レザリナ皇后伝

 シャリアン帝には息子と娘がいた。12代レヴィン帝は、シャリアン帝が即位後に迎えた皇后との間に生まれた子供である。

 シャリアン帝に対し反乱を起こしたアントニアなどは、シャリアンが遊び人だというふうに教えられてきた。それ故自分が取って代わろうと考えたわけだが、多くの人は、シャリアンを外交通の経験豊かな人物だと思っていた。しかし、遊び人という一面は、必ずしも間違っていたわけではない。シャリアンは悪友ディブロと旅をすることを楽しんだが、当然の事ながら、旅先でもいろんな遊びをして回っている。露骨に言えば、女遊びも盛んであった。

 もちろん、覚悟を決めて帝位に就いてからは、身は慎んだ。ただそれは、皇帝として臣民に模範を示そうとしたから、というだけではない。

 シャリアンは、遊びまわっていた関係で、結婚はしておらず、独身の皇帝であった。

 彼自身は、まもなく先帝に男児が生まれたと聞き、その子にあとを継がせれば良いと考えたようだが、それは周囲の反対にあった。臣下にとってみれば、伯父から甥へつつがなく帝位が移ったのに、また元の家に戻るようなことがあったら、どんな問題が起こるかわからず、政策の継承もうまく行かなくなることを恐れた。系統がコロコロ変わるようでは、国の根幹に関わる。シャリアンが帝位に就いた以上、その血統で貫いて欲しいのである。専制国家の面倒でややこしいところでもあった。

 しかしそうなると、シャリアンは後継者を作らなければならない。そのためには、皇后を迎えなければならない。

 貴族界はざわめいた。

 複数いる皇子の中から次期皇帝となるべき人物を見極めて妃を送り込むのではないのだ。すでに皇帝となっている人物の后なのだから、その生家は、最初から外戚として地位や権力を保証されたようなもの。こんな確実でおいしい話はない。

 ものすごい運動が展開されることになった。美人の娘がいる家では、娘を飾り立てて猛アピール。娘の器量がいまいちだと思ったら、整形なぞ当たり前。娘がいない家では、養女にすべく親戚筋の娘達を探しまわった。飾り立てるにせよ、整形するにせよ、養女を探すにせよ、重要になるのが、皇帝の好みそうな顔立ち体つきはどのようなものか、である。その件について、密かな問い合わせが殺到したのは、いうまでもなくシャリアンの悪友として知られたディブロであった。

 ディブロもたちの悪い男であった。

 彼は、問い合わせのたびに、至極もっともらしい返事をして、お礼に財宝をたんまりともらった。

 それがだいたい一巡したころ、ディブロはシャリアンのところへ行き、財宝の山を見せて、問い合わせてきた貴族リストなるものを提出し、

「めんどくさいんで、適当に言っておきましたよ。お宝の半分は陛下に差し上げます」

 と言ったので、シャリアンは呆れて空いた口がふさがらなかった。

 シャリアンは財宝を記録したのち、国庫に放り込んでおいたが、問い合わせ貴族リストなるものは見もしなかった。

 シャリアンがなかなか皇后を決めないため、疑心暗鬼に陥った貴族たちは、ライバルを蹴落とすことにも策をめぐらすようになる。多くは噂を流すというものだった。

 やれ、どこそこの侯爵の娘は、遊び好きですでに処女ではない。

 やれ、某伯爵の娘は整形しているが遺伝子は変わってないので、子ができてもろくなことはない。

 やれ、さる公爵様のご令嬢とやらは、ほんとは親戚の子爵の奥方をむりやり離縁させて養女にしたものらしい。

 しかも、公爵様ご自身がこっそり手を付けているっていう話しだぞ。

 などなど、高貴な身分の御方々の品性下劣な話題が世間を飛び交った。

 あまり関係のなさそうな下級貴族や、平民の間では、そういう話に眉をひそめ、むしろ皇帝陛下が誰の娘を選ぶのか、固唾を呑んで見守った。

 3年あまり続いたこの騒動は、驚くべき発表で終止符が打たれる。

 その日は、初代皇帝アレクサンドルの建国記念を祝う日で、宮中で式典が行われるため、貴族の殆どが参内していた。

 儀式は滞り無く進み、皇帝がお言葉を述べられたあと、式典は終わるはずだったが、何故か皇帝はそのまま続けて、

「実は、この機会に、みなに話しておきたいことがある」

 と切り出した。

 貴族らは、なんのことだろうと、いぶかしんだ。

「余はこの度、后を迎えることにした」

 は……?

 と、居並ぶ貴族らは、同時に首を傾げた。

 その意味が脳の奥に浸透しだした頃、式典の間はざわめき始めた。

 とうとうお決めになられたのか。

 誰をお選びになったのであろう。

 婚活に金とエネルギー注ぎ込んでいた大貴族らは、心拍数を上げながら息を呑んだ。

 皇帝はざわめきが収まるのを待って口を開いた。

「后は、スボーク男爵の娘、レザリナである」

 え?

 スボーク男爵……って……

 誰だ?

 居並ぶ貴族らは、同時に思った。

 貴族らは視線を交わす。

 そんな貴族いたか?

 知らぬ。聞いたこともない。

 いや、そもそも男爵の娘だと??

 どういうことだ??

「実は、ここに呼んである。レザリナ、こちらへおいで」

「ハイ、陛下」

 元気な声がして、右手の柱の向こうから姿を表した女性に、貴族らは目を疑った。

 年は20歳前後くらいの様子で、綺麗な衣装で着飾ってはいるが、

 小柄で、髪はなかなかの癖っ毛、しかも短い。目はぱっちりと大きいが、まぶたは一重で、頬にはそばかすがあるし、唇もそんなに厚くないし……。

 可愛いといえば可愛いものの、さして美人というほどのものでもない。

 それになんだろう、この豪華な衣装との不釣り合い感は。

 頭には宝石を散りばめたティアラを付け、胸元の空いたローブデコルテ、2連のパールネックレス、手にはオペラグローブを付けた正装だが、むしろ……、

 頭には動物柄のバンダナ、袖をまくったシャツに、色落ちジーンズ、長靴を履いているほうがお似合いだ。ピッチフォークと金属バケツを手にしていたら完璧である。

「レザリナ、ご挨拶」

「ハイ、陛下。みなさま、お初にお目にかかります。このたび、シャリアン様のもとへ嫁がせていただくことになりました、レザリナ・メルーン・アング…、…アングレイゼリナ…? ん? えっと、ブラウン・レディ・スボークラス・メ、メンデリ…オン……ラウド……、え、えーとえーと……えへへ、ごめんなさい、忘れちゃいましたっ!」

 そして、ごまかすように、よろしくおねがいしまーす。と大声で言って頭を下げた。

「……」

「……」

「……」

 広い式典の間は、しんと静まり返った。「呆然」という題名の静物画のような、そんな光景だ。

 なんだ、この娘は。

 おしとやかさのかけらもない。

 大体、いくらあとから付けられる名前が長ったらしくてわけがわからないからとはいえ、忘れるとは何事であろうか。

 どう見ても貴族の娘とは思えなかった。平民の、しかも、田舎の農家とかにいそうな娘であった。

 ちなみに、彼女が忘れてしまった名前は、レザリナ・メルーン・セレー・アングレーゼリナ・ブラウン・レディ・スボークラス・メンデリオン・ラウドール・フェブリアン・ド・フンダという。だいぶ違う。

「あ、あの娘……うぬぬ、シャリアンの大馬鹿ものめが」

 そう小さくつぶやいたのは、父のオシリス大公である。

 なぜなら、オシリスはレザリナを知っていたのだ。レザリナは、大公家邸に子供の頃からお手伝いによく来ていた娘で、実は大公家に仕える使用人の娘であった。

 そう。

 平民の娘だったのである。

 大公は、レザリナを嫌っていたわけでも、冷たく扱っていたわけでもない。幼いレザリナが使用人の父に連れられて挨拶に来た時も、

「そなたの父は働き者だ。そなたも見習うが良いぞ」

 そんな言葉をかけて、頭をなでている。だが、平民は平民である。

 まさか、皇帝となった息子が后に迎えるなど、想像もしていなかった。平民出の后など、前代未聞である。男爵どころの話ではない。しかし、皇帝となった息子に表立って苦言を言うことも出来ない。してやられた、という気分であった。

 それは貴族たちも同様であった。

 皇帝に対して娘の婚活をしていた貴族らは頭も真っ白である。一方、娘のいない貴族らは内心で爽快感を味わった。「お后様は、どうやら平民の出らしいぞ」というニュースが一般にも広がると、平民らは快哉を叫んだ。さすがシャリアン皇帝陛下、やることがぶっ飛んでいらっしゃる。

 意外にも、皇帝の権威に関わる、とか、伝統に反するといった批判は、殆ど出なかった。それ以上の出来事だったからである。貴族たちの上を呆然が通りすぎたあとは、気の抜けたような状態になってしまったのだ。

 ある大貴族の家では、帰宅した父親から話を聞いた息子が憤慨した。横ではその妹が呆然としている。

「へ、平民の娘ですと!? それはまことですか!?」

「ああ。男爵の娘と言っているが、父親の名は聞いたことがない。見た雰囲気からも、おそらく平民だろう」

「な、なんということを。平民の娘を妻にするとは、皇帝の権威もあったものじゃない」

 ところが、娘を妃候補に推していた父親の方は、ソファに腰を下ろすと、苦笑を浮かべ、

「仕方あるまい、皇帝陛下のお決めになったことだ」

「それでよろしいのですか? 父上はなんとも思われないのですか!?」

「いや、なんかむしろ、納得してしまったよ」

「はあ?!」

「おまえは、陛下を見ておらぬからそう言いたくなるのもわかるが、……陛下は、ああいうお人だ」

 むしろ、あの皇帝陛下に対して、娘を着飾らせて婚活していたことが恥ずかしくなってしまう。

「たまにはこういうのもよかろうて」

「いや、しかし父上……」

「もうよかろう。娘よ、お前には気の毒なことをしたな。良い聟を探してやるから赦せ」

「は、はい……」

 平民の娘に負けたことがショックな様子の我が子を見ながら、

「それにしても、なかなか変わった娘だったな……。これからどうするやら」

 多くの貴族が似たような感想を持った。

 これは、旅好きで気さくな感じのするシャリアンのキャラクターもあっただろう。

 一方で、この伝統もへったくれもない皇帝の嫁取りの一件が、アントニアの反乱の動機の一端になったのではないか、と言う説も、後世指摘されることになった。

「陛下もお人が悪いですね。最初から、レザリナを迎えるつもりだったんじゃないんですか」

 そうディブロに言われて、

「そんなことはないぞ。これでも皇后をどうするかは真剣に考えたのだ」

「とか言いつつ、陛下。レザリナにはもうとっくに手を付けてたんでしょう」

「いやっ、それは、まあ、そうだが……」

「陛下の好みのタイプですもんね。レザリナは。可愛らしいですが、ちょっと野暮ったいというか、田舎臭いところとか」

「うるさい。お前にはわからん」

 とシャリアンはそっぽを向いたが、実のところ全く指摘のとおりであった。

「陛下が、皇帝になるのを嫌がったのも、本当はレザリナのことがあったんでしょう」

「う……」

「隠しても無駄ですよ。このディブロめは、全部お見通しです」

「……ふん、ろくでもない友人だ」

 シャリアンがレザリナと「出会った」のは、まだ大公の嫡男だった頃である。

 旅先から帰って来たシャリアンは、父親のもとに挨拶に出向いて、さんざん嫌味だの小言を言われ、やっと解放されて、邸内のサロンへと向かった。ディブロとそこで飲もうと約束していたのだ。

 サロンに来てみると、ディブロのそばにメイド服の女性が立っていてなにか喋っていた。シャリアンに気づくと、女性は振り返った。

「若様! お久しぶりでございます!」

 と元気よく言ってぺこっと頭を下げた。

「君は……」

「お忘れですか、若様。レザリナでございます」

「ああ、思い出した。ジュールのところの……」

「ハイ。父がいつもお世話になっております」

「い、いや、こちらこそ。……しかし、前に会った時はまだ小さかったが、大きくなったな」

「まもなく16歳になります」

「そ、そうなのか……。それで、その格好は?」

「ハイ。先月からこちらで働かせいただくことになりました! どうぞよろしくお願いいたします!」

「ああ、うん。よろしく」

 その時はそれで終わったが、シャリアンにとって、レザリナの容姿、雰囲気、しゃべり方など、好みのど真ん中だったようだ。

 その後も、シャリアンはディブロとしょっちゅう旅に出たが、戻ってくると、真っ先に自邸に行き、父親への挨拶もそこそこに、レザリナを探しだして、おみやげを渡すようになった。

「わー、これいただけるのですか?」

「うん、まあ、たまたま良さそうなのを見つけたんでね。レザリナに似合うかと思って」

「ありがとうございます、若様。とってもうれしいです!」

「そ、そうか、なら良かった」

 さらに旅先でも、それまでしていた女遊びをしなくなったのだ。シャリアンのお供を名目に自分も楽しんでいたディブロとしては、この展開ははた迷惑だったが、一方でシャリアンが何を考えているのか見え透いており、そこはそれで面白かった。

 1年ほど経ったある日、また旅先から戻ってきたシャリアンは、なにか思いつめたような様子で、レザリナのところへ行った。レザリナも17歳になる。

 レザリナと広い庭園の中を散策し、東屋に来たところで、彼は言った。

「レザリナ、君は私をどう思う?」

「えっ……?」

 レザリナは、その質問の意図をはかりかねて戸惑った。彼女の沈黙にやや焦ったように、シャリアンは続けた。

「私は、腰の落ち着かない男だ。しょっちゅう旅に出ていて、ふらふらしている。父からも、貴族連中からも、遊び人だと陰口を叩かれている」

「そんな! ぜったいそのようなことございません。だって、宇宙の各地を見て回られているんですもの。いつも他の星々の楽しいお話を聞かせてもらって、私はそんな経験ができるって素晴らしいと思っております!」

「そ、そうか」

 シャリアンは少し沈黙したあと、キッと顔をあげた。

「レザリナ!」

「ハイ、若様」

「私は、決めた。君を……私の妻に迎えたい!」

「え……?」

 い、いま、若様は、私のことを……。

 レザリナも急にドキドキしてきた。

「わ、私は君のことが好きなのだ。君は、その、私の妻になるのは嫌か?」

「そ、そのようなことはありません。だって、わたしも、若様のことが……で、でも、身分が違い過ぎます」

「身分など関係ない。そのようなもの、この世のはじめから決まっていたわけではないじゃないか」

「そ、そうですけど……、でもでも、私などを妻に迎えても、大公様も皆様もぜったい反対なされます。だって、若様は将来大公家を背負っていかれるお立場なのですから」

「地位が邪魔をして君を妻に出来ぬのなら、私は大公家の地位などいらぬ」

「若様……!」

「家は弟に継がせればいい。それで私は君をつれてどこか遠くの異国の地に移り住む」

 そう言ってから、やや不安げな表情で、

「そうなった時、君は付いて来てくれるか?」

 レザリナは急にこみ上げてくるのを感じて、

「ハイ、もちろんです!! 若様とならどこへでも一緒に参ります!!」

 とうなずいた。

「そうか、ありがとう、レザリナ」

 シャリアンは、ややぎこちなく、レザリナを抱き寄せた。

 こうして、ふたりは関係を持ったが、シャリアンはしばらく、レザリナとの関係を黙っていた。父や周りの人に、どういう風に、レザリナを妻に迎える話をするかで思案していたのだ。

 そんな中、ディブロから誘われてまた旅に出ることになったので、その帰国後に話をすることに決めた。フラフラしていることを批判する父に、それを逆手に取って、身を落ち着けるという条件を出してレザリナを妻に迎える話に持っていく。それでもダメなときは、レザリナに言ったように、弟に地位を譲り、家を出ることも考えた。むしろレザリナと宇宙中を旅するのも悪くない。

 ところが、その旅先で彼は、「帝位継承」を伝えに来た皇帝の使者を迎えることになる。

 皇帝になれば、レザリナとの関係はどうなるだろう。

 彼の頭に真っ先によぎったのはそのことだった。

 だが、話はどんどん進んで、彼の手ではどうにもならなくなってしまった。

 結局、皇帝にならざるを得なくなってしまった。

 皇帝に即位してからも、慌ただしい日々がどんどん過ぎていく。レザリナとは会うことも出来ない。

 その一方で、皇后冊立の話が勝手に沸き起こってきた。貴族どもが熱烈な婚活をしだす。

 皇后を決めなければならないことは、わかっている。退位した伯父に子供がいるので、帝位継承問題はまだくすぶっているが、それゆえ、シャリアンに子供が出来ることを期待する人々も増えていた。

 出来ることなら、レザリナを妻に迎えたい。だが、平民出身の彼女を皇后に出来るのか。

 シャリアンは迷っていた。形式だけ皇后を立てておいて、側室に彼女を入れるべきか。

 だが、それは逆に混乱を招くかもしれない。レザリナにも、皇后となる女性に対しても、不愉快な思いをさせるだろう。そこでレザリナに子ができたら更にややこしいことになる。

 悩んでいたある日、思いもよらぬ話が耳に入ってきた。

 ディブロが宮中に参内し、シャリアンにある話をしたのだ。

「そういえば、レザリナに結婚の話が出ていますよ」

「け、結婚? ど、どういうことだ」

「大公様らが、ジュールの娘も年頃だから、そろそろどこかに嫁にやらせようか、と話をしているのを、聞いたものがおります」

 シャリアンが呆然としていると、ディブロは素知らぬ顔で、

「たしかに、レザリナもいい年ですからね。しかも大公家にお仕えしているという点で箔が付きますし、これは意外と引き手数多かもしれませんね」

 この時、皇帝は、一つの決断に至ったといえる。

「ディブロ、お前に頼みがある」

「は、なんでしょう」

「レザリナを父上らに見つからぬよう、うまいこと連れ出して、私のところに連れて来てくれ」

 ディブロは、内心うまく行った、と思ったかどうかはともかく、表面はすまし顔でうなずき、レザリナを連れ出してきた。

 宮中の一室で、レザリナはシャリアンとふたりきりで会った。皇帝は彼女を抱きしめ、

「レザリナ、会いたかったぞ」

「陛下、私もです。でも、突然でしたので、驚いております」

「すまぬ。面倒なことが多くて、時間が取れなかった。だがレザリナ、こうして会って、私の気持ちも固まった。実はそなたに話がある」

「はい、陛下」

 そう答えつつも、レザリナは内心、皇后のことではないかと思った。世間ではその話で持ちきりなのだ。

 たぶん、陛下は皇后をお決めになられたのだろう。そのことを私に伝えて、私に身を引くことを了承してもらおうとしているのだ。陛下はお優しい方だから、私に気を使って……。

 だが、そう思っただけでも、悲しさで胸がはちきれそうになる。

 シャリアンは、レザリナの身を離すと、彼女の目を見た。

「レザリナ、私は皇后を迎えることに決めた」

「は、はい……」

「皇后は、そなただ」

「え……」

「皇后にするのは、そなたしかおらぬ。承知してくれるだろうか」

「お、お待ち下さい、陛下」

「どうした?」

「あの、私などでよいのですか?」

 大公家の跡継ぎに嫁ぐどころの話ではない。皇后なのだ。

「構わぬ。誰にも文句は言わせぬ。余は皇帝だぞ」

「で、でも……」

「それでも、異論を唱えるものがいるなら、私は皇帝など辞める!」

「えっ」

「そもそも、私は皇帝などになりたいと思ったこと一度もない。先帝陛下や周りの者がなれなれというからなったのだ。その上、皇后のことまで勝手に決められたのでは、たまったものではない。それがダメだというなら、皇帝の地位などいらぬ」

「陛下……」

「前にも約束したが、そうなった時は、そなたを連れてどこか遠くの星へ行く。その時は、付いて来てくれるか?」

「……はい」

 この時レザリナは決心した。自分が断っても、この人は皇帝の地位を捨てるだろう。それは、この人のためにも、この国のためにも良くない。平民出の自分が皇后になったら、おそらく大変だろうけど、陛下のためならそれくらいなんでもない。私ががんばらなきゃ。

「もちろんです陛下。私は陛下について行きます。皇后でも、遠くの星でも」

 シャリアンはうなずいた。

「皇后になれば、きっと大変なことも多いだろう。だが、私が守る。苦労は私もわかちあう。必ず約束する」

「ハイ、ありがとうございます、陛下!」

 明るい声で返事をすると、シャリアンは顔をほころばせて、再度レザリナを抱きしめた。

 レザリナの父親ジュール・スボークは、シャリアンによって男爵の地位を与えられた。

 皇帝が公表する少し前、ジュールのもとに、ディブロから使者が来た。皇帝がお呼びであるゆえ、離宮の一つに参内するように、という。ジュールは用向きがわからず、首を傾げはしたものの、それほど緊張はしていなかった。皇帝になったとは言っても、シャリアンのことは子供の頃から知っている。

 待っていたシャリアン帝から、

「久しぶりだな、ジュール」

「お久しぶりでございます。陛下」

「元気そうじゃないか」

「おかげさまで。陛下もご立派になられましたことで」

「元が元だけに、だろう?」

「いえいえ、これが陛下の本当のお姿でございましょう」

「よせよせ、おだてるな。ところで、今日、お前を呼んだのは他でもない」

「はい、なんでございましょうか」

「お前の下の娘、レザリナのことだが」

「は? はあ……」

「余の皇后として迎えることにした」

「……え?」

「それで、お前にも、男爵の爵位を与えることにした」

「……ええっ??」

「これからも、よしなに頼むぞ、スボーク男爵」

「……!? ……???」

「どうした?」

「……、……」

「おい、大丈夫か?」

 スボークが男爵となって最初にしたことは、驚きのあまり熱を出して寝込んでしまうことだった。

 こうして、平民から皇后になったレザリナだったが、良いところも多々あった。

 ひとつは、幼い頃から大公家に出入りしていたことで、高貴な身分というものに対し慣れており、余計な畏れを抱かなかったこと。

 ふたつめに、根が明るく、何があっても前向きであったこと。

 みっつめに、行動力にあふれていたこと。

 後宮に入っても、それは全然変わらなかった。

 最初は、身分の比較的高いものが多い宮中で(なにしろ侍女ですら貴族の娘たちなのである)、白い目で見られていた彼女だったが、全く気にせず、明るく振舞い、どんどん行動し、1年も経たずに、宮中の誰からも愛される存在を獲得してしまったのである。なんとなく、彼女のことを応援したくなるような、助けてあげたくなるようなところがあった。

「皇后陛下、わたくしめが、お作法をお教えいたしますわ。何でもお聞き下さいまし」

「では、わたくしは礼法などを」

「あらあら陛下、いけませんわ、ドレスはこのようにおめしになりませんと」

「舞踏会のダンスは、私が指南させていただきますわ。どうぞおまかせあれ」

 などと、貴族の娘達が、礼儀作法やしきたりを進んで教えるようになった。

 そんなこんなしているうちに、彼女は身ごもり、そして産まれたのがレヴィンであった。

 シャリアンは、存命で子沢山の先帝がいたため、気を使って、レヴィンをすぐに皇太子には定めなかった。

 レザリナはそんなこと全く気にもとめなかった。

 しかも、平民の出であるためか、育て方も、それまでとはまるで違っていた。

 まずお乳は自分で与えた。乳母任せなどはしない。

 幼児期にはできるだけそばに居てあげた。

「幼い時は母親の存在が一番。大きくなったら、父親の背中を追うようになるでしょうけど、今は私がそばにいなければいけないのよ」

 堂々とそう主張し、宮中の伝統を上げてたしなめようとした女官長も、なんとなく反論ができなくなった。

 教育もできるだけ自分が関わった。

 悪いことをした時は、きちんと叱りつけ、決して甘やかさなかった。一方で、良いことをした時は、はばかることなく誉めた。

 アントニアの反乱が起こると、レザリナは、何があっても息子は守ります、とばかりに、自ら武器を携行し、不審者が侵入してこないよう、宮中警備担当者に自ら指示を与えるほどだった。

 シャリアン帝の悪友でもあり無二の友でもあったディブロ侯爵が暗殺された時、落ち込む皇帝を慰め、力づけたのも、レザリナであった。シャリアンが帝位の是非について臣民に問うと決めた時も、「陛下のよきようになさってくださいませ」と賛同した。

 やがてレヴィンは皇太子となり、母親の手を離れた。

 レザリナは、レヴィンのあとにも娘ウルスラを生んでおり、娘には、女らしさと、一人前の人間としての見識を持つよう教育した。ウルスラはのちに名門ダモス家を継いだルース・ブラン・ダモス侯爵に嫁いだが、その堂々たる態度と豊かな教養で、瞬く間にダモス家を取り仕切るようになった。彼女は社会事業にも熱心で、ダモス侯爵のいとこに当たるアンジェラとともに平民の女子教育のために興したウルスラ・アンジェラ女子大学は、今も有数の女子教育の拠点となっている。これらの活動もまた母親の影響を受けてものだろう。

 皇太子レヴィンが大人になり、分別をわきまえているのを見定めたうえで、シャリアン帝は引退を表明し、レヴィンが譲位によって即位した。しかしレヴィン帝は、その後も母親には頭が上がらなかった。彼から見る母親は、怖いところもありつつ、お転婆娘のようにも見えた。

 レザリナは、皇帝となった息子に対し、こまごまと口をだすようなことはしなかったし、政治に介入するような真似もしなかった。立派な地位についた以上、そこは息子の顔を立てる、と言うのが彼女の考えだったようだ。だが、レヴィンからすると、私利私欲で行動しようものなら、いつ母親に怒られるかわからない、という怖さが常にあった。母親の前では、いくつになっても子供は子供。皇帝であってもそれは変わらなかった。

 皇太后となったレザリナは、レヴィン帝時代には国母と称され、臣民の敬愛を受けた。

 ずっとのち、シャリアンが崩御すると、彼女はショックのあまり、病気がちになった。そのことが伝わると、人々はみな神に平癒を祈った。まもなく回復したが、やがてふたたび病に倒れた。レヴィンは、毎日母親を見舞った。

 数年して、彼女は亡くなった。その死を臣民はみな一様に悲しみ、その国葬には、貴族・平民を問わず多くの人々が集まった。その規模はアウター帝の葬儀以上のものであったという。

 彼女の陵墓には、献花が絶えることはなかった。

 フン帝国は、現代に至るまで、25人の皇帝を排出している。

 そのうち2人の女帝を除いて、男性の皇帝には、すべて皇后がいた。

 しかし、後にも先にも、平民出身で皇后になったものは、彼女一人しかいない。

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