レラミー皇后伝 -思情交錯/悪女の時代-

 21代皇帝となったヒュールベインは、18代皇帝グレンブルの長男である。しかし、大戦での功績と、戦後の立て直しのため、叔父のベリゾンが権力を握ったことから、グレンブルは退位し、ヒュールベインは皇太子から外された。

 ベリゾンは帝位に就かなかったが、その後をベリゾンの子、すなわちヒュールベインのいとこに当たるザールヴァンが継いで帝位に登った。

 ベリゾンが暗殺されたことで、グレンブルが復位するかと思われたが、そうはならなかった。支持を得られなかったからだけではなく、本人にその気がなかったからだ。

 息子の目から見ても、グレンブルは本当に元皇帝だったのかと首を傾げるほど、覇気のない人物だった。

 ヒュールベインの母親レラミーは、そんな男のもとに嫁いできた。

 レラミーは大貴族チュベ侯爵家の出身だった。

 正確に言うと、チュべ侯爵家の分家デオール子爵家の生まれなのだが、娘がいなかった侯爵の養女となって、皇太子時代のグレンブルの元に嫁いできたのである。

 しかも、当初の話は、グレンブルではなく、弟のベリゾンの妻となるはずだった。

 そしてグレンブルの妻となるはずだったのが、後にベリゾンの妻となり、ザールヴァンを産んだ、ドーレンザーヌ伯爵家の娘マイラであった。

 つまり后候補が入れ替わったのである。

 言うまでもなく、チュべ侯爵による工作の結果であった。

 なぜ、皇太子妃が伯爵家の娘で、弟のほうが侯爵家の娘になるのだ、というわけである。実際には、子爵家の娘なのだから、当然のようにも思えるのだが、養女にしたうえで侯爵家の一員として嫁がせるわけだから、当然、皇太子妃となるのがレラミーであり、ベリゾンの妻はマイラとなるべき。

 チュべ侯爵の考えはそういうことであり、言うまでもなく皇后の実家として権力を握ることも考えていたのだから、各方面に協力を頼んで、イノドロー帝に働きかけた。

 マイラが皇太子妃だったのは、ドーレンザーヌ伯爵がイノドロー帝と若い頃からの知人だったからで、深い意味合いはなかった。それゆえ、イノドロー帝は、チュべ侯爵の訴えに対し、それほど反対する理由もなかった。

 工作は功を奏し、レラミーがグレンブルに嫁ぐことになり、マイラがベリゾンに嫁ぐことになった。

 ところが。これに一番ショックを受けたのが、レラミーだったことを誰も知らなかった。

 実は、レラミーはベリゾンと以前から顔見知りで、しかも好意を持っていたのだ。だから当初は、この結婚に夢を抱いていた。形式的には政略結婚とはいえ、密かに想う相手に嫁げるのであれば、理想といえよう。

 その期待に眠れぬ夜を過ごしたほどだった。

 それが一転して、皇太子グレンブルの方へ嫁ぐ話に変わってしまったのだ。

 レラミーはグレンブルのことも知っていた。ベリゾンの兄ながら、なんと面白みのない人だろうと思っていた。その相手と結婚するという話になったのである。

 レラミーは当然嫌がった。

 侯爵は、レラミーが嫌がる理由がよくわからなかった。ベリゾンの時は特に嫌がっていなかったからだ。侯爵にしてみれば、レラミーがベリゾンとの結婚を受け入れていたのは、相手が皇族だったからだと思っていた。だから、皇太子との結婚に変わればもっと喜ぶと思っていたのだ。

 そうじゃない、私はベリゾン様のことが好きなのです。

 内心そう叫んでも、彼女は口には出せなかった。

 そのために、誰も説得できなかった。

 期待に胸を膨らませていたのが、今度は絶望に胸が塞がれる日々を過ごすことになった。

 ある日の夜、彼女は決意して、密かに、ベリゾンに会いに行った。

 ベリゾンは会ってくれた。

「私を連れて逃げてくださいまし。どこか、遠くの星へ」

 そう訴えたレラミーに、ベリゾンは苦悩の表情を浮かべた。

「私も、あなたと結婚するものとばかり思っていた。その日々を思って楽しみにしていたのだ」

「でしたら、このまま……」

「それは出来ぬ」

 その一言がレラミーの胸を突き刺す。

「な、なぜでございます」

「私は、皇族として、国のために、父上や兄上のために、国を背負う覚悟で生きていくことを決めたのだ。そのために軍人となった」

「それが……」

「国を捨てることは出来ぬ。それに、父の意に逆らって、私心を押し通すことも出来ぬ」

「そ、そんな……」

「勝手なことは出来ぬのだ。それは自分をも裏切ることになる」

 レラミーにとって、それは身勝手な言葉に聞こえた。

「貴方様はそれで良くても、私の想いはどうすればよいのです」

「すまぬ。わかってくれ。決まってしまったことなのだ」

 そう言って、ベリゾンは目を背けた。

 それがレラミーにはますます辛かった。それならいっそ、嫌いになったから、と言われたほうがいい。

「兄は、次期皇帝となる人だ。そして優しい人でもある。きっとお前を幸せにしてくれる。そのほうがお前のためでもある」

 その言葉は、何の慰めにもならなかった。むしろ、怒りに似た感情すら浮かんだ。

 この人は、本当は私のことをどう思っているのだろう。

 そして、自分と入れ替わりに結婚する予定のマイラのことはどう思っているのだろうか。

 そのことを聞こうと思って、どうしても聞くことが出来なかった。

 ベリゾンは車を呼んだ。

「私とのこと、今一度お考えいただけないのでしょうか」

「許してくれ。これ以上は、あなたをもっと傷つけてしまう。ここで別れよう。それが私達のためでもある」

「嫌です。私は諦められません」

「すまぬ。こんな時代でなければ、こんな立場でなければ、私はそなたの望むようにしただろう」

 やってきた車にレラミーを乗せると、車に行き先を命じて、ベリゾンはレラミーに言った。

「さようなら。君のことは忘れない。君のいるこの国を、私は守っていく」

 車はベリゾンの元から走り去った。

 その後、展開は皮肉さを伴って推移していく。

 グレンブルとの結婚が進められ、レラミーは気持ちを殺して嫁いだ。華燭の式典にはベリゾンも出席したが、一度も目を合わせなかった。その初夜は苦痛に満ちたものでしかなかった。

 まもなくベリゾンもマイラと結婚をしたが、式はささやかなものであった。レラミーも皇太子妃として出席したが、やはり目を合わさなかった。ベリゾンとマイラは幸せそうに見えた。

 グレンブルは皇帝に即位し、レラミーは皇后となった。

 父親のチュべ侯爵は大喜びしたが、レラミーは実家のために便宜を図ろうという気持ちが一切起こらなかった。父親が宮中に参内しても、会おうとはせず、父親から一族を要職につけるべく皇帝にとりなして欲しいという依頼が来ても、無視を決めた。業を煮やした父親が、皇帝に「娘と会う許可をもらう」という方法で、会いに来た。娘をなじる父親に一切口を利かず、父親のほうがだんだん不安になって、「お前は何をそんなに怒っているのだ。なにかあったのか?」などと愚問なことを聞いてくる始末だった。

 まもなく、夫との間に息子が生まれた。

 いくら皇帝とはいえ、好きでもない男の子供である。

 しかし生まれた赤子を見て彼女は不思議な気持ちになった。

 愛しいと思ったのである。

 夫に対しては相も変わらず、なんの感情もわかなかった。

 腹を痛めた自分の子供、ということが、母性本能を刺激するのだろうか。

 不思議な気持ちに理屈をつけようといろいろ考えているうちに、徐々に、我が子の運命というものを思うようになった。

 この子は、皇帝の子であり、いずれは皇帝になる定めなのだ。これこそ天命というものだろう。そして自分は、この天命の子を産むために生を受けたに違いない。

 そう理屈付けるようになった。そしていつしか、それが自分の中でも、真実のように思えてきた。嘘から出た真ではないが、自分で作り上げた理屈を、自分でも信じるようになったのである。

 この子のために、出来ることはなんでもしよう。

 彼女は誰にも言わず、一人決意を固めた。母親としては当然のことだとはいえ、彼女の複雑な心境からすれば、心の変遷に変遷を重ねた末の決断だった。


 まもなく、戦争が始まった。

 当初、宮中の人々は、たかが遠くの国境紛争と、楽観視していた。

 しかし事態は急変していく。

 強大なメリスボーン共和国軍が次々と惑星を攻略して、帝国中央へと侵攻してきたのだ。

 群臣たちは青ざめ、無能な軍部を批判する声が沸き起こった。

 それもやがて沈静化する。群臣らは、この先の運命を考えるようになったのだ。このまま座して帝国と運命をともにするのか、それとも、頃合いを見計らって敵に寝返るべきなのか。人々は不気味に沈黙するようになった。

 未曾有の事態の中、夫は無能ぶりを発揮して帝星に閉じこもり、なにもしなかった。

 いや、することはしていた。

 側室を次々と入れたのである。

 側室自体は制度として認められており、戦争前から、すでに側室はいた。レラミーは皇后としてそれを了承した。夫が浮気をして裏切りだと怒るのは、夫を愛している時であり、そもそもその前提条件がないのだから、側室を持ったところで、不愉快なだけであった。しかし、戦争が始まっても、側室を次々と抱えるのだ。何もこんな時でなくても、という怒りが湧き上がった。よもや嫉妬による怒りではなかろうが、それとも正義感に基づく怒りなのか、自分自身でもよくわからなかった。

 情勢は悪化の一途をたどる。

 旧都フンベントも戦火に飲み込まれたらしい。敵はいよいよ帝都に迫ってくる。

 そういう情報が広まり、人々は再びパニックに陥った。老後の生活を思案している場合ではないのだ。目先の運命をどうするか、急ぎ決断しなければならない。

 逃げ出すものが相次ぎ、宮中は業務が滞るようになった。

 またあわよくば皇帝の首を手土産に敵に寝返ろうと不穏な企みを巡らすものもいた。宮中に残っている貴族や軍人の中にそういう危険な人物がいることは、レラミーにもわかった。

 そんな様相を見ていたレラミーは、ある暗い決断を下すことになる。

 ある朝、レラミーは、サロンに宮内省次官の老伯爵を呼んだ。他には誰もいない。

 呼ばれたフジュ伯爵は、見た目温和で、特段の秀でた才能もない、宮内省の次官がせいぜいの男だと思われていた。

「次官、今日は良いお日和ですね」

 戦火が目前という中で、皇后は奇妙にのんびりとしたことを言った。フジュ伯爵は笑顔を一切変えることなく、ただ眼光だけが変化した。

「さようでございます」

「こういう日は、庭園に狐が出ると聞いたことがありますわ、次官はご存知?」

 伯爵は頭を下げて、眼光を鋭くしながら、

「はい。おっしゃるとおりでございます」

「どのあたりに出るのかしら」

「迷路の東側、灌木の中に、一本だけ生えている大きなフランベルの樹をご存知でございますか」

「ええ、あの不思議な匂いのする木でしょう。もともと地球に生えていた樹が植民とともに宇宙に広がり、徐々に変化したのだと聞いたことがあるわ」

「おっしゃるとおりでございます」

「その樹が?」

「狐も好みます。根本の傍らなどに現れますゆえ、十分、ご注意の程を」

「ありがとう、次官」

 フジュ伯爵は頭を下げたまま、静かに離れていった。

 頃合いを見て、レラミーは庭園へ出た。

 作庭の意匠として作られた、背の低い樹木で出来た巨大な迷路があり、その向こう側に大きな一本の木が生えている。迷路を抜けて、その木のそばまで来ると、庭師の男がいた。

 男は、皇后の姿を見て、腰をかがめた。

 他に人はいない。

 レラミーはやや眉をひそめたが、男のそばまで来ると、男の方は見ずに、

「狐か?」

 男は「はい」と小さく答えてうなずき、そしてつぶやいた。

「どなたを」

「皇帝陛下の第二夫人、アマルデ」

「はっ」

 内心を勘ぐりされはしないか、そんなことを気にしていたが、もうここまで来ると心も固まるというもの。

「それと知られぬように。できれば病に見せかけるがよい」

「わかりました」

「うまくいけば、順次、他の者の名も伝える。……ここで良いのか?」

「場所も、人も変えます。つど、伯爵様にお話を」

「わかった」

「では」

 そう言うと、庭師の男はすっといなくなった。

 

 第2夫人アマルデは、オデイ侯爵家の娘である。園遊会で皇帝の目に止まり、正式に側室として迎えられた。レラミーが皇后となってわずか2年後、まだ戦争が始まる前のことだ。当時、彼女は17歳であった。

 彼女は俗物的な女だった。

 権力欲などは乏しいが、金銭欲、物欲、そして肉欲は人一倍な人間だった。

 可愛らしい顔をしており、性格も子供のような無邪気さが同居しているようなところがあり、よく言えば天真爛漫にも見えるが、欲深なための残忍な部分もあった。なにより、その欲を抑えきれないところからくる、どことない品の無さが、レラミーにとっては不快極まりなかった。少なくとも長い歴史と伝統、格式を持つフン帝国皇帝家にはふさわしくない女性であった。

 これでも侯爵家の娘なのか。

 レラミーにはむしろそれが不思議でならなかった。

 レラミーをさらに不快にさせたのは、アマルデがその肉欲を抑えきれず、不義密通に及んでいるらしいことを知った時である。

 その情報は宮内次官のフジュ伯爵からもたらされた。

 フジュは宮内省の次官であると同時に、皇后秘書室の担当官長でもあった。彼の職務は、皇后に尽くすことであり、皇后のために情報をもたらすのはその一環でもあった。もちろん、皇后のために暗躍する「狐」を影で動かすのも彼である。温厚なその仮面の下に、彼の本当の姿があった。

 フジュよりもたらされた情報は、概略以下の様なことであった。

 アマルデの相手をしている男は、宮中の物品を扱う部署に雇われている作業員だという。平民らしい。宮中にももちろん、男の出入りは多い。ただし、奥深くへ立ち入れる人物は限られている。平民ではとうてい無理だ。

 ではどこで、アマルデはその現場で働く庶民の男と知り合ったのか。

 その男は、現場の肉体労働も多いことから体格が良く、顔立ちも良い。しかもどこで調べたものか、巨根の持ち主だという。巨根だからといって、いわゆる床上手かというと、一概には言えないだろうが、どうもその男、その道の訓練を受けていたらしいという。

「どういう意味だ?」

 こういう下世話な話は聞くのも嫌だが、報告の意味がわからずレラミーは問い返した。

「要するに、アマルデ様を満足させるために、用意された男のようです」

「用意された、だと?」

「はい」

「つまりなにか? 第2夫人は、たまたま宮中で働く男と知り合って密通したというのではなく」

「はい、彼女のもとに送り込まれた男の正体をごまかすために、男を宮中の職務につけたというわけです」

「なんという……、それで、誰がそのようなことを」

「おそらくは、アマルデ様の近親者」

「……オデイ侯爵だというのか」

「あるいは、アマルデ様の実兄で、オデイ家嫡男のロブソム様かと」

「なぜだ。皇帝に知られたら、第2夫人はおろか、オデイ家もただでは済まぬだろうに。わかってないのか?」

「おそらくアマルデ様の欲の深さを知り、アマルデ様が突発的に不祥事を起こすよりは、オデイ家の方で制御できる不祥事にしたほうが良いと判断されたのでは」

「ばかな」

「相手の男は、その制御も言い含められている様子。また、皇帝陛下はお人が良いため、アマルデ様が大っぴらに愚行に走らなければ、気づかれることはないと踏んだのでしょう」

 皇后は胃酸が逆流したような胸の悪さを覚えた。

 いずれなんとかしないと、これが露見したら、皇帝という権威にも関わる。我が子の将来にとって重大な問題だ。

 戦争が始まり、戦局が悪化するに連れて、皇帝の威信は低下をたどり始めた。皇后にとっては、いよいよアマルデの存在を消さなければならないと考えるようになったのである。

 「狐」に命じてから数日、皇后が落ち着かない日々を過ごしていると、第2夫人アマルデが急死したという情報が届いた。その日の朝早く、後宮にある寝室で死亡しているのが侍女によって発見されたのだ。

 アマルデの死因は病死と判断された。心臓の障害ではないか、という。診断した医者に対しては、特に何も工作していないので、真に病死と思われたらしい。「狐」の手腕に、皇后は戦慄を感じるほどだった。

 アマルデの死を知った皇帝は、ひとこと「そうか」とつぶやき、「丁重に葬るが良い」とだけ言った。そのそっけない態度は、レラミーにとって驚くほどのことではなかった。自分が嫁いだ夫はそういう人間なのだ。

 さらに密かに情報が届いた。

 アマルデの密通相手の男も、行方不明になったという。こちらは表向き大した地位にはなかったため、この混乱の情勢では、誰も注目しなかった。おそらくは、遺体も発見されないだろう。しかしオデイ家では、娘の突然死に続き、密かに送り込んだ男も行方不明になったと知れば、何かの「裏側」を想像して不安に苛まれているところではないだろうか。

 レラミーは、その工作の確かなことを理解し、「狐」に次のターゲットを伝えた。

 第3夫人リアレである。アルファシオン伯爵家の出身である。美人の誉れ高い女性だった。

 側室の中では最も権力欲が深い女であった。彼女は、宮中に来た当初は、皇后であるレラミーに擦り寄っていた。その本性に気づくまでは、レラミーも彼女に優しく対応していた。ところが彼女は男の子を産むと、今度は本性を露わにして、次の皇帝を我が子にしようと皇帝に取り入るようになった。第2夫人アマルデには実子はいなかったので、この時点でリアレのライバルは、皇后ということになる。そのため、彼女の態度は一変し、レラミーは驚きを隠せないと同時に、その本性を知った。

 リアレの頭にあるのは、次の帝位だけだ。息子にその地位を継がせる。それだけを考えている。その点ではレラミーと似ているが、異なるのは、リアレが、情勢を全く理解しようとしていないことだった。今は、宮中で権力闘争をしている場合ではないはず。なのに彼女は、露骨にレラミーに対し敵対的態度を示してきた。

 本来は彼女を最初に「処理」しようと考えていたが、リアレが産んだまだ幼い子供のほうをどうするかで迷ったのだ。子供に罪はない。また、リアレは、権力欲があるだけに、警戒心も強い。だから「狐」がうまくやれるのか自信がなかったこともある。

 アマルデが「綺麗に」殺されたことを知って、レラミーはリアレの暗殺も決意した。その際に、子供の方も殺害するよう示唆した。とはいえ、子供を殺せと命令するのはいい気分ではない。

 だが、決心は揺るがなかった。

 子供を生かしても、結局は争いのもとになる。

 また、言い訳じみているが、母親を殺す以上、一緒にここで死なせたほうが、その子のためでもあろう。悲しんだり、恨んだりという負の感情のもとで生きなくても済む。

 ただ、子供を巻き込む以上、前のように病死に見せかけるのはいささか無理があった。

 そこで「狐」が行ったのは、「事故死」に見せかけることである。これなら親子一緒に暗殺しても、工作のしようがあった。

 またも数日して、ニュースが飛び込んだ。

 第3夫人リアレとその子で第2皇子でもあるローズル・ルラン・クベルテル・ロード・アルファシオン・ブラウズ・フェス・ド・フンダが、感電死する事故が起こった、というのである。

 事故は幼い皇子たちが遊ぶプレイルームで起きた。

 異様な悲鳴が響き渡り、驚いた執事らが駆けつけてみると、部屋は異臭がたちこめ、部屋に備え付けてあったエアコンディショナーのカバーの一部が外れており、そこに親子の遺体が倒れていた。体を引きつらせたような格好で、髪など体の一部が焦げていた。

 状況から、幼いローズルが壁際に設置されていたコンディショナーの電源カバーを外してしまい、感電。それに気づいたリアレが止めようとして一緒に感電死してしまったのだろう、ということになった。電源カバーは簡単に外れるものではなかったが、調べると、古くなっており、留め具が外れて落ちていた。カバーがズレているのに気づいたローズルが、興味本位で開けてしまったのであろう。そういう結論になった。

 当然、設備管理の責任問題が発生したが、レラミーは、その追求を止めさせた。

「情勢は悪化しており、物資も不足しております。宮中の設備の補修もままならない状況。そんな中で起きてしまった事故です。皇帝陛下のお気持ち、そして二人の苦痛を察するに、痛ましい限りでありますが、誰かが罪を負うようなことではありません。今は国難にあたって、みなで乗り越えなければならないときです」

 人々も、やむをえまい、とそう判断した。そして葬儀の日時が話し合われることになった。

 皇帝はまたしても、「そうか」の一言で済ませたので、レラミーはむしろ不気味さを感じた。夫は気づいているのではないか? この事故の裏側を。だが、皇帝は皇后と顔を合わせても、特に表情も変えず、曰く有りげな物言いもしなかった。

 やはりこの男は、何も気づいていない。自分だけの世界にいる人間なのだ。

 数日して、宮中より驚くべき発表が皇族・貴族らに対して為された。

 先の第2皇子と第3夫人の事故死に関して、これは事故ではなく、陰謀だった、というのである。

 そして陰謀の首謀者として、皇帝陛下の第5夫人セザンナが逮捕された。

 罪状によれば、セザンナは、敵に寝返る手土産として皇帝やその一族のお命を狙っていた貴族らに示唆され、皇帝一家が頻繁に訪れる宮中各所に、一種の罠を仕掛けておいた。階段の欄干を外れるようにしてあったり、石像が倒れるように仕掛けてあったり、そしてプレイルームのエアコンディショナーの電源パネルも外しておいた。

 セザンナがそんな大掛かりなことをするだろうか、という疑問もあったが、調査の結果、彼女が設備管理の者を呼び入れて工作していたことが判明した、という。

 その者は消息不明になっており、さらに陰謀の背後にいる、皇帝一家のお命を狙った不届き千万な貴族が逮捕された。

 オデイ侯爵の嫡男ロブソムである。

 侯爵は恐懼しつつも冤罪を主張したが、ロブソムは「自供」したため、セザンナおよび、その実父で陰謀に乗ったグンビル伯爵家当主オゾアともども処刑されてしまった。オデイ侯爵家は取り潰しとなったが、皇后はオデイ一族すべてが関与したとは思えない、として、表向きは皇帝陛下のご意向という形で、ロブソムのまたいとこに当たる人物をしてオデイ伯爵家の再興を許した。

 人々はもはや世も末だ、宮中内部でこのようなことが起こるとは、と嘆いた。

 ロブソムが「自供」したのは言うまでもない。彼の妹で、「病死」した第2夫人アマルデのスキャンダルを皇后側から内々に指摘されたためである。

「あなたが汚名を着るのであれば、オデイ一族を族誅することはしない。それとも、アマルデを含め、一族の醜聞を晒され、歴史に残したいか」

 そう言われて、アマルデの死も含めて、皇后の陰謀を知ったであろうロブソムは、内心の感情を押し殺して、「罪」を認めたのである。第2夫人の密通相手を第5夫人の陰謀の片割れに仕立て上げたのは、ロブソムらにとって皮肉な話でもあった。

 では、第5夫人セザンナが皇帝一家の命を狙っていたのは事実ではなかったのか。

 この陰謀が後世において明るみに出ると、人々は冤罪だと見るようになった。が、実は、陰謀自体はあったのではないか、という説も根強く残っている。

 というのは、第2夫人や第3夫人と違い、第5夫人には、皇后との間に明確な確執がなかったからである。皇后に、彼女を殺す動機がないのだ。

 もしかすると、情勢悪化を受けて怯えたセザンナが、何者かに示唆されて陰謀に加担したのかもしれない。それを皇后に察知され、処理されてしまったということもありうる。当時、複数の貴族が敵に寝返っていたことはわかっており、事実、戦後にベリゾンの手で粛清が行われたことでも明らかであった。グンビル伯爵家が陰謀に関わり、側室である娘を利用しようとしたのかもしれない。

 皇帝には、皇后レラミーと、6人の側室がいた。

 そのうち、第2夫人アマルデ、第3夫人リアレとその子ローズル、および第5夫人セザンナは相次いでこの世を去った。

 残るは、第4夫人エルステラと、第6夫人ウインディーヌである。

 セザンナの事件の後、数カ月は宮中に問題は起こらなかった。一方で、帝国の滅亡は目前に迫っていた。この時期は、ちょうどベリゾンが反撃の作戦を開始しようとしている頃である。

 第4夫人エルステラはクズル男爵家の娘で、皇帝の子供を身籠っていた。胎児は女の子らしいがまだはっきりとはしていない。

 第6夫人ウインディーヌはハフトス子爵家の娘である。最近、後宮に入れられたばかりの少女で、まもなく19歳になる。

 皇后はこの2人の側室に関して、特に行動に移さなかった。

 だが、思わぬことが起こる。

 エルステラが不調を訴えたのだ。

 診断の結果は、妊娠代謝異常であった。妊娠したことで、胎盤からのホルモンが影響し、母体の代謝がおかしくなる病気で、妊婦にとってはさほど珍しいことではなく、重篤に至ることも殆ど無い。

 ところがエルステラには、もともと内臓機能障害があったらしく、母体の代謝異常が、今度は胎児性高ビリルビン血症を引き起こした上、その結果として胎児が発育不全を引き起こしているらしい、ということが判明した。

 それでも、この時代の医療技術であれば、治療法はあった。しかし戦争で物資不足が影響したこと、治療技術を持つ医療機関が、戦火に呑まれた旧都フンベントにあったことなどから、対処できなかった。

 そのため医師団は中絶を勧めた。母体を守るためである。しかし、皇帝や皇后、そしてエルステラ本人の了解が必要である。皇帝はあっさりと了承し、皇后もやむなし、との判断を下したが、エルステラはそれを聞くとヒステリックになり、これは子供を産ませたくない誰かの陰謀だ、お腹の子を殺すなら自分も死ぬ、と騒いだ。ここでいう誰か、というのが、皇后のことを指しているのは明らかだった。エルステラは、他の側室らが次々と不審な死を遂げていく有様を見て、皇后が黒幕だと思ったらしい。

 それはレラミーにとって大きなショックとなった。

 更に大きな衝撃がもたらされる。

 エルステラが精神的に不安定になった結果、流産してしまったのだ。そして皇后に毒を飲まされた、と騒ぎ、見舞いに来た皇帝にまでそのことを訴えた。

 皇帝は、その訴えを否定しなかったという。

 それを密かに次官より聞いた皇后は、皇帝が気づいているのでは、という疑いを再び持った。そうなれば、あるいは自分の息子の将来にも影響するのでは。

 彼女はまたも暗い決断をした。

 エルステラは、その後、ますます被害妄想を悪化させ、異様な言動を繰り返した挙句、4日後に、病室を抜け出し、工芸品として保管されていた拳銃で皇后暗殺を図ろうとした。それに気づいた警備関係者によって彼女は射殺された。拳銃には弾丸は入っていなかったが、エルステラも、警備関係者も気づかなかったらしい。

 皇族や有力貴族ら向けに公開されたその内容は、エルステラの行動面だけ見ればそのとおりであったが、そうなるように何者かが仕向けたかどうかについては謎である。

 

 この国が滅びることはない。

 あの方がきっと救ってくださる。

 皇后は沈んだ気持ちのまま、窓から夜空を見上げた。

 ケプリ=ケプラ星系は、大規模な警備艦隊がおり、まだ共和国軍の侵攻を受けていない。だが時間の問題だろう。

 それでも彼女は、あの方が必ず動く、と信じていた。必ず我らを助けてくれる。

 だが、その暁には、夫は退位し、あの方が次の皇帝となられるだろう。戦争に勝とうが負けようが、我々夫婦の立場はもはやないのも必然だ。

 自分の立場はどうでもよい。

 だが、我が息子だけは救わなければならない。もし可能なら、あの方の後を、その次の地位を継がせたい。

 そのためにも、あの方の体制に邪魔になるようなものは全て排除する。とくに権力欲の強いあの女どもは生かしておく訳にはいかない。我が子のためにも、あの方のためにも。

 その強い動機が、4人の側室の死へと繋がった。

 わたしの罪は重い。許されることはない。

 死ねば地獄に堕ちるのは確実だろうな。

 そう思ってしまう。

 しかも、そこまでしてあの方を影で助けたとしても、あの方が皇帝となれば、その次は、あの方のお子が帝位を継ぐことになる。あの女との間にできた子だ。本当だったら自分との間に生まれるはずだった子、でもそうはならなかった子が。

 あの方の子を排除しなければ、我が子を皇帝の地位につけることは出来ない。

 彼女の思考はそこで止まったままであった。

 それはまだ先のこと。

 今は、この国難を乗り切るのが大事であり、そして国を滅ぼしかねない、愚か者どもを排除することが先決だ。


 側室は残り1人となった。

 第6夫人ウインディーヌである。

 彼女は、この後、行方不明になった。

 当時の記録では、彼女がどうなったのか、明確なものがない。ただ謀殺されたのではないか、という噂があった。そう信じたものが当時はかなりいたと思われる。

 皇后も、ウインディーヌについては何も語らず、皇帝も何故か、何も語らなかった。

 実は、現在では彼女の消息はかなりわかっている。

 ウィンディーヌは殺されたわけではないのだ。

 彼女が姿を見せなくなった前後に、宮中に仕える1人の高官が姿を消した。

 高官はアウガム宮内官房長。40代前半の貴族で子爵の位を持っていた。

 彼はどうやら戦争を避けて辺境へと逃れたらしい。

 そのアウガム次官に一人の女が同行していたという記録がある。

 これがウインディーヌだというのだ。

 さらに、アウガム官房長は帝都を去る直前、宮中に上がり、皇后に会っていたらしいのだ。

 これは当時13歳で侍女として皇后に仕えていた、グローム男爵の娘アーデルハイドが、後に書き残した記録によって明らかである。

 皇后は、その前日、予定なく宇宙港から出発する準備をしている宇宙船の情報を得た。しかもそれが、アウガム官房長が手配したものだと知った。その他にも、色々情報を入手していた。

 皇后は近衛兵に命じてアウガムを連れてこさせた。彼がいよいよ自邸を出て宇宙港へ向かおうかとしているときだった。

 アウガムは覚悟を決めた様子で皇后に拝謁した。

 皇后は言った。

「時間が迫っておるゆえ、回りくどいことはいいません。単刀直入に聞きます。宇宙港に1隻の宇宙船が用意されているようですね。明日の早暁にも出発する予定だとか」

「そういった話は聞いておりませんが、それがいかがされましたでしょうか」

「とぼけたことを。官房長、そなたが準備させたことはすでに調べが付いているのですよ」

「……なんのことでしょう。見に覚えがございませぬ」

「ふん、何を言おうともはや言い逃れは出来ません。それにしても、お前までもが、帝国を見捨てて逃げようとする卑怯者の一人でしたか。わたしにはそれが残念でなりません」

「……」

「それでも、陛下やわたしの首を狙っている者共よりはマシかしら。それとも、より臆病者というべきかしら」

 アウガムが流石にムッとした表情を見せ、何か言おうとしたところ、皇后は機先を制するように、

「いずれにせよ、好きにするがよい」

「え?」

「おまえが、帝国を見捨ててどこに行こうと、わたしの知るところではありませんから」

「皇后陛下……」

 皇后は顔をしかめると、

「さらに言えば、お前がどこに行こうと、どこの誰を連れて行こうと、わたしの関知することではありません。例えば、どこかの愚かな女を連れて逃げようとね」

 アウガムは驚きの表情を浮かべた。

「ま、お前のような卑怯な男には、黒髪の田舎娘がお似合いです」

 彼が宇宙船の中に匿っている女は、黒い髪をした、やや野暮ったいところのある19歳になろうとする娘であった。彼の娘ではない。彼が宮中に仕えていて知り合った、やんごとなき立場の女だった。皇帝の一方的な意に逆らうことが出来ず、宮中に入ったさる子爵家の娘である。父親の出世の道具にされたのだ。

 彼女以外の4人の側室は、あわよくば皇帝の子を産んで、権力を握ろうと野望を抱くか、宮中の贅沢三昧に溺れているような女だった。それが見え見えだった。もちろん、女にとっては、それも一つの道だろう。そういう選択肢が必ずしも悪いとは言えない。だが、これまで独身で、やや潔癖なところがあり、帝室に対するある種の理想を抱いていたアウガムにとっては、それは醜悪に見えた。そんな中で、自らの置かれた運命に悲しみの表情を押し殺して佇むウインディーヌは、全く別の存在に見えた。彼は彼女を支えてやれぬものかと思った。

 戦争により情勢が悪化する中、事件は起こる。

 短期間のうちに、側室らが次々と不審な死を遂げていく。どうも謀殺されているらしい。黒幕は皇后か。

 皇后はこの混乱に乗じて、かねてより不快に思っていた彼女らの排除を決めたのだ。

 側室らのあっけない最期は、アウガムにとっても、当然の報いのように思えた。

 しかし、ウインディーヌは違う。

 彼女は、無理やり側室にされた哀れな立場にあり、権力欲もなかった。

 そんな彼女まで殺されるのはおかしい。

 これがこの帝国の正体か。

 アウガムは失望に似た怒りを禁じ得なかった。

 もともとアウガムは、臣民として帝国を見捨てる気など全く無かったが、彼女を連れてどこか異国にでも逃げようかと考えるようになった。時間はあまりない。敵の魔の手が来るか、皇后の魔の手が来るか、いずれにせよ、彼女の運命はまもなく決する。

 彼は、自分の立場を利用し、混乱する中で、民間の貨物船を徴発し、偽の運行計画書でもって、逃走を図ろうとした。だが、焦りすぎたため、書類に不備があり、宇宙港の担当官の不審を買い、官房長が不穏なことをしているとしてその報告が宮中に届いたのだ。

 自分はどうなってもいいが、彼女だけはなんとか助けられないか。

 出頭要請に応じたのは、そう考えたからだろうか。

 そして、皇后から意外な言葉を聞くことになったのである。

 どう答えればいいのか、困惑するアウガムに、皇后は、侍女のアーデルハイドに紙とペンを持ってこさせた。

 そして、宮中で使う特殊な用紙に、出発許可証と通行許可証を記した。秘密の作戦を進行中であり、この宇宙船はそのために徴発したものである、という内容であった。

 サインを書き、皇后印を押した。これは5つの大小の四角が組み合わさった不思議な印影の判で、皇后だけが必要なときに使うものだ。それゆえ非常に強い力を持つ。

「持って行くが良い。軍と宇宙港の担当官には連絡しておきます」

「こ、このような……」

 まさか陛下は、ウインディーヌを殺すつもりはなく、むしろ助けようと思っていたのか。そう気づくと、アウガムは自分のしていることに、むしろ罪悪感を覚えた。皇后を見捨てようとしていることへの罪悪感である。だが、

「その代わりに、お前たちは二度と帝都に戻ってきてはならぬ」

「え……」

「どこか辺境の星で静かに隠れ暮らすが良い。戦火の及ばぬ田舎でな」

 呆然とするアウガムに、

「二度とは言わぬ。立ち去れ!」

 強い口調で言い、我に返ったようにアウガムは平伏した。

 翌朝、宇宙船は飛び立ち、男女二人は二度と宮中には戻ってこなかった。


 まもなく、グレンブル帝の弟ベリゾンは敵首都を奇襲する活躍を見せた。

 ベリゾンは、経済の中枢であるフンベントよりも、帝星スカラベートを守る方に意を注いだ。それは表向き、皇帝を守るためだったが、内心は、皇后レラミーのことがあった。

 戦争が終わると、ベリゾンは帝星にやって来て、兄グレンブル帝と会談した。

 そのあと、ベリゾンとレラミーは宮中で会った。

「皇后陛下、ご無事でなによりでした」

「ご活躍されたようですね。皆があなたを救国の英雄と賞賛しております」

「私は、英雄などではありません。ただ、守りたいと思う人のために、戦っただけです……」

 そう言って、ベリゾンはレラミーを見た。

 レラミーはそれには答えず、

「陛下とはどのようなお話を」

 ベリゾンは少し躊躇したあと、静かに口を開いた。

「兄上には、退位していただきます。申し訳ないが、実質敗戦とも言える今回の戦争の責任を誰かが取らなければ、臣民は納得しないでしょう」

「……そうですか。それは仕方ないでしょう。それで、あなたが、帝位につくと?」

「いえ。私にはそのような資格はありませんので」

 そして、苦悩の表情を浮かべて、

「ただ、国家を再建しなければなりません。私は暫くの間、摂政として、政治に当たります。その間……、帝位は空位とするつもりです」

「空位?」

「はい。もはや帝国は、かつてのそれとは異なります。皇帝の地位は、我々だけが決めることではなくなりました」

「……」

「決めるのは、民自身です。そのためにも、わたしは、民の暮らしを立て直さなければなりません」

 それはレラミーの産んだ皇太子にも当面あとを継がせる気がないということだった。当面? あるいは将来的にもずっとそのつもりかもしれない。レラミーは胸に痛みを覚えた。そして再び裏切られたような気がした。こっち側の一方的な期待だったことはわかっているのだが。まだしも、ベリゾンが帝位に就くというのであれば、彼女の気持ちはここまではなかっただろう。だがベリゾンは、帝位そのものを、皇帝という存在自体を否定しようとしているのだ。なぜか、それはひどく、息子を侮辱されたようにも思えた。

「あなたには、その旨、ご理解を頂きたく思っています」

「私の承諾など必要ないでしょう。帝国を救われたあなたがそうすべきだとお考えであるなら、私に否応はありません。ご自由に、その辣腕を振るって、国家を再建して下さい」

 冷たい口調になるのを自覚した。

 それがわかったのか、ベリゾンは、つらそうな表情を浮かべた。それでも彼は、自分の信念を曲げようとはしなかった。

 グレンブル帝が退位し、ベリゾンが摂政大公として事実上のトップに立ったことを知った時、チュべ公爵は後悔した。こんなことなら、最初の話のとおりに、ベリゾンに娘を嫁がせればよかった。あんな無能なグレンブルなんぞに嫁がせるのではなかった。

 なにをいまさら、とレラミーは父を恨んだが、直接には何も言わず、ただ無視し続けた。

 ベリゾンは、摂政大公として、帝国中を回りながら、事細かく再建を指示していった。大勢の人が、ベリゾンの命令を受けて手足のごとく働いた。旧都の大公邸では、彼の妻が留守を守り、そしてその子ザールヴァンを育てた。ザールヴァンはやがて、ベリゾンの補佐を務めるようになる。

 退位したグレンブルは引き続き、帝都に留まった。ベリゾンは特に兄一家を追い出そうとはしなかった。する必要はないと思ったようである。レラミーと息子のヒュールベインも皇宮で過ごした。

 しかし、かつての華やかな暮らしはそこにはなかった。

 生活物資はきちんと送られてくるが、宮中行事はすべて中止され、貴族らも参内することはなくなった。

 広いがひっそりと静まった宮殿の中を歩くと、かつての栄光が色あせた残滓として残っていた。絵画、彫刻、庭園、それらがただそこにある。

 レラミーは荒れ果てたままの庭園を眺めて思った。

 ベリゾン様の政策は理解できる。戦争を生き延びたとは言え、権威を失った帝室に、民の信頼を得ることはかなうまい。まずは国家を再建し、民の暮らしを良くしなければならない。皇弟であるベリゾン様がそれに取り組むことで、彼は帝室の復権も目指しているのかもしれない。

 だから彼の政策に異は唱えないし、むしろ必要あらばその助けとなろう。

 だが、その後に帝国が復活したときは、必ず、その頂点に立つのは我が息子でなければならぬ。

 そのために、わたしにできることはなんでもする。

 でももし……、

 もしベリゾン様が、我が子の即位を邪魔するのであれば、そのときは……。

 自分は堕ちるところまで堕ちるかもしれない。

 だがそれがどうだというのだ。

 ベリゾン様に別れを告げられたあの夜から、わたしの人生は幻影のようなもの。

 唯一、真に輝くのは、我が息子の存在だけ。

 ただそのためだけに、私は生きるのだ。


 ベリゾンが暗殺された時も、ザールヴァンが帝位を復活させて皇帝となった時も、レラミーは何も言わなかったという。

 そして、ザールヴァンが暗殺されたあと、貴族らに推されてヒュールベインは表舞台に出てくる。

 彼が即位したとき、その戴冠式の傍らに、レラミー皇太后の姿があった。

 一連の陰謀の背後に、彼女が関わっていたという証拠はない。

 レラミーは、息子が最高権力者の地位についた後も、表立って動いたことはない。しかし影の権力者として君臨した。

 そしてヒュールベイン帝時代の14年。宮中にてその生涯を終えた。

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