブリキの外見ばかり見ている。中身なんてこれっぽっちも考えちゃいない。昔とどう変わったのかと、そればかり考えている。ドロシーやカカシに対しても同じだ。

 過去と現在は僕たちを縛るしがらみのひとつだと、昔はそう考えていたのに。

 ふと視線を移すと、ドロシーとカカシも複雑な表情を浮かべていた。

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