21代:ヒュールベイン帝紀・附:ヴァルゴンス公紀

 皇帝親征のさなかに皇帝ザールヴァンが暗殺されるという衝撃の事件を受けて、ヒュールベインは担ぎ出された。

 ヒュールベインの正式の名は、ヒュールベイン・オルベスト・ロード・オブラビア・ダヌン・サルザン・バルベス・ド・フンダ。

 グレンブル帝と皇后レラミーとの間に生まれた一人息子で、二人の間ではこの他に子供はいない。大戦の結果、叔父ベリゾンが権力を握り、グレンブルは退位、ヒュールベインは後継の地位を失った。グレンブルは復位することなく崩御した。

 ベリゾン政権が続いたのち、ベリゾンは暗殺者の手に斃れたが、その後を付いだのは、ベリゾンの政策を補佐した息子のザールヴァンで、ザールヴァンは皇帝に即位する。これは帝位の価値に否定的だったベリゾンの思想に反する行為であったが、本人の意志と、皇帝制復活を謀る保守派貴族の陰謀であった。

 ザールヴァンが皇帝となると、ヒュールベインは、母親レラミーとともに帝星を離れ、惑星ダス・オブラビアの離宮に移った。ザールヴァンはヒュールベインにオブラビア大公の地位を与えたが、それ以外の公的な立場を一切認めず、大公家の財務にまで厳しい制限を加えた。相当に警戒していたと思われる。

 ヒュールベインも逼塞する中、特に政治的行動に出るようなことはしなかった。この頃、何を考えていたのかははっきりしない。

 ところが、ザールヴァンもまた、分国討伐の親征中に暗殺されてしまう。

 ザールヴァンの死により、帝国軍は引き上げてくると、貴族らがオブラビア離宮までやって来て、皇帝陛下崩御と、その国葬についての報告をし、ぜひヒュールベイン大公閣下に葬儀委員長に就いてほしいと願い出た。

 ヒュールベインはそれがどういう意味を持つのか、当然わかっていただろう。

 彼は出席については了承したが、葬儀委員長への就任は再三断った。

 しかし、最終的に受けたのは、母親のためであった。自分を帝位に就けることだけを願った母の思いに応えざるを得なかったのである。無能な父帝、意にそまぬ形で嫁いだ母、母がかつて想いを寄せていた叔父のベリゾン。それらのことをヒュールベインは知っていた。

 ヒュールベインの到着を待ち、ザールヴァンの国葬は行われた。実際の進行は貴族らの手で行われたが、これによって、ヒュールベインの皇帝即位は既成事実となった。

 実は、この裏では、ベリゾン派と呼ばれる貴族と、ヒュールベインを推す貴族らで激しい対立と駆け引きがあったらしい。

 ヒュールベインを推したのは、ベリゾン暗殺にも関わったとされ、ザールヴァンを即位させた保守派の筆頭でもあるハフトン侯爵であったが、その背後で動いたのは、皇族の血を引くド・ブイーター公爵や、伝統的貴族であるブデイトー伯爵、また貴族としては新興勢力で初期の植民地に出自の系譜を持つニヨー伯爵などであった。彼らはそれぞれに思惑を持っていたが、伝統的皇帝制の復活と、それによって自分たちの権威と権力、そして経済基盤の強化という共通点があった。

 彼らは、ザールヴァンで道筋をつけた皇帝制を、ヒュールベインに継がせることで確実なものにしようと考えていた。その思想の根源は、ベリゾンによる開明的政策への不満であった。

 それに対し、反発したのがベリゾン派の重臣らであった。彼らは中興の祖であるベリゾンを神君と崇め、その思想を崇高なるものとした。

 ただ、同時にザールヴァンをその後継者と見なしていたところは、血統を重視しなかったベリゾンの思想と正反対であったのが、新たな帝国の形を目指したベリゾンにしてみれば皮肉である。

 ザールヴァンを即位させることには賛同した彼らだったが、その早すぎる死を受けて、ヒュールベインが即位することには猛反発した。そして彼らは裏の事情を察した。ベリゾンの死も彼らが関わっていたに違いない。

 ベリゾン派がザールヴァンのあとにと考えたのが、ザールヴァンの子でまだ少年だったヴァルゴンスである。

 だが、未だ分裂状態のご時世。ヴァルゴンスでは帝国を主導していくのは無理というもの。多くの中立貴族らはそう考え、また国民も概ねそう見ていた。

 結局、ヒュールベインが即位するのだが、ベリゾン派の貴族は怒りを抑えきれず、さらには新体制での不当な処分を恐れて、ヴァルゴンスを擁立し、帝星を離れて、ポートヴェル星系に拠点を移した。同地でヴァルゴンスは「即位」し、正統派フン帝国の樹立を宣言した。これに従った地方の星系政府も20以上に上り、彼らを勢いづかせたが、当面は、実力に訴えるのを控えた。彼らにしても、ヴァルゴンスをしてヒュールベイン派を追い落とし、国家の統一を行うのは時期尚早と考えたのだ。彼らは帝国の中に一定の勢力圏を築いて、時機を待つことにした。

 

 ところで、皇帝となったヒュールベインであったが、彼は体制が固まると、今までとはうって変わって、積極的に動き出した。

 自分の擁立に動いたハフトン侯爵を輔弼内閣の首相に据えて、他の関係者も相応の地位につけ、さらに爵位を上げたり、領地を増やすなどで功に報いたわけだが、それでハフトンらが満足すると、ヒュールベイン帝は、新たに貴族や平民から人材を登用するようになった。そのための直属の組織、皇帝官房人事局が設立された。

 ハフトン首相らは、これを宮中の人事に関する部署だと考え、皇帝もそう希望を述べたため、さほど重要視しなかった。

 ところが、ヒュールベイン帝は、単に宮中の行事や事務を担う人材として集めたわけではなかった。もっと幅広い知識、柔軟な思考力、行動や責任感を兼ね備えたメンタルの持ち主を集めたのである。

 彼らは、表向きは宮中の諸役の地位を与えられ、肩書はそれを名乗ったが、実際の仕事は、帝国のあらゆる問題を収集し分析し対策を考える頭脳部隊、すなわち情報機関であった。その構成は、組織最大時で、伯爵が2人、子爵・男爵の下級貴族が25人、平民64人からなっていたように、どちらかと言うと低い身分の者が主体であった。

 彼らは最初のうち、情報収集と分析を中心に活動していた。

 分析が終わるごとにまとめられ、宮中に持ち込まれた量子コンピュータに保存されると同時に、ヒュールベイン帝も同席しての秘密の説明会が行われた。

 そして、分析の終わったテーマは、順次、対策の検討に入った。

 対策案がまとまると、再び皇帝列席の説明会に諮られ、そこで結論が得られると、実務フェーズ案件として処理された。

 実務フェーズ案件となったものは、一旦保留されたのち、対応省庁や軍、その他の行政機関に仮想的に割り振られた。そして、頃合いを見て、皇帝の側から、輔弼内閣へ提案が為された。

 それまでのんびり栄耀栄華を楽しんでいた内閣の貴族らは、いきなりトップダウンで重要な政策についての指示を受けたのである。

 しかもこの時点で、各省庁機関、および軍務省には根回しが進められており、あとはいつでも、実行に移せる状態にあった。

 ハフトンらは、最初驚き、ついで腹を立てた。

 当然だろう。自分たちのあずかり知らぬところで、勝手に話が進められていたのだから。

 だが、それを進めたのが皇帝であり、しかも自分たちが想像もできないほどに詳細に行われていたことで、彼らは何も言えなくなった。

 事実、御前会議の席で、皇帝に具体的な説明をされた上に、意見を求められたハフトンらは、何一つ答えることができなかった。そもそも皇帝の喋っている内容が理解できなかったのである。

 皇帝は自ら提出した案件を、輔弼内閣の承認という形式を経て、自ら裁可し、控えていた各省庁・軍部の担当者に直接命じて、実行に移させた。

 過去長く続いた、行政専門家である輔弼内閣の閣僚らがまとめた政策案を聞いて皇帝が承認をする、という伝統的政治とは全く正反対のことをしたのである。

 すなわち親政である。

 以後も、ヒュールベイン帝はこれを続けた。

 輔弼内閣は、ただもう、指をくわえるだけで何も出来ない形式的な存在となった。これはある意味、酷い恥晒しでもあった。毎回の御前会議は、皇帝の説明に、首相以下閣僚らが低姿勢で頭を上下させるだけの場であり、各省庁や軍部では、これを嘲笑する風潮が広がった。

 御前会議が行われる毎週水曜日には、暗い顔をした閣僚らが車に乗って宮中へ集まってくる。人々はこれを「皇帝陛下御覧、道化たちの水曜会」と陰口を叩いた。

「明日は水曜会でございますか、これはこれは、ご苦労様でございます」

「毎週、陛下のご講義を拝聴できるとは、お羨ましい」

 などと貴族たちは、閣僚に会うと皮肉たっぷりに声をかけたりした。

 閣僚らにとっては苦痛以外の何物でもない。

 とうとうハフトンらは、自分たちの背後にいる黒幕、ド・ブイーター公爵、ブデイトー侯爵、ニヨー侯爵らにすがりついた。これはもう、皇帝陛下のいじめです、耐えられません、と。

 黒幕の貴族たちは、ハフトンらのみっともない態度にも顔をしかめたが、それ以上に、皇帝が何を考えているのか、不安に苛まれた。

 彼らの頭によぎったのは、一人の人物のことだった。

 ベリゾンである。

 全て自分で取り仕切り、貴族など省みもしなかった救国の英雄。

 ヒュールベイン帝のやり方は、どこかべリゾンを思わせるものがあった。

 とうとう、ド・ブイーター公爵は、宮中に参内し、皇帝陛下と直に話し合ってみることにした。

 数時間後、宮中から退出したド・ブイーター公爵の顔色は血の気がなかった。

 その夜、彼らは公爵邸に集まった。

 そして公爵から、皇帝の真意を聞かされた。

「皇帝陛下には、ベリゾンの亡霊が宿ったのだ」

 公爵はそういう表現をしたと言われる。

 非常に皮肉な話であるが、ヒュールベイン帝が理想としたのは自分を帝位から遠ざけたベリゾンであり、その政治思想であった。ベリゾンの政策的後継者は暗殺された息子のザールヴァンだったが、ザールヴァン帝は皇帝位も貴族階層も必要だと考えていた。一方、ヒュールベイン帝は地位の形式ではなく、実質の権力に地位はくっついてくると考えていた。貴族など能力がないなら廃止してもよい。そこまで考えていた。

 つまり、ベリゾンの思想的後継者はヒュールベインだったのである。

 しかし、権威にすがりつく貴族層はこれが理解できなかった。

 ヒュールベインのこの親政政策は、彼を擁立した貴族らにとっては受け入れられなかった。

 ヒュールベインを皇帝にしたのは、ザールヴァンを即位させた保守派だったが、皇帝が皇帝官房に集めた貴族や平民は改革派だった。それはポートヴェルに拠点を移したベリゾン派よりもベリゾンの意志を受け継いだ開明的な集団だった。

 彼らからすれば、ベリゾン派と保守派は、同類でしかなく、守旧的な連中だった。それぞれの貴族は、自分たちの都合で皇帝を選んだのであり、皇帝の思想は関係なかった。

 保守派は、本来保守的な思想のザールヴァン暗殺に加担して、開明的な思想とは知らずにヒュールベインを擁立し、ヒュールベインの政策に驚いたのである。

 これもまた、ベリゾンが考えたように、皇帝というのは実は絶対のものではなく、臣下にとって必要かどうかという一点で存在価値がある、という具体例の一つだっただろう。逆説的な具体例ではあったが。

 ヒュールベイン帝は何度も臣下と対立しながら、政策を推し進めた。それによって復興は進み、もはや「戦後ではない」と人々は賞賛するようになった。

 レラミー皇太后も、息子の思想を実は容認していたらしい。密かに愛し、そしてその死に関わったとも言われる男の思想を、息子が受け継いでいたからだろうか。あるいはそのために、ヒュールベインは実はベリゾンの子供なのでは、という俗説すらある。

 いずれにしろ、その辺の事情、心理は、保守派の貴族らにはわからなかっただろう。

 一方、ヴァルゴンスを擁立したポートヴェルの正統政府には、保守派に対する反発から加わったものも多く、その中には開明的な思想のものもいた。彼らは正統政府の守旧な現状に不満を持っていたが、ヒュールベイン帝の思想を知らず、ただ皇帝と貴族らが対立しているらしいという情報を手にすると、攻勢に出た。それに対して、ヒュールベイン帝は講和を呼びかけ、同時に軍部に防衛戦を命じた。敵地へ侵攻はしないが、侵攻してきた敵は徹底的に叩くように、というのである。

 そうして何度かの内戦を経るうちに、両方の支持者の中から、実は「相手陣営のほうが自分の思想に合う」ということに気づき始めるものが出てきた。

 こうして、権力闘争や、個人的な人間関係の対立は複雑な様相になり、裏切りや寝返りが続出するようになり、徐々に入れ替えが進んでいった。

 分国のうち残っていた3カ国も、かつての原理的な反帝国主義が薄れて、両派の争いにうまく加担して、勢力を伸ばそうと暗躍するようになった。

 結果、誰がどの陣営に属しているのか、訳がわからなくなる事態に陥った。貴族層の間では疑心暗鬼が広がり、ヒュールベイン帝の開明政策の後押しをする皮肉な展開にもなった。

 それに伴い、実質的な戦闘は殆ど無くなった。勢力の末端同士が起こす抗争、小競り合い程度の事件が多くなり、内戦は徐々に消滅の方向へと進んでいった。

 ついには、ハフトン首相がポートヴェル政権に亡命するという大事件が起こり、これを機会と捉えたヒュールベイン帝は、ハフトン内閣を総辞職させ、あらたに実務的な内閣を編成し、皇帝官房に雇っていた人々をそちらへ移した。首相にはロルスベル子爵が就いた。ちなみにハフトンは亡命間もなく死亡しているが、怨恨のあった貴族から銃撃されたと言われている。

 勢力図は書き換えられ、ヒュールベインは思想的に近い開明派貴族を重用し、彼のもとに開明派が集まって宮廷と政府を構成するようになり、一方、地位を失った保守派貴族は、ヴァルゴンスのもとに集まっていった。

 こうしてヒュールベイン帝政権は安定期に入った。

 だが、事態は更に変わっていく。

 もともと貴族層には保守派のほうが数も多く、その相関関係も広い。

 そのためヴァルゴンス側には、保守派だけでなく現状維持の中立派の貴族層も集まるようになった。その中には、地方の領主、豪族らもおり、自然とそれらの星系政府はヴァルゴンス派へと集まるようになる。

 それでもヒュールベイン帝が精力的に動いている時期には、まだ中央政府は圧倒的な力を持っていた。

 だが、見えない部分でヒュールベイン派は帝都以外の影響地域を縮小し、ヴァルゴンス派の勢力は、保守派の領地が多い主要地域の実効支配を強めていくことになった。

 事態が変わったのは、皇帝に対し影響力のあったレラミー皇太后が亡くなったことだろう。

 心理的衝撃が大きかったヒュールベイン帝は、病がちになり、徐々に気力を弱まらせていった。それほどまでに、母親の影響が強かったといえる。

 そして皇太后に続くようにその1年後にヒュールベインも病気で死去したのである。

 開明派の力は大きく損なわれた。

 この機会を狙って、ついにヴァルゴンスは大挙攻勢に出て、雪崩のごとく連勝を収め、首都をポートヴェルから旧都フンベントへ遷した。情勢は逆転したのである。この頃から、彼らは「正統政府」とは言わなくなり、そう言っていた過去をなかったかのように取り繕い始めた。「正統政府」という表現が、逆にいかにも亜流のようなイメージに見えたからだろう。

 ヒュールベイン帝のあとを、皇太子オウトーが即位を宣言して皇帝になったものの、もはや孤立する帝都を維持することは難しくなっていた。

 勢いが付く方に世間も味方する。

 オウトーは、側近や、開明派閣僚らに意見と対策を求めたが、開明派というのはこういう事態になると意外に弱く、明確な対応策を出せなかった。

 そんな中、近衛軍のボイルー大佐らを中心としたグループが、遷都を進言した。

 深刻な内戦になって傷つく前に、中央政府を放棄し、その代わりに、地方で地盤固めをすれば、いくらでも再起の機会はある、というのである。反対意見も出たが、オウトーはそれを受け入れた。

 こうして、皇帝が帝都を放棄するという前代未聞の事件が起こる。オウトーらはそのまま、辺縁地域に近い惑星ランズドーバーに「遷都」した。ランズドーバーは帝国圏の主要地帯からは外れているが、辺境域の交通の要衝であり、人口も80億人以上住む惑星である。ここではまだ、開明派の力は維持できた。帝国圏の4分の1ほどを支配しつつ、彼らは復権の機会を探ることになる。

 両統迭立時代は、こうして形を変えて続くことになった。


 一方、入れ替わりにヴァルゴンスがフンベントから帝都に移る。

 ヴァルゴンス派は、オウトーの即位を無効とし、ヴァルゴンスを皇帝にしようと工作を始めた。正統政府ではすでに皇帝を称していたのだが、ついに中央政府の権力も握ったのだから、うさんくさい響きの「正統政府」ではなく、正当の帝国皇帝にしようというわけである。そのためには色々手続きも必要であった。

 ところが、彼らの間で、誰を歴代皇帝として定めるかで意見が分裂した。

 ヒュールベインも無効とし、ベリゾン、ザールヴァン、ヴァルゴンスを歴代皇帝にすべき、という意見と、グレンブル、ヒュールベイン、ヴァルゴンスを歴代皇帝とすべき、という意見、さらにグレンブル、ザールヴァン、ヴァルゴンスを歴代皇帝とすべきだという意見に、大きく三分した。

 保守派にしてみれば、思想的にはグレンブル、ザールヴァン、ヴァルゴンスと近い。しかし保守派にとって重要な要素でもある血統で言うと、グレンブル、ヒュールベイン、そして今は敵対勢力であるオウトーが血統で続く。

 逆にザールヴァン、ヴァルゴンスの思想的に近い二人の血統を遡れば、思想で異なるベリゾンに至るというわけで、彼らの間では意見が錯綜した。またベリゾンは帝位には就かなかったがその死後も国民の人気が高いので無視はできない。さらにヒュールベイン帝の時代に勢力が入れ替わったため、皇帝はどっちの勢力にも関わっている。

 中には、グレンブル、ベリゾン、ザールヴァン、ヒュールベイン、オウトー、ヴァルゴンスのすべてを皇帝としては、という意見もあった。オウトーが入っているのは、彼の形式上の正統性を認める代わりに、オウトーからヴァルゴンスへ帝位が移ったことにすれば、ヴァルゴンスの地位問題も解決すると考えたのである。

 だが、紛糾に紛糾を重ねた会議は、オウトー派の軍勢が攻勢をかけてきた、というニュースによって終わった。

 オウトー軍は撃退したが、これによって、オウトーの即位は無効、という意見が高まり、結局、18代グレンブル帝の後は、救国の英雄ベリゾン大公が19代、ベリゾンの後を継いで帝位も復活させたザールヴァン帝が20代、暗殺されたザールヴァンに代わって帝位に就いたヒュールベイン帝が21代、ヒュールベインの死後、即位したのがヴァルゴンス、ということで決着に向かった。

 正式な即位式の準備も進められ、ようやく新体制が始まる、と人々は思った。

 ところが、この矢先、一大事が起こる。

 ヴァルゴンスが不慮の死を遂げてしまったのである。

 それも、実に困ったことに、側室でもなんでもない愛人と同衾しているさなかに突然死したのだ。露骨な言い方をすれば、腹上死。すなわちセックスの最中に、おそらくは心臓に何かの問題が発生し、急に苦しみだしたかと思うと、そのまま短時間で絶命してしまったのである。

 ヴァルゴンスの警護官から緊急連絡を受けたヴァルゴンスの側近らは青ざめた。

 この大事な時に、なんてことをしてくれたんだ。

 その軽率ぶりを批判する意見が広がった。死のうが生きようが、これでは皇帝の資格はない。

 事態は秘された。

 せめてこれが側室との同衾であれば、と思う臣下も多かった。

 どういうことか。

 皇帝やそれに近い権力者だと、女もとっかえひっかえであろう。

 そう庶民などは思うだろうが、実は、権力者にとって、皇位継承に直結する妻女の存在は、自由には決められないのだ。側室制度はあるが、これは単に気に入った女を閨房に入れるということではなく、正室を筆頭とする後宮のシステムに組み込むことを意味した。

 だから、側室を迎えるときは、政治的配慮や、遺伝上の問題などを調べたうえ、さらに皇帝から皇后、皇后が存命でない場合は、後宮筆頭の側室へ新しく人を入れる旨の説明を行い、その管理のための了承を得た上で、その差配によって、女性を後宮に入れるという手順が必要であった。そうやってようやく、閨房での初夜を迎えられるのである。

 ところが、ヴァルゴンスは皇帝ではなかったため、後宮制度が不十分であり、彼自身も正室に内緒で複数の愛人をこさえてしまっていた。

 しかも、腹上死した際の相手が、どこで知り合ったのか、庶民出身の高級娼婦だったのである。名をゼーシカ・ヴェニーツェと言った。この名は本名かどうかわかってないが、記録にはそう残っている。その出自もわかってないが、高い身分ではなかったというのが定説だ。高級娼婦は、専門の仲介業者を経て大商人や高級官僚、下級貴族などを相手にするため、正統政府時代のどこかで関わりができたのやもしれない。

 皇帝の死因について、その女ゼーシカに何かしらの罪があるとはいえなかった。彼女に殺す意志はなく、具体的な凶器もなく、遺体に殺害の痕跡もなく、様々な検査でも、彼女との行為の最中の病死以外特定できなかった。セックスをしたことが死につながったとしても、それは意図したことではない。また彼女の出自、身分、現在の職業についても、人生、人それぞれといえば、追求するほどのことでもなかっただろう。

 だが、皇帝が腹上死したとなれば話は別である。

 気の毒に、ゼーシカは、怯えて泣き叫び、慈悲を乞うも、貴族どもの手で無残に縊り殺されてしまった。

 彼女はヴァルゴンスの身分を知っていた。だから彼女なりに、色んな将来の薔薇色の夢も描いていただろうが、それは潰えてしまった。もっとも、ヴァルゴンスが即位したからと言って、彼女を後宮に入れたかどうかはわからない。

 ゼーシカを始末したことで不祥事を隠し、あとはヴァルゴンスの死をどう取り繕うか、そのことに頭を悩ませていた貴族たちであったが、この話は瞬く間に広まり、貴族だけでなく一般庶民の耳にも達してしまった。

 さらに悪いことに、ゼーシカが、ヴァルゴンスとの関係を自慢気に言いふらしていたらしい。

 貴族層は、やむなく、ヴァルゴンスの病死(これは事実だが)を発表した上で、「世情に広まる根も葉もない噂は、庶民の下世話な創作にすぎない」と否定し、ヴァルゴンスは死の前に、「自身は病身であるがゆえ、皇帝たるにふさわしくない。そこで三男のテリオットを後継者に指名した」という<遺書>をしたためていた、と発表した。

 こうしてテリオット・インドクヴァル・ベンザール・アバドン・ロード・ハンバルサード・バス・バロンティ・ド・フンダが即位するのだが、不可解さが残る。お盛んだったヴァルゴンスがそのような遺書を残すとも思えず、また、なぜ長男のエーヴィントや次男のロースバーでなく、まだ年少の三男のテリオットだったのか、という疑問もある。

 陰謀めいた様相である。

 さらに、テリオットが即位してまもなく、兄のエーヴィント・オーギュスト・ロズワール・ロード・ロイエルト・ヴェリアン・グワノ・ド・フンダは、父の死を悲嘆するあまり、病気になって、まもなく死去した、という実にうさんくさい内容の発表がなされた。次男のロースバー・アスタロト・ロルアン・ロード・オリベスト・ユフアンヌ・ベルデ・ド・フンダは、テリオットによって領地替えが為され、オリベスト公から、オージル大公として家格を上げられた上で惑星ポートヴェルのオージル地方に移された。彼は帝都をひっそりと去り、そして、オウトー派に惨敗したグリモンティス星域海戦で戦死したとされている。

 誰もが、この一連の話を素直には信じなかった。

 やがて、この話には尾ひれがついていく。

 高級娼婦だったゼーシカは、実はオウトー派の女スパイであり、帝位を簒奪しようとするヴァルゴンスを暗殺したのだと。

 さらに話は膨らみ、ゼーシカは、ヴァルゴンスを暗殺したのだが、その前に、ヴァルゴンスの長男エーヴィントと恋仲になり、エーヴィントも父親に反感を持っていたため、即位はせず二人は逃亡。追手を逃れてオウトー側に寝返り、帝国辺境に逃げ延びた、というのだ。エーヴィントも死なず、ゼーシカも殺されなかった、ということになる。ゼーシカの毒殺は、ヴァルゴンスの死に際をごまかすために、いなかったことにされたため、その死の状況も、遺体も、秘匿されており、謀殺された確たる客観的証拠は残っていない。わずかに関係者の個人的な日記などに記載があるだけだ。だから、哀れな女に対する同情が、そういう話になったのだろうと言うわけである。

 そしてゼーシカに横恋慕していたロースバーは、兄から彼女を奪おうと躍起になり、そのためにオウトー側に無謀な戦争を仕掛けたが、グリモンティス星域海戦であっけなく敗北し、戦死した、という。

 いずれも創作の領域を出ないが、それだけ人々の脳を刺激する出来事だった。真実は今もってわかっていない。

 ヴァルゴンスは、正統政府の「皇帝」だったはずだが、この最後の不祥事が仇となり、結局皇帝として数えられることはなく、王でも大公でもない、ポートヴェル公ヴァルゴンスとして歴史に記録されている。

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